弥生と嵐のような中庭
十二時十分ごろになったときだ。
睦月は事務所の玄関前から図書館の中庭付近まで、走ってやってきた。
今の睦月の頭の中は弥生ことで、いっぱいいっぱいだった。
中庭が遠くからでも確認できるくらいまで差し掛かったとき、足を止める。
「一旦、休憩するか……」
近くにあったベンチに向かうと腰を下ろす。空を見上げ、ため息のような息を吐いた。
春野は大丈夫だろうか。あの少女と上手くやっていってるだろうか。
そもそも、体調は良くなったのか?
――心配のしすぎかもな。
もっとこんな心配性でもなかったはずなんだが……。
何故か春野のこととなると不安になってくる。
大丈夫だろうか……って。
べ、別に春野ばっかり気にすることでもないだろう、俺! 今は自分のことを考えていれば……。
立ち上がろうとしたとき、頭痛に伴った痛みとめまいが走った。
その瞬間、意識が別の方へと向けられた。
睦月の目には映像の一種が映りこむ。
――激怒し何かを見おろす、宙に浮いた少女。
――少女が見おろす先に春野弥生が、少女を見上げる。
――少女が弥生に魔法で襲い掛かろうとする。
だが、映像は途切れ、元の現実へとひきはなされてしまう。
未来視か。
だが、あの未来視は一体……。
未来視に映る映像は今起きている出来事か、これから起こるであろう出来事。どれも必然的に起こる。となると、あれは……これから起こる出来事なのか!?
映像に映った少女は、さきほど春野が看病していたあの少女だろう。
となれば、少女が春野に襲い掛かろうとしたあのシーンは……。
まさかっ!
一滴の冷や汗が流れた。
まずい……まずいことになってしまう。このままじゃ、春野が……。
急がなくては!
未来視の映像は見たら絶対起きるのが鉄則。
あのシーンも起こる出来事の一つだ。
睦月の体が自然と中庭の方へと引き寄せられていく。足を動かし中庭に直行。
もう未来視の力には頼らない。
運命は自分で変えれる。
そう信じてきたのに、未来視には勝てなかった。
シャルロットと相棒を組んだときも。
もし、自分が春野のそばを離れたせいであの出来事が起こる羽目になってしまったのだとしたら……。
自分にも当然責任はある。責任は取らなくては。
目に入り込む背景が一瞬で通り過ぎていく。
一歩すすめば中庭に入るという場所で足が止まった。
昼食時の時間で中庭は誰もいないはず。
だが。
何かがぶつかったり、燃えるような音が耳に留まる。
まずい。
もうすでに始まってしまったか。
「遅かったか…………」
舌打ちして足を中庭に踏み入れた。奥へと進むと中庭には見覚えのある二人。
夏休みの宿題を終わらせるために睦月らを呼び出した春野弥生。少女が倒れていた近くの木のそばで座っている。
春野弥生が倒れたと言ってきた熱中症ぎみの少女。宙に浮いて弥生を見おろしている。
やばい。未来の映像の通りだ。確かこの後は……。
弥生が立ち上がったとき、バスケットボールほどの球体を生み出す少女。
おもわず、はっと息を呑む睦月。
その球体は漆黒に似たどす黒い色をしている。あれはおそらく闇系の魔法。
闇系の魔法が使えるのか……。
「かなりの実力者のようだな、あの子は」
闇系の魔法は数ある魔法の中でもっとも扱いが難しく、コントロールがしにくい。しかも、闇系の魔法は失敗すればそれ相応の代償がつく。二、三回失敗しただけで身体はぼろぼろの状態に成り果てる。かなりの実力がなければ使いこなせない。
だが、体力の消費が少なく、攻撃力も高い。成功すれば相手を追い込める。
少女がさきほどの球体を弥生にぶつける。
「春っ……」
二人に聞こえると思い、口ごもる。
弥生がふらつきながら球体を間一髪よけると動きが止まる。体力が減ってきているよう。
少女はちぃと舌打ちをしたようだ。どうやら苛立っているらしい。
春野より相手の少女が技術的に上だな。
「まずいな……」
睦月は首をかしげてうなる。
もし予想があっていれば、春野はさきほど、あの少女に自分の魔力を分け与えていたはず。闇系の魔法は魔力が多いほど威力が増していく。
だとすれば、今の弥生の魔力は普段の半分しかないはず。春野の魔法は主に水系だ。水系より闇系のほうが勝っている。
「今の状況だったら、あの少女が勝つかもしれんな……」
大丈夫だろうか。体力切れで倒れたりしないだろうか?
少しばかり手助けするか。
目に見えるものだとすぐにばれてしまう。
あれがいいな。あれならなんとかいける!
