弥生ともう一つの世界の王妃
人の気配が感じられない真夜中十二時、槍のような雨が仕切りに降る海堂図書館。木々の葉は闇夜の漆黒にそまり、雨粒に打たれゆれていた。ところどころにできた地面の水溜りは、真夜中の空を映す。
図書館の外では警備員が見回りを続けている。図書館の内でも警備員が見回っていた。
どちらの警備員に見つからないよう、図書館内で調べ物をしている人影がある。
黒のスーツを身にまとったベエモット・ムーン。
手にはページを広げた歴史本。
ベエモットがいる場所は関係者以外立ち入り禁止のエリアである。
海堂町には人魚伝説が残っているためその手の資料もあれば、海堂町に関係したものまで幅広く扱われている。中でも海堂町最大の大きさを誇るこの『海堂図書館』は調べ物するにはうってつけの場所だ。
「やはりここの図書館の資料は膨大だ。この図書館を選んで正解だったようですね」
ここに来たのはもう一つの世界についての情報を得るため。資料が山ほどある図書館を探していたためだ。
今日海堂町のとある中学校に目的のため出向いた。が、目当ての春野弥生には会えたが、計画実行のために必要な冬川睦月こと、「もう一つの世界の王子」に出会えなかった。
それじゃあ行った意味がない。わざわざこの私自ら出向いてやったのに!
なぜ顔を出さない! なぜ会わせてくれない!
しかし、そこで新たな問題が発覚した。それはもう一つの世界について、幹部が一向に情報を差し出してくれないことだ。まさか幹部に口答えできるはずもなく、やむなく自ら情報を得る選択をした。
もう一つの世界の事情がわかれば、王子に接触するとき話し合いが楽になるだろう。
やはり「幻の世界」といわれるだけあって、もう一つの世界の資料はごくわずかしかのこっていない。それでも片っ端からもう一つの世界に関する本を集め、調べた甲斐があった。ここ最近王妃が行方不明になっているらしい。最新の記述に書いてある。王妃行方不明とは書いてあるが、詳しい情報は載ってはいない。
「他にはあると良いのですが……」
いかつい顔の男が怒りに満ち溢れた声で、ベエモットにささやいた。
「何を調べておるのだ、ベエモット」
ベエモットが振り向くと、ホログラムで映し出された幹部の姿。映っているのは一人ではない。約三人といったところか。
「こ、これは! 幹部の方々ではないですか!」
「あなたはもう一つの世界の王子を連れ去るために、海堂町によこしたはずなのに……調べ物とは、情けない」
ウェーブがかった長い髪の女性が、呆れ顔でため息ついた。
「全くだ。何をしてるかと思ってわざわざ心配して顔出したっつーのに、意味なかったようだしな」
引き締まった体を動かす男性は、あくびをする。どこか退屈そうだ。
最初にベエモットに声かけた男は問いかける。
「ベエモット。計画は順調だろうな? ヘマはしていないだろうな」
「はい、順調ですとも。今日は春野弥生に接触成功致し、しばし戦ってきました。思わぬ邪魔は入りましたが、肝心の春野弥生の夢石は日々力を取り戻しつつあります。計画実行までには完全回復するかと」
「そうか、それを聞いて安心した。ところで王子には接触できたか?」
「それが今日は接触できなかったというか、鉄壁のガードで会うことすら出来ませんでした」
「やはり駄目か。さすが王子とあって守りは堅い。だが、隙をつけばなんとかなるだろう。このまま計画を続けろ」
「はっ! かしこまりました」
ベエモットは幹部を会釈をする。ホログラムはベエモットの会釈を見届けると消えた。
「しかしまさか幹部の皆様が現れるとは……」
王子のことも気に掛かるが王妃についても気にはなる。幹部の皆様には王妃について聞けなかったが、なんらかの形で関わっていたりするのだろうか。まさか直接聞くことはさすがに出来ない。もっと他であたるか、それとも……。
ベエモットは悩み悩んで結論を下す。
「一応、もうしばらく調べるとしましょう」
そのためにも関連する本はコピーしておこう。手元にあった本を次々を複写し、体内に溜め込んでいく。
