スリジエと姉の死の通達
少女は待っていた。姉が必ず帰ってくるのを。
少女の名はスリジエ・ムーン。南の海スュド・メールにある人魚の国の第二王女。
姉はチェリー・ムーンといい、この南の海にある人魚の国の次期女王となる第一王女である。
部屋で読書するスリジエの頭の中に、太陽の光が海の中に入るかのように姉の顔が映った。
空が朝日で赤く染まる早朝の七時ごろのこと。
「チェリーお姉様……」
嘆くかのごとくつぶやく独り言。数ヶ月も会っていないという寂しさが泡のようにこみ上げる。
スリジエが手に持っている小説は姉からもらった宝物だ。読み終えては何度も読み返す。
そんな行為が日に日に何回も繰り返されるようになった。
チェリーお姉さま、お元気かしら。
ふと、懐かしさが姉との思い出と共によみがえる。
――あの頃は楽しかったな。
あの頃は父が暴力振るうこともなかったし、母も生きて姉とも一緒に遊べて幸せだった。
スリジエの目にうっすらと涙が浮かぶ。
あのまま時が止まればよかったのに。そうすれば…………。
記憶を呼び覚ますかのようにまぶたを閉じた。
そう、あれは私が小さかった頃。人間で言えば大体三歳ぐらいだろうか。
「チェリーおねえさまぁっ!」
何も考えず、ただ姉にすがり付いていたあの時代が今は恋しい。
当時は義理の父親である国王ではなく、実の父親と母親、姉と私とで城に暮らしていた。
母親はどこかでつながっているという『もう一つの世界』を研究していた第一人者で、それを発見したのも母親である。
一方で、父親は『世界を支配する』ということに夢中だったが、それほど現在のように荒れてはいなかった。ただ純粋に『興味がある』として映っていたからだ。
姉は人間で言えば八歳。いずれ南の国をすべる王女として民から期待され愛されていた存在だった。
何をしても姉はすべて完璧でなんでも出来た。姉に出来ないことは無かったほど。
でも、姉は自分は完璧などと思ってはいなかった。
「スリジエ。いい?
なんでも完璧に上手にやろうとするのじゃなくて、
やろうとする本人の気持ちが大事なのよ。
だからあなたも大きくなったら、
自分の気持ちに正直になれる人魚……いえ王女になるのよ」
姉に教わった唯一の言葉。
自分に正直になれ。
自分自身に嘘をついても自分が苦しいだけだと。
どんなときでも、どんな状況でも、
自分に嘘をつくような真似はするな。
そう、教えこまれた。
「チェリーおねえさまぁ」
でも、当時の私にはその言葉は難しく……、
「どうして、うそをついちゃだめなの?」
姉に直接聞いてみたのである。
けれど姉は答えてはくれなかった。すべてわかってるかのように。
顔には意味ありげな顔で、
「そのうちわかる」
と言ってるかのようだった。
「スリジエ」
「なあに? チェリーおねえさま?」
姉はそんな私を見つめると母親のような顔つきで微笑む。
「一緒に遊ぼっか」
その言葉が一緒に遊ぶ合図だった。唯一、姉と一緒に遊べる時間。
――広いお城でやったかくれんぼ。
――母親に怒られても続けた追いかけっこ。
――こっそり隠れてやったつまみ食い。
どれも思い出のある大切な記憶たち。
けれど――――。
いつからだろうか。それが崩壊し、家族がばらばらになっていったのは。
それだけはわからなかった。今でも理解はしていない。理解したくない。
「あの頃が一番幸せだったなぁ……」
現実に引き戻れるかのごとく目を開く。
スリジエが姉との思い出に浸っているときだった。
「ス、スリジエ王女さまぁ!! た、たたたた、大変ですぅ~!」
バタンと荒々しく開かれる部屋の扉。
やってきたのはスリジエに使える専属の使用人の男。
スリジエは使用人がノックもせずに入ってきた事を不快に感じ取る。
「ミラン。一体何事? 部屋に入るときは必ずノックをしてからっていつも言ってるはずでしょ!」
声を張り上げて怒鳴りつけた。
「いつもそう! 私が体が弱いからっていい気になって! お気楽でいいわね! ミランは!」
読んでいた小説を雑に閉じるスリジエを目にしたミランは、
「そっ、それはスリジエ王女様の思い込みです! そんなことよりも……」
静かにスリジエに歩み寄って小さくささやいた。
「チェリー王女様が……お亡くなりになられました」
その言葉を聞いたスリジエはとたんに頭の中が真っ白に変わった。
チェリーお姉様が、亡くなった……?
