バスタオルの用意もします
総一郎の家でデリバリーしてもらったピザと、台所を借りて私が作ったオニオンスープを食べ終え、総一郎はソファに座ってテレビを見ている。わたしはテーブルの上の食器やピザのゴミを片付けてテーブルを申し訳程度にふきんで拭う。
テーブルをふいたふきんをシンクでかるくゆすいでから、漂白剤にスポンジと一緒につける。この除菌をしないとどうしても汚れているような気になってしまう。自分の部屋なんかはなかなか片付けられないのに、変なところで几帳面なA型だなと自分でも思う。
「コーヒー飲む?」
手をハンドソープで洗い、総一郎に声をかけるとテレビを見たままの頭がこくりと揺れた。その返事を見届けてから、自分の家にはない某コーヒーメーカーのカプセル式のバリスタマシンのスイッチをいれる。マシンが初期起動している間に冷蔵庫から牛乳を取り出して隣に置いてあるミルクフォーマーの容器に半分ほどそそぎ、そちらもスイッチを入れる。ミルクフォーマーが止まったので、棚から出した大き目のカップに泡立った牛乳をゆっくりとそそぐ。総一郎はミルクがない方がいいと言うけれど、カルシウムのためにもいつもいれている。こだわりの強いおばさんの趣味が反映されているのか、色とりどりのコーヒーカプセルが縦長のケースにそれぞれ整列されている仲中から、総一郎がいつも飲んでいる緑色のカプセルを取り出しでバリスタマシンにセットする。
真っ白だったカップの中に一筋の柱がうたれるようにコーヒーがそそがれる。表面上はほとんど白いままだけれど、中身の半分は黒くなっているはずのそれをテレビを見ている総一郎のところまで運ぶ。
「はい、どうぞ。」
「……ありがと。」
カップにふんわりと盛り上がった牛乳を見たからだろう、総一郎は一瞬眉をひそめたけれど素直にそれを受け取って口元にはこぶ。
「あー、おいしい。牛乳入ってるど!」
唇についたミルクの泡をぺろりと舐めながらこっちを向いて笑う。その笑顔にほほ笑みかえしてわたしはキッチンに戻り、漂白剤についておいたふきんとスポンジに水道を向けて蛇口をねる。念入りに洗い流してからふきんをぎゅっと水切りしてシンクについてあるホルダーにしまい、ふきんもしぼってタオルハンガーに干す。シンクをかるく流してからふう、と息をつく。
「総ちゃん、わたしそろそろ帰るね。」
時計を見るとちょうど8時をすぎたところだった。いつもはこの後一緒にテレビを見たりして、もっと遅くまで居座るけれど、最近頻繁に総一郎の家にいるのでうちの母親があまりいい顔をしない。
「え?なんで、まだいいじゃん。」
ソファに半分寝転がるような体制だった総一郎がぐるり、と体を反転させて起き上がる。唇をゆがめてぶすっとした表情もかわいらしくてわたしは思わず笑ってしまう。
「最近帰りが遅いって、うちのマミーが。」
「おばさんかー……今日泊ると思ってたのに。」
総一郎の家にはよく泊るので、わたしのパジャマや制服のシャツ、そして下着まで一式置いてある。もちろん総一郎はそれがとこに収納されているかは知らないけれど。
もう高校生なんだから、と口うるさく言うのはお母さんだ。仕事と人づきあいが大好きで家のことをあまりしない、家族にはそこそこ無関心な人だけれど、近頃の頻繁な外泊にはめずらしく母親として口をはさんできた。
総一郎が泊るように言うのは、おばさんが出かけて帰ってこない日が多い。総一郎のお父さんはあまり家に帰ってこない。4つ上のお姉さんは去年から遠くの大学に入学したので、一人暮らしをしている。最近、というか総一郎が高校生になったころからおばさんは家を空けることが多くなった。「陽菜ちゃんがいてくれたら安心よ。」とやさしく笑いながら近所の買い物では絶対に着ない、キレイなお洋服といいにおいのお化粧をして出かけていくおばさんを総一郎と一緒に見送り、おばさんにもらったお金で総一郎と晩御飯を食べる。
