16 二年A組教室にて
ジェノマニア王国首都クレアラッツの中心部。
そこには、巨大な時計塔が聳えている。
そして、その時計塔を囲むレンガ造りの巨大建造物。
この世界のどこを探してもこの建物を知らない人間はいないだろう。
この建物は、クレアラッツの候補生を養成する学校で、エルクロス学園と呼ばれる。
本部があるクレアラッツの祓魔師養成学校であるため、他の国からも通う人間が多い。
見た目は最近できたばかりのレンガ倉庫だ。
しかし、レンガ倉庫と呼ぶにはガラス窓が多すぎる独特の造りとなっている。
エルクロス学園は三学年制で、全校生徒は約四五〇人。
入学には優れた頭脳と祓魔師に適した運動能力を要するため、この世界で一番入るのが難しい学校と言われる。
だが、学者並みの頭脳や悪魔並みの運動能力があれば、片方が欠けていても入学は可能だ。
現在のS級祓魔師セヴィスとA級祓魔師ウィンズのラスケティア兄弟が、それをはっきりと象徴している。
そのエルクロス学園の二階の右端に、他のどの部屋よりも騒がしい部屋があった。
貼られる掲示物は破れ、黒板の周辺には折れたチョークの破片が散らばり、窓はキズだらけでヒビも入っている。
扉の上のフレームには『二年A組』のプレートが差さっている。
学年で最も戦闘力を持つ者からクラスを振り分けられるこの学園では、A組はその学年で最強となる。
その中でもこの二年A組は学園一強いクラスで、現在エルクロス学園の教官たちを悪魔よりも困らせているクラスでもある。
この教室が汚れる理由は一つ。
二日に一回の頻度で起こる乱闘だ。
そして、その原因の大半をモルディオの嫌味が占めている。
それ以外は大抵セヴィスなのだが、やる気のない彼は一番怒りの矛先を向けられる生徒であり、一度も教室で戦ったことがない唯一の生徒でもある。
「モルディオさ、今朝悪魔に襲われてトーナメント棄権だって」
トーナメントに意気込む生徒たちに、机に座るA級祓魔師候補生チェルシー=ファリアントが言った。
チェルシーは若草色の長い髪を頭の左斜め上で縛っているA組の女子生徒で、称号を持つ四人の候補生の一人だ。
他の三人に比べ、チェルシーは祓魔師の戦力として大いに期待されている。
彼女は口が多少悪いが、仲間思いで候補生の危機にはすぐ駆けつけるので、集団での戦闘にはかならず動員される程信頼されているのだ。
それに比べてセヴィスとモルディオは他の人間と一切協力しようとしない為、単独での戦闘に回されることが多い。
「悪魔に襲われた? ざまあみやがれ」
チェルシーの言葉を聞いて、男子生徒たちはげらげら笑っている。
「笑ってる場合なの? あいつはあれでもA級なんだから、襲った悪魔は相当強いんでしょ。次はいつ現れるか分かんないんだから、ちょっとは危機感を覚えたらどうなの?」
「いや、いいぜ」
ハミルが横から口を挿む。
その顔には大きめの絆創膏が貼ってある。
「ハミル、その怪我どうしたの?」
チェルシーはハミルの顔を指差して驚いている。
「おれは、モルディオを助けようとしたら、その悪魔に襲われたんだ」
唇の痛みに顔をしかめながらハミルが言う。
「ハミルもいたの? だったら、その悪魔の特徴とか……」
「その心配はいらねえ。セヴィスが三人ともやっつけたから」
「えっ?」
チェルシーはハミルの後ろで壁に寄り掛かっているセヴィスに目を向ける。
セヴィスは話に全く耳を貸さず、窓から外を見ている。
「あんたさ、いたの?」
不審な顔をしてチェルシーが尋ねる。
同時に辺りが静かになった。
「何のことだ?」
セヴィスは外に向いていた顔をチェルシーに向ける。
「聞いてなかったの? あたしはモルディオとハミルが悪魔に襲われた現場に、あんたがいたのかって聞いてるんだけど」
と言って、チェルシーは机を叩く。
「俺はただ暴言とハミルの声が聞こえたから行っただけだ」
セヴィスは素直に答える。
「まあ、あんたがいたからハミルもモルディオも死なずに済んだんだし、それだけは礼を言っとくけど」
「まだ何かあるのか?」
「毎回思うんだけどさ、あんたの態度むかつく」
そう言ってチェルシーは腕を組む。
それに対してセヴィスは大して怒る素振りも見せず、いつものやる気のない顔をしている。
「いろいろあるんだけど、その中で一番あたしが腹立つのは戦闘訓練かな。協力するはずの訓練であんたが一人でほとんど悪魔を倒しちゃうから、みんな練習にならなくて伸び悩んでるんだよ」