嘘でしょう?
あの、完璧で誰にも負けることはなかった無敵のチェリーお姉さまが……死んだ。
約束したのに。必ず帰ってくるって。一緒に海の世界を回るって。
まるで天と地がひっくり返ったようだった。
ショックというより、信じられないという思いが瞬時に現れた。
「チェリー王女様はその日、春野弥生とかいう海堂町に住んでいる少女と戦っていた最中でして――」
ミランが状況を説明するも耳には入ってこない。むしろ、受け付けなかった。
「その時、一つの氷の矢がチェリー王女様にめがけて飛んできたようで」
ミランはいつの間にか手に持っている報告書を目を通すようにパラパラとめくる。
「そのまま腹部に直撃して亡くなったと、報告書には書いてあります」
氷の矢がチェリーお姉様に直撃。
信じたくはないけど、ほんとに死んだのね。チェリーお姉様は。
スリジエの目に大粒の雫がしたたるかのごとくあふれ出る。
「そういえば……チェリー王女様が亡くなった時、
一緒に戦っていた春野弥生が駆けつけてきたとか書いてありますね。
どうせ、でたらめでしょうけど…………ってスリジエ王女様!?」
大粒の涙を流すスリジエに驚きの声を出す。
「ど、どどどど、どうされました!? なにか気に障るようなことでもありましたか!?」
「いえ……チェリーお姉様がほんとに亡くなったのだと思ったら急に涙が……」
スリジエは手で涙をぬぐう。
「別にあなたのために泣いてるわけじゃないからね!」
ミランに指を突き付けるスリジエに、自然と口元を緩めたミラン。
「わかってますよ。スリジエ王女様が誰よりもチェリー王女様の事を思っているかを」
「ミラン……」
「スリジエ王女様は自分に素直になっていればそれでいいと思います」
ミランと同じように口元を緩みかけたスリジエだったが、すぐさま怒りの顔に変わった。
「っていうか、どうして私が身分の低い男に慰められなきゃいけないワケ!?」
スリジエの中にあるプライドが高い性格と短気な性格が現れた。
「しかもミランに! おかしいでしょう! もっといい男に慰めてもらいたいのに!」
「それでこそ、スリジエ王女様です! そんなところはチェリー王女様にそっくり!」
「……それ、ほめているの?」
複雑そうに眉間にしわをよせてミランをまじまじと見つめる。
「私のこと、なめてるでしょ?」
ミランは慌てて横に首を振った。
「い、いえいえっ! そんなことありませんよ! あるわけないじゃないですか!」
「そうよね。ミランは私よりも基本的にチェリーお姉様派だから、私なんか興味ないのね」
「誤解ですよ~」
「別にいいわ。ミランのような男、興味がないもの」
スリジエがおかしそうに微笑んだ。
「――そういえば、さっき春野弥生がどうのこうのって言ってなかったかしら?」
「はい。そうなんですよ。なぜか、一緒に戦っていた春野弥生が駆けつけてきたらしく……」
「春野弥生が? というか、その春野弥生とかいう女、一体何者なわけ?」
「さぁ? 詳しいことはさっぱり……」
そこまでは聞いていないといわんばかりの顔で首をかしげるミラン。
春野弥生……。
一体何者なのだろうか。何故チェリーお姉様に駆け寄ったりなどとしたのか。
自分と戦った相手なんかに。おかしな女。
そんな女なんかに私が負けるはずがないけど。
正直、そんな女なんかに自分が負けるなどという事実を信じたくないという
スリジエのプライドが許したくないだけなのだが。
もしかして、
チェリーお姉様の仇というのはその春野弥生?
スリジエの頭の中にそんな考えがめぐり始める。
「スリジエ……王女様?」
ミランが突然スリジエが黙り込んだため、心配になって声をかけた。
しかし、考えるのに夢中になっているため無反応。
やっぱり、考えてもみても敵に駆け寄るなんて行為、どうみてもおかしい。
ミランが氷の矢が飛んできたって言っていたし、駆け寄るってことは何かをするために近づいたって事ね!
