敬称はサマで
「陽菜、今日も快速で来たの?満員だったでしょう。」
椅子に座ったまま声のする方に顔を向けると、わたしの制服の襟を直してくれる川島 結香の手が目に入った。結香は高校に入ってからなので出会って1カ月ほどだけれど、とても仲良くしている。肩の位置で切りそろえられたまっすぐな結香の髪の毛がさらりと揺れる。細くてからまってしまう、と本人はよく嘆いているけれど、父に似たひどいクセ毛でそれをパーマと朝のコテでごまかすように巻いているわたしにはうらやましい話だった。
「ほんとは、一本早いのに乗りたいんだけどね。」
今日の1時間目は英語なので、教室を移動しなくてもいい。ホームルームが終わってみんな思い思いに席を立って集まりおしゃべりをしている。そんな中から廊下で何人かの男の子にかこまれて笑っている総一郎に視線を向ける。
「ああ、“総ちゃん”、ね。」
わたしの視線をたどったのか、結香も総一郎の方を向いて笑う。これも?という風にゆるんで崩れた髪の毛を長い指でつまむ。手の大きさって身長に比例するんだろうか?すらっと身長の高い結香は大人っぽい手をしているのでうらやましい。わたしと言えば、手のひらを広げて見せれば子供の手みたいだと笑われたことは少なくない。
「家を出たときはいい感じにふんわりしてたんだけどね。」
総一郎から視線をはずしてため息を吐くと、結香はくすくすと笑った。今まで同級生の中でも「しっかりしている」と言われていたけれど、結香はそんなわたしをこってりと甘やかしてくれる。初めて味わう感覚にちょっとくすぐったいような恥ずかしいような気持ちだけれど、なんだかうれしい。
ちょっとお手洗いに行って来る、と結香は教室を出ていく。一緒に行こうなんて絶対言わないところがさばさばしていて好きだ。
次の授業の英語は、確か予習しないといけない範囲があった気がする。一応はまとめてあるけれど、この席は授業中に当てられる頻度がすごく高いので、きっちりやっておかなければいけない。もう一度目を通しておこう、と思って机の脇にかけたかばんに手を伸ばすと、わたしの机の近く立っているに大きな足が目に入った。
かかとを踏んで上履きをはいている総一郎の足とは違って、大きいけれどサイズのきっちりとあったキレイな上履きをはいているその足。顔をあげなくてもその持ち主が分かった。
「どうしたの?」
「山崎、今日委員会の集まりがあるんだけど。」
顔をあげてすぐやっぱりな、と思った。大足の男の子の名前は同じクラスの瀧川 優司だ。瀧川くんとわたしは一緒にクラス委員をやっている。入学式の後のホームルームで他薦によってクラス委員に決定された、まあ簡単に言うなら押し付けられた瀧川くんを見て、人がいいんだなあと思った。大きな体のせいだけではなくて、口調や醸し出す雰囲気がこう、包み込んでくれるとかいうんだろうか、一緒にいると安心させてくれる。後から聞けば中学生の頃からこういったまとめ役をしてきたらしい。先生受けのいい滝川くんがよく何かを頼まれているのを見ることがある。わたしは、高校の委員会なんて他人事だと思ってのんきに瀧川くんって子、不憫だなあとか考えていたら、総一郎の「副委員長、陽菜がやれば?お前中学のときよくやってただろ。」っていう大きなコソコソ話が先生はもとよりクラス中の耳に入ってしまい、今に至る。
今まで、総一郎の世話をしてきたわたしにとって、こんなに落ち着いた同い年の男の子は出会ったことがなかったので、瀧川くんとの出会いは新鮮だ。
「あ、委員会って今日だっけ?瀧川くん部活あるよね、大丈夫?」
たしか瀧川くんは水泳部で、最近かなり早めのプール開きをしたと言っていた。委員会とはいえ1年生が遅れていくのはよくないだろう。
