第七十話 二人の歌姫
メリルが楽しそうに鼻歌を歌いながら僕の腕を抱え込む。それを見ながら僕とリリーナの二人はお互いに笑みを浮かべ合っている。
射的の屋台は結局ラルフさんの勝ちだった。一点差で。
どれだけ低レベルだったかは語れない。というか、語りたくない。寂しそうに肩を落としながら帰る二人を見れば完全に語るわけにはいかないと思ってしまう。
「こういうのもいいですね。今まではこういう風にお祭りを楽しむということはしていなかったので」
「リリーナは主催者側だからね。でも、楽しんでくれているなら僕達も嬉しいかな。それにしても、本当にすごい規模だよね」
「そうだね。人界にはこういう規模の祭りはないんじゃないかな?」
「魔界にはあるの?」
「うん。どんな組織も戦闘を行ってはいけないっていう時期にはみんな争いなんて忘れて盛大な祭りを開催するから。年に一回の日が沈まない日の次の日に開催されるから白夜祭。喧嘩はあっても戦争はない日だよ」
そういう日があるのは初耳だった。魔界にも人界と同じように記念日があるんだな。
大通りだけじゃないくて大通り付近の通りも、さすがに路地にはないけれど、見える範囲には所狭しとたくさんの人が群れている。そして、楽しんでいる。たくさんの屋台に群がっている。
こういう街一つを全て使った祭りだなんて人界でも珍しい。というか、日本には無いんじゃないかなと思ってしまう。
「そうですね。こういう日は喧嘩が無いにこしたことはありませんし、それに、年に一回のお祭りですから。スピーチするのは気が滅入りますけど」
「メリルもそう思うんだ」
「悠人、私を誰だと思っているんですか? これでも同じ人間ですよ。大勢の前では緊張しますし間違いだって起こします。でも、今回はかっこつけたいところですけどね」
確かにメリルも確かにそうだよね。僕はメリルがずっと凄いと思っていたから。
「あれ? 三人共どうしてここに、もぐっ」
「姉さん。三人はデートですから邪魔しないように」
その声に振り向くと、力づくで路地裏に引き込まれている音姫さんの姿があった。由姫さんは隠れているつもりだけど、アル・アジフさんが呆れたように立っているから隠れていない。
余計な気なんて回さなくてもいいのに。
「音姉様!」
「手遅れじゃな」
アル・アジフさんがため息をついている横を通り抜けて僕の手から離れたメリルは音姫さんに抱きついていた。音姫さんも楽しそうに抱きついている。
僕とリリーナはお互いに苦笑し合ってアル・アジフさんに近づいた。
「珍しいよね。アル・アジフさんが二人と一緒にいるなんて」
「それもそうじゃな。我も調べものをしていたから気晴らしに遊びに出たところで偶然会ったのじゃ。由姫は嫌いじゃないからの」
「音姫さんは嫌いなんだ」
「当り前じゃ。人を人形みたいに扱いよって」
「だって、可愛いんだもん!」
すると。アル・アジフさんの背後から音姫さんがその体を抱きしめていた。もちろん、力づくで。
「ええーい! 離せ、離さんか! こういうところで白百合流の動きを使うではない!」
アル・アジフさんが必死に逃げようとしているけど、音姫さんはそれを離さない。というか、今、白百合流って言っていたよね。明らかに才能の無駄遣いなような気もするけど。
「うひゅひゅ。アルちゃんの抱き心地は世界で二番目に柔らかいな」
「どう考えても不審者だね」
「不審者にしか見えないよ。音姫さん。そろそろアル・アジフさんが困っているから」
前髪がはらりと舞った。いつの間にか抜かれた光輝の刃が鞘に収められる。
速いを通り越して見えなかった。というか、機動すら見ることが出来なかった。
「姉さん。それは才能の無駄遣いです」
「そうかな? でも、怪我していないから大丈夫だよね?」
無邪気に微笑む音姫さん。音姫さんの剣技を知っていなかったらここで喰ってかかっていたところだけど、勝負にならない勝負はしない方がいいから頷く。それを見た音姫さんはさらに強くアル・アジフさんを抱きしめていた。
こういう時ってどうしようもないよね。
