第百十八話 準備
光輝の刃が静かに動く。空気を斬り裂く際に出るブンという音がしない。だが、その剣速は目に見えないくらい速かった。
静かな剣舞。だが、誰が見ても化け物じみた速度。それを見ながら冬華は小さく溜め息をついた。
「さすが、というしかないわね」
「そうかな? これでも軽くやっているつもりだけど」
今ので軽いのだ。本気を出せばどうなるかは世界トップクラスに位置する冬華ですら分からない。
冬華自身は音姫とはよく模擬戦をするが、ここまでだったら手を抜かれていると思ってしまう。ただ、音姫の性格が手加減を全くしない人だから安心出来るが。
「冬華。彼女はどう?」
「はっきり言うわ。本気を出さないと逆に取られるわよ」
その言葉に音姫がクスッと笑う。何故なら、今の冬華の言葉は音姫が負けると言ったようなものだ。だから、音姫は笑った。
「そうこなくっちゃ。私に勝てたら本気で認めるしかないな。リリィちゃんの力を」
「相変わらず余裕ね。音姫。一つ気になったんだけど、それは新技?」
「ううん。これは訓練技。リリィちゃんの時に放つつもりはないよ。未だに完全な剣技じゃないから」
その言葉に冬華は何か思いついたようで納得しながら頷いていた。
「あなたでも無理なのね」
その言葉は史上最高の才能を持つとされる音姫でも不可能な技、という意味だ。もしかしたら、個人の固有技の可能性がある。
その言葉に音姫は頷きながら光輝を鞘に収めた。
「今日の戦いはすごく楽しみなんだ。由姫ちゃんや弟くん、孝治くんやギルバートさんと戦う時くらいにワクワクしている。たった三日なのに、リリィちゃんはとても強くなったように思えるから」
「まあ、その言葉はあながち間違いじゃないわね。リリィ、強くなったもの。私が知る限り、一番、三日で強くなった人物じゃないかしら」
「だったら期待出来るね。さてと、冬華は今からリリィちゃんのところに向かうよね?」
「そのつもりだけど」
すると、音姫はにっこりと笑みを浮かべた。
「だったら、伝言をお願い出来る?」
アークレイリアが宙を斬り裂き悠人が作り出してエネルギーソードとぶつかり合う。リリィはすかさずアークレイリアを上手く回して悠人の懐に潜り込んでいた。だが、悠人はすかさず後ろに下がっている。
「今のは危なかったな。ルーリィエさん、かなり慣れたね」
「ありがとう、悠人。悠聖、どうだった?」
「まあ、悪くはないな。問題が、音姫さんの速度についていけるかどうかだけど」
音姫さんの最高速を考えたら今の動きは確実に捉えられる。音姫さんが反応出来ないのは予想外の攻撃くらいだし。
そもそも、音姫さんの剣速はセイバー・ルカと比べても遥かに勝っている。セイバー・ルカは精霊の中で最強の剣士だから、音姫さんの実力は本音を言うなら神の領域に達している。
対するリリィは秘策があるとは言え、あの音姫さんにどこまで通用するか分からない。
「そうなんだけどね、通用するとかしないとか関係なく、私はあの白百合音姫と戦ってみたいの。今の実力がどこにあるか理解したいから」
「天界の住人のくせにそんなことは考えなくてもいいんじゃないかな?」
「魔王の娘には言われたくないけど」
近くに止められたベイオウルフからアークベルラを持つリリーナが降りてくる。その隣にはイージスカスタムがあり、同様にコクピットが開いて七葉が降りてきた。
リリーナはリリィの手前まで来てコツンと肩に拳を当てる。
「ルーリィエは強いよ。まあ、私には及ばないけどね」
「それはあんたのアークベルラの能力が凶悪だからでしょ!?」
「アークベルラの能力?」
そう言えば、アークベルラの能力は聞いたことがないな。すると、リリーナの手にいつの間にかアークベルラが二本握られていた。
一瞬の出来事だが、一瞬の出来事にしてもアークベルラ二本ってありえないよな?
