第二百九十九話 一つの道の頂
「くっくっくっ。それで儂に勝ったつもりか?」
黒猫が静かに笑う。オレはそれを見ながら薙刀を構えた。
今のオレはもう完全と言っていいだろう。ディアボルガとは再契約を済ませてはいないがルカもディアボルガも深く繋がっている。
ルカを通じてディアボルガに魔力を送れば契約中と同じ力をディアボルガは発揮出来るだろう。
「笑わせるな、小僧」
その瞬間、黒猫の気配が膨れ上がった。
「これは、竜化!?」
「忘れたか。儂は全ての竜を統べるドラゴンマスター。たかがそのような力で儂を倒せると思うな」
「これは割とマズいな」
黒猫がだんだん大きくなっていく。大きく大きく、見上げるほどに大きくなっていく。
「これこそが我が真の竜化。竜帝化だ」
黒猫の姿は全長100mと言ってもいいくらいに大きかった。それこそ生半可な武器では通じないほどに。
「この儂を止めれるものは誰もいない。そう、いないのだ」
「誰もいない、か。面白い戯れ言だ」
「ふーん。これが竜化ッスね。気配も威圧感も半端ないッス」
「竜化と呼ばれるのも頷けるか」
「三人共、何で余裕綽々?」
その声にオレは振り返る。そこには孝治を筆頭に刹那、アーク・レーベ、ルネの四人がいる。
「悠聖。ここは任せろ。お前はルーリィエを助けに行け」
「リリィを?」
その言葉にオレは地上に目を向ける。そこにはケツアルコアトルと戦うリリィの姿が。だが、様子がおかしい。
『我はここに残ろう』
『一発殴らなきゃ気が済まない!』
ディアボルガもルカもやる気満々だ。それを見たオレは頷き一気に下降した。
「逃がすか」
「『『行かすか!』』」
孝治とディアボルガ、ルカの声が重なる。あの六人に任せれば後は大丈夫だ。後は、リリィを助けケツアルコアトルを助け黒猫を倒すだけ。
「今行く、リリィ!」
時は少しだけ遡る。
模写術士を連れて離脱した俊也は悠聖や黒猫達から離れた場所で加速を止め地面に着地をした。
模写術士は俊也の服を必死に掴んでしがみついている。
「もう、大丈夫だよ」
本音を言うなら俊也は複雑な気持ちだった。
模写術士によって俊也は家族から引き離されかけた。大事な恋人を失いかけた。だが、今の模写術士はただの少女にしか見えない。
小さく、弱い少女にしか。
「私は、負けた。負けた。私が。私は価値がない。負けたら、価値はないのに。私は負けた」
「勝ち負けの問題なのかな?」
地面に手をつきうわごとのように同じ言葉を繰り返す模写術士に向かって俊也は話しかける。
「君はまだ、やり直せるよ」
「やり、直せる?」
模写術士が泣きそうになりながら俊也を見る。
「負けてもまだ立ち上がれるよね。今までの道は無理でも、新しい道があるよ。だから」
俊也は模写術士に手を伸ばす。
「立とう。くよくよしても仕方ないよ」
「私は」
「今は立とう。そして、見つけようよ。新たな道を」
怯えた表情で模写術士は恐る恐る俊也に手を伸ばす。俊也は笑みを浮かべたままその手を取ろうとして、
『そういうわけにはいきませんよ』
俊也はとっさに前に出ていた。そして、模写術士を抱いて前に転がると同時に闇が俊也のいた場所を食らいつくす。
『おいおい、殺る気満々だぞ』
『セルファーにしては珍しい』
何とか攻撃を回避した俊也は振り返りながら睨みつけた。いつの間にか現れたセルファーを。
『その娘はまだ利用価値がありますから、あなたに助けられるのは困りますね』
「利用価値?」
『見せてあげますよ。私の魔術で』
セルファーの手が怪しく光った瞬間腕の中にいた模写術士が凄まじい力で俊也を押し倒していた。
「あっく」
そのまま模写術士の指が俊也の首にかかる。
「何を」
