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エンジンはシリンダー内で圧縮した空気と燃料を反応、爆発させ、その圧力を利用してできた回転運動を駆動力に換える。それと同じような仕組みが私たち人間の体内にも存在している。それは常に燃料からエネルギーを生み出し私たち一人ひとりの体躯を揺り動かしているのだ。
さしずめ私のはディーゼルだろう。決してスマートな人生ではなかったが、どんな山道でも悪路でも馬力に任せて走り続けてきた。
振り返ってみれば我ながら良くぞここまで自分を運んできたものだと手入れを怠ってきたボディを撫でてみる。指に触れるのは張りを失った外皮。手の甲は日に焼け染みが浮きカサカサに乾燥している。体調と相談しつつジムに通っているのでそれなりに筋肉は維持しているが、その上を覆う脂肪や贅肉の存在は否定しようがない。
しかし衰えてきたのは外面だけではない。自慢のエンジンにもどうやらここにきてガタがきたようだった。
何となく、というレベルではない。明らかに駆動力は落ち燃費が悪くなってきている。
それは単に、目が霞んできただとか油モノが胃にもたれるだとかいう身体的な不調のことを指しているのではない。もちろんそれもあるのだが、そういった変調は誰もが経験するごく当たり前の摂理としてすとんと腑に落ちている。
私の場合、大きな変化は精神的な面にこそ如実に現れてきていた。
つまり最近の私は周囲の物事に情熱や欲望や執着心を感じることができなくなってきたのである。熱があるわけでもないのにまるで風邪をこじらせて布団に包まっているときのように全てのことが億劫になっているのだ。
これ以上金を稼ぎたいとも思わない。地位や名誉などもはや足枷でしかない。妻への性欲などトンとご無沙汰である。そして何と言っても仕事に対する興味がなくなってしまっていた。
若いころは常に仕事のことばかりを考えていて、「寝ても覚めても」どころか寝るのも厭わしいというぐらいだったのに。ここのところの私は売り上げが落ちてきていると指摘されても、他社に出し抜かれたと騒がれてもまるで他人事のようにしか思えないのだ。
一体私はどうなってしまったのだろう。これが燃え尽き症候群というものなのだろうか。
もう一花咲かせてみたい。
そう思わないわけでもない。しかし今の私にどんな花の種が残されているのだろうか。残されていたとしても余程逞しい生命力が種自身に備わっていなければどうにもならないだろう。毎日水をやり雑草を抜くような手間をかけられるほどの根気は私にはもうないのだから。
余暇を上手に過ごす術さえ知っていればこんなことにはならなかったのかもしれない。だとすれば食事や趣味などは仕事の邪魔だとしか考えず自分自身の時間というものを全て仕事に注ぎ込んできたということが今頃になって祟っていると言える。
人が寝ている時も休んでいる間も働きに働いてきたからこその成功だと目頭を熱くした瞬間もあったが、今となっては世の中何が幸せなのか答えが見つからないというのが実感だった。或いは、すでに答えは出ているのかもしれない。しかし、薄々感づいているその解を真正面から見据えてしまっては自分の人生を否定することになるから見て見ぬふりをしていると言えなくもない。
何にせよ私はもはや惰性で生きているだけのようだ。下り坂を引力に任せてだらだらと降りているに過ぎない。もし万が一その下り坂の途中に大きな穴がぱっくりと口を開けていたら私は自分に制御を掛けることなど到底不能で為す術もなくその穴にはまって無様に一生を終えるだろう。
朝起きて一番に感じるのは、嗚呼、今日も私の前には時間という名の平原が広がっている、という空しさだ。今日は一体何をして過ごそうか、という問いに頭を悩まさなくてはならない。そして思いつくことはおおかた午前中で終わってしまう。
しかし、それもしかたない。
陳腐な言い回しだが、そしてこの年齢になって重くのしかかってくる真実だが、人生にやり直しはきかない。自分の身体は買い換えるわけにはいかないのだ。
誰しも平等に生涯一台。このおんぼろが動かなくなるまで辛抱強く付き合っていくだけだ。
人は皆どんなコースを巡ったにせよ最後には同じ終着点にたどり着くようになっている。死という終着点の向こう側にはそれまでのコースで得たものを持っていくことはできない。となれば人生という名のレースの肝はその終着点を前にしたときに胸に迫る感情がどういうものになるかということなのだろう。私にとってその感情とはいかなる類のものになるのだろうか。人生の終盤に差し掛かっている今予想するその答えは「安息」だ。おそらくは漸く終われるという肩の荷が下りるような気分だろう。
