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 アニワールドの店内は盛況だった。盛況と言っても騒がしいわけではない。空席は見当たらないぐらいの客の入りなのにもかかわらず話し声がほとんど聞こえてこないのが異様な感じがする。耳に入ってくるのはページを繰る音とジュースを飲む音ぐらいのもの。

 その静けさは図書館のそれに似ているようだがどうも落ち着きがない。喫茶店に似た明るさだが和んだ雰囲気が感じられない。どことなく退廃した空気に私は上手になじめそうにないような気がした。

 店内は郊外のファミリーレストランほどの広さがある。壁という壁に本棚が設置されぎっしりと漫画で埋め尽くされていた。よくもこんなにと呆れるほどの冊数である。

 二階にも客席があるのだろう。店の中央に階段があり、そこを洋と似たような年恰好のスーツ姿の男性が虚ろな目を足元に落とし漫画を抱えて上っていく。その階段を囲むように大小様々なテーブルが配置されそれぞれに肘掛のついた座り心地の柔らかそうな椅子が用意されている。

 十月の平日の午後二時半。客層は様々な年代に富んでいる。

 大学生風の男性が多いようだが学生服やセーラー服も珍しくない。授業をさぼっているのかもしれないが胸や襟元に校章をつけたまま悪びれもせず漫画に耽っているのはここで時間を潰すのがある程度習慣になっているからなのだろう。それを咎める人は店員も含めてこの店内にはいないに違いない。周囲に何も言われないから自分も何も言わない。現代人特有の道徳観でこの空間は秩序が保たれているようだ。

 誰もがテーブルに数冊重ね黙々とページを繰っている。椅子の背もたれに身体を預けたり、片方の肘掛に体重をかけたり、前かがみになったりと姿勢は多様だが皆同じ真剣な顔つきで漫画の世界に没頭している様子だ。

「いらっしゃいませぇ」

 店の奥の厨房がありそうなスペースから店員らしき女性が出てきて小走りで駆け寄ってきた。

 アニメのキャラクターに扮しているのだろう。水飴の甘さを想起させる琥珀色の作り物の長い髪。どこかの国の海軍を模したと思われるまぶしい白スーツの胸には金色の勲章が施されている。髪と同じ色のブーツと短めのスカートとの間隙から覗く素足が妙に艶かしい。これがこの店の売りであるコスプレに違いない。

彼女と向かい合いその左胸のプラスチック製の名札に私は目を見張った。

 確かに「カルーア」とそこには書いてある。彼女があのカルーアちゃんなのだろうか。言われてみればこの髪の色もカルーアミルクを連想させなくもない。

 私は思わず彼女の顔をじっと見つめてしまった。丸みを帯びた顔全体の印象は幼いが、少し吊り気味の大きな瞳と細く長い眉に勝気な性格が滲み出ているようにも思う。コスプレのせいもあってか年齢が不詳だ。二十五歳と言われればそれで納得するし、高校生としてでも十分に通ってしまうだろう。

 会って彼女の人となりを少しでも確認できれば勿怪の幸いとは思っていたが、こうも簡単に言葉を交わすことができるとは想定しておらず私は少し落ち着きを失った。「あー、あの、その……」

「閣下はお一人様ですか?」

「カッカ?」

 あまりに聞きなれない言葉で頭の中で上手に漢字に変換できない。

「お客様のことです。当店はアニメ『ギャラクシーウォー2200』の世界をモチーフにしています。閣下の他にも殿下、キャプテン、エース、姫など来店されるお客様によって呼び名を私どもで決めさせていただいております」

