第二百二十五話 進化の極限
別にクロラッハはエクガンに乗るわけじゃありませんよ。
シェルターの中は薄暗かった。非常用電源はついておらず足下まではっきりと見えない。
ただし、シェルターを走る二人は別だった。
孝治は暗い場所でも隅々まではっきりと見渡すことが出来、正は隅々まではっきり知覚することが出来る。だが、今回は知覚出来ない方が幸せだったかもしれない。
通路に散らばるのは人だった破片。しかも、ほんのり暖かい。
「まさか、音界でこのようなことになるとはな」
「予想外だよ。首都を制圧してアル達の受け入れ体勢を整える。それだけのはずなのに」
「一番の問題は音界に現れた謎の敵だな。人を引き千切る敵なんて」
「鬼」
正が小さく呟いた。その可能性なら確かにある。可能性としてはありえるものの二人からすればありえない。二人はレザリウスを知らないのだから。
「ありえるのか?」
「ありえて欲しくはないけどね。鬼という存在ははっきり言うなら戦いたくはない存在だからね。今の僕で戦えるかどうか」
「たった一人で戦おうとしている時点で負けだ。俺達を頼れ」
「そうだね。さて、突撃するよ!」
正の言葉に同調するように孝治は目の前に現れたドアを同時に蹴り飛ばした。そして、孝治は運命を構える。
そこには、血塗れの巨体の男がいた。そして、その周囲には千切れた人間。
「どうやら彼のようだね」
「そのようだな」
「誰だ?」
巨体の男が振り返る。その手には見るも無惨な姿となった副首相のラングレンの姿があった。
「それはこっちのセリフだ、と言いたいところだが名乗りはこちらからさせてもらおう。第76移動隊副隊長花畑孝治だ」
「律儀だね。そういうところが君の利点だよ。僕は海道正」
「花畑孝治? ああ、ラングレンが話していた第76移動隊の一員か。どうやら我が生け贄になってくれるようだな?」
「生け贄?」
正がレヴァンティンレプリカを握り締めながら眉をひそめる。
「我が名はクロラッハ。全ての生物の頂点に立つ者だ」
「全ての生物の頂点とは、どれだけ傲慢でありたいのかわからないね。でも、その力、君は一体何者だい?」
軽い口調で話しかける正の言葉の中には緊張が混じっていた。クロラッハの体から出る異様な威圧感。それを感じ取ってあるからだ。
「我は神。全ての進化の頂点にしてあらゆりものを超越する存在」
「むちゃくちゃだよ」
「それが我だ。お前達も我が力の糧となるがいい」
「そう簡単に行くと思っているのかな? 僕達は強いよ」
相手は音界の人間。だが、天界の人間が普通に混じっているので純粋な音界の人間という可能性は無いだろう。
むしろ、二人はそれ以外の可能性を考えている。
「強い、か。ならば我に勝ってみろ。それこそが我が力の糧だ」
「なるほどね。まさか、君があの能力を持っているとは」
正の額に汗が流れた。それを見た孝治が一歩だけ後ろに下がる。だが、それを見逃すクロラッハでは無かった。
クロラッハが地面を蹴る。そのまままるで鬼のように力だけで腕を振り抜いた。
孝治も正もとっさに運命とレヴァンティンレプリカで受け止めるが大きく下がってしまう。
「正。こころ辺りはあるのか?」
「『無限進化』。自身が圧倒されればされるほど力を増す存在。コンビネーション以外はね。倒す方法は進化前に殺すこと」
「厄介な奴だ!」
そう言いながら孝治は前に踏み出す。そして、最速の動きで運命の刃をクロラッハの体に叩き込んだ。だが、運命が大きく弾かれる。
「くっ」
クロラッハが動くより早く孝治はゲートを作り出しほんの少しだけ転移してクロラッハの拳を避けた。
今のは大きく斬り裂くつもりだった。だが、それですら弾かれたということは敵は生半可な攻撃ではダメージを与えられないということ。
「弱い。弱すぎる。そのような力で我を倒そうとしたのか貴様は!?」
「ちっ。こうなれば運命の力を」
「駄目だよ、孝治。『無限進化』する相手に本気を出せばあっという間に超えられてしまう。だから、手の内を隠しながら戦うしかない」
