第七十三話 選択
式典会場。
現在ほとんど完成しているそこはそれほど豪華な場所ではなかった。組み上げられた骨組みの上にある土台。そこで当日にメリルは式典の最初の言葉である歌姫の宣言を行う。だから、僕達は最初、そこそこ豪華なものだと考えていたのだが、どうやら違っていたみたいだ。
そんな僕達の顔を見たメリルがクスッと笑みを浮かべた。
「悠人の想像とは違っていたみたいですね」
「まあ、ね。もう少し豪華なものだと考えていたけど、どうやらそれほど豪華じゃないみたいだし」
「私の方針なんです。式典の台座はそれほど豪華でなくてもいいと。私はそこまでお金をかけることに凝っていませんから。それに、そういうのはむしろ嫌いです」
「今の歌姫らしい言葉だな」
その言葉に僕達は同時に振り返った。そこには首相であるグレイル首相の姿があった。グレイル首相の顔にはどこか苦々しいものがある。
グレイル首相の隣には何故かアーク・レーベの姿があった。リリーナが僕達の前に出る。
「止めろ。争うつもりはない。信じてもらえるかは分からないが」
「そうだね。でも、アークリリスをはめている以上、こっちも警戒しないと」
「これでいいか?」
アーク・レーベはつけていた指輪を外すとそのままポケット中に収めた。それにリリーナは少しだけきょとんとして毒気の抜かれたようにゆっくり元の位置に戻る。
アーク・レーベはその気になればリリーナくらいは圧倒出来るだろう。でも、戦うつもりはないらしい。
「私が来たのは戦いにではなく我らが神のお言葉を伝えにきたにすぎない。当日は参加できないのでな。魔界はどうなっている?」
「私が代理。これでも魔王の娘だから充分だよ」
「だろうな。刹那も参加すると聞いている。ならば、私も参加しなければ音界は天界を魔界よりも下に見るだろう。これからのことで仲良くしていきたいしな」
「何が仲良くだよ。音界に攻めておきながら考えてものを喋って欲しいよね。そもそも」
身を乗り出したリリーナをメリルの手が止める。そして、そのままアーク・レーベに軽く頭を下げた。
「天界の王が参加しないのは残念ではあります。ですが、名高い光明神が参加するのであれば、この国を作り上げてきた御霊も満足するでしょう」
「そうであるならば無上の喜びだ」
そう言えば、天界は死者を敬うという感覚が人界と比べればかなり高いと言う話を聞いている。そもそも、魂は天に昇っていくという話があるくらいなのだから天界もそれに倣っているとおろも多いのだろう。
実際、魔界に悪いイメージを持っている人はいても天界に悪いイメージを持っている人は少ない。学園都市騒乱までは。
「歌姫らしい言葉だな。だが、同意見だ。光明神アーク・レーベ。式典中は自衛以外では戦闘はしないように。天界と魔界の仲が悪いのは有名だからな」
「わかっている。魔王の娘よ。今回ばかりは休戦だ」
「当り前だよ。私だって戦いたいわけじゃない。でもね、そっちが来るなら私だって戦うよ」
「喧嘩を売るなら乗ってやろう。それが我ら天上の民の」
「いい加減にしなさい!」
メリルの言葉が周囲に響き渡った。それと同時に周囲に静寂が訪れる。
「リリーナ。あなたはこの場で、私は見ている前で戦いを起こしたいのですか?」
「それは」
「光明神アーク・レーベ。あなたはそこまでして戦いたいのですか? 戦うことで全てが終わると天界では習ったのですか?」
「それは」
二人が言葉に詰まる。メリルの言葉に二人は何も返せない。
「式典の間だけではありません。出来る限りずっと、皆さんには仲良くして欲しいのです。ただ、それは難しい話です。ですから、私がいる前では戦いを止めてくれませんか?」
「それでも戦うと言えば?」
リリーナが身構える。だけど、アーク・レーベは身構えない。身構えないというよりリリーナの意志がなんとなくわかっているのだろう。
メリルは軽く肩をすくめた。
「そう尋ねる時点で戦うつもりが無いのはわかっています。それに、リリーナが好き好んで戦うわけがありません。それくらい信用しています」