母親に似たのか、家があまり好きじゃないわたしは自宅に独りでも全然気にならないけど、ちいさな頃からおばさんやお姉さんに愛されて育った総一郎はきっと独りの家が好きじゃないんだろう。
「泊りはさすがに怒られそうだからやめとく。」
いつも泊る、と電話で連絡したら無言で通話を切る母親の表情を想像しながらわたしは首を振る。いくらあまり好きじゃない家庭でも、やっぱりわたしの家だから。いざ帰ったときに空気扱いされるとけっこうつらいものがある。
わたしの答えが不服だったのか、唇だけでなく眉までよせてこっちを見ていた総一郎がぷい、とテレビの方に向き直る。
「お風呂入ってきなよ、出てくるまで待ってるから。」
総一郎はまちまちと2,3度まばたきして考えてから、うんとうなずいて風呂場に脚を向けた。
せめて総一郎があとは寝るだけ!の体制になるまでは一緒にいようと思う。
総一郎が飲んでいたコーヒーのカップをキッチンに運び、かるくすすいでからさっき漂白したスポンジに洗剤をつけて軽く洗う。それを食器置きのかごに伏せてから、わたしは階段に向かって歩く。総一郎の部屋に行って、パジャマや下着を用意するためだ。もちろん総一郎の。
引き出しを開けて一番手前に入っていた下着と、寝巻を取って部屋を出る。さすがに靴下のようにまじまじとコーディネートする度胸はない。階段を下りてそのままリビングに戻らずにバスルームに向かう。脱衣所の扉をかるくノックして中にいる総一郎に声をかける。
「開けていいー?」
「おー?」
浴室にいるからだろうこもっているけど不思議そうな総一郎の声が返ってくる。自分がパジャマを持たずにお風呂に入ったことをわかっていないみたいだ。この前パジャマを忘れたときは腰にバスタオルを巻いただけの状態で出てきたのでびっくりした。
脱衣所に続く扉をあけると、半透明のドアの向こうに総一郎の影が見える。
「パジャマここにおいとくね。」
洗面台のスペースに寝巻と下着を置くと、また浴室から水音と一緒に声が返ってくる。
「ああ!忘れてた。ついでにバスタオルも出しといて。」
「はいはい。」
背伸びをして壁の上の方に取り付けてある棚からバスタオルを引っ張り出す。加藤家はみんな身長が平均以上だからこんなに棚の位置が高いんだろうか。
取り出したバスタオルからふわりと香るのは柔軟剤のにおいだ。総一郎の制服からいつも香っているのとおんなじで、心地いい。なんていう柔軟剤か今度おばさんに聞こうと思う。
そんあことを考えながら総一郎のお風呂上がりセットを準備してわたしは脱衣所を出た。キッチンに戻るとすぐに冷蔵庫を開き、ミネラルウォーターの入ったペットボトルを取り出す。食器棚からグラスをひとつ取り出してそこにお水を注ぐ。それを一気に半分くらい飲んで息を吐いた。一息ついてからまたグラスを傾けて喉をうるおしていると、お風呂場の扉が開く音がした。わたしと比べたら半分か4分の1以下だろう総一郎の短い入浴時間が終わったみたいだった。今飲みほしたグラスにもう一度よく冷えたミネラルウィーターを注ぎながら、総一郎の髪の毛を乾かすためのヘアドライアーが、総一郎の部屋に置きっぱなしなことに気付いた。
総一郎の部屋で髪の毛を乾かしてあげようか、と一瞬考えたけれど、総一郎と一緒に部屋に行けば帰り辛くなるだろうと思って小さく首を振る。
総一郎はいつも髪の毛を乾かさないので心配だけど、ちゃんと自分で乾かすように念を押して帰ろう。
リビングに座らせて髪の毛の水分をあらかたタオルで拭ってから帰ってもいいだろう。こんなに悩むくらいなら泊れば良かった、と思うけれど。
本当は母親に文句を言われたせいで泊らないんじゃない。
放課後に見た結香と楽しそうに話す総一郎を思い出すと泣きたくなるような気分になるから、きっとこの見苦しい感情は嫉妬なんだろう。
泊らない、って言ったときに総ちゃんが不機嫌になってくれてうれしかった。こんなに好きなのに、幸せにしたいのに、総ちゃんにさみしい思いをさせることで安心している。
前話から時間あいてしまいました!