第六十九話 昔話
「いっつ」
オレは痛みをこらえながら頬に治療薬を塗ってもらう。無味無臭かつ口に入っても大丈夫なものだ。
治療薬を塗ってくれている由姫は少しだけ頬を膨らませた。
「兄さんが悪いんです」
「助けたからチャラにしてくれよ。触ったことは謝るからさ」
オレが今いてるのは保健室だ。音姫はベッドで横になって眠っている。他にいるのは由姫と亜紗だけ。
さすがに、あそこまで魔力が濃い状況でオレのように慣れていなければ体への負担はかなり大きい。ましてや、音姉はまだ14才だ。体はまだ成熟していない。
オレは小さく息を吐いた。
「というか、結界割れてからよくあの短時間で来れたよな」
というか、お前らには接触すること一言も話していなかったんだが。
すると、由姫はキョトンとした。
「結界張っていたんですか?」
「はぁ?」
オレは思わずそんなことを言っていた。結界張っていることは第76移動隊なら気づいて欲しかった。
「兄さんが屋上にいることは気づいていたので何かあったら動けるように踊場待機していただけですよ」
結界に気づくどころか結界張っていてもオレに気づいているという事実に人間離れした能力を感じる。というか、踊場待機って何?
亜紗を見ると、亜紗はすぐにスケッチブックを開いた。
『結界が展開されたから様子を見に屋上に向かう途中で由姫と会った』
踊場待機の由姫と出会ったのか。こっちは普通だな。
『屋上で何があった?』
「オレと音姉の二人で来るように言われたんだよ。まさか、貴族派の代表がエレノアだとはな」
「誰ですか?」
由姫が不思議そうに首を傾げる。
「知り合い、と言ってもうろ覚えだけどな。七年ほど前に時雨が主催したパーティにオレと茜も参加したことがあるんだ。その席でエレノアと出会った」
『魔界の住人がいるってことは、魔界や天界の人達との友好パーティ?』
「正解」
あの日、初めて見るような人達にオレと茜の二人は隅っこの方で固まっていた。そんな中でエレノアは話しかけてきたのだ。あの時はもう少し少女という感じだった。
「エレノアはオレ達を連れてみんなに紹介してくれたんだ。親が親だからみんな集まって来るけど、エレノアとオレ達と同じくらいの少女二人の三人がオレ達を守りながら会話したんだ。それっきりの出会いだけど、音姉みたいに優しかったからな」
「兄さんの昔か。私と出会うよりも前の兄さんってどんな感じ?」
『私も興味がある』
「他人に聞いた方がいいから」
むしろ、あの時の自分がどんなのだったかよく覚えていない。まあ、仕方ないけど。一つだけ言えるのは、
「茜がオレにべったりだったくらいかな」
それだけは言える。茜はずっと、いや、あの『赤のクリスマス』までずっとオレにべったりだった。
オレがそれを言うと由姫と亜紗は同時に俯いた。
「兄さんは茜と連絡取ってる?」
「ああ。茜が寝る前には必ず連絡している。あいつ、本当はオレのことが妬ましいはずなのにな」
『私はそうは思わない』
亜紗はスケッチブックを突き出しながらそう言う。亜紗も由姫も茜と仲がいいからだろうな。でも、オレはそう思わない。
オレは小さく息を吐いた。
「茜は将来を有望視されていた。オレよりも才能があった。あいつは天才だった。でも、オレのせいで、あいつは病院にいないとダメになったんだ。オレは、あの事件を引き起こしたのにのうのうと生きている。恨まれて当然なのに」
「兄さん。例えばですよ。もし、私が兄さんのミスで大怪我をしたとします」
そんなことは考えたくない。大事な人が怪我をすることなんて考えたくない。
「でも、私は兄さんを恨みません。だって、兄さんは一生懸命頑張ってくれますから。それに、私は兄さんのことが好きですから」
『茜も同じだと思う。周さんのことが好きだから。たった一人の家族として好きだから恨まないと思う。茜は周さんが自分のために何をしているか知っている。だから、茜は周さんに感謝している。私だって、周さんに感謝している』
「そっか」
オレは天井を見上げた。
由姫と亜紗の言葉に救われた気がする。『赤のクリスマス』のことは都とのことで吹っ切れた気でいた。でも、まだまだ吹っ切れていなかった。
『赤のクリスマス』でオレが失ったものは大きい。茜だって同じだ。でも、オレはこいつらがいるからやっていける。
オレは由姫と亜紗を抱き寄せて抱きしめた。
「ありがとう。お前らがそう言ってくれて嬉しいよ。二人がいてくれて良かった」
「兄さん」
『周さん』
オレはにっこり笑いながら二人を離した。
「音姉が起きるまで話でもしようぜ」
その頃、保健室の入口には都と千春の姿があった。
千春は呆れたように溜息をつく。
「都も入ればいいのに」
「今は入れませんよ。今はお二人の時間ですから」
都はそう言って笑う。千春はその笑みに首を傾げた。
「不安じゃないのかな? 二人に周君が盗られるかもしれないよ」
「最後に選ぶのは周様です。私は周様のことが大好きですから」
「すごい忠誠心だね。ボクは帰るとするよ。じゃね」
千春は歩き出す。そして、歩きながら首を傾げていた。
「どうして不安じゃなくて安心しているのかな?」