「それで私が閣下と」

「さようでございます、閣下。今日はお一人様でしょうか?」

「ええ、まあ」

「お煙草はお吸いになられますか?」

「ああ、吸いますけど、今はどちらでも」

「承知しました。それでは、席は……。えーっと」

 カルーアちゃんは1階のフロア内を見渡し、レジに戻って何やらボードとにらめっこしながら難しい顔をしていた。

「いっぱいですか?」

「そうですね。ただいま満席で……」

「でも、あそこ空いてるみたいですけど?」

 私は八人掛けテーブルの一つの席を指差した。その席には誰も座っておらず、ドリンクや読み掛けの本も置いていない。

「そう、ですね。あちらは空いております。では、あちらの席にご案内いたします」

 彼女はどこか不本意そうだったが、私の前に立ちその空席に向かって歩き出した。

 ぴったりと身体にフィットしたその制服が作り出すスリムながらも丸みを帯びた後姿のシルエットは何とも魅惑的だった。

 彼女が案内してくれた席は両隣とも四十がらみの男性だった。

 左隣の人は仕事の途中なのだろうか、くたびれた背広を着ている。私が傍にやってきてもこちらを見向きもせず小動物のように肩をすぼめ覗き込むように雑誌に耽っている。目の前に積んであるものを見るとどうやら天体に関するもののようだった。

 もう片方の席には対照的にジャージ姿の体格のいい男性がふんぞり返るようにして野球漫画を読んでいる。短く刈りそろえた頭や体つきから体育教師を想像させる。彼は私が席に座るとあまり友好的とは思えない一瞥をくれてきた。

「私、ここは初めてなんですが、上の階にも席はあるんですか?」

 周りに迷惑にならないように小声でカルーアちゃんに話しかける。彼女も小さな声だが聞き取りやすい口調で答えてくれる。

「はい、ございますよ。二階はネットにつながったパソコンが設置してある席の他に個室やカップルシートもございます」

「カップルシートね」

 邪道。真奈美の言葉が耳に響いて私は顔を顰めた。

 私の表情をどう理解したのか彼女はくすっと笑い、テーブルに立ててあったメニューを素早く私の前に広げる。

 その手の爪は今時の女性には珍しく短く切りそろえられており、水仕事のためか指がところどころ荒れていて絆創膏も見えた。

「当店ではワンドリンク制を採用しております。ご来店時にこちらのメニューから飲み物をご注文ください。あとは時間制です。入店から一時間までは四百円ですがそれ以後は三十分につき二百五十円いただくことになっております。一階、二階のどの漫画をご覧いただいても結構ですが、一度に席にお持ちになるのは五冊までとしてください」

 明朗な声でてきぱきと説明していく。彼女のような人がうちの広報や受付で働いてくれると社のイメージアップにつながるだろうな、とメニューを眺めながらぼんやり考えた。

「それでは閣下、ご指示を」

「あ、ああ。では、ホットコーヒーを」

 私はできるだけ「閣下」にふさわしいような重い声で注文した。

 芝居がかった私に彼女はにっこりと微笑むと恭しく「かしこまりました」と一礼をした。顔を上げ再び頬を緩めると素早く踵を返す。

「あ、カルーアちゃん、ちょっと」

 厨房に戻ろうとする彼女を右隣のジャージ男が野太い声で呼び止めた。

「何でございますか、教官?」

 教官。私は心の中で唸った。確かにそれしかない。

「俺にもホットね。熱いやつ」

「かしこまりました、教官」

 彼女は私に見せたのと同じ微笑を湛えてから小走りに去っていった。

 その背中を教官は熱のこもった視線でいつまでも見送っている。彼の場合、おそらく手にしている野球漫画などどうでも良いのだろう。目当てはカルーアちゃんなのだ。

 このアニワールドの客の中にはカルーアちゃんに会いたくて来ている者が少なくないのかもしれない。洋の敵はいったいどれぐらいいるのだろうか。

「閣下だかなんだか知らんがいい気になるなよ。なぁ、博士」

 こちらを見ずに教官は面白くなさそうにカップに残ったコーヒーを飲み干した。

 自分で閣下になりたいと言ったわけじゃない。そう言い返そうと私が口を開きかけたとき教官とは反対隣から声が聞こえた。

「まったく老閣下にはさっさとご隠居願いたいものです」

 声の主は天体雑誌のくたびれ背広らしい。雑誌から顔は起こさないが微かに肩を揺らして笑っているようだ。

 何なんだ、ここは。

 私はあまりの居心地の悪さに漫画を求めるふりをして席を立った。少し離れて自分の座っていた席を眺めると教官と博士が私の椅子の方に肩を寄せている。あれでは窮屈で私の座る余地がない。まるで私に戻ってくるなと言わんばかりだ。さすがの私も呆れてそのまま店を出た。コーヒー代を払うのを忘れたと気がついたのは自分の家に帰ってからだった。


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