第九十話 始まり
小さく息を吸ってチラッと物陰から顔を出した。そこから見えたのは人、人、人、人、というか人だけ。人の群れがまるで押し寄せるイナゴの大軍のごとく存在していた。
音界って、こんなにたくさんの人がいたんだね。
「驚いているな、悠人は」
ルーイが楽しそうに笑みを浮かべる。僕は物陰に体を隠した。
「こんな中で話さないと駄目なんだよね?」
「当たり前だ。僕だって例年してきたんだ。そして、ここにいる人達はメリルを慕っている人達。下手をすれば文字通り殺されるだろうな」
「何となくその理由はわかるんだけどね、やっぱり怖いな、あはははっ」
「悠人らしい」
そう言いながらクスクス笑うのはリース。いつもは浩平さんと一緒にいるけど、リースの今日の目的は式典会場全体の護衛。話によればすでに竜言語魔法は張り巡らせているらしい。
用意周到な上に万全だ。だからこそのこの場の護衛。
「そう言わずに助けて欲しいな」
「これも試練。私は見守るだけ。それに悠人は決めたから」
確かにそうなんだけどね。まあ、後悔はしていない。だから、頑張るしかないか。
「大丈夫。アルも見守っている。私も。頑張ってね、お兄ちゃん」
「ついに妹だと認めるんだ」
「浩平にやったらすごく興奮して襲いかかってきたから効果覿面じゃないかと思って」
「聞きたくない話を聞かされたよね!? というか、相変わらずラブラブだよね、二人は」
「何を今更」
そうは言いながらもリースは恥ずかしそうに頬を赤く染めている。こういう時のリースって本当に可愛いから。ルーイだって呆然としているし。
僕は苦笑しながらルーイのわき腹に肘を叩き込んだ。そして、リースの頭を撫でる。
「ありがとう。励ましてくれて」
「子供扱いしないで」
「妹扱いだよ」
「むっ」
そうするとリースは反論出来ないからか口を閉じた。でも、やっぱり恥ずかしそうに俯いている。
「悠人はズルい。私だって頭を撫でたいのに」
「空に浮かべばいいんじゃないかな?」
「それは嫌。そうだ、浩平からの連絡」
「浩平さんから?」
リースはゆっくり頷いた。
「エターナルツヴァイの位置は信号弾で送る。有事の際はそれを頼りにするように、だって」
「だが、それでは敵にも丸分かりじゃないか?」
ルーイが思うのはもっともだ。確かに、信号弾ならその下に何かがあると思うだろう。それに、エターナルツヴァイほどの名機なら狙う奴らはたくさんいるかもしれない。
だけど、リースは心配は杞憂だと言うように首を横に振った。
「エターナルツヴァイを守っているのは音姫」
「なら、大丈夫だね」
「一人なのにか?」
ルーイは音姫さんの本気を知らないからな。あの人が本気を出せば周さん以外に勝てる人はいない。
「音姫さんならね。それよりも、どうして僕にもエターナルツヴァイの場所が知らされてないの?」
「悠人が知れば我先に向かう、と僕は考えているが」
鋭い。実は昨日はエターナルツヴァイを探すか寝るかとうずうずしていたところだった。ルーイは僕のことがよくわかっているね。
リースが小さく「単純」って言ったような気がするけど、僕は無視しておこう。というか、無視しないと。
確かに、メリル放っておいて行く可能性は、極めて高いね。
「エターナルツヴァイを案内するのはメリルだ。安心しろ」
「何が安心しろかはわからないけど、ともかく今は目の前の式典に集中しなければならないんだよね?」
「そういうことだ。今のところはどの部隊も異常無しって返っている。それを考えても式典中は大丈夫じゃないか?」
「甘い。紛れ込まれたならわからない。持ち物検査をしていないから」
「一応、リースが持ち物検査をしているけど、魔術や精霊召喚符なら対応出来ないってことだよね?」
「そういうこと」
確かに、相手がそんなものを使っているなら話は変わってくる。特に、狭間戦役の時のようなことが起きたなら。
多分、被害は百単位では済まない。リースはそうなった場合を警戒しているはずだ。
リースならあの鬼に対抗することが出来るかもしれないけど。
「作戦は全員わかっているな? そろそろ式典開始の時間だ。鈴やリリーナはすでに位置についている」
「そう言えば、ソードウルフの修理が終わったんだよね? ルーイは見た?」
「ああ。ということは悠人は見ていないのか。まあ、見た目はソードウルフだ」
まあ、リリーナがこの短時間で慣れるなら同じ機構の方がいいよね。
「だが、中身は違う」
「どういう風に?」
「最大出力が二倍になった」
「ちょっと待って」
ソードウルフは元々最大出力だけを見ればエクスカリバーやイグジストアストラルに匹敵する。まあ、マテリアルライザーには負けるけど、現存するフュリアスの中では悠遠の翼を持つフュリアスやダークエルフのリアクティブアーマー装備に並ぶくらいの最大出力だ。
それの二倍ということは最大出力の観点から言えば最強のフュリアス。リリーナらしいと言えばらしいけど、大丈夫なのかな?