「音姉様はどうしてここに? 確か、見回りに出掛けているはずじゃありませんでした?」
「そうだったんだけどね、孝治君と冬華さんの二人が代わってくれて。二人共、訓練しながら見回りするって」
「音姫さんはは外周組だったんだ。冬華さんはだいぶよくなったの?」
「悠人、他の女を気にしてる」
メリルが少し不満そうに頬を膨らませ、音姫さんがクスッと笑った。
「悠人君は優しいから。あーあ。私も悠人君みたいに優しい人がいたらな」
「そもそも、そなたと釣り合う男がいるわけないじゃろ」
溜め息をつきながらアル・アジフさんが音姫さんから抜け出した。音姫さんは名残惜しそうにアル・アジフさんを見ているけど、どうやら少しは満足したらしい。
確かに、音姫さんと釣り合うような人はいないかな。周さんならとは思うけど、音姫さんにとって周さんは大切な弟で家族だって聞いているから恋愛対象じゃないだろうし、音姫さんは戦場ではまさに化け物だからそれについていける人はいないよね。
すると、由姫さんが呆れたように溜め息をついた。
「全く。そういう姉さんはギ」
その瞬間、二人が動いた。としかわからなかった。
いつの間にか音姫さんが光輝を抜き放ち、由姫さんが栄光を身につけて構えている。さらには二人の距離は10m近く開いていた。
「い、今、何が起きたのですか?」
「さ、さぁ」
何が起きたかはわからず、ただ、見たのは今の光景だけ。
「白百合流秘剣第一節『紫電零閃』じゃ。久しぶりに見るが、完璧な一閃じゃったな」
「アルちゃんにも見えたのか。まだまだだな」
「今、殺す気でしたよね?」
由姫さんが深く身構える。音姫さんもそれに応じるように光輝を構え、二人が同時にさらに距離を取った。
それと共にちょうど真ん中に着地する海道正とルーリィエ。正さんは呆れたような表情になっているけどルーリィエは今にも泣きそうだ。
「こんな街中で争っていると思ったら君達か。本当に、知り合いとしては嘆かわしいよ」
「二人の間に入るなんて自殺行為じゃないの!? しかも、魔王の娘までいるし! ここは地獄なの!?」
正さんが苦笑しながら言う。ルーリィエは完全にびびっている。まあ、仕方ないと言えば仕方ないけど、正さんって何者なんだろう。
話し方は特徴的だし、周さんに似ているし。
「由姫ちゃん、命拾いしたね」
「それはこっちのセリフです。今の私は姉さんの知っているような弱い私ではありませんから」
「じゃ、今すぐ手合わせしようか。訓練所を借りる手続きをしないと」
「そうですね。天狗になった姉さんの鼻を私がへし折ってあげます」
「せめて別の場所でやってよ!」
ルーリィエが泣きながら叫ぶ。確かに、この二人が一触即発な空気になるのは珍しいし、二人が戦えばここは壊滅的な被害になる。
ルーリィエが泣きたくなるのは無理もないよね。あっ、もう泣いているのか。
「二人は街中の見回りみたいじゃな」
「そうだよ。最近暇をしていてね。ルーリィエの手合わせもマンネリ化してきたし」
「相変わらず負けているけど」
そう言えば、ルーリィエは正さんによってレベルの底上げがされているんだっけ。リリーナは音姫さんだけど。
僕達の知らない間にいろいろと話が進んでいるみたいだな。
「やっぱり、音姉様はかっこいいです」
「そうだよね。悠人と違って凛々しいし」
「確かにそうだけど」
なんでだろう。そういう風に言われるのは少し傷つく。
「いえ、悠人もかっこいいですよ。特に、フュリアスに乗っている姿は」
「フュリアスに」
その言葉を聞いた瞬間、僕の胸の中で何かが膨れ上がった。これは、怒り?
「はい」
「かっこよくなんかないよ」
僕はそう言うと一人で歩き出した。メリルとリリーナの手が離れる。
「少しだけ一人にして。考えたいことがあるから」
「悠人?」
「わかった。メリル、ちょっとだけ悠人を一人にしてあげて。じゃあ、一時間後、中央の噴水で」
リリーナの言葉に僕は頷いてさらに歩く。どこに行こうかなんて考えなかった。ただ、一人になりたかった。