第二百十九話 切望の未来
「わかっていますね。あなたの状態のことは」
「全く実感はないけどな」
「本来ならあなたはすでに消え去っているはずだと私は考えます。まだ、意識が残っているのは」
「エルブスのおかげ、なんだろ。わかってるよ。お前が望むことはすでに」
「契約の行使を求めます。それが、私が望む切望の未来ですから」
周囲に溜まる赤い液体。まるで、その周囲で赤い絵の具をぶちまけたように錯覚するが、よく目を凝らすとそうでないことはわかる。
全ては血。そして、地面に横たわる一人の少年が流した血だった。
「傷口は全部塞いだ。後は、悠兄の生命力にかけるしかない」
額に大粒の汗をかいた七葉が静かに悠聖から離れる。悠聖の傷口は頸線によって完全に防がれている。本来なら頸線は傷口を縫合することに使うものじゃない。患者の魔力で作られたものではないため拒絶反応が起きる可能性があるからだ。
だが、親族では話が別となる。だからこそ、七葉は傷口を塞いだ。
『私のせいだ』
悠聖のそばでルカが拳を握りしめる。
『私が、マスターから離れたから』
『ルカのせいじゃないよ。あの状況で戦っていてもいつかはやられたから』
そんなルカにアルネウラが慰めの声をかける。そして、アルネウラはずっと悠聖のそばで手を握り続ける冬華に視線を移した。
悠聖を斬って意識を戻した冬華は無言で悠聖の手をに握り続けている。
『それに、悠聖はまだ生きているから』
「運よく生きているのが正解だよ。私の視た未来でも成功する確率は極めて低かった。正直に言うなら、生きていることが不思議なくらいだから」
『それは多分、エルブスが生命力を分け与えているからだよ』
悲しそうにアルネウラが言う。
致命傷を負った悠聖だったが、致命傷を負った次の瞬間にはセルファーを足止めした七葉が頸線で傷口を最低限縫合したのだ。主に心臓と主要な血管を全て。
七葉の親戚の多い第76移動隊では頸線による縫合は一定の効果があるため七葉は医療知識を勉強していた。それがこの土壇場で効果を発揮したのだ。
『エルブスは正確には悠聖の精霊じゃない。悠聖と契約した神だから』
「詳しい話を今聞いた方がいい?」
『ごめん。私も混乱しているの。もしかしたら、これが奴らの目的だったかもしれないから』
「悠聖がやられてからセイバー・ルカに目もくれず撤退したから?」
『悠聖はね、神になる運命を持っているんだよ』
その言葉に七葉は微妙に顔が引きつる。まさか、兄弟揃って神になる可能性があるだなんてと思うがそれは口には出さない。
何故なら、神の名乗りは中二病みたいなので七葉は戦場以外では自分が神だと言いたくないからだ。
『エルブスはそれに目をつけていた。希望神の七葉ならわかるんじゃないかな?』
「ちょっと待って」
そう言いながら七葉は未来を視る。いや、視ようとした。だが、視界に映るのは霞みがかった風景だけ。まるで、能力が阻害されているかのように。
すぐさま禁書目録図書館に潜り込んだ。禁書目録図書館の莫大な情報をすぐさま取捨選択して欲しい情報を全て抜きだす。
「悠兄が精霊と恋をしたから?」
『禁書目録図書館を使う速度が早いね。エルブスでもそこまで早くなかったよ。うん、そう。悠聖はフィネーマと恋をした。それは、本来なら許されない祝福された恋だった』
「人と精霊は違うもの。だけど、人が精霊と恋をすることによって人は人ではなくなり精霊となることが出来る。悠兄の場合はそれよりも早くフィネーマさんが死んだから人と精霊の狭間になった。自分で情報を調べてて悠兄のことがよくわからなくなってきた」
禁書目録図書館はある意味カンニングペーパーだ。おそらく、今、七葉が世界で一番難しい大学の入試を受けても回答を書いた問題は全て正解するだろう。それくらいまでに禁書目録図書館は答えがある。
だから、知識として理解できても七葉自身が理解しきれてない部分が多いのだ。
「人が精霊になった話なんて聞いたことがないよ。もしそうなら」
『人が精霊になるには本当に恋しなければならない。悠聖とフィネーマのように心の底から愛し合うような状態。そもそも、前例が一つしかないからね。わからないのも無理はないかな』
「エルブスが死ぬ前に悠兄が死ぬとどうなるの?」
『死ぬよ。禁書目録図書館にもあるはずだよ。だから、エルブスは生命力を分け与えている。悠聖が死なないように。エルブスの存在を消すために』
「自らを犠牲にして、そんなことが本当に許されるとでも思っているのかな? 悠兄は絶対に」
「そうとも限らないよ」
