弥生とスリジエの母と睦月の父
アクア・ワールド 城内の牢屋
牢屋に入れられてから十分が経過した頃。時刻は九時を回っていた。海堂町の中学校では一限目の授業が始まっている頃だろうか。
弥生は退屈そうな表情で、あしを崩して座っていた。何もやることがなく、手ぶらでやってきたため、何かやろうと思ってもできないのである。
牢屋の一室にはスリジエと弥生のみ。鉄格子には電流が流れているので、うかつに近づけない。
ほんとに一生このままだったらどうしよう。それはさすがにいやだな……。でもやることがないし……けどこのままだと、睦月さんを救うことができないし。
隣のスリジエの様子をうかがってみた。こちらも弥生と同様、退屈そうに足を伸ばしている。何もできないのは同じ……か。
「誰が、『何も出来ない』って?」
弥生の心の声を読み取ったかのような発言をしたのはスリジエ。エスパーか何かだろうか?
「えっと、いや……。やろうにも何をやればいいか、分からなくて」
弥生は気まずそうに顔を引きつると、話を続ける。
「睦月さんを助けなきゃいけないのに……どうしたら、いいのかなぁ」
「そんなの……あんたが思ったようにやればいいんじゃない?」
スリジエの言葉に「えっ」と声を漏らす弥生。まさかスリジエさんがそんなこと言うなんて思わなかった。
スリジエといったら睦月のように厳しいイメージがある。後押ししてくれるなんて。
ほんとはとっても思いやりのある女の子なのかも。
それが復活魔法の副作用でもうひとつの人格が生まれた。それはかなり負担のかかるもの。スリジエさんはどれほど辛い思いを体験してきたのだろうか。
「スリジエさん」
「……何よ」
スリジエが不機嫌そうに弥生に顔を向けた。
弥生は一瞬戸惑いを見せたが、思いを伝えようと口を開く。
「あの……その、ありがとう」
「……はぁ!? なんで、あんたにお礼言われなきゃいけない訳!?」
スリジエは眉を吊り上げ、鼻息を荒くする。
「おかしいでしょ! 敵であるあんたに、仇であるあんたに、どうして『ありがとう』だなんて……ほんとおかしいわよ」
いつものスリジエさんだ。よかった。
ほっとしたのか、思わず口元が緩んだ。
その時また複数の足音が迫ってくるのを耳にする。また兵隊が誰かを連れてきたのだろうか。
耳を澄ませてみると、「計画」や「王子」などの単語が聞き取れた。ベエモットが言っていた計画っていうのは進んでいるのだろうか。だとすれば睦月さんは大丈夫だろうか。
複数の兵隊に囲まれながら連れられる、男の顔が一瞬だけ目に焼きつく。
弥生は男の顔に見覚えがあったのか、みるみる顔がこわばっていった。
あの顔はまさか……。
頭髪はあやめ色のような紫色をしていたが、顔はまさしく睦月だ。あれがアクア・ワールドでの王子としての姿だろう。
どうして、睦月さんが牢屋に……?
鉄格子に近づこうとする弥生に、スリジエが右手首をつかみ阻んだ。
「馬鹿! 近づいたら身体に電流流れるの、忘れたの!?」
弥生は我に返り、スリジエのほうを振り向く。
「そうだった……ごめんなさい」
「一体どうしたのよ? 急に近づいたりして」
「睦月さんが兵隊さんたちに連れられて、廊下を歩く姿を見かけたから」
弥生の言葉を聞き、スリジエの眉がぴくりとわずかに動く。スリジエは驚きの声をあげた。
「なんですって!? 冬川君が? それまたどうして」
弥生が難しい顔で横に首を振る。
「よくわからない。でも、何か訳がありそうな雰囲気だった」
「冬川君と話出来るといいのだろうけど、廊下には兵隊が監視しているから、無理でしょうね」
「なにか離れていても連絡できるような魔法があればいいのに……」
弥生が何気につぶやいた発言をスリジエは聞き逃さない。
「それよ! その方法があったわ!」
「えっ? な、なになに!? 何が?」
私、なにかまずいことでも言ってしまったのだろうか。
おどおどとうろたえる弥生をよそに、スリジエがひとつの提案を出す。
「いい? よく、聞くのよ。私があんたに連絡魔法のやり方を教える。あんたはその連絡魔法を発動させて冬川君と連絡を取るのよ」
「連絡魔法……? 連絡魔法とかあったんだ。知らなかったよ~」
「まぁ、そもそも、連絡魔法は南の海の者しか使わない魔法だからねー。北の海の者は連絡しなくても意思で通じるから必要ないのね」
「確かに……ラリアだった頃はよく意思でお父様と通じていたかも」
「とにかく私が兵隊をひきつけているから、あんたは連絡魔法で冬川君と連絡を取る! いい、わかった?」
「うん! わかった! それで連絡魔法ってどうやればいいの?」
「まずは……これをこうして…………」
弥生はスリジエに連絡魔法のやり方を指導される。ぎこちないが、繰り返す内にやり方を覚えていく。
「……へぇ、あんた、けっこう筋がいいのね。やっぱ北の海の者だからかしら?」
「そぉ、かな? 連絡魔法ってやったことないから、けっこう難しいんだね……」
「まぁね。連絡魔法って上級の人しか使えない魔法だもの。難しくて当然よ」
「上級の人しか使えない……か」
上級という言葉に胸に深く突き刺さった。やっぱり私って初心者なのかなぁ。
けど今は睦月さんと連絡を取るのが先。余計なことは考えちゃだめよ、私!