「心配そうだな」
「当たり前。そんな最大出力の高いフュリアスなんて怖いから。暴走しなければいいけど」
「開発者はアル・アジフだ。万が一にしか無いだろ」
「アル・アジフさんなら」
機械に関しては精通しているから大丈夫かな。
「楽しそうですね」
聞こえてきたメリルの声に僕達は反応した。その場にいた全員が声のした方を振り向く。
そこにはドレス姿のメリルと軍服姿のリマに白の儀礼服を着た琴美さんの姿があった。
確か、琴美さんは式典用アストラルブレイズのパイロット選考に飛び入り参加してかなり荒技を使って勝ち残ったとか。すごく怖いから詳しくは聞けないけど。
それにしても、
「可愛い」
思わず呟いてしまった。メリルの顔が真っ赤に染まる。
「馬子にも衣装とはよく言ったものだ」
「ルーイ、うるさいです。悠人にそんなこと言われたから言う予定だった言葉を忘れちゃったじゃないですか!」
「すごく斬新な怒られ方ね」
「慣れてないの?」
琴美さんとリースが苦笑しながら言っている。確かに怒られ方は斬新だし歌姫がみんなの前でする演説が苦手というのは意外だけど、それがメリルならば話は変わってくる。
メリルは未だに少しは男性恐怖症だからだ。式典にたくさんの人が参加するから男性もたくさんいるだろう。メリルからすれば怖いはずだ。
「大丈夫だよ。みんないるから」
「悠人」
「僕は頼りないかもしれないけどね」
琴美さんもなかなか戦えるし、この中では僕が一番頼りないだろう。でも、いいんだ。
僕は僕らしくやるだけだし。まあ、最悪の想定を考えてすぐに式典用アストラルブレイズに乗れるようにしているだけだけど。
するとメリルがクスッと笑った。僕も笑みを浮かべ返す。
「ありがとうございます。まさか、悠人に励まされるなんて」
「僕から励まされるのはまさかなんだね」
「確かにまさか、だな。僕が覚えている限りじゃ、むしろ励まされる立場だったとは思うけど」
「それはそうなんだけどね」
確かに言われてみればそうだ。僕がルナを失ってから立ち直るまでは励まされる側だった。いつの間にか逆になってる。
「でも、内容を忘れましたし、どうしましょうか」
「メリルらしくやればいいんじゃないかな? 僕はそれでいいとは思うけど」
「私らしく、ですか?」
「そう。メリルらしく。それだけできっと、みんなに届くから。僕はそう思うよ」
「そう、ですね。わかりました。ふふっ」
メリルが楽しそうに笑う。そして、歩き出した。
「では、開会の宣言をします。皆さんはここにいてください」
「気をつけて」
僕の言葉にメリルが歩き出した。僕は安心して息を吐いてデバイスが震えていることに気づいた。
すぐさまデバイスを取り出して通信機と繋げる。
「はい、悠人」
『メリルを出すな! 狙われているぞ!』
その言葉は浩平さんのものだった。僕はすかさず走り出す。だけど、遅い。
ちょうどメリルの肩越しに見える位置にライフルを構えた狙撃手が見えた。あんなところに兵は配置していない。
いきなりすぎる。いきなり、混乱させようとしている。
「メリル!!」
僕の叫びと同時に狙撃手が持つライフルから光が飛び出した。