10 S級祓魔師の密約
ターレが去ってから十分が経とうとしている。
すっかり静まって静寂が訪れた店内に、扉に付いたベルの音が木霊した。
「へえ、ここが『クリムゾン・スター』かぁ」
と、足音と共に明るい少年の声がした。
空になった皿を運ぼうとしたシンクは、顔を上げて扉の方角を見る。
そこには店を見渡すハミルと、セヴィスがいた。
「おう、セビじゃねえか」
シンクは笑って言う。
「いつものやつ」
セヴィスは先程ターレが座っていた席に座って言った。
ハミルは向かいの席に座り、壁に貼られたメニューを見る。
いくつかは店員が書いたのか、明らかに書体が違っている。
「えーと……『マジデウメーゾ 八百デルカ』、『ノコサセネエ 六百デルカ』、『ナマノワケネエダロ 七百デルカ』、『マズイトイッタラコロス 五百五十デルカ』、『てんちょの特製クリムゾン・スペシャル 千デルカ』、『地獄海サラダ 三百デルカ』、『ポイズンドリンク(嘘) 百デルカ』、『店長特製トランスビールR-20 三百デルカ』って、何が何だかさっぱりだな」
ハミルはメニューを読み上げて迷っている。
「おい、早く言え。てめえはガキだからビールは頼むなよ」
笑顔のままシンクは圧をかける。
「ちょっ、どうすればいいんだよ?」
ハミルは焦ってシンクとメニューを交互に見る。
「メニュー名のインパクトのわりに料理は普通ですから、適当に選んでくださって構いませんよ。店長は性格のわりに美味しい料理を作りますから」
オムライスを運びながらアルジオが口を挿んだ。
「おい、それどういうことだよ」
「店長を褒めているのですよ。これで料理が不味い店だと、私だってここで働きたいと思いませんよ」
アルジオは穏やかな笑みを浮かべてオーダー用紙を机に置く。
「えっじゃあ……一番普通そうな『クリムゾン・スペシャル』一つお願いします」
と、少し焦り気味にハミルは注文した。
「『ナマノワケネエダロ』と『クリムゾン・スペシャル』の二つでいいんだな? 初回だし特別に百デルカだけ割引してやるよ」
そう言って、シンクは厨房に戻って行った。
同時にハミルの緊張が解ける。
「ああ怖かった。セヴィス、『ナマノワケネエダロ』って何なんだ?」
「ハンバーグだ」
と即答すると、セヴィスは席を立つ。
「あれ、どこに行くんだ?」
「シンクと話してくる」
ハミルを置いてセヴィスは一人厨房に向かう。
メニューを興味深そうに見ていたハミルは、ふと見覚えのある字を見つけた。
「あの、店員さん」
従業員のアルジオを見ると、視線に気づいたアルジオはハミルの方を見て頷く。
「あの地獄海って……」
「あれですか? あれは店長の頼みでセヴィス君が考案した名前です。地獄と海でヘルシーって、面白い名前ですよね」
「地獄って聞いたら辛いのかと」
「サラダは全然辛くないですよ。たまに店長が『地獄のロシアンルーレットやろうぜ』とか言って、いつの間にやら買ってきたハバネロとブラックペッパーを大量に入れようとしていますが、ロシアンは私が阻止していますから安心して下さいね」
アルジオの似ているシンクの真似に、ハミルは思わず吹き出した。
「それはともかくとして、メニュー板もセヴィス君が書いてくれたのですよ。彼は意外に面倒見がいいのかもしれませんね」
アルジオは満遍の笑みで話しながら食器を片づける。
そのアルジオにハミルは、
「すみません、ヘルシーサラダ一つ追加してください」
と言った。
マリが注文を取って、アルジオが料理を運んでいるので、現在の厨房にはシンクとセヴィス以外誰もいない。
「シンク、獲物は決まったか?」
挽肉を冷凍庫から取り出したシンクに、セヴィスは尋ねる。
「決まったぜ。ジェノマニア『宝石』店の一番でけえルビーだ」
右手で挽肉を持ったまま、シンクは左手をポケットに突っ込んで一枚のカードと一輪の造花を取り出した。
花柄のカードには印刷された文字で『十一時に六十カラットのルビーをいただく』と書かれている。
それは、紛れも無く怪盗フレグランスの予告状だった。
「今日の夜中に俺がこいつを『宝石』店に入れてくるからな。店の構造とか警備とか、ちゃんと調べておけよ。でもあの店は何度も行ってるから必要ねえかもな」
「分かった。明日の十一時だな」
シンクから手渡された予告状の内容を確認したセヴィスは、予告状だけを軽く投げてシンクに返し、造花を懐に入れた。
「頼むぜ。赤い『宝石』は美術館か店にしかねえし、赤程うめえもんはねえしな」
「赤い方がうまいのか?」
「オレンジも好きだけどな、赤は格段にうめえぜ。これは俺が最近知ったことだけどな、悪魔の『宝石』は殺した数が多い程赤くなる。つまりS級とかA級の方が美味いってことだ」
シンクは電子レンジに挽肉を入れて解凍を始める。そして休む暇もなく冷蔵庫からトマトを取り出す。
「それって、シンクも美味いってことか?」
と、セヴィスは真顔で尋ねる。
「バカ。死んだら何も食えねえじゃねえか」
包丁によってトマトが汁を出して両断される。
シンクが作っているのは『クリムゾン・スペシャル』ことミートソーススパゲティである。
「で、そっちは?」
「近くの森で、悪魔に襲われて『宝石』を強奪されるっていう事件が起きてる。悪魔は三十くらいの男。あともう一つ新しい情報がある。ウル牧場付近で、毎日のように悪魔がうろついてる。悪魔は十五歳程の男で、ユイレルって名乗って……」
「ユイレルっ!?」
セヴィスがユイレルという名を出した途端、シンクの表情が変わった。先程まであった余裕のある表情が、真剣な表情に変わっていた。
「どうかしたか?」
と、セヴィスは尋ねる。
「いや、何でもねえよ」
「俺が今持ってる情報はこれだけだ。好きな方を選んでくれ」
この気狂い悪魔が出没情報だけで驚くこともあるんだな、とセヴィスは思った。
だが悪魔たちの関係を知ったところで、自分には何の得もない。
だからセヴィスはユイレルという悪魔についてはほとんど考えなかった。
「じゃあ牧場の方な」
シンクは笑顔で答えた。
真剣な顔をしたのはユイレルという名を聞いたその時だけで、すぐに戻った。