そこに見回りをしていた警備員が通りかがる。ベエモットを不信に思ったらしく、声をあげた。
「誰だ! そこで何をしている!」
ベエモットは残念そうに、
「おやおや、見つかってしまいましたか。残念ですね」
横に首を振った。そうしているうちにも警備員が続々集まっていく。
「仕方がありません。ここは一度撤収しましょう」
警備員がここぞとばかりにベエモットに殺到、ベエモットを捕まえようとする。
しかし警備員の目の前でベエモットの姿が瞬時に消えた。
「き、消えたぞっ」
「どうなってるんだ……」
その場に残された警備員は互いに顔をあわせる。呆然とした顔で立ち尽くしていた。
その様子を外の木の上から眺めていたベエモットの姿。
「間一髪、と言ったところでしょうかね。今度は場所を変えて調べていきましょう」
まぁ、明日新聞等で騒がれるだろうが心配はない。何せ身元などわかりはしないのだから。存分に混乱するといい。
「さて……いい情報が見つかるといいですね」
にやりと笑った笑みは夜にかき消される。
ベエモットは空を見上げるとそのまま飛び去っていった。
*
時間を戻して、夜八時ごろだった。春野弥生の自宅の自室。
「帰ってからずっとスリジエさんの事が気がかりで……」
春野弥生は携帯電話で睦月と会話しながら、ソファーでくつろいでいた。目の前のテーブルの上には、マグカップに入った飲みかけのカフェオレ。
今日の昼休みの出来事である。ベエモットと名乗る男が弥生に会いたいとやってくると、校長の話によりスリジエの父親と判明。校長が部屋から出たとたんベエモットに襲撃される。苦戦したまま戦闘が続いたが、途中でスリジエが乱入し弥生を助ける。スリジエの奮闘でベエモットから逃れてきたのだ。
そのことを睦月に打ち明けかえってきた弥生だったが、それでもなおスリジエのことが気になってしまう。そこに睦月からの電話。調べて少しばかりわかったというので、わざわざかけてきてくれたのだ。
睦月が何かを確認するように間を空けてから、弥生に調べた結果を話し始める。
「スリジエは以前は四人家族だったらしい。スリジエの姉は春野も知っての通りチェリーで、父親はベエモット、母親は研究者だったらしい」
「スリジエさんのお母さんは研究者? 何を調べていたの?」
弥生が質問すると、睦月は困ったような声で答える。
「それが詳しい情報はある程度抹消されていてな。そこは不明なんだ。だが、“ある世界を研究していた第一人者”という肩書きを持っているみたいだな」
ある世界を研究していた第一人者……。弥生が知っているのは元いた世界である「海の世界」のみ。海の世界を詳しく研究していたということなのだろうか。
弥生は悩みながらも、思いを睦月にぶつけてみた。
「ある世界って「海の世界」の事かなぁ? 第一人者ってことは相当な功績を持つ人ってことかな?」
「いや、わかったのはスリジエが四人家族という事だけだ。ある世界が本当に海の世界のことなのかは詳しく調べてみないとわからない」
「そう……」
「スリジエも大変だっただろうな。娘として見ない父親を持ってな。ああいう父親はろくに育てていないだろうしな、奴隷だって言っているという事は。俺的には父親は信用できない」
まるで父親を毛嫌いするような発言。その言葉が頭の中につよく刻み込まれる。
「む、睦月さんのお父さんって、そんなに信用できないの……?」
睦月は父親の話を嫌うように即答した。
「あぁ、まぁな。全く信用できないな。あの、親父は」
どうやら本当に父親のことが嫌いらしい。どうして嫌いなんだろうか。
信用できないということは、何か信用できない要素とかあるということなのだろうか。
「どこか信用できないところとか……あったりするの?」
その瞬間電話の奥が静寂に変わると、睦月は黙り込んでしまった。
弥生は睦月が黙り込んでしまったことに罪悪感を感じ始める。
もしかして私、言ってはいけないことを言ったりした?
