第六十七話 日常の自分
袖に腕を通す。儀礼用の服だからごわごわしていて着にくいし、新品だから硬い。それでも、こういう服を着る機会は滅多にないから少しは楽しい。
しっかりとボタンを閉めて鏡に映る僕自身の姿を見た。背伸びしたような格好だけど、これはこれで新鮮なのかもしれない。
コンコン。
ドアがノックされる。それを聞いて僕は振り返った。
「どうぞ」
その言葉と共にドアが開き、そこから鈴が姿を現した。その背中にはリリーナも付いている。
「一人で大丈夫だった?」
「大丈夫だよ、これくらい。ほら」
鈴の言葉に笑顔で返しながら僕は両手を広げた。しっかりと着こんだ服を上から下まで舐めまわすように二人は見る。そして、二人は声を揃えて、
「「似合わない」」
「うぐっ。なんとなくわかっていたけど」
「背伸びした感覚が強いよね。でも、凄くかっこいいかな。似合わないけど」
「最後の言葉が余計じゃないかな? まあ、背伸びした感覚が強いのは賛成するけど。一応は着とかないと。三日後だから」
そう言いながら鏡の前で一回転する。うん。おかしなところは見当たらない。
三日後にある式典には本当なら第76移動隊全員が参加する予定だった。だけど、周さんだけは調べもののために来ることが出来ない。
しかも、特に僕はメリルに近い位置で参加するため服装は出来うる限りしっかりしないといけない。さもないと、笑われる。
もう笑われているけど。
「私達は第76移動隊の新制服だから。式典用って聞いてる」
「ただの部隊が国の、しかも、音界の式典に参加するんだから仕方ないと言えば仕方ないけど、ドレスみたいで嫌だったな」
「今までの制服は綺麗なだけの服だったし」
確かに、新制服は男子はタキシードに近いもの、女子はドレスに近いものとなっている。僕だけは音界の歌姫に近い位置にいるため音界での式典服、しかも、昔使われていた貴族用のものだ。
あんまり着たくはないけれどね。
「悠人は大丈夫そうかな」
すると、鈴が少し嬉しそうにはにかみながら言ってきた。リリーナもどこか安心したような表情になっている。
「何が?」
「ほら。短期間で二回も負けたし」
「まあ、そうだけどね」
ダークエルフとエクスカリバー。長年の愛機はどちらもストライクバーストによって撃破され大破となった。
エクスカリバーは修復不可能でダークエルフは修復可能だが、システム面での再調整が必要なため三ヶ月は最低でも使用出来ないらしい。つまりは今、僕が使う機体は無い。
「それに、かなり落ち着いたよね」
「あの時は、ごめん」
「謝らなくていいよ。私も鈴も悠人が心配だっただけだから。それに、メリルがたくさん怒ったからそれでいいの」
「いいのかな?」
本当にそう思ってしまう。だけど、いいと思っていないとこれから何かと迷惑をかけるかもしれない。今回の好意は受け入れておこうかな。
「悠人はさ、今日はどうするのかな?」
「予定は何もないよ。鈴が確か」
「うん。二時間後に模擬戦。アストラルレファスとアストラルソティスの二機と」
「クーガーとラルフだね。二人は手ごわいよ」
ルーイと同じ悠遠の翼を持つ機体に乗るクーガーさんとラルフさん。どちらも他人のシュミレーションを見ている限りじゃかなり強敵だ。
どちらも近接型仕様でクーガーさんのアストラルレファスは近接格闘戦に特化し、ラルフさんのアストラルソティスは近接戦に特化している。敵ならばあまり戦いたくない相手だろう。
「そっか。頑張ってね。イグジストアストラルだったら大丈夫だから」
「そうだといいんだけど、私は前の戦いでもダメだったし」
前の戦いで鈴の怪我はかなり重傷だった。もし、艦内に委員長さんがいなければ未だに鈴はベッドの上だったに違いない。
右足と両足の骨折に肋骨が三本折れ、その内二本が肺に突き刺さっていたり、全身の筋肉が異常をきたし、一部では断裂していたらしい。
委員長さんが治癒魔術を最大限にまで使用してくれたから今では普通に暮らしているけど。
「今はリハビリをしっかりしないと。相手に志願してくれたクーガーさんやラルフさんに申し訳ないから」
「ラルフはともかくクーガーは下心満載じゃないかな?」