『深淵の魔術ですよ。今はもう操り人形。このまま魔術を深めればその娘は廃人となります。あなたを殺せば』
模写術士は泣いていた。泣きながら虚ろになった目で俊也を見ている。
ああ、そうか。
俊也はわかった気がした。どうして模写術士を助けようとしたのか。どうして模写術士に新しい道を歩んで欲しいのか。
「君は僕だったんだね」
昔の俊也もそうだった。悠聖と出会う前がまさにそう。
自分を守るために力を手に入れたはずなのに手に入れた力で全てを押さえつけようとした。
「ようやく、わかったよ」
俊也は笑みを浮かべる。そして、模写術士の手は俊也をすり抜けた。
『なっ!?』
「僕は君を助ける」
模写術士の手が俊也の首もとで空を切る。まるで、俊也がホログラムになったかのように。
「だから、待ってて」
『ありえない』
その光景を見たセルファーは思わず後ずさりしていた。
『人から精霊になった!? まさか、こんな、こんなに早く』
模写術士の手が俊也をすり抜けたのは俊也が人とは違うものへと変わったからだ。
人間は物質を透過することはありえない。それは当たり前だ。いくら姿を見えなくしようがそこにいるという事実を隠すことは出来ない。
周が得意とする魔力粒子を拡散させて位置を把握するのはその当たり前となる前提を利用しているからだ。当たり前だからこそ絶対的な制度を発揮する。
だが、今の俊也はそれすら認知出来ない状態となっていた。言うならば召喚されていない状態の精霊。
『覚醒したということ、ですか。ですが、まだ、足りませんよ!』
「足りない、のかな?」
俊也は笑みを浮かべる。笑みを浮かべて、そして、召喚陣を作り出した。
「足りなくないよ。僕には、ううん。僕達には負ける理由が無くなったから」
その言葉と共に召喚陣から灼熱の炎が生まれた。それに手をかざすのと同時に炎が俊也の周囲を取り巻く。
『タイクーンの精霊武器ですね。タイクーンはまだ精霊結晶の中に』
「こんなに近くにいるのに召喚出来ない理由がないよ。タイクーン、僕に力を」
『タイクーンの力? まさか!?』
セルファーから僕から離れる。だけど、俊也はそれを逃さない。
「全てを焼き尽くす炎獄の神殺しの炎! クトゥグア!!」
『ありえない』
セルファーを囲むように炎が燃え上がる。だが、それはただの炎じゃない。白い炎。
『フィンブルドとミューズレアルをシンクロ、ユニゾンしておきながらタイクーンの力まで扱えるなんて。精霊帝とは違う、もう一つの精霊召喚師の頂』
「セルファー、降参して。僕はあなたを殺したくない」
その言葉と共に俊也がノートゥングを展開する。
左右に後方はタイクーンの力である神殺しの炎。前方にはノートゥング。逃げ場はない。
『殺したくない、ですか。甘いですね』
「何を言われようとも僕はそれを変えるつもりは」
俊也の言葉が途中で止まる。何故なら続きの言葉を口から出すより早く俊也の体を剣が貫いたのだから。
『俊也!』
「な、にが」
フィンブルドの声を聞きながら俊也は首だけで振り返る。
そこには虚ろな目で漆黒の剣を突き出した模写術士の姿。
『だから、甘いと言ったのですよ。ダヴィンスレイフならば今のあなたでも貫けますから』
『甘いな、セルファー』
ミューズが楽しそうに俊也の中で声を上げる。その言葉と共に俊也の体を漆黒の剣がすり抜けた。
『何故』
「もう、あなたの好きにはさせない。だから」
俊也が身構える。そして、動いた。
セルファーはすかさずダヴィンスレイフを俊也に向かって放つ。だが、ダヴィンスレイフは一瞬にして焼き尽くされていた。
「だから、これで終わらせるよ」
そのまま俊也はセルファーの体を掴んだ瞬間、セルファーの体を炎が駆け回った。