だとすると、どうしよ~~! また睦月さんに怒られる!?
なんて言って謝ろう!
頭をフル回転させたとき、あることを思いつく。
そうだ! お父さんが駄目ならお母さんの話で切り出してみよう!
これも上手くいかないかも、しれないけど当たって砕けろだ!
「む、睦月さん、逆にお母さんは! お母さんの話をしない!? ね?」
「お母さん……?」
睦月の声がかすかに反応する。
弥生は睦月の機嫌を取り戻すため、必死で話しかけた。
「睦月さんのお母さんってどんなひとだったか知りたいの! 睦月さんを育ててくれた人だし! だ、駄目かな!? 睦月さん!」
静寂は数秒間続き、ようやく睦月が口を開いた。
「……わかった」
弥生は緊迫感が解き放たれたことで全身でいきをする。
よ、良かったぁ~!
ど、どうなるかと思ったよ。
「それで睦月さんのお母さんはどんな人?」
「あぁ、誰にでも優しくてな慈悲深い人だったな。まぁ、天然でマイペースさが欠点だが。そのせいでけっこう騙されて苦労したところもあったな」
「へぇ~、じゃあ、睦月さんにとってお母さんはとっても大切な人なんだね!」
「あ、あぁ。まあな……」
睦月は照れくさそうな声で返答すると、話を戻す。
「とにかく、ベエモットの件についてはもっと詳しく調べておく。何かわかれば解決の糸口になるかもしれん」
「そっか。わかった、体には気をつけてね」
「あぁ、じゃあな」
睦月との電話を切ると、ソファーにもたれかかる。マグカップに入ったカフェオレを飲み干す。
睦月さんの両親か……。
睦月さん、お父さんの話は嫌がっていたみたいだけど、お母さんの話はしてくれたなぁ。
よっぽど好きなんだ、お母さんの事。
ふっと笑顔はにじんだ。
そういえば、睦月さんのお母さんってどんな人なのかな?
睦月さんは誰にでも優しくて慈悲深く、天然でマイペースだと言っていたけど。
一度会ってみたいなぁ。いつか会えるかなぁ、睦月さんのお母さんに。
弥生はそのまま眠りについていった。
*
睦月の自宅の部屋。弥生と携帯で十分間会話し、電話を切った後はさらに十分が経っていた。
睦月は椅子に座り机と向き合い、ベエモットについてパソコンのインターネットで調べている最中。
弥生との約束である。弥生がスリジエのことが気になってしまうと相談を受け、スリジエの家族から情報を得ようと思ったのだ。そうすれば、おのずとスリジエの性格や歩んだ人生が見えてくるはず。とは思ったが。
まずパソコン自体使ったことなかったので、電源入れるだけでも苦労した。キーボードに文字を打ち込むのもゆっくりだが、自分のペースで進める。
『ベエモット・ムーン』というキーワードを五分かけて打ち込みエンターキーを押した。
しかし画面には“ヒットしませんでした”の文字。
「やっぱり駄目か」
睦月は落胆のため息をつく。その表情は疲れきった顔をしている。
ベエモットというキーワードを入れてもなかなかヒットしない。ベエモットという存在自体が表ざたになってはいないからだ。
インターネットで調べるのは限りがある。もっと別の方法で調べた方がいいだろう。
例えば図書館で調べるのが一番手っ取り早いか。
スリジエの家族に関することがないか、キーワードを変えながら検索していたときだった。
エンターキーを押したとき、一件のサイトがヒットした。そのサイトのリンクをクリックする。
これは……!
それはベエモットの妻であり、チェリーとスリジエの母である河原雪江という女性に関するニュースについてだ。
睦月はそのニュースを詳しく目を通していく。すべて読み終わるとベエモットの計画を見抜く。
まさかベエモットの真の目的は……もう一つの世界!?