弥生と少女は互いに戦闘に夢中になっている最中。二人の攻防戦が耳に入ってくる。
睦月は二人に見つからないようこっそりと移動した。
*
図書館の中庭では、十二時二十分になろうとしていた。
弥生は意気を荒くして四つんばいになっていた。首が痛み顔を上げる事ができない。さんさんと輝く太陽が弥生の肌を照らし、汗を噴出させる。全身、汗でぬれている。
もう攻防戦は十分経過。攻撃され、攻撃をよけるの繰り返し。そのため、無駄に反射神経と足を使い、体力が無くなりかけている。
もう……そろそろ、体が限界に来ている。
体が鉛で固めたような重量感が強くなっていく。
少女が息絶え絶えの弥生に対し、見おろしながら鼻で笑った。
「もう限界に近いんじゃない? 闇の魔法は強力で当たれば体力を一気に奪うほどのもの。あきらめて別の方法とったらどぉ?」
ただよけているわけではない。もちろん全く当たってないともいわない。何度も闇の魔法をじかに体で受け止めているためか、思うようにいかない。
「ま、まだ……そんなこと……は」
弥生は少女を見上げつぶやいた。
まだ始まったばかりなのに。十分しか経ってないのに。
まだ負けるわけには…………。
弥生が見上げたとき、少女がテニスボールほどの黒い物体を無数生み出す様を目にする。少女の周りにはその物体が囲うように飛んでいた。黒い光をもった蛍みたいだ。
あれはさっき受けたものとは威力は小さそう。だが体のいたるところに当たれば、体力が無くなるのは間違いない。最小限におさえなくては。
少女は獣のような眼光で弥生を見おろす。
「さぁ、これで最後にしましょ。大丈夫。死ぬときは楽に死なせてあげるから」
口元が妖艶っぽく笑う。少女そのものが獣みたいだ。
「私の大切なチェリーお姉様を殺した奴は生きてる資格なんかないもの。最後にこれくらいはさせてよね」
チェリーお姉様? どこかで聞いたような名前……。
っていうか、何故私が殺されないといけないの? 私は人なんか殺した事ないし、これから先も犯罪を犯す気はないのに。
私が殺される理由……なにか、あるはずなのに…………。
目の前の黒い蛍に圧倒され、脳内は白紙。何も思い浮かぶことがない。
どうしよう……このままじゃ、私死んじゃう!
でも、何も思い浮かぶことがないし……かといってこのままにしておくと自分の身があぶない。
「さて…………もう思い残す事はないかしら? 言い残していることは? 最後の望みとして聞くけれど」
「じゃっ……じゃあ、ひ、一つだけ!」
人差し指を立て突き出すと、いままで抱いていた疑問を少女にぶつけた。
「私があなたのお姉さんを殺したって言ってるけど、どうしてそう思ったの?」
「どうして……?」
少女の眉がかすかに動いた。
弥生は話を続ける。
「理由がどうしてもわからないの! あなたに殺される理由が!」
「ふっ…………ふざけたことを!」
少女の顔が鬼のような形相に一変する。顔からは前にも増して、殺気が強まる。
少女は鬼のような殺気で弥生をにらみつけた。
「よくそんなことが言えるわね! あの日、あんたがチェリーお姉様と戦っていたということは、既にこっちの耳に入っているのよ!」
チェリー……あの日の戦い……。
――まさか!
「チェリーお姉様って……あのチェリー・ムーンの事?」
「やっと、思い出してくれたみたいね。最後の最後でうれしいわ」
少女が微笑したのを確認すると、もう一つ質問を試みる。
「じゃ、じゃあ、あなたはあのチェリーとどういう……」
だが。
「今はそんなの、どうだっていいじゃない!」
全部言う前に、少女に怒鳴られてしまう。怒らせてしまったようだ。
中庭には早くも昼食を終えた人たちが少しずつ戻ってきている。先ほどまで晴れていた空は急変。灰色がかった雨雲が太陽や空を覆っていく。
まずい……まずいよ。この状況。
あの子はすでに質問できる状況ではなくなっているし、空は雨が降りそうな天気だし。
「あんただけは……あんただけは絶対許さない! 消えてなくなればいい!」
指を立て弥生を刺すと、一斉に黒い蛍が弥生めがけて急突進。黒い蛍の周りには隕石のごとく、青白い光が黒い蛍を包み込んだ。
やばい! いっぱいやってきた!
さっきまでの攻撃とは打って変わり、威力もスピードも増している。
ど、どうしよう……。せ、せめてよけることができれば。
弥生は重く感じる脚を動かし立ち上がる。
深いため息をついて目と鼻の先にある、近くの木まで歩き出す。
たどり着く前に黒い蛍が弥生のふくらはぎや、肩甲骨などいたるところに直撃。
弥生はその場にうつぶせになって倒れる。
闇系の魔法は直撃すれば、内から体力や魔力を吸い取っていく。たとえちいさなものでも無数に集まれば、それは大きな力となる。
弥生にとってはおおきなダメージとなってしまった。
もうよけたりすることは出来なくなった。他の方法を考えないといけない。
他の、他の方法……。他の……。
そうだ! 歯には歯を、魔法には魔法で!
