ノートも見せます
ぜんぜんわからない、ひとつも。
教室の一番前の席で回答欄が真っ白な紙を広げているからだろう、小テストという名目上話しかけられない先生がわたしの前で何度目かのため息をついた。担当の先生のこだわりで毎時間前回の授業のおさらい小テストを最初に実施しているけど、全部で10点満点のそのテストで私は40点以上とったことがなかった。
この小テストは放課後に再テストがある、残酷なものでこのテストの合格ラインは60点だ。
毎回テスト問題を考える先生も大変だし、指導意欲のあるいい先生だ、なんて問題が解けないあまりに現実から目をそらしていたけど、下を向けば理解できないままの数字や記号が視界に入ってくる。
中学のころから苦手だな、と思っていた数学が高校に入ってからはことさらにできなくなっていた。このままじゃもうすぐ迫っている初めての中間テストでは、どんな点をとってしまうか不安だ。
「じゃあ、回答やめてとなりの席の人と交換して。」
なんとか記憶の片隅にあるそれらしい数式に数字をあてはめてややこしい計算を終えて答えを出し、となりに座るクラスメイトにテスト用紙を手渡す。
先生が1人ずつ採点していたんでは、放課後までにすべてのクラスの採点が終わらないし、すぐ答え合わせをすることで自分がなぜ間違ったかわかるからという理由でこうして毎回となりの席の子と交換して丸つけをするけど、今月に入って1週間に4日ある数学の授業のたびにわたしのテストにバツをつけるという仕事をこなしてくれている少年は、わたしの苦笑いを受け止めて同情したように口の端をあげた。
読み上げられる答えに合わせて交換でやってきた彼の解答に丸をつけていく。どうして同じ年に生まれて同じ学校に通い、同じ授業を受けているはずなのにどうしてこんなに解答には差があるんだろうか?彼のテストは10問中9問正解、つまり100点満点中90点だ。わたしにはわかりようもないことだけど、間違えた1問もきっと計算ミスか何かなんだろう。
「はい、今日もすごいね。」
わたしは努めて明るく少年にテスト用紙を返却する。
「ありがとう。山崎さんも…その、おつかれさま。」
きっと気をつかってくれているんだろうクラスメイトの優しさに感謝しながら手の中に帰ってきた紙を見つめる。さっき私が書いた大きな赤丸とは違って申し訳なさそうに問題番号につけられたバツ印が目に入って、さっきまで手元にあった解答が自分のものだったらどんなに幸せだろうかと想像しながら目を閉じた。
「放課後の再テストは視聴覚室でやるから、60点以下の人は出てください。」
授業中に雑談になるとよく「もう後数年で定年退職だ」とおだやかに笑う、慈愛深いと評判の先生の言葉がどうしてこんなに胸につきささるんだろうか。わたしが署名した横にある赤色の数字は篠山くんが遠慮して小さく書いてくれたんだろうけど、はっきりと2の文字とゼロの文字が並んでいた。あー、50点だったおしい!とか計算みすって間違えた!とか後ろから聞こえる同級生の声を聞きながら、おしくもなんともないわたしに隙はない!と再び現実から目をそらした。
「ほんとうに苦手なんだね。」
「え?」
一番うしろの席の生徒がテストを回収してくれて、先生に手渡すとそれを先生が数えている間はみんなの息抜きタイムだ。隣の数学天才少年・篠山くんがこちらを向いて声をかけてきた。
「あ、うん。苦手っていうか…ぜんぜんわからなくて。」
篠山くんには毎回点数を知られてしまっているのでははは、と乾いた笑いを返すしかない。隣の席になってまだ1カ月とたたないけれど彼はなかなか優しいので別にからかうような目的で言ってるんじゃないとわかってしまうからなおさら笑うしかない。だけどわたしとしては同情するならお前の頭分けてください、というレベルなのでひがんでしまう気持ちがむくむくと沸いてきた。
わたしだって、授業中に眠たくなることはあるけどそれはみんなあることだし、ノートも黒板に書かれてあることだけじゃなく先生が口頭で説明しただけのものもメモしている。なのにどうしてこんなに数学が解けないんだろう?