「顧問には一応伝えといたから大丈夫なんだけど、最初の準備だけ手伝っときたいんだ。それで山崎には悪いんだけど…。」
「じゃあわたし先に言って、話聞いとくよ。」
ごめんな、とプールの塩素のせいか生まれつきなのか色素の薄い短い髪を申し訳なさそうにかく瀧川くんを見て、苦労性なんだろうなあとこっそり思った。総一郎のぱっちりとした目とは違い、すっと切れ長の目が優しく微笑む。自分の上に兄弟のいないわたしは、お兄ちゃんってこんな感じなんだろうか?と想像をめぐらせる。
「瀧、今日の昼って学食?」
聞きなれた声が瀧川くんを呼ぶ。面倒見がよくてとっても優しい瀧川くんのことは、総一郎はとっても気に入っている。前に、ああいう優しい人にわがまま言われたい。ってわたしがこっそり言ってみたら、瀧川くんがわたしのアブナイ性癖(って総一郎は言っていた)の餌食になるのを阻止しなければならない!と息巻いていた。総一郎曰く、わたしの優しさは人をだめにする優しさなんだそうだ。俺がその証明だ、と胸をはっていたのであながち間違いではないのかもしれない。
「ああ、今日弁当ないから学食。総もか?」
わたしの机の前で瀧川くんが総一郎を振り返る。窓際で友人と話していたはずの総一郎がすぐ近くまで歩いてきていた。
「うん、学食行く。次の休み時間食券買いに行こーぜ。」
うちの学校の学食は食券制だけど、毎時間の昼休みにも食券を発売しているので人気メニューや数に限りがあるメニューは早めに行かないと食べられない。
「総ちゃん、お弁当は?」
わたしはふと思い出して首をかしげる。さっきおばさんのお弁当を総一郎に手渡したはずだ。
「朝飯に変わりにさっき食べた。」
ブレザーの上からおなかをさすりながら総一郎は言う。こんなほっそい体にどうやったらそんなスピードで食べ物が入っていくんだろう。
「そっか、朝食べてないもんね。」
生涯、成長期だ!とうらやましいことを豪語している総一郎は特に高校生になってからよく食べるようになった。それがそのまま縦に伸びるんだろうからうらやましい。
「総ちゃん、早起きして朝飯食えよ。」
瀧川くんがからかうように総一郎の肩に手をおいて言う。わたしのマネをしたんだろう“総ちゃん”という呼び方が気に入らなかったのか、さほど手入れなんてしてないはずなのにキレイな眉が器用に左だけつりあがる。
「その総ちゃんってのやめろ、…陽菜も。」
瀧川くんに言い返していた総一郎の不機嫌の矛先をむけられてわたしは一瞬答えに窮した。総ちゃんと呼ぶななんて言われたのは初めてだ。総ちゃんとしか呼んだことがないのに、なんて呼べばううんだろうか?加藤くん?わがまま王子?子供がかまってくれなくなった親ってこんな気持ちなんだろうか。
「みんなで集まって何話してるの?」
しょんぼりとしたわたしの心を読んだように帰ってきてくれたのは結香だ。
「総ちゃんが、総サマって呼べっていうの。」
全部きこえてたんだろう結香は、そんなわたしの冗談をきいて目を細めた。総一郎に遠ざけられたような気がして落ち込んでいた気持ちがちょっとまぎれて楽になる。
瀧川くんも笑いをこらえるように口元に手をあてていて、総一郎は本当に呼べよ、と笑う。総サマ、と呼べっていうならわたしは全然呼ぶけれど、きっと恥ずかしい思いをするのは総一郎だ。
授業開始を知らせるチャイムが鳴る。結局英語の見直しができなかったので当たりませんように!と願ってみたけど、端から順番に回答を、という理由で一番最初にあてられた。結局その授業中には教室の1番端の総一郎のところまで問題がまわっていなかった。今度また続きから、と先生は言っていたが、どこまで回ったかなんてきっと忘れてまたわたしを当てるんだろう。
席替えで3か月連続で一番前の席になったことがあります。