ぶんぶんと首を横に振り、余計な考え事を振り払う。
「連絡魔法で睦月さんと連絡とれれば、この世界について何かわかるかもしれないし。それに……スリジエさんのお母さんについても何か知っているかもしれないしね」
「お母さんの、事も……?」
眉間にしわを寄せて戸惑うスリジエに、弥生は無言でうなづいた。
弥生とスリジエは計画の最後の確認を話し合っていた。
「……いい? チャンスは一度きりよ。これを逃したら後はないわ。わかってるわよね?」
「うん、わかってる」
二人は互いにうなづき合う。
スリジエは弥生が連絡魔法を使っているとばれないように兵隊たちをひきつけ、弥生は睦月と話すため連絡魔法を発動させるため行動に移しはじめる。
スリジエが鉄格子に限界まで近づき、近くの兵隊に声をかけた。
「ねぇ、兵隊さん。聞きたい事があるのだけれど、いいかしら?」
「ん? なんだ一体」
「そう、あなたよ。聞きたいことが、あるの」
スリジエは意味ありげな顔で微笑んだ。
一方弥生はというと、精神統一をしてから作業に入っている。もちろん、姿は人魚のままである。弥生の足元には連絡魔法を発動させるための魔法陣が書かれてあった。
チャンスは一回きり……がんばらなくっちゃ!
弥生はスリジエに教わった連絡魔法を発動開始した。
「精霊よ。我の声を彼の者に届けよ。睦月という名の者と意思疎通をするために、我の願いを聞きいれよ。彼の者と意識を結び、言の葉を交わせる糸をつなぎたまえ。願うものは春野弥生。北の海に住む、人魚国の王女なり!」
弥生が唱えた瞬間、魔法陣が弥生の問いかけに答えるべく赤い反応を示す。
これは何の反応? 大丈夫ってこと? それとも…………。
頭の中で慌てふためいていると、睦月の声が聞こえてきた。
――春野……? お前、春野なのか?
む、睦月さん!? ってことは成功したってことでいいのかな?
――は、はい! そ、そうです! 春野弥生です! む、睦月……さんに、聞きたいことが……あって。
弥生は「急にかけたから怒っていたらどうしよう」などと考え、途中から自信を失う。
弥生が黙り込んだのが気になったのか、弥生に問いかける。
――大丈夫か? 何かあったのか?
――ううん! な、何でもないの! ……ん? 何でも、無い?
弥生は自分が言った言葉に疑問を感じたのか、首をかしげた。
睦月さんと同じように牢屋の中に閉じ込められている時点で、「何かある」に入るんじゃあ……?
――いや、あります。すみません……。
――どうした? 何があったんだ?
――じ、実は…………。
そう切り出すと、これまでの出来事をすべて話した。
――ということなんです……ゴメンナサイ。
すでに睦月に怒鳴られる覚悟はできている。
しかし何秒経っても睦月の怒鳴り声は聞こえてこない。どうしたのだろうか。
不安になって弥生が話を切り出そうとしたときである。
――春野、……ありがとな。
――えっ? 睦月、さん?
