世界を敵にまわしても
今日のお昼はなにを食べよう。
早起きの苦手な母親がお弁当を用意してくれるわけもなく、同じく早起きが苦手なわたしがお弁当を作れるわけなくて今日もわたしは学食だ。うちの学校の学食はパートのおばさんが作ってくれているんだが、なかなかおいしい。家庭の味に飢えている独身の先生たちもよく利用している。
今日の日替わりはたしかソースカツ丼だったから、昼休みじゃあもう食券は残っていないだろう。スタンダードなメニューの中から選ばなければいけない。
食堂まで続く廊下を結香と歩きながらわたしは財布片手に頭の中に学食のメニュー表を思い浮かべてみた。
「今日も真剣に悩んでるのね。」
わたしが今日食べるものを悩んでいるのが分かったんだろう、結香が歩きながら言う。
「結香は何食べるかもう決まったの?」
食堂に近づくにつれて今日の日替わりメニューのソースカツ丼のソースの香りがただよってくる。食べられないとわかっていると、食べたくなるのが人間の性だ。
「今日はカレーにしようかな。」
うーん、と少しうなってから結香が答える。食堂のカレーはけっこう辛くて、初めて食べた日に残してしまってからは食べていない。カレーおいしいけど、辛くて食べられなくてすいませんってあやまったら食堂のおばさんがだんだん味を辛口から甘口に移行してあげるからね!と言ってくれたので楽しみにしている。
「カレーかあ、わたし何にしようかな。」
結香の意見をきいても結局決まらなくてわたしはタメ息を吐く。こうなったら食券を買う直前まで悩み続けて寸前に決めるプレッシャー決めをやろう。
よし、と決心したところで食券の列の最後尾に並んだ。お昼の前の授業が早めに終わったおかげで、けっこう早く食堂に着くことができた。見慣れた食堂のメニュー表を見て思わずわたしの口からうう、と小さく声が漏れてしまう。
「きのうは何食べてたっけ?」
「きつねうどん…のきつね抜き。」
結香の問いにメニュー表を眺めながら答える。ああ、そうだった、素うどんになったんだよねと結香が笑う。きのう食べようと思ったきつねうどんは、好きだから最後に食べようと思って残していたあげを奪われてただの素うどんになってしまった。
「お、陽菜はっけん。」
きのうのきつねを奪っていった人がわたしのうしろから声をかける。振り返ると、総一郎と瀧川くんが立っていた。もちろんあげを食べたのは総一郎の方だ。
「瀧川くんに総ちゃん、今日何にしたの?」
参考までに教えてください、と先の休み時間に食券を買っているんだろう2人の手元を覗き込む。これ、と見せられた2枚の食券には両方「ソースカツドンブリ」と記されていた。もちろん売り切れのそのメニューじゃ全然あてにならない。いいなあ、ソースカツ丼。
「陽菜なににするか決めてないのか?」
わたしの盛大なタメ息をきいてか、総一郎がわくわくした様子で言う。総一郎が良くないことを思いついたときの悪い笑顔を浮かべている。
「じゃあさ、カレーにして。俺今日カレーも食べたかったんだ。」
な?とにっこり笑った総一郎だけど、わたしが学食のカレーが辛くて食べられないことをわかっていて言うんだからたちが悪い。でも総一郎が言うんだからしょうがない、わたしがはいはい、と返事をしようとしたとき結香が口をはさんだ。
「私、カレーにするつもりだったからちょっと分けてあげる。陽菜は辛いの苦手だから可哀想。」
少し怒ったように言う結香に、またこそばゆい気持ちがわきあがる。わたしは少しうれしくなってしまって、結香の腕に自分の腕をまわしてへへ、と笑った。
「川島は陽菜に甘すぎ!」
こいつの甘党を直さないと!と怒っている総一郎は瀧川くんになだめられながら丼ものの受け取り口の方に歩いていった。結香は満足げにそれを眺めている。
「今日はエビフライ定食にする!」
結香の腕に巻きついたまま、わたしは宣言する。いいね~とほほ笑む結香は、わたしを褒めるように頭をなでてくれた。結香はわたしが総一郎のわがままをきいていることをヨシとしない。自分を犠牲にしてまで相手に尽くすことが悪いことだとは言わないけれど、その相手が問題なんだそうだ。
一緒に食券を受け取ると、それぞれの商品に引き換えてもらう。うちの母親はあげものの後片付けが嫌いなので、なかなか家では揚げたてのあげものを食べる機会がない。食堂は貴重なチャンスだ。
大ぶりではないけれどカリっと上がっていることが見てとれるエビフライと、ミニサラダ、オニオンスープ、ご飯が乗ったお盆を持って一足先に席に着いていた総一郎や結香の元に向かう。みんなそれぞれの食事の前で学校生活1番の楽しみとも言える時間を待っていた。
「お待たせしました。」
結香の隣に座ると、すでに箸を持っていた総一郎がいただきますと言うか言わないかくらいの間でソースカツ丼を食べ始めた。ご飯をおいしそうに食べる総一郎は本当に愛らしい。夢中で食べているこのときだけは無害だ。ほかのみんなもそれにつられたように軽く合掌してから箸をすすめる。わたしもミニサラダのプチトマトに箸を伸ばした。
「はー、うまかった。」
ソースカツ丼を食べきった総一郎が丼ぶりを置いてお茶を飲む。総一郎の隣を見ると瀧川くんも食べきるところだった。結香のカレーも残り少なかったのでまだエビフライを2匹の内1匹残しているわたしは少し焦り始める。
「陽菜、もうお腹いっぱいだろ?」
突然目の前に伸びてきた手はわたしのメインディッシュからエビフライを引き抜く。あ、と思ったときにはそれはもう半分総一郎の口の中に入っていた。
「わたしのエビフライ!」
そうつぶやいたときには、総一郎の口から出ている部分はしっぽのところだけだった。結香が口を開いたままかたまり、瀧川くんもめずらしく目を見開いて驚いている。総一郎はにこにこと笑って、しっぽの部分をわたしの皿に戻した。
「陽菜からもらうエビフライはうまいな!」
きのうのあげのときも同じようなことを言っていたなあと思いだす総一郎が多少なりともよろこんでいるならいいか、と納得してわたしも残りのご飯を食べきる。
「ちょっと、何も言わずに食べるのやめなさいよ!」
「総、エビフライはだめだろ。」
結香と瀧川くんが総一郎を責めるのを笑いながら止める。“わたしからもらう”エビフライがおいしいと総一郎が言ってくれるなら、全部あげたって全然平気だ。きっと結香に言ったらちょっと怒られてしまうんだろうけど。
やっと2人を納得させられて、ほっとしながら総一郎に視線を向けると、2人に責められたからか拗ねたように唇をとがらせている。その視線がこちらを向くと黒目がちな瞳がわたしを見つめる。総一郎の目は何かを確かめようとするように、じっとこっちを見ていた。さっきまでの傲慢な態度から一転して、まるで親から引き離された子犬のような目をしている。
言わないといけない、伝えてあげないといけない。
「総ちゃん、大丈夫だよ。」
わたしは総一郎に精一杯の笑顔を向けた。
心配してくてもわたしはいつも総ちゃんの味方でいるのに。どうやったらそれをわかってもらえるんだろう。
そんな哀しい顔をさせるくらいなら、わがままを言われていた方がずっといい。
総ちゃん、全力でやなやつ。