そう考えていると頭上から声がかけられた。
「へぇ、なるほどね。悠聖はわからなかったのか?」
「空気、お前はわかったのか?」
「おうって、俺は空気じゃない!! 浩平だ浩平!!」
「悪い。お前、出番無かったからさ」
「どうせ名前だけの存在でしたよーだ。バレットダンス使う場所すら無かったに」
「バレットダンスwww」
「草生やすな!!」
ともあれ、着々と面々が集まっているみたいだな。
周囲を見渡してみても見せ物のように訓練場を囲むかのごとく群集がわらわらと集まっている。まあ、音姫さんが人界の歌姫だからってのもあるのだろう。
ともかく、これで第76移動隊側は全員集まっているみたいだな。
「失礼だよな、全く。耳寄りな情報を持ってきたのに」
「耳寄りな情報?」
浩平がニヤリと笑みを浮かべる。
「賭けの倍」
そこまで言った瞬間、浩平の姿が面白いくらいに上に跳ね上がった。いつの間にか上空にはリースに抱えられた七葉がおり、浩平の体には頸線が巻きつけられている。
「賭けの倍率なら音姫を1とすればルーリィエは1300くらいじゃな」
「会場が敵だと判断すればいいか」
「あのさ、上、いいの?」
「第76移動隊じゃ日常茶飯事だよね」
『最近はあまり見なかったけど、今日のは特に大技だよね。空中ジャイアントスイング。しかも、竜言語魔法トラップ付き』
久しぶりに見る日常だから全く気にしなくなっていた。まあ、オレ達を見つけた委員長が寄って来ている、呆れたように苦笑する俊也もいるから大丈夫だろう。
デモンストレーションの一環としてなら完璧だ。
「第76移動隊って恐ろしい」
「気にしても仕方ない」
ガシャッと鎧が鳴る音に振り返るとそこには白騎士の姿があった。しかも、剣のアークフレイを持っていない。
リリィは親しげに苦笑しながら白騎士に話しかける。
「来てくれたんだ」
「間に合うか不安だったがな。間に合って良かった。友の応援に来るのは当たり前だろ?」
オレはわけがわからず背後に向かって尋ねた。
「どうなってるの?」
「気配を察知して私に聞かないでくれる? これに関しては個人の問題だから」
振り返ったそこにいる冬華が軽く肩をすくめた。その隣には光の姿がある。
「みんな揃ってんな。おっ、ミス」
「ちょっとぉぉぉぉおおお!!」
誰かの名前を呼ぼうとした光の唇を慌てて冬華が塞ぐ。
「今の私の話は聞いていた!? 聞いていないわよね!? 個人の事だから私達は口出ししないの!!」
「ええ、おもんないやん」
「あんたは関西人か!?」
光は関西に定住していないはずだよな? 孝治がいたら詳しい話はわかるけど。
冬華は小さく溜め息をついてリリィの肩に手を置いた。
「音姫から伝言よ。『攻撃も防御も最大の攻撃で行う。油断したら死ぬ』だって」
「王者の余裕じゃな。さすがは音姫じゃ」
「アル・アジフさん。そういう問題じゃないと思うけど。あれ? アークレイリアは光輝に対して大丈夫なの?」
「それは大丈夫よ。先に確かめた。というか、光輝がアークレイリアにすら特効があればリリィの勝ちは兆が一にも勝ち目はないわ」
『日本語を間違えているように聞こえるけど音姫だと正しいように見えるのは不思議だよね』
まあ、一握りでも勝つ可能性があるなら頑張って欲しい、というのが本音だ。
勝ち負けなんて関係なく、最後まで頑張って欲しい。
「白川悠聖」
「何だ?」
リリィに名前を呼ばれ振り向いた瞬間、リリィの顔が目の前にあった。それに思わず固まってしまう。
「絶対に勝つから。だから、勝ったらご褒美頂戴」
「『ちょっとぉぉぉぉおお、待ったぁぁぁぁあああ!!』」
そんなリリィをアルネウラと冬華の二人が剥がす。凄まじい勢いだった。
「急に何言ってるのよ!」
『そうだよ泥棒猫!』
「私だって自由に恋愛してもいいじゃない!」
「それとこれとは別よ!」
『悠聖には先約があるんだよ!』
「なら、NTRでもしてやる!」
女が三人そろえば姦しいなんだけど、これって完全なやかましいだよな?
「お前を巡って争っているのか。頑張れよ」
「この場でお前を殴ってもいいよな?」
肩をポンと叩いた浩平にオレは握り拳を作った。
訓練場の中央に設けられた100m四方のリング。そこには音姫とリリィの二人の姿があった。審判をするのは冬華。
二人は最終チェックを行っている。
「リリィちゃん。私に勝てると思ってるの?」
軽い問いかけ。だけど、ある意味勝負の行方を決める問いかけ。
「はい」
だから、リリィは即答で返した。
「勝ち目がない戦いなんてない。どれだけ天文学的数字でも、ほんの少しでも勝ち目があるなら、私は戦うから」
「なるほどね。そういう考えは好きだよ。でも、早死にするタイプだね。私みたいに強くなければ」
「だから、勝つ」
リリィがアークレイリアを構えた。アークレイリアの先から光の刃が現れる。
「白百合音姫に勝って、私の強さを証明する」
「面白いね」
音姫はゆっくり腰を落とした。右足を前に出し、左手で鞘を収めて右手で柄を掴む。
「二人共、準備はいいわね。じゃあ」
冬華が手を上げる。
二人の間は約20m。例え音姫でも踏み込むには少しだけ時間がかかる。だが、向こうから踏み込んできたなら時間はほとんどなくなる。
「よーい」
ジリッと二人の靴が微かに音を鳴らした。
「スタート!!」
その言葉と共に二人が動き出す。まるで飛び出すように前に向かって。
次回はリリィVS音姫です。