第八十九話 狭間市の長い一日 アル・アジフ
貴族派が進攻してくる。姿は様々であり人と同じ姿のものもちらほら見受けられる。
彼らが目指しているのは狭間市市民が避難している避難所区域。そこに行くまでには頑固なバリケードがいくつもあったが、貴族派はそれらを破壊していた。先頭に立って指揮しているのはクライン。
「ふっふっふっ、人間共め。我らよりも下等な存在でありながら反抗しおって。皆殺しだ。『ES』だろうが我の前には雑魚同然よ」
「ほう、それは自信過剰というものではないかの?」
クラインはその声に空を見上げた。そこには魔術書を開いているアル・アジフの姿がある。
「これはこれは、『ES』穏健派代表のアル・アジフ殿ではありませんか。大人しく『ES』を下げれば我らはあなたを敵とは思わないでしょう」
「こういう状況でそういうことを言うのか。そなたは哀れじゃな」
アル・アジフが腕を横に振る。
「我が名はアル・アジフ! 全ての魔術書の原典にして超越する力を持つ者! 市民には一歩も手は出させぬ。我がここでこの道は食い止める」
「あなたが止めたところで、他の者は別ルートを通っていきますよ。食い止めたところで何ら影響はない。デーモン隊、アル・アジフを落とせ。地上からも支援砲撃を」
空からアル・アジフに向かってデーモンが襲いかかる。それを見たアル・アジフは少しだけ笑ったようにクラインから見えた。
魔術師は接近戦に弱い。それは世界にいるあらゆるに共通する言葉だ。だけど、アル・アジフみたいな魔術書の原典がただ魔術を極める作業をするわけがない。
デーモンの槍を避けたアル・アジフはそのまま腕を振り切った。空中にいたデーモンが六体ほど同時に体の半ばから裂ける。アル・アジフの手から出ているのは光の刃。
「我がただの魔術師だと思ったか? たわけめ。我はただの魔術師ではない。最強の魔術師。接近戦もお手の物じゃ」
「だが、限界はあるはずだ。息つく暇なく」
「わかっておらぬの」
アル・アジフは魔術を発動させた。たったそれだけでアル・アジフに襲いかかったデーモンが全ていなくなる。蒸発したと気づくには少しの時間がかかった。
「我を倒したければエルノアを出すのじゃな。我は、ただでは負けぬよ」
「くっ、人間風情が。闇に呑み込まれろ!」
クラインはいくつもの魔術を同時に展開しアル・アジフに放つ。アル・アジフは反射的に魔術を発動しようとした。だが、クラインの魔術属性は闇。速度は遅いが吸収能力がある。さらには他の貴族派も魔術を放ってきていた。
さすがにこれはアル・アジフも対抗しにくい。だから、アル・アジフは地上に降り立った。
クラインや貴族派の誰もが動きを止めてアル・アジフを見ている。
アル・アジフは静かに魔術書を開いた。
「我が呼び声に答えよ。我が剣よ」
アル・アジフが開いたページから一本の剣が現れる。アル・アジフはそれを引き抜いた。
剣の形は特徴的で刃が波立っている。言うならフランベルジュ。
「我が魔術によって打った剣じゃ。並大抵の攻撃で倒れるも思うなよ」
「な、なんとでも言うがいい。そんな剣一本でこの軍勢に勝てるとは思うな。我らにはまだ切り札が存在している」
「切り札か。我はすでに出しておるよ。『ES』穏健派の切り札を。さて、ここを通りたければ我を倒せ」
「いいだろう。全軍、突撃!」
クラインの号令と共にアル・アジフに向かって貴族派が殺到する。最初に到達するのはヘルハウンドの群れ。
アル・アジフはしっかりフランベルジュを握りしめた。そして、地面を蹴る。
「纏え、炎!」
フランベルジュを炎が纏い、アル・アジフはそれを振り切った。ヘルハウンドの群れが一瞬で炎に包まれ、肉の焼ける臭いが周囲に漂う。でも、敵は止まらない。
