弥生と転校生の学校初日
時刻は七時半。
次の日になり、今日から二学期が始まった。海堂町にあるもっとも有名な海堂市立海堂中学校。水泳で全国大会優勝するほどの強豪校でもある。
弥生は海堂中学校指定の通学路を通りながら学校へと向かっていた。
弥生の両側には一軒家が規則正しく立ち並んで出迎え、その前には電柱のように等間隔に植えられたソメイヨシノ。春になると桜が満開になり、道を桜のはなびらが舞う。今は葉っぱが茶色に染まり、枯れ葉に姿を変えていた。一部の桜はすでに枯れ葉が地面に落ち始める。もう、秋に近づいてきているなと感じる。
そして、今日から学校がまた始まる。クラスのみんなに会える。授業も始まる。そう考えると心が躍る。笑みがこぼれずにはいられないのだ。学校に行くだけで、みんなのクラスの顔を見かけただけで、
――私は一人じゃない。
と、思っていられる。そう、言っていたほうが安心するのだ。一人暮らしの私には。
だが、全部が全部うれしい出来事だとは限らない。
それは「昨日の事」である。
昨日、あの戦いで倒れた時間から目を覚ます夕方までの間がわからない。あのあとどうなったかさえも私にはわからずじまい。
あのあと、あの少女と戦っていたということは覚えてはいる。睦月さんが駆けつけてくれて安心したら、そのまま気を失ってしまった。
睦月さんはあのあと、どうなったんだろう? やり過ごしてくれたのだろうか?
あの子もあれからどうしているんだろう? まだ怒っていたりするのだろうか?
何があったか知りたい。でも、知ったところで何になるんだろう。
何かを得るわけじゃないのに。
それでもやっぱり、真実が知りたいという思いが私の中で強い。
でも、思い出そうとしても思い出せない。どうしても。思い出せば何かあるかもしれないのに。
けれども、頭の中にもやがかかって、よくわからない。どうすればいいかわからない。
海堂中学校の校門が目と鼻の先にさしかかったとき、足を止める。海堂中学校のプレートが目に入ってきた。校門には制服を着た男女の生徒らが無表情で校門を通って校舎へと向かっていく。その表情はまるで人形のようだった。
弥生の額に一滴の雫が噴出し、滴り落ちる。
誰かに相談して、聞いてみるべき? でも誰に相談するの?
あの子がどこの誰かなんてわからないし、睦月さんの家なんて知らないし。もちろん、睦月さんの携帯番号は知ってるが、今は学校がある。かけられるはずがない。
憂鬱のようなため息を漏らした。
葉月は知らないからなー。あの戦いのこと。
あの場にいたのは、あの子と睦月さんと私だけ。葉月は私が倒れるまでいなかったから知らないはず。だが、倒れたあとのことが問題だ。私が倒れてすぐに戻ってきたのかかもしれないし、あの子が去ったあとに職員さんを連れてきたのかもしれないし。そこは本人に聞いてみないとわからない。断定はしていけない。
でも――――。
下を向いたときだった。弥生の右肩に手が乗り声をかけられた。
「弥生っ。何してるの?」
弥生が振り返ると、やや小麦色の肌に短く切った黒髪の少女が立っている。
「皐月っ?」
弥生と同じ3年1組のクラスメート、夏野皐月である。女子陸上部に所属し、陸上部のエースを務める元気で運動神経抜群の女の子なのだ。
「弥生、なんかしけた顔してな~い?」
「し、しけた顔?」
「そ。何があったか知らないけど、元気だしなよね。弥生は一人じゃないんだからさ」
「皐月……」
弥生は皐月の言葉に目を潤ませる。
皐月が思い出したかのように、手をたたく。
「あっ。そういえばさ、弥生。今日うちのクラスに転校生がやってくるみたいよ」
「転校生? こんな時期に?」
「そう。しかも、転校生は二人くるらしいの」
皐月の言葉を耳にして、
「二人もっ?」
と、驚きの声をあげた弥生。
「そうなのよ。変だと思わない? こんな季節に転校生二人って」