チェルシーの後ろで、女子生徒たちが顔を見合わせている。
黙っていたハミルは、確かにそうだよなと同感した。
「訓練は今まで練習してきた成果を試す場じゃないのか?」
全く反省する気がないセヴィスを見て、チェルシーはため息をついた。
「その実戦さえも邪魔してるのがあんたなんだよ。あんたのニックネーム知ってる? 一番メジャーなのが最強の強の字を不幸な方の凶にした『最凶祓魔師』で、他にも『電気ウナギ』とか、『無愛想どうでもいい野郎』とかあるよ」
「誰が電気ウナギだ」
「あんたに決まってるじゃん。ひょろひょろしてるし、触ったら感電しそうだし」
「……電気ウナギって、もっと細くなかったか」
周囲が白けた。
「とっとにかく、いつまで去年の勝利の余韻に浸ってるつもり?」
「誰もそんなものに浸ってない」
「あっそう。今日あたしに惨敗して泣きべそかいても知らないからね」
と、チェルシーが言った直後、時計は八時三十分を指した。
チャイムが鳴って、放送がかかる。
「全候補生は戦闘の準備を整え、闘技場に四十五分までに集合せよ。尚、遅れたら不参加とみなす」
男教官の放送を聞いた生徒たちは、雑談を止めて自分たちの武器を取り出す。
「ちくしょう、悪魔に殴られた足がまだ痛いぜ」
手の甲の部分が鉄で補強されたグローブを着けて、ハミルは呟いた。
「あーあ。嫌味野郎のモルディオがセヴィスにやられる所もう一回見たかったな。何であいつ悪魔に襲われたんだよ。セヴィスだってあいつ倒したかっただろ?」
「あいつがいると余計疲れるから、いない方がいい」
そう言うセヴィスの手には、既に赤いナイフがある。
殺す恐れがあるのでブレスレットはコイルの部分だけ分離して、コイルは制服のポケットの中にある。
「お前は明日の祓魔師のトーナメントに向けて余力残さないといけないもんな。おれなんかな、去年候補生の方で全力を出しすぎて祓魔師の方は疲れて満足に戦えなかったぜ。まあ初戦のD級の人が弱い人だったからB級になれたけど……ってこんなこと言ってたら失礼だよな」
ハミルは両手のグローブを胸の前でぶつけて、鈍い金属音を鳴らす。
「モルディオがいないからおれもA級取れるかもしれないな。そう思ったらやる気がみなぎってくるぜ!」
ハミルの言葉を聞いて、モルディオがいないという理由でトーナメントに意気込む生徒が増えた。
「強い奴とは当たりたくねえな。敗者復活戦で勝ち上がっても疲れて去年の二の舞だし」
と、ハミルは自分にしか聞こえないぐらいの声で言う。
ハミルの斜め後ろで、セヴィスは黙って考え込んでいた。
モルディオがいない今年の候補生のトーナメントで、一番の強敵となるのはおそらくチェルシーだ。
彼女は魔力権による防御が硬く、大抵の攻撃は当たらない。
それに彼女の水を操る魔力権の攻撃を受ければ、形勢はすぐに逆転する。
対チェルシー用に姑息な手段を使おうかとセヴィスが考えるぐらい、彼女の実力は侮れない。
だが、去年の経験で分かったこともある。
とても誇り高いS級のやるような策でもないが対策は一年前に既に立ててある。
今年の一年生はどうだろう。
一週間前にあった一年生の戦闘訓練に、セヴィスはS級だからという理由で強制的に行かされた。
セヴィスのやる気がなかった為に、一年生たちの自主訓練になったのは言うまでもない。
一年生の戦闘を確認程度で見ていたが、彼らでは称号は取れないだろうと一目で分かった。
一年生ほぼ全員が近距離戦闘で、セヴィスが一撃で仕留められるぐらいの隙をほとんどの生徒が作っていた。
そもそも候補生が称号を取ることなど、一年に一人いればいい方なのだ。
それも、今いる四人が全て二年生だ。今年の二年生は強すぎるのだと祓魔師たちは言う。
結論、今日セヴィスが警戒するのはチェルシーだけだ。
それよりも、今朝の悪魔が気になる。
モルディオを倒したので、最初は相当の実力者かと思ったがそうではない。
彼らは不意打ちで勝ったのだろう。
それは、悪魔たちが自然に人間の中に溶け込んでも気づかれないことを示している。
現在の人間に悪魔を見分ける力はない。
魔力権にもそんなものは存在しない。
セヴィスにしてもその人間が戦闘力を持つかぐらいしか見分けられない。
悪魔は、自分が思う以上に日常に溶け込んでいる。
セヴィスは今まで以上に悪魔に警戒しないといけないと思った。