それは寂しいことではあるが。
こうも思ったりもする。
ゴールがあれば人間誰しもそこを目指すだろう。そして「死」は生きとし生けるものの一つのゴールであることは間違いない。となれば誰でも潜在的には「死」を目指して生きているのだ。マラソンでもカーレースでもゴールラインを越えるまでは苦しみの連続だ。生きるというレースも楽しいことよりは苦しいことの方が多いのではないか。であれば長い長いコースを終えて迎える「死」という名のゴールであってもテープを切ったときにはやはり得も言われぬ息もできない達成感と解放感があるのだろう。きっとそうなのだろう。
スクリーンに映し出されていたグラフが消えると会議室内は深い闇に覆われた。
すぐに蛍光灯が瞬き室内に明るさが戻ると、軽く張り詰めていた空気が一気に弛緩していく。その様子はあまりに物理的で、辺りを占めていた緊張感の小さな粒のようなものが拡散していく動きまで目に見えるようだった。
電動のカーテンが鈍いモーター音と共に開く。それとともに清秋の柔らかな日差しが窓から注ぎ込まれてくると、その全てを包み込んでくれるような温もりに室内の誰もが会議の終了と昼休みの到来を待ちきれなくなってしまう。
私は手元の資料に目を通すふりをしてせり上がってくる欠伸をかみ殺した。数回瞬きを繰り返し顔を起こすと窓外は見る者の心を吸い取ってしまうような深い透明感を備えた青空が広がっていた。
良い季節だ。還暦を過ぎて三年が経とうとしている私でさえも大空の下で思い切り伸びをしてみたいような開放的な気分を抱いてしまう。ここにいるのは私よりも若い連中ばかりだ。たとえ仕事であってもこれ以上ルーティンな会議に縛り付けるのは出席しているメンバーに気の毒だという思いが兆してくる。
「今回のアニメのフィギュアを使った宣伝には一定の効果があったと理解して良さそうだな。蛯名常務は引き続きこの取組みの指揮監督にあたってくれ。蛯名常務からは何かあるか?」
社長の前橋も会議の切り上げに入ったようだった。後は担当常務が形式的に今後の意欲を述べればしゃんしゃんである。
席についている幹部職員たちの中で気の早い者はすでに机に広げていた資料をまとめて鞄に仕舞おうとしていた。私も冷たくなった湯のみに手を伸ばしつつ息子の言葉を待った。
しかしいつまで経っても愚息の声が聞こえてこない。
「蛯名常務。……蛯名常務?議題は終了でいいのか?」
軽く苛立ったような響きで前橋が念を押す。
クールダウンに入っていた会議室に再び予期せぬ緊張が走った。
周囲に漂うきな臭い空気に覚醒されたかのように我に返った息子は手元の資料と前橋の顔を交互に見比べてようやく自分が意見を求められている状況を理解したようだった。
え?ああ、ええ、はい。
「このままの方向性で引き続きこれからも継続して取り組んでまいる所存であります」
どうしてそんなにまどろっこしい言い回しになってしまうのか。
何ともしまりのない幕引きだった。
どうしたものでしょうか、という困惑と苛立ちの顔を前橋がこちらに見せる。
私は軽く小首を捻って、すまん、と口を動かした。突然の緊張とその弛緩とでくたくたと肩の力が抜けていく様子の息子を横目に捉えてはもう一度ゆっくり首を傾げる。冷えた緑茶に思わず眉をしかめて私は逃げるように席を立った。
創業者の私が何故以前の部下に頭を下げなくてはならないのか。
チラッとそんな無粋な気分が頭を掠めたが、すぐにそんなことはどうでも良くなった。人の世で生きるということはそういうことだ。嫌なら山にこもって仙人にでもなるしかあるまい。そして私は今さら高尚な悟りの境地に至るための荒行、苦行などまっぴらごめんだった。
会長室に戻りリクライニングの利いた椅子に身を委ね、「あ」に濁点をつけたような長嘆息を漏らす。その自分の声があまりに年寄り臭くてハッとする。私はこんなしわがれた声をしていたのか。
実際は年相応の声帯なのだろう。しかし自分はまだ若いと思いこんでいる、あるいは思いこもうとしている面も拭いきれない私はやはり自分に老いを感じると胸が潰れるような痛みを覚えてしまうのだ。私は皺の濃くなった両手を見つめ、その手で顔を覆い「ああ、嫌だ嫌だ」と首を横に振った。
秘書の中谷真奈美が盆に湯飲みを載せて入ってくるのが見えて私は慌てて姿勢を正す。
彼女は私の様子に少しきょとんとした表情を見せたがあまり触れてはいけないと思ったのか何も言わず私の前に歩を進めた。
