第三百五話 陽だまりのある場所
瓦礫の上に足を乗せてゆっくりと上に登る。そして、瓦礫を登りきったらすぐに降りる。
僕が久しぶりに見た音界の首都は様変わりしていた。
壊滅的な被害を受けたわけじゃない。だけど、至る所に戦闘の痕跡が残るそこは完全に昔の面影が無かった。
「酷い、よね」
僕は小さく呟きながらも周囲を見渡す。
麒麟工房にいた間にここは一度大きな襲撃を受けたらしい。民間人への被害は皆無だったけど、復旧は全く進んでいない。
もうすぐ大規模な戦争が始まるからだろうか。音界の未来をかけた最終決戦が。
もし、僕達が負ければここは火の海となるだろう。今の状況なんて生温い、本当の地獄絵図。
「負けられないよね」
僕は小さく呟きながら歩き出す。
僕が、いや、僕達が首都に来たのは麒麟工房ではでは人手が足りなかったからだ。だから、悠遠の完成率は未だに20%を切っている。ただ、内部のシステムは完全に完成しているので装甲をどうにか出来れば最終決戦に間に合うかもしれない。
そんなギリギリの状況なのだ。だから、今、悠遠は整備場に行って急ピッチで最後の改造を行っている。
「僕は、勝たないといけない。勝たないと」
「お兄さん、辛気臭い顔をしているね」
突如としてかけられた言葉に僕は振り返った。そこにはみすぼらしい姿をしながらも活発そうな面影を持つ少女が腕いっぱいに抱えられたリンゴを持って立っていた。
僕が言葉を返せないでいると少女がリンゴを一個、器用に僕に投げてくる。
「そんな辛気臭い顔をしていると幸せに逃げられちゃうよ」
「君は?」
「ここスラム街の住人だよ。とは言っても、元々の人はみんな逃げだしたから私達くらいだけど。お兄さんこそ、どうしてここに?」
「僕は見に来たんだ。ここを」
そして、僕は振り向く。戦闘の痕跡が残る場所を。
「軍人さん?」
「そうとも言えるね。さっきまでこの首都から離れた場所にいたから伝聞としては聞いているけど自分の目で見ていないんだ」
「ふーん。物好きな軍人さんもいるんだね」
どうやら少女の中では僕は軍人で確定してしまったらしい。
「じゃあ、軍人さんには現実を見てもらおうかな」
「現実?」
「ついてきて」
少女が歩き出す。それを追いかけるように僕も歩き出した。
少女が言ったスラム街の中を僕達は歩く。響き渡るのは僕達が歩く音だけ。人の気配は皆無だ。あっても隠れているのかほんの微か。
もちろん、僕達を狙うような視線もいくつかある。僕というより少女をだが。
「お兄さんは気付いているみたいだね。さすがは軍人さん」
「ここの住人は逃げだしたんじゃないの?」
「逃げだしたよ。そして、逃げ出した先にいた人がここに逃げだしてきた。強盗目的や強姦目的の人もいるみたいだけどね。こんなスラム街でそんな目的のものなんてないのにね」
「そうかな」
僕はすぐさまそんな言葉を返していた。その言葉に少女が驚いたように振り返る。
「お兄さんはどうしてそう思うの?」
「だって、ここにはたくさんの思い出があるよ。例え貧しくても、ここではたくさんの人が笑い語らい歩んできた。僕の故郷と同じ匂いがする」
「お兄さんは本当に軍人さん? スラム街の住人は軍人にはなれないのに」
「そうなの?」
「うん。そもそも、この地域自体が首都の中でも問題となっている地域でね、ここにいる人達は誰もが市民権を持っていない。政府からすればいない人間なんだよ」
そういう話は人界でもたくさんある。『ES』の地域でも全ての人に『ES』の手が差し伸べられるかと言えばそうではない。どうしても限界がある。
周さんが言うには一人の人間が一日に助けれる人の量には限界がある。そして、人を助けれる人間よりも助けを待つ人間の方が多く、助けは待たないが助けることの出来ない人間の方が多い。だから、世界には助けを待つ人間が溢れる。どちらでもない人に紛れてしまっているから。
「だから、ここも救われない。私達は逃げられないからここにいるしかない。歩こうか、お兄さん」
少女が再び歩き出す。その背中を追って僕も歩き出す。
だけど、その後ろから追いかけてくる足音が三つ。訓練はしていないからそこらのごろつきだろうか。
「ねえ、お兄さん。もし、もしも私が襲われでもしたら、お兄さんはどうする?」
「助けるよ」
「即答するんだ。お兄さんは本当に軍人さん? 追いかけてきている数もわからないのかな?」
「そうだね。追いかけてきているのは三人。だけど、隠れているのは四人。待ち伏せているのは三人の合わせて十人」
「えっ? 十人も?」
「心当たりはあるの?」
「えっとね、おちょくって逃げまくっていたからそれかも」