一歩後ろにステップを取りながらアル・アジフはフランベルジュを振り上げた。
「纏え、雷!」
振り下ろすと共に作り出された雷が貴族派に襲いかかった。アル・アジフは地面を蹴る。
クラインは必死に『影写し』を使おうとしているが、アル・アジフの動きにクラインがついていって無かった。
『影写し』の弱点をアル・アジフがわかっているからこその行動。だから、クラインは走り出す。アル・アジフを抜けて、貴族派を見捨てて。
「なっ、そなた! くっ」
アル・アジフがそれに気づくがオーガが振った斧を受け流すのに集中する。確かに作戦としては悪くない。だけど、
「邪魔じゃ」
指揮官が見捨てた部隊ほど敵味方共に目障りなものはない。
アル・アジフは距離を取って魔術書を開いた。
「四天の輝き、蒼天の剣。汝は世界の剣なり」
迫り来る貴族派を相手にしっかり詠唱を終わらせたアル・アジフはフランベルジュを近くの地面に突き刺して手を掲げた。
「グラディウス!」
そして、凄まじく巨大な剣が貴族派の群れを両断した。衝撃波だけでも魔物は吹き飛ばされ、人型は四肢が砕ける。もちろん、直撃した場合は跡形もなく消え去っている。
アル・アジフはフランベルジュを抜いた。
今の攻撃で相手の戦力はかなり削れたがまだ多いことに変わりはない。だから、クラインを追いかけることは出来ない。
アル・アジフは小さく息を吐いた。
「これ以上、いかすわけにはいかないの」
アル・アジフの視線の先には上位の魔物がいるからだ。魔物は実力や種族によって下位と上位に分けられる。アル・アジフの視線の先にいるのは翼竜やトロルといった一筋縄では倒せない敵。
本当ならアル・アジフも魔術を掃射して消し去りたい。でも、どれだけ長期戦になるかわからない以上、したくても出来ない。
「纏え、氷!」
群がってくる生き残りを全て凍らせて、アル・アジフは空に飛び上がった。アル・アジフに気づいた翼竜が速度を上げる。
翼竜は魔界最大の生物であるドラゴンが退化した存在だ。退化したと言っても数が集まればドラゴンを落とすことが出来る。
翼竜の数は12。光がいればレーヴァテインコピーの斉射で消し去るだろうが、アル・アジフは魔力を使いたくないから出来ない。
「纏え、風!」
フランベルジュに風を纏わせてアル・アジフは翼竜に斬りかかった。だが、翼竜はその刃を簡単に避ける。しかし、その体に無数の傷がついた。もちろん翼にも。
その翼竜は飛ぶ力を失ってその場に落下する。下にトロルがいたら押し潰せたのだが、あいにくそこまで進攻していない。
翼竜を全て落とすより早くトロルがアル・アジフが守る地域を抜けたら厄介だ。
アル・アジフが魔術書を開いた瞬間、翼竜が何かに気づいたように一斉に空に飛び上がった。だが、そのいくつかは無理やり軌道を変えられた弾丸によって翼を打ち抜かれ落下する。
「これは、浩平か!?」
『アル』
アル・アジフの前に画面が現れてリースの顔が映された。
「何かあったのか?」
『空の戦力は私達で引き受ける。だから、地上をお願い』
「しかし」
アル・アジフが見る限り空の戦力はかなり多い。確かに浩平はかなりの実力者だが、この数は狙撃手が相手をする数ではない。
『お願い、信じて』
「了解じゃ」
アル・アジフはフランベルジュを握りしめて地上に降りた。次の相手はトロルの群れ。
「負ける気がしないの」
アル・アジフは笑みを浮かべていた。今頃、航空戦力は病院の屋上を目指しているに違いない。飛んでいる最中に撃ち落とされたなら確実に死ぬ。
でも、リースの言葉は自信に溢れていた。負ける気はないと。
「我の子供を信じずに勝てぬ戦いではない。それにしても、頼もしくなったの」
アル・アジフにとっては嬉しくもあり寂しくもあった。だから、ここは守りきる。
「いくぞ!」
アル・アジフは地面を蹴った。