炎属性の最上位精霊であるタイクーンの炎、クトゥグア、
あらゆる全てを、そして、あらゆる存在すらを灰になるまで焼き尽くす炎は一瞬にしてセルファーの体を駆け回った。
セルファーは身を焦がす炎を感じながらも懸命に俊也に向かって手を伸ばす。
『まだです』
クトゥグアに灼かれながらこちらに向かってくる手を見た俊也は絶句した。そして、セルファーの手が俊也に触れる。
『まだ、あなたに伝えなければならないことが』
その瞬間、俊也の頭の中でいくつもの光景が流れた。それは走馬灯ではなく別の何か。
知らないはずの光景を見た俊也はその光景が意味するものがわかり絶句する。
その表情を見たセルファーは満足そうに笑みを浮かべた。
『ようやく、伝えることが出来た』
クトゥグアは消えていた。いや、俊也が消していた。
俊也の頭の中で流れた光景でセルファーが何を伝えたかったかわかったからだ。
「セルファー、あなたは」
『我が身を削ろうとも、私はあなたに、いえ、あなたと精霊帝、将来、精霊界の頂点に立つ二人に伝えなければならないことがあるのです。そのためなら、私は喜んであなた方の敵となりましょう』
「何故、そこまであなたはするの?」
『それが私の役割だからですよ』
セルファーが身構える。そして、ダヴィンスレイフを俊也に向かって放っていた。
俊也はとっさに後ろに下がりながらクトゥグアを限定的に展開して焼き払う。
『さあ、再開しましょう』
「あなたは僕にあの光景を見せたかったんだよね? だったらもう!」
『今の私は契約している身です。我が命にかけて伝えた今の全てこそ我が使命そのもの。ですが、私への命令はまだ生きています』
「戦わなくていいじゃないか。僕達は分かり合うことが出来るから」
『それが精霊なのです』
その言葉に俊也は唇を噛み締めた。
「なんで」
『俊也、諦めろ。精霊というのは本来契約者から魔力を貰って精霊界以外の世界に降臨するものだ。だから、契約者との約束は絶対。あいつを契約から解き放ちたいなら殺すしかない』
「違うよ」
『違わなくない。まあ、精霊は殺したところで精霊界に戻るだけだから数年すればまた』
「そうじゃない」
俊也は拳を握り締める。
「そうじゃないよ、フィンブルド。僕はセルファーを殺さない。僕は、僕の道を突き進む!」
俊也が拳を構える。ノートゥングを展開するわけでもなく、ただ、拳を構える。
『ようやく、覚悟を決めましたか』
「決めたよ。だから、僕は」
その瞬間の光景を真っ正面から見ていたセルファーは忘れないだろう。
その瞬間の光景を俊也の中から見ていたフィンブルドとミューズレアルは忘れないだろう。
その瞬間の光景を操られながらも見ていた模写術士は忘れないだろう。
俊也の腕に、いや、体に集まる魔力の流れを。まるで、周や悠人と同じ力を持ったかのように錯覚する魔力の流れを。
それは美しいまでにも幻想的で、嬉しくなるほど命に満ち溢れている魔力の光。
「この、馬鹿野郎!!」
そして、神速の輝きと共に俊也の拳がセルファーを殴り倒した。
「使命だとか契約とかそんなものはどうだっていい! 僕はあなたの本音を聞きたいんだ! 人とか精霊とかどうだっていい。あなたは何がしたい!? まだ、僕と戦うか!?」
『無茶苦茶だぜ。でも、嫌いじゃない』
『悪くはないな』
フィンブルドとミューズレアルが苦笑する。だけど、不思議と俊也の気持ちは伝わっている。
『その光。ああ、そうか』
殴られたセルファーが楽しそうに空を見上げた。
『それが可能性なのか。新たな世界を求めてきた最高の到達点にして真の可能性。なんて、なんて美しいのだろうか』
嬉しそうに、楽しそうに、涙を流しながらセルファーは言う。
『私は見たかった。これを、可能性を』