多分それだろうね。大人に対して子供がそのようなことをした時、相手は本気で怒ることが多い。それで逆恨みされたのだろうか。
「マズイな。十人はさすがに逃げ切れないよ」
「大丈夫だよ」
僕は小さく息を吐きながら懐からナイフを取り出した。そのナイフを持ったまま手を上に上げて、そして、一瞬にして握りつぶす。もちろん、手からは血が出るけど。
その動作に後ろからの足音が止まった。
音界の住人からしたら素手でナイフを握りつぶすことなんて出来ないし、怪我を恐れることなく平然とそれをする姿を見れば誰だって躊躇するだろう。まだ来るなら、こっちはこっちでやれることがたくさんある。
「手品?」
少女が少しだけ青ざめた表情で尋ねてくる。僕は握りつぶしたナイフを近くの壁に当てた。ナイフは音を立てて壁にぶつかり地面に落ちる。
その音は完全に本物のナイフだった。
「本物だけど」
「お兄さんは何者?」
「歌姫親衛隊の一人だよ」
「わお、超エリート。でも、超エリートがどうしてここにって、ここを見に来たのか」
少女は軽く肩をすくめる。そして、近くの民家のドアを開けて中に入った。僕がそこに入るとその光景に思わず立ち止まってしまう。
そこにあったのはお墓。正確には崩れた家の中に四つのお墓があった。
「ただいま、お父さん、お母さん、シェーラ、クルト」
少女は腕に抱えたリンゴをそれぞれのお墓の上に置いて行く。
「お兄さんはさ、戦闘に巻き込まれて死んだ人を見たことがある」
「あるよ」
『ES』にいた頃は何度も見ていた。助けれた人もいたけど助けられなかった人の方が多い。何倍も多い。そんな人達を僕は見てきた。
どんな力があっても守れない人がいる。僕の力はまだまだ未熟者だったということを遭遇するたびに常に戒めてきた。
「みんなね、前の戦いの流れ弾に当たって瓦礫の下敷きになっちゃったんだ。泣いたな。一日中。でも、泣いてばかりじゃいられないかね。だから、こことは違う別の場所で共同生活しているの。私がここに来たのはリンゴを持ってくるため。家族全員大好きだったから」
「家族全員、か」
僕は手の中にあるリンゴを見つめる。
僕の本当のお父さんやお母さんは何が好きだったんだろうか? もし、僕が捨てられなかったらどうなっていたんだろうか? 家族の仲がよかったら今頃どうなっていたのだろうか?
現実味のないifを思わず考えてしまう。
「さて、私は帰るとするけど、お兄さんはどうする?」
「僕も戻らないといけないけど」
僕は振り返りながら小さく息を吐いた。
「全く。大勢で寄ってたかって恥ずかしくないの? あなた達は」
僕の言葉と共に六人の薄汚れた男達が現れた。その男達に少女の体が若干強張る。
「隠れていたつもりなんだろうけど、子供二人を襲うのに十人も動かす?」
「黙れ餓鬼。お前は見逃してやるからどこかに失せろ。俺達は後ろの餓鬼に用が」
「恥ずかしくないみたいだね。まあ、最近はフュリアスばかり乗っていたから久しぶりに体を動かすとしますか」
「何をごちゃごちゃと言ってやがる」
軽く体を伸ばしながら僕は小さく息を吐いた。そして、地面を蹴る。
瞬間的に強めた身体強化魔術を使って加速しながら男のこめかみに向かってジャンプしつつ踵を振り抜いた。
一撃で男を昏倒させながら動揺が広がるより早くもう空中に作った足場を踏みしめて回転しながらもう一人の男のこめかみを爪先で蹴り飛ばした。
一人目、二人目。
勢いそのままに体を前に倒しながら鼻の下を狙って肘を叩き込み一撃で再起不能にする。叩き込んだら前方宙返りするついでに踵で他の男の顎を蹴り飛ばす。
三人目、四人目。
着地してすぐに僕は少女に向かって地面を蹴る。それと同時に僕が昏倒させた四人が相次いで地面に倒れ込んだ。
ようやく残った二人の男が動揺する。
身体強化魔術を使っていなければ僕が何をしたかわからないだろう。僕は少女の手を取ると抱きかかえるように引っ張りながら上から落ちてきた男を迎撃するように足を振り上げた。
そして、最も効果的な股関を蹴り飛ばして悶絶させる。
五人目。
残りは五人だけど普通は手を出してこないはずだ。
だけど、前にいる男は懐から何かを取り出した。
「精霊召喚符!?」
僕は少女を抱きかかえたまま大きく後ろに下がった。
「舐めんな、餓鬼が。荒れ狂え!」
「仕方ない」
腕の中にいる少女が小さく呟いた瞬間、何かが突如として現れた。
それは女性。長い白髪をなびかせて颯爽と現れた女性の手には槍が握られていた。目にも止まらぬ速さで槍が振り抜かれ、その一閃で男が持つ精霊召喚符が断ち切られている。
「ごめんね、ティアーリア。急に呼び出しちゃって」