「確かに」
「しかも、二人ともうちのクラスに来るのよ? おかしいでしょ」
皐月の顔はどこか腑に落ちなさそうな顔だ。納得がいっていないようである。
「それに、一人は超のつく天才頭脳の持ち主だっていうじゃない? 不公平よ! 私なんか、部活づけで勉強できていないというのに!」
弥生は癇癪を起こす皐月を目の前に口を開けたまま呆然とする。
「ま、まぁ、そうだね……」
ははっ、と顔を引きつらせた。
「で、でも、その子に勉強少しくらい勉強教えてもらうとかなんて…………やっぱやめとく」
「それよ!」
「へっ?」
弥生が皐月の声にびくっと肩をすぼませる。
皐月は目を輝かせ、天を仰ぎ見た。
「そうよ! 別にライバル視しなくてもいいのよ! そう! 利用できるものは利用しなきゃ!」
まともなこと言ってるようで、馬鹿なこと言っているのか、自分にはさっぱりわからない。
「そうと決まれば、第一印象をよくするために、練習よ!」
「練習……? 何の?」
弥生の質問に皐月は、
「もちろん、その転校生と仲良くなるためのシミュレーションよ! 第一印象がよければ後々楽じゃない!」
自信満々げに答えた。
「ら、楽って……」
なんだか、公園で遊ぶ子供みたいだ。そんなんで大丈夫だろうか。
皐月がじゃあ、と切り出し、
「ということで、教室で自己紹介の練習してくるわ!」
目を星屑のごとく、輝いている。
皐月は元気だなー。どうしたら、皐月のように元気で明るい子になれるのかなぁ。
「うん、わかった。がんばってね」
弥生の顔はごまかし笑いをうかべていた。
そ、そんなんで大丈夫かなぁ……。
走り去っていく皐月に手を振りながら、見送る。
皐月の姿が見えなくなると、ゆっくりとした足取りで教室に向かう。
3年1組 教室前
久しぶりの学校に胸を躍らせていたが、いざというとなると緊張が高ぶってしまう。
……落ち着け! 私!
ぐっと息を呑み、教室の入り口に手を伸ばす。入り口を勢いよく開け、一言。
「おはよ!」
教室にいた生徒が一斉に弥生に集中した。
そして口々に声を出す。
「あ、弥生だ!」
「おひさー、弥生っ」
「久しぶりじゃん」
どれも暖かい声。全身がほっとした感覚になる。
「うん、みんなおはよ」
入り口を閉めると、弥生は自分の席に向かう。
弥生が通り過ぎた時入り口近くの席で、三人組の男子生徒の話し声が入った。
「やっぱ春野はかわいいよなー」
「あぁ、秋村もいいいが、あいつは性格が駄目だからなぁ」
「そうそう。ちょっと話しただけで嫉妬したりするし。ほんと嫉妬深いよな」
葉月の噂話のようだ。葉月ってそんなに嫉妬深い子だったかな。
首をかしげていると、さきほど会った皐月がまた声をかけてきた。
「弥生、ちょっと来な」
来る様手招きしてくる。なにか話があるらしい。
方向を変えていってみると、唐突に話を切り出される。
「弥生、これ以上葉月と関わっちゃ駄目よ」
「えぇ? 何の話? 一体」
「弥生、あんたは葉月を大切な親友とか思っているだろうけどさ」
「うん。思ってるよ。それがどうかした?」
弥生は悪びれる様子もなく肯定する弥生に、皐月は困り果てた顔でため息をつく。
「弥生……単刀直入に言うわ。葉月はね、好きな男の子と他の女子が少しでも関わると嫉妬する子なのよ」
「それがどうかした?」
「あんた、一学期の時、夏野君とお話してなかった?」
「うん。したよ。それで?」
うなづいたあと聞き返してくる弥生に、皐月が口を開ける。
「それでって……私が話したの忘れたの?」
「ううん、覚えてる。葉月は嫉妬深いって話でしょ?」
「そうだけど……」
「話の内容はよくわからないけど……、私、葉月を信じてるから」
弥生の目には自信が満ち溢れていた。もう誰にも止められないと言っているかのように。