「良かったら、教えようか?」
「えっ?」
「数学、俺けっこう得意だから。」
篠山くん、いい人なのに嫉妬してごめんなさい。
さっきまでの心の中での悪態に謝罪しながら私がうなずくと、篠山くんはすこしほっとしたように口元を緩める。
「で、そのかわりに…」
「じゃあ、授業を開始します。」
そのかわりに?篠山くんが何かを言いかけるとテスト用紙が人数分あったらしく先生の声が通常授業の開始を告げる。せめてテストの点が悪いんだから心象だけは良くしておかないとと思っているわたしはすぐに前を向いて教科書を開いた。
数学があれだけできる人に教えてもらったら、わたしでもちょっとは数学と仲良くできるかもしれない。
わたしにとって長かった授業時間が終わり、先生が教室から出ていくと隣の篠山くんが椅子をひいてこちらを向くのが分かった。
「山崎さん、さっきの話なんだけど。」
「あ、本当に教えてくれるの?知ってると思うけどわたし数学ぜんぜんだめで、大変だと思うよ。」
さっきは教えてくれるという言葉に浮かれていたけれど、よくよく考えたらわたしみたいな劣等生に数学を教えるのはなかなかの困難だ。席が隣になったというだけの彼にそんな難題を押し付けていいんだろうか。
「いいよ、全然。そのかわり、俺に古文教えてくれない?」
「古文?」
予想外だったけど、なんとなく理解した。もともと国語が得意なんだけれどこの前の古文の小テストでわたしは運よく満点を取った。そのときも交換採点だったから、篠山くんはその点を見てこの申し出を言ってくれたんだろう。でも篠山くんのそのときの小テストも、そんなに悪くなかったように記憶している。きっとそんなにできないわけではないんだろうけど、ちょっと苦手という感じなんだろうか。全然そんなそぶりもなかったから気付かなかったけれど。
「山崎さん古文すごくできてたから。俺、どうしても苦手で。お願いできない?今日の再テスト後とか。」
神様はなんて上手に席を配置したんだろうか、数学ができなくて国語がちょっとできるわたしと数学がすごくできて国語が苦手な篠山くんを隣にするなんて。いやむしろ篠山くんが神様なんだろうか。
うれしくて、うなずこうと首を振った瞬間、上から声が振ってきた。
「陽菜、また再テスト?」
「総ちゃん。」
自分の席に座ったまま後ろを振り返って顔をあげると、総一郎が眉間にしわをつくってこちらを眺めていた。
「うん…でも再テスト受けるの今日で終わりかもよ、篠山くんに教えてもらうから。」
どうだ、と胸を張って言えることじゃないけど胸を張って言ってみると総一郎はより不機嫌そうに相変わらずかわいらしい顔をゆがめてこちらを見おろした。きっと篠山くんのことを不憫に思っているんだろう。
「そのかわりに、わたし古文を教えるの。ギブアンドテイク!」
言いわけを付け加えるように、篠山くんへの罪滅ぼしを宣言する。
「お前、古文感覚で解いてるじゃん、教えるとか無理だろ。やめとけよ。」
総一郎はわたしにそう言いながらなぜかこちらに背中を向けて篠山くんの机の間に立った。たしかにわたしは国語が得意だって言っても、現代文でも古文でもなんでもカンに頼っているところがあるので、人になんでこの答えになるの?って聞かれてもなんとなく、としか答えられない。
「そっか、たしかに無理かも。篠山くんせっかくなのにごめんね。」
確かに、と納得してしまったので、総一郎の影から顔を出して彼に謝る。せっかく数学が人並みにできるようになるチャンスだったのになあ、後はもう家庭教師とか学習塾に通うしかないんだろうか。
「え、あー…うん。」
総一郎ごしに篠山くんの返事が聞こえる。さすがの篠山くんでも呆れかえってしまっただろうか。数学が壊滅的にだめで、国語はカンだなんて。
「今度俺が教えてやるから、大丈夫だ。」
机の上に出しっぱなしだった数学の教科書をめくって数式が頭に入ってこないかと眺めていたら、いつの間にかこっちを振り返った総一郎が笑顔で言う。
総ちゃんが優しいなんて、なんだか不気味だと思ったけれど。どうせこの言葉も今日のお昼には忘れて、数学教えて!なんて言った日にはなんで俺が陽菜に、とか言われてしまうとわかっていても、とってもうれしいのでうん、うん、と何度もうなずきながらうつむいたまま教科書を読んでいるふりをしてにやける頬をごまかした。
「あ、そうだ英語の予習やってる?見せて。」
「それ言いにきたの?英語次だよ、早くうつして!」
思い出したように総一郎がはっとして手を出した。よく見ればもう片方には総一郎の英語のノートが握られている。きっと写しに来てわたしと篠山くんの会話をきいて口をはさんだんだろう。
たとえ一瞬でも、総ちゃんがわたしのためにってひとかけらでも言葉をくれるんなら、それはずっとずっとわたしの宝物になる。
久しぶりの更新になってしまいました。
あれ、総一郎ってこんな感じだっけ?
という感じになってしまいましたが。
それと、この小説に評価をいただきました!
10点満点の点数だと思って
こんなにもらえた、ひゃっほー!と喜んでたんですが、
5点満点中だと知ってこんな高得点をもらって恐縮です。
お気に入り登録してくださってる方、読んでくださった方
みなさんありがとうございます。
全然お話に進展がなくて申し訳なく思います。
また近いうちに更新したいです!
よろしくお願いします。