って事はやっぱりチェリーお姉様を殺したのは、春野弥生なのね!
そう思ったとたんにふつふつと怒りがこみ上げ始めた。
自分勝手な行為でチェリーお姉様を殺すなんて! チェリーお姉様をなんだと思っているの!?
許さない! 絶対春野弥生を許さない! 絶対この手で倒してやるわ!!
「ス、スリジエ王女様! まず落ち着いてください!」
今度は怒りの顔に豹変したスリジエを眺めて不安になったんだろう。
「お身体に影響が出ます! それ以上興奮すれば倒れてしまいます!」
ミランが必死にスリジエをなだめようと話しかける。
案の定、スリジエがごほごほと苦しそうに咳き込む。
そこにタイミングよく三人の執事が扉をノックしてから入ってくる。三人とも長身だ。
その一人の黒髪の執事が淡々としゃべる。
「スリジエ王女様。朝食の用意が出来ましたので、お呼びにまいりました」
「お前らはいいよなぁ……」
何も知らない執事達を横目でちら見するのはミランである。その表情はどこか苛立っているようにもうかがえる。
だが、当のスリジエにはそんなことは興味がわかない。
「決めたわっ!! 私、チェリーお姉様の仇をとるわ!」
スリジエの突然の唐突な発言に一同口を開けたまま理解が出来ないというような顔をし始める。
一番最初に口を開いたのは黒髪の執事だ。
「どうなさいましたか? スリジエ王女様」
「どうもこうもないわ! 大切なチェリーお姉様を殺した春野弥生を今から倒しに行こうと思っているの」
その発言を耳にした直後、一同目を見開いて後ずさりをした。
「い、今……から、ですか?」
「そうよ?」
スリジエはあっさり認める。
黒髪の執事が悲しげな目で話す。
「……さすがに無茶すぎます。今やっと、体力が回復したばかりというのに」
「今行動する以外に何があるの? 自分が思ったことは素直に従うのが常識よ」
見下したような発言だが、嘘偽りはない。スリジエの本心だ。
「大切な姉を殺された上、何もしないでただただ過ごすという事実に飽き飽きなの。
早くそんな状況から抜け出して、姉の仇をとりたいの!!」
ミランがおどおどしながら口を挟む。
「で、ですが、そのお身体では長くは持ちません。しかも、体が体だとなおさら……」
「それでも行くわ! 止めたって無駄だから!」
声を張り上げると、立ち上がる。
「どうしても止めるっていうなら、この城から出て行くから!」
スリジエはそのままクローゼットに向かい身支度を始めた。どうやら本気で出て行くらしい。
身支度を終えると、荷物を持ってそのまま勢いよく飛び出してしまう。
「ス、スリジエ王女様っ……」
ミランはその後ろ姿を見つめることしか出来なかった。
*
南の海にあるとある洞窟でのこと。
「さて………………これから先、どうするかね?」
一人の老人が複数の仲間を見渡す。
集まっていたのはこの南の海を住居とする黒の人魚族たち。それも幹部と呼ばれる身分の高いもの達の秘密の集まり。
集まったわけ。それは春野弥生の持つ『夢石』に関する会議を開くためだ。
自分らが生み出した夢石を奪うための道具であるシャルロットは見事に弥生に倒されてしまったのだ。
しかも肝心の夢石は粉々砕け、壊れる始末。当初予定していた計画より大幅ずれてしまう狂い様。
「どうするも何も、どうしようもありませんよ。
夢石を作るのに人魚一匹必要なんですよ? そう簡単にはいきません」
その老人の問いかけにあきらめた顔で首を振る中年くらいの男。
黒の人魚族は自分達の正体がばれるのを恐れ、フード付きの全身黒ずくめの格好が当たり前。
薄暗い洞窟にいれば、正体がばれることはまずないだろう。
「かと言って何もしないまま、計画が無駄になるようなことはしたくない。
わざわざせっかく、粉々になった以前の夢石を集めてきたのに」
険しい顔をするのはやせ細った男。どうやらめがねをかけているよう。
「大丈夫だ。心配ない。いけにえの人魚はすでに用意はしてある」
すべてわかっているかのような目を見せる老人。表情はどこか自信ありげだ。
「それに、私らには無敵の魔法がある。問題は無用じゃ。それを使って、夢石を復元させるのだ」
老人の口元にかすかに笑みが浮かんだ。