「弥生……。わかった! 弥生がそこまで言うならもう止めないわ! もし、葉月に何かあったら真っ先に私に言うのよ? いい?」
「うん、わかった」
弥生は力強くうなづいた。
皐月も笑顔でうなづき返す。
「なら行ってよし」
弥生は皐月の笑顔を目に焼き付けると、自分の席に着く。
席に着いたときに、横から葉月の声が耳に入る。
「弥生、皐月と何を話していたの?」
葉月の声に思わずビクッと反応してしまう。
さっき、皐月に葉月のことを聞いたばかりなので妙に気まずい。
「えっ。な、何が?」
明らかに動揺しているというのがばればれだ。
「そういう反応するのって、私に話せないことなの?」
「えっと、そういうワケじゃあ……」
冷や汗が一気に吹き出てくる。
「な、なんて言えばいいのかな……。あ、あれよ! あれなの!」
「あれって何よー。『あれ』って」
頬を膨らませ、眉をひそめる葉月。明らかに怪しまれている。
どうしようと思ったが、葉月が言う。
「ま、あの皐月のことだから、どうせしょーもない話だろうから気にしていないけど」
葉月と皐月は性格が似ているようで正反対なのである。直に会話したくないほどで、第三者を通してでないと話さない。何故、仲が悪いのか知らないが、どうやら二人に共通する好きな人のことで何か問題が起きたらしい。それ以来、二人は直に会話していない。
「そうそう! 弥生、転校生の話、聞いたっ?」
「うん、皐月から聞いたよ」
葉月は弥生の口からまたもや皐月という言葉を聞いて、さらに不機嫌そうな顔をつのらせる。
「何よ~。また、皐月~? ま、いいわ。転校生は二人。しかも、一人は女子で、もう一人は……男子だって!」
「男の子と女の子の転校生がくるの?」
「男の子って……その言い方じゃ、まるで小学生ね。で、噂では、二人はカップルじゃないかっていう噂よ! まぁ、さすがにみんな信じ切っていないみたいだけど。みんな転校生の男の子に興味津々の様だし」
「へぇー。そうなんだ」
弥生は興味がなさそうな声で相槌を打つ。
好きな人は睦月しかいないので、そんなの聞いても興味がないのである。だが、男にルーズの皐月があれだけテンションが高かったのは、転校生に男の子が来るからか。
「でも、ほんと不思議だね。こんな時期に転校生って」
「まぁね。実はもう一つ噂があって、二人とも何かの目的があってこの学校に来るんじゃないかって噂してるわ。春先ならともかく、秋に近づくこの時期に転校してくるなんて変だってみんなささやいてる」
葉月がやれやれと言った顔で、横に首を振った。
転校生か……。
一人は男の子で、もう一人は女の子。女の子だったらお友達になれるかも? あと、その転校生の男の子っていうのが、もし、睦月さんだったら…………。
我知らず頬を赤らめる弥生。
そうだ。
皐月の『転校生と仲良くするためのシミュレーション』はどうなったのかなぁ……。
自分の席から離れた窓を横目で眺める弥生だった。
*
時間を戻して七時半。
海堂中学校にある校長室。来客用のソファーに一人の少女が座っていた。
スリジエ・ムーンである。
左壁の奥のドアは隣の職員室につながっている。だがスリジエが知るはずがない。
これが人間の学校なのか。
本などでみたことのあるいたって普通の校長室。どこにも不自然なところはない。
だが、そんなことはどうだっていい。
人間の町に来て初めての学校。緊張しないわけがない。しかし、ここで食い下がるといままでの努力が水の泡になってしまう。学校に入るのにどれだけ苦労したことか。
「おまたせしました」
職員室に通じるドアから入ってきた、灰色のスーツの男。豪邸で執事をやっていそうながっちりとした体格。白髪交じりの黒髪をオールバックにし、お洒落に刈り込んだ口髭を生やしている。この学校の校長である。
「すみませんな。職員会議が早まってしまってな。いろいろ問題が起きて時間がかかってしまいまして」