「なら、次はお前だ!」
クロラッハが正に飛びかかる。対する正はレヴァンティンレプリカを鞘に収めた。そして、クロラッハの懐に飛び込んだ。
「こういう場合は進化を逆手に取るんだよ」
その言葉と共に正の掌がクロラッハの体を上へと打ち上げた。そして、正が大きく飛び上がりながら首の部分を蹴り飛ばす。
クロラッハはなすがままにされてはいるが、その顔には笑みが浮かんでいた。
圧倒されればされるほど強くなる。つまり、この状況はクロラッハにとっては利点しかないからだ。だが、対する正も笑みを浮かべている。
「クロラッハ。君に教えてあげるよ。確かに進化は生物の頂点へ目指すものだ」
クロラッハの攻撃を最小限で回避しながら正は先程蹴り飛ばした箇所と同じ首の場所を蹴り飛ばした。
微かに傾いたクロラッハの腕を取りそのまま関節を極める。いや、極めるというよりそのまま折るつもりなのだろう。だが、クロラッハの腕がまるで軟体動物のように折れ曲がる。
正が腕を折るより早く折られないために進化をしたのだろう。正はとっさにクロラッハを蹴りつけて大きく後ろに下がった。
「小娘、礼を言うぞ。我はまた強くなった」
「ねえ、クロラッハ。君は進化をどう考えている?」
「進化だと?」
「そう。『無限進化』は圧倒されればされるほど強くなる。正確には圧倒されればされるほど体の作りを変えるものだ。それは知識も例外じゃない。だけど、進化は時に方向を間違えることがある」
その言葉に孝治は気づいた。クロラッハの様子がおかしいことを。
「確かに君は進化の極限に位置する存在だ。刃を通さない筋肉、人を千切る力。そして、失わない意識。確かに強力だけど、僕は今回三つ、君を圧倒した。一撃で君を浮かす打撃。これは押し潰しが出来ないと体に判断させるため。近接格闘で弱点でもある君の首を一点だけ狙った。そこが人類の弱点だと勘違いさせるために。そして、関節を極めた。『無限進化』はこの三つに対応するように進化する」
つまり、正のような力で体が浮き上がらないようにクロラッハの体は重量が増す。
同じ首の場所を蹴り抜かれているため本来つける筋肉が限られている首を守るための筋肉が現れる。
関節が極められても折れないように体を柔らかくする。もしくは、関節を外れるようにする。
最初の進化は体が重くなるだけであり、次の進化は首の筋肉が堅くなり動くことを阻害し、最後の進化は腕による打撃の威力を減らすことが出来る。
「相手が無限に進化するならば、進化の方向を間違えてあげればいい。それが『無限進化』の弱点だよ。そして、質の悪いことに、今回の進化は圧倒されたからこその進化。それを上書きすることは出来ない」
「貴様」
「無敵なんて存在しないんだよ。この世にはね」
クロラッハからすれば正は明らかに相性の悪い存在だった。クロラッハの能力である『無限進化』の弱点を理解し、その弱点を突く技量も持ちえる。
正があらゆる技量に精通しているからこそ出来る技でもあるのだが。
「さて、これの問題点はどう頑張っても攻めきれないということだ。『無限進化』の相手には負けない自信はある。だけど、勝てない自信もある。僕が保有する魔力では傷つけられない可能性が高いからね。おめおめと尻尾を巻いて逃げるというなら僕は手を出さないでおこう。どうする?」
逆に言うならこのまま戦い続ければクロラッハの進化を完全に間違った方向に持って行くという意味でもあった。
つまり、クロラッハは退却するしかない。
「貴様。これで勝ったと思うなよ!」
その言葉と共にクロラッハは背中を向けて歩き始めた。それを見ながら孝治も正もそれぞれの武器を下ろす。
「背後から攻めるのは危険か」
「『無限進化』は防御力の進化と言ってもいいからね。一撃で仕留めれることが出来ない場合は放置が安全だよ」
「あまり放置はしたくないが」
「クロラッハを倒すのは僕達じゃない」
そして、正はクロラッハに背中を向けた。
「クロラッハを倒すのは悠人だよ」