がさっと茂みが鳴りそこからリリィが姿を現した。すでに体中はボロボロになっている。
怪我をしたと言うわけではないのだろうが、おそらくこの森の中で駆けまわっていた最中にこけたりしたのだろう。
「お帰り。偵察はどうだった?」
「周囲に敵の姿は無し。フュリアスの姿も見えないからどの勢力も撤退したと考えた方がいいかも。通信を聞いていた限りじゃ基地は放棄されたみたいだから」
『それは少し危ないかも。悠聖はこのままだと危険だよ。本当に死ぬ可能性がある。今の状態で死ねば。悠聖は本当の死を迎える』
「そんな」
リリィがアークレイリアを握り締める。そして、一歩前に踏み出した。
「どうにか、ならないの? 悠聖を救うためなら私は」
「命を捨てる、とでも、言うつもりか」
ゆっくりと、悠聖が起き上がる。だが、すぐさま悠聖は倒れ込んだ。冬華が背中を支えて悠聖を起こす。
「そんなことをすれば、オレは一生リリィを許さないぞ」
「だけど、好きな人が目の前で死ぬなんて私」
「だから」
「ちょっと待って」
悠聖の言葉を遮り、そして、冬華は悠聖に耳を当てた。悠聖が少し気まずそうな顔になる。
それだけで七葉は悠聖の身に何が起きたか理解することが出来た。
「悠兄、もしかして」
「エルブスから言われた。長くは保たないって」
「あんた希望神なんでしょ!? 神様ならどうにかしなさいよ!?」
その言葉にリリィが七葉に詰め寄るが七葉は首を横に振るだけだ。
本当なら未だに悠聖が生きていることが奇跡なのだ。七葉が頸線で縫合したとはいえ血を多く流しすぎた。
「だから、最後の希望に賭ける」
「最後の希望?」
リリィの言葉に悠聖が頷く。
「死ぬんだね」
禁書目録図書館の情報から瞬時に悠聖の考えを読み取った七葉が悠聖に尋ねる。それに悠聖は頷いた。
「エルブスが言う最後の希望。エルブスとシンクロ状態のオレが死ぬことが条件だ。七葉。可能性はどれくらいだ?」
「霞がかって見えないよ。悠兄、絶対にそれしかないの?」
「オレの身が保たない。保ってあと三十分。絶対的に時間が足りないんだ。本当ならあの時死んでいたしな」
「わかった。私が悠兄を殺す」
そう言いながら七葉はその手に剣を作り上げた。そして、その切っ先を悠聖に向けた瞬間、リリィがアークレイリアで剣を払った。
「その役目、私がやる」
「駄目だよ。あなたが悠兄が死んだ場合、心に傷が残る。だから、私がするしかないんだよ」
「だからこそ、私がやる。悠聖が死んだら、全てを背負うから、だから」
「駄目。これだけは譲れないよ。悠兄は私が」
「私がやる」
ボソリとした呟きと共に七葉とリリィの二人は冬華を見た。冬華は俯いたまま氷から出来た剣を握り締めていた。
「私は一度悠聖を殺した。だから、私が悠聖を殺すのが一番のはずよ」
「殺したって、まだ悠聖は」
『ううん。私は悠聖の精霊だったからわかるよ』
その言葉に七葉もリリィも悠聖の本当の状態を理解することが出来た。
「悠兄はもしかして」
『極限の状態だよ。治療さえ受ければまだ助かる可能性はあるレベルの。精霊召喚師が死ねば精霊とのパスは途切れる。私もルカもすでに召喚されていたからここにいられるけど、今の悠聖は他の精霊達を呼び出す方法はない』
「再契約は可能だけど同じ精霊を呼び出すことが条件なのよ。精霊との契約は術者との力量が関係するけど基本的にはランダムだから」
「そういう話をしているんじゃないってば。悠兄は、死ぬしかないの?」
「だろうな。だから、冬華」
悠聖は立ち上がった。そして、両手を広げる。
「一思いに頼めるか?」
「私は」
「必ず神として生き返る。そうじゃなかったら約束を果たせないからな」
「約束?」
「そう。神との契約。エルブスが望む未来を、切望の未来を作り出すための力を手に入れなくちゃいけない。そういう契約だったからな」
「わかった」
冬華が静かに立ち上がり氷の剣を両手で握り締める。そして、一歩を踏み出した瞬間、悠聖の体を氷の剣が貫いていた。
「契約成立、ですね」
そこは水の上だった。たくさんの波紋が、たくさんの思いの波紋が波立つ水の上。そこにいるのはエルブスと白いシャツに赤いチェックのスカートを着た少女。髪の毛は中くらいの長さをした黒髪だ。
その少女が嬉しそうにオレに語りかけてくる。いや、オレとエルブスに。
「ここは、三途の川?」
「正解です。よくわかりましたね。大抵の人は信じたくないみたいですけど」
「わかりたくもないし正解したくも無かったよ。三途の川と言ったら死後じゃん」