校長はそう言うと、スリジエの向かいのソファーに座った。
「いえ……。別に気にしてはいませんので」
落ち着いた控えめの口調のスリジエ。あまり人間と深く関わったことのない、人魚のスリジエにとって何もかもがはじめての出来事なのだ。人間の町にある学校の校長先生に会うことも。
ふと思った。昨日は海堂町の伝説について図書館に行ったが、春野弥生に会っていたので結局調べれなかった。しかも、昨日のこと、あの少女が春野弥生だと知ってからの事が覚えていない。自分のことなのに自分がわからないなんて。
そうだ。この校長なら、海堂町の伝説について何か知ってるかも知れない。この海堂町に住む人たちにとって、海堂町の伝説は当たり前のように教え伝えられるものらしい。だとすれば、何か情報がもらえるかもしれない。
スリジエは思い切って校長に声をかけてみた。
「あ、あのっ…………」
「ん?」
スリジエの後ろの壁にある壁掛け時計を見上げていた校長が視線をスリジエに移す。
「どうかなさいましたか?」
スリジエは校長が自分に視線を向けたの確認すると、話を切り出す。
「あの、この海堂町の伝説についてお聞きしたいのですがっ!」
「海堂町の伝説? ……あぁ、あれですね」
最初は戸惑っていた校長だが、すぐにスリジエの言ってる意味を理解したようだ。やはり、この海堂町の人間は海堂町の伝説は当たり前に知ってるものなのだと、改めて感心する。
「で、何について知りたいですか?」
と校長に尋ねられ、真っ先に口にする。
「ほ、滅んだ人魚の国についてです!」
まずは仇の過去から知っておけば、後々役に立つと考えたからだ。
「なるほど……。実は滅んだ理由は諸説あるんですが、もっとも有力とされているのが、海の魔物が襲ったという説ですな」
「海の魔物……?」
「さよう。海の魔物は二匹おるとされ、北にベビモス、南にリヴァイアサンという恐ろしい魔物がすんでいるとされています。まぁ、もう数百年も経ちますから実際のところは謎ですが」
リヴァイアサン! スリジエは知っている。その名前のこと。そして、最近チェリーお姉様の手によって一度封印が解かれたことも。北の海にも南の海に対等する魔物はいると聞いてはいたが……。
「滅んだ人魚の国は当時、王女の成人式を行っていたらしく、その最中に魔物が侵入し、そのままほろんだとされています」
「それで、その王女様はどうなったんですか?」
「それが……いまだに見つかっておらず、国王が夢の宝玉を持たせて逃がしたのではないかと学者たちは考えているようですが」
いまだ見つかっていない!
スリジエは校長の話を聞いて確信を持つ。
間違いない! その王女は春野弥生の前世。そりゃあ、いないのも当然。本人は王女の姿を捨て、新しい姿に生まれ変わっているのだから。
もっとなにか詳しい話が聞けるかもしれない。
スリジエが口を開けようとした時、廊下につながるドアから二人の男が入ってきた。
一人の長身の男がつぶやく。
「失礼します。すみません、校長先生。話しているところ悪いんですが、もう一人の編入生を連れてきました」
もう一人の少年は校長に会釈し、挨拶する。
「失礼します。校長先生、おはようございます」
一人は一七〇センチほどの教師らしき男。もう一人はスリジエとほぼ変わらない、一六〇センチほどの少年。この学校の制服を着ていることから、この学校の生徒だろうか。スリジエと同い年にも見える。
なんだか、この者達に話を遮られたような気がする。
内心の苛立ちを隠しつつ、少年の顔を凝視してみた。
どこかでみたことのある顔だ。どこだっただろうか。最近会ったような気が……。
そこで、昨日春野弥生といた一人の少年を思い出す。
そうだ! 昨日、飲み物をくれたあの男の子だわ! 好みの顔した男の子! こげ茶色の髪が鮮明に脳に刻み込まれていた。まさかこんなところで会えるなんて……!