でも……魔力が…………。
弥生はためらいつつも、体を起き上がらせ、後ろを振り返った。少女がすでに次の攻撃の準備を目撃。
手を重ねてクロスさせ、構えをとる。
「アクアシールド!」
水のドームが弥生周辺を覆い尽くす。
弥生の魔法に気づいたのか、少女が声をあげる。
「あら。魔法に変えたのね。まぁ、正しい方法といえばそうね」
「…………」
弥生は何も答えない。
「まぁ、いいわ。答えなくても。私には関係ない話だもの」
左手の甲を胸の上にかざすように向けた。何かを構える感じにもみえた。まさかまた攻撃してくるんじゃあ……?それはそれでまずい。
今はアクアシールドで張っているとはいえ、安心できるとはいえない。アクアシールドはかなり不安定なもので、ゆれては消えかけを繰り返す。
相手の魔法の威力はかなり強力だ。一回攻撃受けると消えてしまいそうだ。
弥生が不安に思っていると案の定。
少女が呪文を唱えるかのような小言でつぶやいた。離れすぎているため、口の動きしかわからない。何を言ったのだろうか。
黒い蛍の次は、黒い矢だ。黒い矢は細胞分裂のごとく増え続け、さっきの黒い蛍と変わらない量だ。しかし、大量にありすぎてどれほどのものか目に見える範囲ではわからない。
黒い矢が黒い蛍と同じく一斉攻撃してきた。矢はアクアシールドに飲み込まれていくが、アクアシールドの方は波紋が多く発生している。今にでも壊れそうだ。
お願い……もう少しだけ待って。
弥生はアクアシールドで防御しつつ、魔力で維持を続ける。
だが黒い矢がやむ事はない。増えるたびに襲い掛かり、アクアシールドに直撃していく。
どうしよう。これ以上は持たないかも……。
歯を食いしばり、限界まで魔力を送り続けてく。
雨のように降り注ぐ矢。魔力で維持を続けるアクアシールド。
少女はそんな弥生を面白そうに見下している。
だが、ついに。
アクアシールドがはじけとび、消え去った。
――やばい!
弥生は生唾を飲み込み、後ずさりする。
ど、どどどど、どうしよう!
周りを見渡し、どこか隠れそうな場所を探す。
弥生が探しているとき、ぽつりと冷たい水が弥生の頭上に落ちた。雨だ。
雨は次第に強くなり、やりのような強い雨へと変わっていく。まるで心につきさしていくようだ。痛いはずなのに痛くない。どこか複雑な気分である。
早く、いい方法を……別の方法を……。
少女がとどめといわんばかりに、右腕を上に掲げ、最大級ともよべる球体を作り出そうしていた。
「せっかく、防いでいたのに残念ね。魔法が途切れちゃって……」
勝ち誇った笑みを浮かべる。
「でも、これで本当に最後よ」
弥生は反射的に構える。だが、魔力が送られてこない。
どうして?
はっと何かを思い出し、汗をたらした。
そうだ! あの時、あの子が倒れて私が看病してるとき……自分の魔力を与えていたんだった!
熱中症なんだから、魔力を渡す必要なんてなかったはずなのに。何かに引き寄せられるかのように、気づいたらあの子に魔力を渡していた。
本当にどうすれば……いい方法を考えなきゃ、私がやられてしまう!
体が震えるばっかりで頭が働かない。
右足を一歩後ろに下げたとき、雨でぬれた芝生にすべりしりもちをついてしまう。
「……っ!」
お尻をさすりながら、危機を覚える。
少女はそこを見逃しはしなかった。
「まぬけな最後ね。でも、私はあんたを見逃したりはしないわ」
上げていた右腕をゆっくりと下ろしていく。
まずい……このままじゃ、今度こそ、私死んじゃう!
しかし、弥生の体は石像のように固まり、動けない。
いや、動くことが出来なくなっていた。
怖い……死ぬのは怖い。でも、それよりも…………。
少女は弥生につぶやくように言った。
「今日は楽しかったわ。あなたとこんなバトルが出来て」
――もう、二度と。
「私があなたに負けるわけがないけれど」
――睦月さんに。
「さよなら。春野弥生」
――会えなくなる事が、一番怖い。
「死ね!」
大声で一喝すると、右腕を思い切り振り下ろす。
球体はバスケットボールの倍以上もある図体。そんな事もかんじさせないほどのスピードで弥生に襲い掛かる。
弥生は反射的に目をつむり死を覚悟した。
その時だった。
「ファイアシールド!」
聞き覚えのある少年の声が中庭中に響き渡る。
弥生の前に球体と同じ大きさであろうほどの、巨大な炎の盾が姿を見せた。
球体は炎の盾に直撃し、みるみるくずれていく。
すごい……。
弥生はつばを呑み、呆然とする。
そんな弥生にかけよってくる一人の少年。
「春野! 春野、大丈夫か!」
「む、睦月……さん」
「春野、しっかりしろ!」
「よかった……来てくれるって信じてた…………」
睦月を見て安心したのか、急にまぶたが重くのしかかる。
「助けて……くれて、ありが……とう、睦月さ……」
弥生は一瞬にして睡魔に襲われ、そのまま眠り始めた。
その後、夕方まで目を覚ます事はなかった。