だからこの海堂町に来たのか! もう一つの世界に通ずる扉を開けるために!
しかし今のあの世界は……。
過去の記憶を呼び覚ましてしまい、悔し涙を流した。右手の甲で涙をぬぐうと気を取り戻す。ズボンのポケットからシルバー色の携帯を取り出した。
そんなことよりも春野に伝えるか?
完全にベエモットの計画を防げることができると確証を持った上で連絡した方が……。
しかし春野と約束したんだ。何かわかったら伝えると。知らせると。
けどもう一つの世界のことを打ち明ける自信はない。どうすれば、どうしたらいいんだ。
睦月はパソコンの画面と携帯を見比べながら悩み続けた。
*
ベエモットが図書館に侵入している頃。弥生の夢の中。
ここは以前にも来た、夢の中? どうしてここに来たのだろう?
弥生が首をかしげていると、雲のように現れる一人の女性。年齢は三十代後半といったところか。上品でおしとやかな女性に見える。
身体は黄金の光で覆われ、蛍のような灯火が身体を光らせる。
女性はただ弥生に向けて微笑んでいる。
「あ、あの~。あなたは……」
弥生は女性にどうしてここにいるのか尋ねようとした。
その前に女性が口を開いた。
“ムツキを、ムツキを助けてください……”
「へっ? む、睦月さん? どういうこと?」
ムツキという聞きなれた単語で出てきたため、動きが止まる弥生。
どうして睦月さんのことを知っているのかな?
睦月さんとどういう関係の人?
“ムツキが大変な目に遭ってしまう……でも私は助けに行けない”
「助けに行けないってどういうこと……?」
弥生の問いに女性は答えた。
“私はある集団に身動きを封じられ、助けに行くことを禁止されているんです”
「それって拘束というか、捕まっていること?」
“はい、そうです。私はムツキの母で、アクアワールドの王妃をしております”
「って睦月さんのお母さん!?」
睦月さんが話していた睦月さんのお母さんが、今ここにいるこの人だったなんて……。
でもどうして捕まっているのだろう?
睦月の母は弥生に告げる。
“弥生さん、いえ、ラリアさん。あなたも知っているベエモットのことについて、今日はこの夢の中を通して呼ばせてもらいました”
「ベエモットってスリジエさんのお父さん? ってどうして私のことを……!?」
弥生は睦月の母の顔を覗き込むが返答はない。
気には留めたが何事もなかったかのように話を続けた。
「あ、あの。睦月さんのお母さんはどうしてまたベエモットさんについてお話したいだなんて……」
“ベエモットの目的がもう一つの世界と呼ばれる私達の世界、アクアワールドだからです。ベエモットはアクアワールドの支配を企んでいるのです。そのためにはムツキの世界を操る力が必要なのです”
「そうなんだ……。じゃあ、ベエモットがスリジエさんに言っていた『約束』って分かりますか?」
“すみません……そこは分かりません。ですが、ベエモットという男は本当に娘さんのことを愛してはいないと言い切れるかが問題なのです”
「それってつまり、ベエモットさんは……」
弥生は言葉に詰まった。
どういうこと? でもスリジエさんは快く思っていなかったみたいだったし、ベエモットさんもあんまり良い印象じゃあ……。
ふと睦月の母の身体が足元から消え始めていた。
“もうそろそろ、呪文の効果も無くなるみたいね”
「む、睦月さんのお母さん!?」
もう、夢が終わるころ!? そんな!? まだ、睦月さんのお母さんには聞きたいことがあったのに。
睦月の母は弥生に言葉を託す。
“弥生さん、お願いします。どうか、どうか息子のムツキを助けてあげて……”
そして睦月の母の身体はあっという間に消えてしまった。
「睦月さんのお母さん……」
弥生は睦月の母が消えた後を見つめる事しかできなかった。