スリジエが少年との出会いに胸を躍らせている中、校長が少年に一声かける。
「冬川睦月君……だったかね? この町は初めて来たというが、そんなことを感じさせないようなオーラをもってる。やっぱりこの町に歓迎されているんだねぇ」
校長の言葉で少年の名前が『冬川睦月』だと判明した。冬川睦月君、睦月はなれなれしいから冬川君かしら?
睦月は斜め下に視線を逸らす。
「いえ、そんなことありません。今は校長先生に挨拶に来ただけですから」
「最初会ったときも思ったが、君はクールだね。だからあんなに人気になるのかね?」
「そう、なんですか……?」
睦月の顔がどことなく怪訝そうにする。
「まぁ、とにかく、君はこの学校に入って正解だという事だよ。あぁ、そうだ」
スリジエはちょっと来てくれんか? といわんばかりの校長の手招きを受ける。表情は穏やかだ。
スリジエはひらめく。これは冬川君にもっと自分をアピールできるチャンスではなかろうか。しかも、校長が紹介してくれるというなんというグットタイミング! これは絶対モノにしなくては!
「はい。何でしょうか?」
あまり興奮しているのがばれるとまずいので、いたって何も無かったように対応する。
校長は睦月にスリジエを紹介し始めた。
「このこはスリジエ・ムーンちゃん。君と同じ三年一組のクラスに入る子だよ」
睦月は少し間を置いてから、
「…………よろしく」
小声でつぶやいた。スリジエがギリギリ耳に入ってくるような声。初めて会ったわけではないと向こうも気づいてくれているらしい。
「こちらこそよろしくね。冬川君」
スリジエは握手を求めるが、睦月は握手に応じようとはしない。やはり、まだ無理か。
男性教師が左手にはめている腕時計で時間を確認する。腕時計は本で知ってはいるがみた事なかったため、今初めてみる。あれが腕時計というものか。
「校長先生、そろそろ体育館で始業式が始まる頃ですね」
「そういえばそうじゃのう……。では、荒川先生、この二人を頼みましたぞ」
荒川先生と呼ばれた教師はスリジエと睦月に一声かけた。
「はい、わかりました。じゃあ二人とも行こうか」
「はい」
睦月は何も無かったかのように前を歩きだす。
「あ、は、はい」
スリジエも荒川先生と睦月においていかれないよう、後をついていった。
これから、私の新しい学校生活が始まるのね!
その表情は自信に満ちた笑顔であふれていたのだった。
*
体育館で始業式が終わった十時頃、生徒達は各自教室へと戻っていく。弥生もまた自分の教室に戻り、自分の席でホームルームが始まるのを待っていた。ただ待っているわけではない。わずかな時間でも昨日の事を思い出せるんじゃないかと考えたからだ。ただ何もせずに終わらせると歯切れが悪いからだ。昨日何があったか知った上で、頭をすっきりさせ、授業に望みたい。
けれど何度試みても上手くいかない。やはり記憶にもやがかかる。
なにか、なにか手がかりがあれば……。
両手で頭を押さえていたのが、ゆっくりと離される。
――そうだ!