慣れた手つきで私の前に茶を置く真奈美の挙措を眺め、彼女ももう三十六歳か、とぼんやり思う。一分の隙もない動きで恭しく脇に控える彼女に私は不意に頭を下げたくなった。
真奈美は私が社長だったときからの秘書でもう十年以上の付き合いになる。社長時代の他の秘書はその職と一緒に前橋に譲ってやったが彼女だけは手放さなかった。私は彼女を重用していた。
真奈美は優秀だ。気配りはできるし、咄嗟の判断力もある。秘書の業務には対人交渉や調整力も求められるが彼女はそれらにも秀でていた。
そして何よりも私は彼女との会話を心から楽しみにしていた。どんな取るに足らない戯言にでも真奈美は常に的確な返事を用意している。硬軟使い分けるその対応の鮮やかさに思わず唸るしかない私を見ると彼女は誇らしげな目でにこやかに微笑んでくれる。私はその全てを包み込むような笑顔にこれまで何度となく救われてきた。
三十歳近く年齢が違っていては適切な表現とは言えないのかもしれないが、私と彼女は馬があうと思っている。そして真奈美も私と同じ思いでいてくれると信じている。
しかし馬があうといっても秘書職は激務である。彼女はこれまで自分の時間というものを削りに削って私に仕えてくれたのだろう。今の今まで彼女に独身を通させているのはひとえに私の責任なのである。
彼女は美人だ。私が知る限り性格も良い。是が非でも私の手で真奈美の女としての未来を何とかしてやりたいと考えてしまうのは彼女に対して失礼というものだろうか。
「今日もいい日和だね」
我ながらもう少し気の利いたことを言えないものかと腹立たしい。照れ隠しの言い訳のように窓に目を向ける。
「本当に。お昼まで少し時間がありますので散歩でもされてはいかがですか。午後は二時半まで空いておりますし」
彼女は当然今日のスケジュールを暗記している。それどころか向こう一ヶ月の予定も寸分の狂いもなく頭に入っているだろうし、過去十年間の記憶も正確だ。つまり大げさな言い方をすれば真奈美は私の分身なのだ。彼女なしでは会社人としての私は成り立たない。
「陽だまりを散歩か」十月の涼風に長い髪を揺らし色づき始めた木々を見上げる一人の女性を思い浮かべる。「中谷君は付き合ってくれるのか?」
たったこれだけの誘いの言葉を口にするだけで年甲斐もなく胸に軽い締め付けを感じてしまう。
私は真奈美を初めて見たときから自分自身が彼女に対して淡い好意を抱いていることを知っていた。もちろんそれは「ない」とは言い切れない程度のはかない心の振幅であり、妻帯している大人の男であっても世間に対して恥じる必要のない常識的で理性的な慕情だった。しかし、その想いがなければいくら優秀でも彼女も社長職と一緒に手放していたかもしれない。
「私でよろしければ喜んで」
期待通りの弾んだ返事。本当に嬉しそうな、喜んでいることを私に伝えようとしているような優しい目の細め方に私の気持ちは満たされる。心の表面を柔らかい刷毛で撫で上げられたようなこそばゆい快感に背筋が痺れてしまう。男とはなんとも情けなく取るに足らない単細胞だ。会長と秘書という垣根を取っ払いただ一人の男と女として彼女と情を交わすことができれば、それは私の人生において最も大きくて華麗な花となるだろう……。そんな淡すぎる夢物語に、まさかな、と首を振ってしまう。
「しかし、食事前の散歩とはちょっと年寄り臭くないか?」
「そうおっしゃられると思いました」
真奈美がすこしおどけたような笑顔を見せる。私は思わずつられて笑う。彼女の表情はまだまだ若々しい。
手を伸ばした茶は香ばしく程良く熱い。私は少し張りを取り戻したやる気を頬の緩みとともに意識的に引き締めた。「洋を呼んでくれ」
本当はこの会社の中で真奈美以外の誰とも口をききたくはない。たとえそれが実の息子であってもだが、組織で生きている以上そうも言っていられない。それにこの会社の創業者である私の実子に対して裏表なくモノを言えるのは結局私だけであり、逆に言えばそれだけが私に残された仕事と言っても過言ではなかった。
「常務は確か午後からご出張かと」
さすがの真奈美は私だけではなく他の役員の予定も頭の中にインプットしている。
そう言えば昨日幸子が洋のために荷造りをしていたのを思い出す。聞けば一泊だけだと言う。それぐらい洋にやらせろ、と言ったのだが、妻は私の言葉など耳に届いていないような顔つきで甲斐甲斐しく下着や着替えをボストンバッグに詰め込んでいた。
「時間はかからん。急いで来い、と伝えてくれ」
「かしこまりました」
真奈美は美しい後姿を私の目に残してきびきびと部屋を出ていった。