「実際死にましたよ?」
「そういう意味じゃなくてだな、もういいや」
オレは小さく溜め息をついてエルブスを見た。
エルブスとの契約。それは幼い頃のオレが結んだ神との契約。
「エルブス。本当にいいのか?」
「白川悠聖。私達神はたくさんの世界を見て来ました。よりよい世界を作り出せると私達は考え、滅びる運命にない世界を作り上げるために世界を動かしてきました。ですが、限界なのだと私は考えます」
「なりふり構っていられないんですよね。すでに、神は数が少なくもう一度世界を再構築することすら難しい状況ですから」
「ちょっと待て。世界を再構築ってことは何度も世界が滅びているのか?」
「そうですよ。私は新しい神ですけど、エルブスは古参の神ですから何億年と生きています」
それを聞くだけで頭が痛くなってきた。
どうやらオレが思っていた以上に世界はかなり深刻らしい。
「何巡目の世界なんだよ」
「八巡目。そして、最後の世界です」
「だから、七葉も神になったんだな」
「七葉ちゃんは最新の神ですよ。すごいすごい神なんですから。死の運命すら跳ね返す希望に満ちた存在。可能性の塊です」
「そんな私は全く自覚ないけどね」
何もない空間から七葉が姿を現す。
どうやら三途の川は神なら簡単に介入出来るらしい。下手したら死んだ人間も引っ張れるんじゃないか?
「上手く成功したのかな?」
「今から契約を結びます。ルエナ、七葉。下がっていなさい」
「了解です」
「うん」
二人が下がる。そして、オレとエルブスは向き直った。
「契約内容を覚えていますか?」
その言葉にオレは頷いた。
死後、オレは神となる。
生前、精霊召喚師として道を極める。
死後、契約内容に従い切望の未来を作る。
まずはこの三つが大前提。これを承諾しなければ契約内容は明かされなかった。
「神となるオレは未来を作るために新たな創造を行わなければならない。それは、概念となる力。新たな理を作り、神としての道を歩まなければならない。切望するのはただ一つ。創世を司る未来の成立」
「はい。というか、よく覚えていますね?」
「いや、さすがにあれだけインパクトあれば忘れないと思うんだけど」
確か、あの時は精霊召喚自体知らない状態でエルブスが現れたからな。
遊んで描いた魔術陣から現れたエルブスははっきり言って衝撃的だった。
「白川悠聖。あなたに神の位を授けます。私が持つ最古の神の称号の一つを」
「精霊帝じゃないのか? いや、それはあくまで役職か」
「終始神。破壊と創世を司る神となりなさい」
「エルブス。お前」
オレはエルブスの名を呼んでいた。エルブスが薄くなっているからだ。まるで、すぐにでも消えるかのように。
「あなたと共に過ごした時間は最後の時として相応しいものだったと私は考えます。最後に、あなたを神に出来てよかった。未来のためではなく、純粋に一人の神としてそう思います」
「オレはそんな立派な人間じゃない。だから、買いかぶりすぎだよ」
「買いかぶりだとしても、これから立派になってください。私が無理だと確信した未来を変える力があるのですから。そろそろですね」
エルブスの指がまるで砂のように零れ落ちて行く。そして、川に流されて消えて行く。
それだけを見ても、ここが三途の川何だと理解出来た。エルブスが死ぬということも。
「私の『破壊の花弁』をあなたに渡します。あなたの進む道は苦難の道でしょう。ですが、忘れないでください」
エルブスの体が崩れ落ちる。残るのはエルブスが浮かべる母親のような笑みと優しい言葉。
「私が共にいますから」
そして、エルブスが消えた。それと同時にずしりと重い何かがオレの中にやってくる。
エルブスの覚悟と神としての業。そして、エルブスの力。その全てがエルブスからオレに移ったのだ。それと同時に理解する。
終始神としての、エルブスが持っていた本来の能力と神の特典を。
「エルブスは言ったんだね」
少し悲しそうに少女は口を開いた。そして、オレに向かって笑みを浮かべてくる。
「さあ、新しい神様は早く現世に戻らないと。やらないといけないことがありますよね?」
「やらないといけないこと?」
「ちょっと待って」
オレの疑問に七葉が手を頭に当てて考える。そして、すごく微妙な表情となっていた。
「とりあえず、凄く複雑なことになっているけど、目的が目的だから問題の様な」
「七葉。いきなり何を言っているんだ?」
「禁書目録図書館にアクセスしてみて」
「禁書目録図書館?」
オレはその言葉に首を傾げながら禁書目録図書館という言葉を頭の中で探る。