弥生が困惑していると、スリジエが我慢できずにやってくる。
「ちょっと! 早くしてよね! これ以上は先延ばしにできないんだから、手短にね」
「ご、ごめん……」
軽く頭を下げると、睦月との連絡に戻った。
――ご、ごめんね。あんまり時間がないから手短に話すね。
――あ、あぁ。
――睦月さん、もしかして……スリジエさんのお母さんについて何か知ってる?
――え……?
弥生はしまったと脳内で考え始め、後悔がじわりとあふれ出てきた。
ど、どうしよ~~! 睦月さん、困ってるよ~。や、やっぱもうちょっと話をひきつけてからの方がよかったんじゃ? でもでも、スリジエさんには手短にって言われているし……。
――あ、いや、睦月さんの表情が気になっただけというか、何かあったんじゃないかってスリジエさんと話していただけというかっ……!
睦月が低いトーンで口を開く。
――俺の、せい……なんだ。
――え? いま、なんて……。
――俺が親父の行動を止められなかったせいなんだ。スリジエの母親が死んだのは。
それって、どういう……こと?
睦月は躊躇するように話し始めた。
俺がまだ海堂町にやってくる前のことだった。アクア・ワールドの住民は寿命が長く、何百年も生きられる。
母さんがある集団に連れ去られてからそれほど経っていなかったころだろうか。一人の女性がアクア・ワールドに入りたいと言ってきた。
「もしかして、それが……」
弥生の言葉に睦月はうなづく。
「あぁ。そうだ。女性は“河原雪江”と名乗った。雪江という女性はこう言ったんだ」
『数分だけでいいんです! その世界がどんなものか、見て見たいんです! ただそれだけなんです! お願いします! 中に入れてもらえませんか!』
俺はその女性に偽りの心は見えないし、信頼できると感じた。入れてもかまわないと思ったんだ。
しかし、国王は人魚が嫌いで、においでも駄目なためか、その女性についている人魚のにおいをかぎつけて……。
『それはできん! 信用できるものならともかく、人魚とふれあっている人間など、特に信用できん! すぐに入り口を封鎖するのだ!』
アクア・ワールドの入り口を閉めてしまったんだ。
「って、えぇ!? そのまま入り口閉めちゃったの!?」
「あぁ。もちろん、雪江という女性を入り口空間に残したままに。入り口空間に長時間生きられるはずもない。空間そのものがねじれているのだからな」
国王への批判の声は、その時、今までで一番多く集まった。そりゃそうだろう。人一人空間に置き去りにしたうえに空間の入り口まで封鎖したのだ。批判しないものはいない。
「せめて元の世界に返してやるべきだったんだ。入り口空間に残したまま死なせるなんて……」
連絡魔法が途切れた後、睦月から聞いた話をスリジエに話した。
「……そう。冬川君、そんなことを」
スリジエはうつむきながら、弥生の話に耳を傾けている。
弥生は話を続けた。
「うん。相当、後悔してたよ。スリジエさんのお母さんを元の世界に返してあげれなくて……」
「別に冬川君のせいじゃないわ。この世界の国王が悪いのよ! お母さんを空間に閉じ込めて、入り口まで閉めることなんてするなんて! 今度会ったら、一発殴ってやるわっ! 絶対!」
スリジエの話を聞いて、弥生がとめようとする。
「スリジエさん、それはちょっとまずいんじゃあ……」
一発殴るって、仮にもこの世界の国王だ。逆に罪人として捕らわれてしまう可能性だってある。そうなったら、殴るどころの話ではない。
だが、スリジエさんが怒るのもわかる。自分の母親が睦月の父親によって、死んでいたなんて思いもしないはず。
スリジエさん、ほんとにお母さんのことが好きなんだなぁ。
私には両親がいないから、母親をなくした子供の気持ちなんてわからないが、ショックはかなりのものだろう。
スリジエさんのお母さん、閉じ込められたときどんな思いだったのだろうか。
弥生の長い髪が水の抵抗でふわりと浮いた。水色の髪色が水と同化しているのが分かる。
どうしたら睦月さんとスリジエさんの心を救うことができるのだろうか。
私にできることならなんでもやりたい! だって、私は……私は。
北の海に住む、人魚国の王女なんだもの!
弥生は考え事をしながら、ただ鉄格子を凝視していたのだった。