『全く。いつも気をつけてくださいと言ってるではありませんか』
「ごめん」
「精霊?」
僕の言葉に女性が振り返る。
『サラ。その少年は?』
「お兄さんのこと? 軍人さんだって」
「軍人だと」
精霊召喚符を断ち切られた男が目を見開いて僕を見てくる。
「どういうことだ。どうして俺達の邪魔をする。俺達はお前達に命令されて」
「はい、ストップ。それ以上は喋らない方がいいぞ。むやみやたらと子供は巻き込みたくないんでね」
「悠人、無事?」
男の言葉を遮るように上から声が降り注いだ。そこにはフレヴァングを構える浩平さんとそのそばにいるリースの姿。
リースは飛び降りてくると僕の近くまでやってきて僕の手を取る。
「怪我してる」
「これくらい大丈夫だよ」
「駄目。アルが心配する」
「ですよね」
「ところで誰?」
「いや、今更?」
それは真っ先に聞くことだよね。
「この餓鬼共が!」
声を張り上げ男が懐からナイフを取り出しこちらに向けようとする。それに対して精霊、ティアーリアが槍を向けた瞬間、ナイフが根本から撃ち抜かれていた。
浩平さんみたいな技術があれば向けようとするナイフに反応して撃ち抜く芸当なんて簡単だろうね。
「警告だ。それ以上何もするな喋るな動くな。悪いが俺は機嫌が悪いんでね」
「リース、何かあったの?」
「ラブホテル入ろうとしたら呼び出しくらった」
「それに対して僕はどんなコメントをしたらいいのかな?」
「せっかくコスプレ用の衣装を用意したのに」
「僕の反応は一切期待していないよね?」
「溜まってたのに」
「もう勝手にしてください」
これ以上は何も聞かない方がいいよね。
『サラ、無事ですね』
「うん。お兄さん達が守ってくれたから」
そう言いながら少女、サラはいつの間にか取り出していた精霊召喚符を懐の中に収めていた。
リースはそれを見て警戒した表情になる。
「私はティアーリアを使って戦うつもりはないよ。ティアーリアは大事な家族だから。政府が精霊召喚符を使わないようにお触れを出しているのは知っている。でも、精霊召喚符が無ければ生きていけない人間だっているんだよ。それでも、政府は精霊召喚符を回収しようとする?」
精霊召喚符は危険性もある。人界では何人もの人が精霊召喚符で亡くなっている。だから、回収すべきだろう。
だけど、僕は首を横に振った。
「ううん。君は精霊を悪い事には使わなさそうだから僕は回収しないよ。リース達は?」
「回収するつもりはない。それに」
リースがティアーリアを見る。ティアーリアは困ったような表情でリースを見ていた。
「今ここで戦えば、この場所は無傷ではいられない。死者の前で、陽だまりのあるこの場所の前でこれ以上眠りを妨げるわけにはいかないから」
「そうだね。というわけで、戻ろうか」
「本当にいいの? 後悔するよ」
サラのその言葉に僕は苦笑を返した。
「後悔はしないよ。絶対に」
「お兄さんはどうしてそんなことが言えるの?」
「勘、かな」
「お兄さん達、バイバイ。お仕事頑張ってね」
サラが手を振りながら通りの向こうへと歩いて行く。その傍にはティアーリアが周囲を警戒しながら歩いていた。スラム街より安全性は高いと言っても女の子一人では危ないだろう。
僕はサラに手を振り返す。その最中、リースが少しだけ怖い顔をしているのに気づいた。
「リース、どうかしたの?」
「どこかで見かけたことがあるような気がして」
「どこかで?」
「首都ですれ違ったとかじゃないのか? 俺達はここら辺は見回りとかでよく来るし」
「そうじゃない」
リースが首を横に振る。そして、少し困ったような表情で呟いた。
「人界で見かけたような気がする。姿じゃなくて、気配が」
サラが悠人達から離れていく。あの後、捕まえた襲撃者達と共にスラム街から出た四人は行き先が違うためすぐに別れたのだ。
サラに向かって手を振りながら立ち止まる悠人達に手を振り返しながらサラは小さく息を吐く。
「陽だまりのある場所、か。さすがはクロノス・ガイア。呑気な言葉を言うね」
『サラ。どこで誰かが見ているかわかりませんよ。それにしても、何故あの少年を巻き込んだのですか? あの少年は』
「わかっているよ、ティアーリア。なんかほっとけ無かったのかな。関わらない方がいいのに関わってしまう雰囲気があったから。それに、ちょうど私の家族を見せた方が現実がわかるよね?」
『あなたはそういう目的のためにあそこに向かったのではないですよ。あなたは』
「大丈夫だよ。どさくさに紛れて準備しているから」
サラは小さく笑みを浮かべながら懐から何枚もの精霊召喚符を取り出した。
「真柴悠人。お兄さんはどこまで守れるのかな?」