禁書目録図書館自体は簡単にわかった。思い出すことが出来たではなく、わかった。どうやらエルブスから受け継いだ知識の中にあったらしい。
「アクセス」
オレは禁書目録図書館に入った瞬間、視界が一気に変わった。
視界に映るのは大量の蔵書。それが円形の壁一面全てに存在している。さらには、天井と床が全く見えない。
「ここが、禁書目録図書館」
「思考を加速しているから禁書目録図書館で調べる時間は本来の時間とはかなり異なるよ」
驚いているオレの隣に七葉が現れる。そして、七葉は手のひらを上に向けた瞬間、そこに一冊の書物が現れていた。
「禁書目録図書館は調べたい物事をすぐに調べることが出来る場所。利便性は極めて高いよ。内容が膨大すぎて時間がかかりやすいけど」
「こういう時に事務仕事の経験が役立つとはな」
オレは頭の中に知識としてある禁書目録図書館の調べる方法をすぐさま行った。そして、手のひらに一冊の書物が現れる。
オレはそれを開き、内容を読み取った瞬間、凄まじく微妙な顔になっていた。
この内容が正しければ凄くややこしいことになっている。
「なあ、七葉。オレ達は踊らされいたのかな?」
「全く否定出来ないくらいそうだと思ってるよ。悠兄を取り巻く環境だけじゃない。第76移動隊を取り巻く環境を禁書目録図書館の視点から見るだけで綿密というには優しいくらい緻密な環境になっているから」
「禁書目録図書館はチートすぎるだろ。まあ、これでいろいろとわかった」
オレはそう言いながら書物を閉じた。そして、七葉を見る。
「戻るか」
「そうだね」
禁書目録図書館から戻る方法は簡単だ。ただ、禁書目録図書館から出るだけ。
禁書目録図書館から出た先はもちろん三途の川。だが、三途の川を経由せずに現世に戻る。ちょっとしたショートカットを使って。
まあ、七葉があらかじめ作ってくれていたものだけど。
視界が戻ったそこには、大粒の涙を目尻から流す冬華の顔があった。
「悠聖!」
そして、冬華がオレに抱きついてくる。
「悪い。心配かけて」
「それはこっちのセリフよ。私が一杯、心配かけたんだから。もう、離さない。離れない」
「冬華」
優しく、優しく冬華の頭を撫でてやる。
冬華は二度もオレを殺したのだ。自惚れでなければ愛するオレを二度も殺したのだ。オレがそのまま死ねば冬華も自殺していただろう。
「心配かけるんじゃないわよ、悠聖」
リリィが泣きそうになりながらそっぽを向くが向いた先にはちょうどニヤニヤした七葉の姿があった。リリィがくっと七葉を睨みつける。
そんな二人を見ているとトンと背中に衝撃を受けた。誰かが抱きついてくる感覚。振り返るとアルネウラがオレの背中に顔をうずめていた。うずめてでいいのか?
「アルネウラも心配かけたな」
『信じてたから。悠聖ならきっと、また笑ってくれるって』
「ありがとう」
オレは笑みを浮かべながらゆっくりと二人を体から離した。そして、小さく息を吐いて横を向く。
「感動の再会中に水を差したくないって気持ちはわかるが、そろそろ出て来たらどうだ?」
その言葉と共に薙刀を握る男が現れる。何度も戦い、ついには勝てなかった男が。
「水を差して良かったのか?」
「ああ。あんたには話したいことがあるから。全く、やられたよ。オレが、いや、この場にいるオレ達全員があんたの手のひらで踊らされていただなんて」
「悠聖、どういうこと?」
冬華が身構えながら尋ねてくる。雪月花が無くても今の冬華は普通に強い。
「オレがフィネーマ、アルネウラ、優月と契約すること自体があいつらの目的通りだった。そして、オレを殺し神にすること自体が目論見通りだったんだよ」
「まさか、私が悠聖と出会ったのも」
「裏から手を引いていた可能性はある。なんたって、あんたらは精霊界のトップだからな」
『精霊王』
「どこでわかった? いや、禁書目録図書館か」
「本音を言うならオレは他人に踊らされるのが嫌いなんでね。だから、お前のことは大嫌いだ」
そう言いながらオレはアルネウラの手を掴む。
契約はまだしていない。だけど、オレとアルネウラは絆で繋がっている。
「行くぞ、アルネウラ。ちょっとだけ気にくわないあいつを殴る力を貸してくれ」
『任せて。私は悠聖と共にあるから』
「『シンクロ!』」
契約していない精霊とのシンクロ。それは危険なことだがオレは出来ると信じていた。何故なら、それはアルネウラとだから。そして、オレの指輪型デバイスから暖かい感覚を受けているから。
「精霊帝終始神白川悠聖。優月は返してもらうぜ親バカ二人」