睦月さんが駆けつけてくれたとき、もう一人誰かが駆けつけた。私が知ってる人。すぐ近くにいる人。でもわかっているはずなのにわからない。
た、確か……――――――――。
駆けつけた人物の顔が判明しそうになったときだった。
「弥生。あんた、何してるのよ」
声の主は秋村葉月だった。葉月は首をかしげて不思議そうにしている。
「えっ。いや、ちょっと考え事をね……」
弥生はそう答えて見せた。表情は難しい顔のまま。
「昨日中庭で葉月を待っていたら途中で倒れちゃって。それからの事が思い出せそうで思い出せなくて……」
「って、あの女の子の次はあんたが倒れちゃったの? 馬鹿じゃない! 何をやってたの、あんたは」
「うぅ……。ごめんなさい……」
小さくうずくまり反省すると、気まずそうに顔を上げた。
「で、でも、でも。睦月さんが家まで送ってくれたみたいだし……」
「それ、理由になってないわよ」
「そ、それであの、葉月は職員呼びに行くっていたの、あれどうなったの?」
弥生が質問したとき、葉月が能面のようにこわばり表情を一変させた。
「何の話?」
「何の話って、葉月も昨日一緒に図書館に行ってくれたじゃん」
「さぁ~? な~んの、ことかしら? 私は知りません」
何もなかったかのようにしゃべる葉月に違和感を感じてならなかった。どうして、そこまで「事実」を無かったことにしようとするのだろう。別に無かったことにする必要はないはずなのに。
聞こうとは思ったが、担任の荒川先生が入ってきたため、言えずじまいになった。
荒川先生は教卓まで歩き、出席簿をその教卓に置くと、転校生の話を始める。
「ホームルームをはじめる前に、みんなも知ってると思うが、転校生を紹介する」
その瞬間、教室内はざわめいた。やっぱりきたか! そんな雰囲気を思わせるかのよううだ。
クラスの生徒らが噂し始める。
「転校生って男女二人だよね? やっぱり恋人ってことないかな?」
「ないでしょ。二人とも初対面って先生たちが言ってたし」
「転校生の女の子、かわいいかなぁ」
「相当の美少女だって。うわさじゃあ、春野と同じくらいかわいいってよ!」
「しかも、転校生の男の子もイケメンだって!」
「うそぉ~! マジ?」
転校生の男女二人の関係を怪しむ者。転校生の容姿を気にする者。
誰もが転校生の話でもちきりだ。誰も転校生の二人に興味がわかないはずがない。
弥生も当然、転校生の二人は気にはなるが、先生が転校生を紹介しない限り何も始まらないので少々退屈気味なのだ。
「静かに! 話を戻すぞ!」
先生の声が届いたのか、教室が静かになる。誰も私語をしなくなった。
先生がその転校生を紹介するのがわかったからだ。
転校生か。
「転校生は二人いる。まずは一人目の転校生だ。睦月君、入ってきなさい」
睦月……君?
先生の話に聞き覚えのある言葉が入っていた。
先生が入り口に目線を向ける。教室内の生徒も全員、前の入り口に集中した。
がらりと戸が開き、一人の少年の姿があった。
少年を入り口を閉めると荒川先生の左隣で止まった。
少年が正面を向いたとき、弥生が知っている顔がそこにはある。
「冬川睦月です。よろしくおねがいします」
睦月は浅く会釈をする。男子らは不愉快そうに見つめ、女子達は睦月の容姿に頬を赤らめ見とれていた。
そう、弥生が会いたいと思っていた睦月である。
ま、まさか転校生の一人が睦月さんだっただなんて……!
笑みがこぼれそうになる。
睦月も教室内に弥生がいることにきがついたのか、弥生は睦月と目が合う。
顔から火が出そうになった。恥ずかしいというより、睦月と目があって心臓が高鳴ってしまったのだ。
でも、これからは少しでも睦月さんと一緒にいられる時間が長くなる……。
先生が話を続けた。
「次行くぞー! 二人目の転校生だ。スリジエさん、入ってきなさい」
今度は聞いたことのない名前だ。誰だろう。もう一人は女の子のはず。
睦月が入ってきた入り口から、藤色の髪した少女が入ってくる。腰まである長い髪が歩くたびに左右揺れる。揺れる髪に反応するかのように、豊かに膨らんだ胸も上下に小さく動く。
あ、あの子は……。
弥生は息を呑む。
少女が真正面に向いたとき、心臓が止まるくらいの衝撃が走った。
「スリジエ・ムーンといいます。これからよろしくお願いします」
スリジエは睦月を真似するかのごとく、会釈する。教室内の反応が入れ替わった。男子らは興奮し興味津々そうに凝視するが、一方の女子達は眉間にしわをよせてにらみつける。
あの子は昨日の子だ!
弥生が見間違えるはずがなかった。昨日、倒れるきっかけとなったあの少女である。
睦月の転校もあの子の転校も、予想していなかったため、呆然とスリジエを見つめるばかり。
どうしよう……。
弥生はこの先大丈夫なのか先行きが不安でならなかった。