「やっぱりバレてたか。アーク・レーベ。私は天界が嫌いだよ。でもね、友達が泣いた姿はもっと嫌い。だから、ちょっとくらいは許してあげる」
「ちょっとか。手厳しいところだな。私は行こう。宿で休ませてもらう。歌姫メリル。すまなかった」
「いえ。誰も戦いは望んでいないはずです」
そのメリルの言葉を聞いた僕の胸は痛んだ。
戦いを望んでいない。そう思いたい。だけど、奥底では僕は戦いたいと思っている僕がいる。本当に、僕はどうすればいいのだろうか。
アーク・レーベが僕達の横を抜けて歩いていく。リリーナはその背中を見送りながら小さく息を吐いて空を見上げた。
「歌姫らしい仲裁だな。歴代の歌姫とも違う」
「私は歌姫の力をみだりに使うつもりはありません。この力は強大すぎますから」
「確かにな。では、次は式典にでも」
「はい。職務を全うしすぎて倒れないように」
「余計なお世話だ」
苦笑しながら去っていく首相を見ながら、メリルがそっと僕の手を握ってきた。その手は震えている。
アーク・レーベは強い。そして、リリーナも強い。二人が逆上して襲いかかったならメリルには対抗する手段は少ない。だから、怖かったのだろう。でも、勇気を出して止めた。
それには純粋に敬意を覚えてしまう。
僕は優しくメリルの手を握った。メリルは僕の顔を見て優しく笑みを浮かべる。
「悠人は優しいのですね」
「優しい、のかな。わからない。みんな、優しいから。僕が優しく出来ているかなんて」
「優しいですよ。私が断言します。だから、自信を持ってください」
その言葉に頷く。優しいことに自信は持てないけど、メリルの言葉は信じてみようと思う。
「悠人って時々すごく優しくなるからね。悠人、私と結婚しない」
「いきなりすぎて冗談にしか聞こえないから。それに、僕はまだ人が好きになるなんてわからないし」
「まあ、悠人らしいよね」
「はい、悠人らしいです」
褒められているわけじゃないけど、悪い気はしない。それが僕なら。
「悠人は、これからどうするつもりですか?」
「どうするって」
「そのままの意味です」
メリルが聞いているのは、おそらく、このままフュリアスに乗って戦うのか、フュリアスに乗らず音界で暮らすか、人界に戻った戦いとは無縁の場所で暮らすか。
本当に、どうすればいいんだろうね。
「私個人の意見を言わさせていただくなら、悠人は戦いとは無縁の場所で生きて欲しいと考えています。それはリリーナだって同じ意見です」
「うん。悠人は優しい。優しすぎて、今にも壊れそうなんだよ。これ以上戦えば、悠人はきっと壊れてしまう。だから、そうなる前に戦いと離れて欲しいの」
「ですが、悠人が望むなら、戦いを望むなら、私達は悠人の意志を尊重します。何を選択するかは、必ず悠人が決めてください」
「どうして、この場所で?」
もっと別の場所、例えば夜になって部屋の中で話してもいいとは思うのに、二人はここで話した。もしかしたら、合流する前から決めていたのかもしれない。
二人共、鈴を入れた三人共、僕をよく見ているから。だから、僕のことを考えてくれる。
「もし、悠人がここに残るなら、悠人を私の騎士に任命しようと思っています」
「ちょっと待った! そんな話は私は聞いていないよ!」
「頷いてくれれば悠人は私のものです」
「悪魔の選択だよね! メリルじゃなくて私を選んで!」
話が変わってない?
「いえ、ここに来た最大の目的がそれですから。最初はルーイにしようかと考えていたのですが、やはり、あなたしかいませんから」
「むかっ。せめて、それは鈴がいる三人の場所でお願い出来るかな?」
「いいですよ。悠人は必ず私を選びますから」
「どうかな? 悠人と一緒にいる長さは一番長いんだから」
二人が顔を合わせてお互いに各々の意見をぶつけ合っている。これって端から見れば、
「痴話喧嘩しているところ悪いんだが、ちょっといいか?」
そうなるよね。
僕が振り返った先には真剣な表情をした浩平さんとリースの姿があった。
メリルとリリーナの二人も二人の方を振り向く。
「ちょっと悠人を借りていいか? 話したいことがあるんだ」