「委員長さんに声をかけて俊也君にボコボコにされていたよね」
「そうそう。『愛のためなら障害すら乗り越えて見せる!』と前髪をかき分けながら言った瞬間、フィンブルドの風が吹き飛ばしたんだよね」
クーガーさんは弱いわけじゃない。実際に室内戦では油断した由姫さんから一本だけ奪っている。見た目は軽薄だが実力は高い。
それでも、基本的に声をかける女の子(何故か第76移動隊中心)からはボコボコにされているけど。とくに、ベリエさんなんて容赦なくボコボコにしていた。
「残念系イケメン?」
「鈴。それだけは本人の前で言ったらダメだと僕は思うよ」
「そうだな。それには僕も賛成だ」
その声に振り向くと扉の場所にいつの間にか私服のルーイがいた。ここでは軍服かパイロットスーツだったから紺のジーパンに白っぽい長袖のシャツを着たルーイは無駄に爽やかだったりする。
ルーイの後ろからこちらを覗き込むようにメリルがいるけど。
「クーガーはメリルにも声をかける男だ。最初の時はメリルが悲鳴を上げて逃げたから捕まったが」
「あんな人は一度捕まればいいのです。ところで、悠人。悠人は今日は暇ですか?」
「そのことについて話して」
「悠人は私と出かけるの!?」
僕の言葉が遮られてリリーナが僕の腕を胸に抱え込んできた。嬉しいことには嬉しいけど、鈴とメリルの二人が殺気を込めた目で見てくるのは嫌かな。
メリルが少しムッとした表情で姿を現す。そして、僕達は完全に釘付けとなっていた。
メリルが来ているのはピンクのゴスロリ服。身長がそれほど高くなく、年齢よりも幼く見えるメリルだからこそ、似合っていた。似合いすぎていた。
このまま死んでもいいかも。
「悠人も男だな」
ルーイが少し遠い目をしながら言う。何かあったのだろうか。
「悠人。私と出かけなさい!」
「ここで命令が来るなんてついに本性を表したね。悠人、メリルなんて放っておいて早く着替えて出掛けようよ。今、首都は活気に満ちているんだから」
「リリーナは二日前に鈴と一緒に出掛けたじゃありませんか?」
「メリルは昨日、布団の中に潜り込んでいたよね?」
「リリーナは昨日、おはようのキスを頬にしていました!」
「メリルはお休みのキスをしていたじゃん!」
「二人共、静かにしようよ」
「「鈴はずっと看病されていたくせに!」」
「ごめんなさい!」
どうしてだろう。布団の中に潜り込まれたとかおはようのキスとか僕が知らない言葉が飛び交っているのはどうしてだろう。
すごく、怖いんだけど。頼みの鈴は涙目で、ルーイは楽しそうにニヤニヤしているし。
「誰か、助けて」
「悠人、ごめんね。私の力が及ばず」
「ううん。鈴は頑張ってくれたよ。というか、どうしてみんなで言ったらダメなのかな?」
「それは女の戦いだからなのですよ」
男の僕には到底理解したくない事柄だな。
「でも、羨ましいな。一緒にお出掛けできて」
「鈴」
「私は今はリハビリをしないと。悠人は私が守るから」
今の僕に力はない。ダークエルフもなければエクスカリバーも無い。だから、守られるしかない。
「お願いしようかな」
「お願いされました。悠人、頑張ってね」
「頑張るよ」
鈴が僕に手を振りながら部屋から出て行く。入れ替わるようにしてニヤニヤと笑みを浮かべたルーイが近づいてきていた。
「本当に、見るだけなら全く飽きないな」
「少しは飽きて欲しいけどね。僕のどこがいいのかな?」
「それ、本気で言っているなら確実に恨まれる言葉だな。僕からすれば、悠人は優しすぎる。そして、みんなを守れるほど強い。女の子がコロッといくわけだ」
「そんなつもりはないんだけどね。今も、普段の、日常の自分を出しているだけだから」
「日常の、ね」
ルーイが意味深くその言葉を吐くと小さく溜め息をついた。そして、僕に背中を向けて歩き始める。
「決まったら教えてくれ。僕は廊下で待っているから」
「助けてくれないんだね」
「馬に蹴られて死ぬ趣味はない。せいぜい頑張れ」
せいぜい頑張れと言われても、放送禁止用語が大量に飛び出して口げんかを始めた二人をどうすればいいのだろうか。
いつリリーナがアークベルラを、メリルが歌姫の力を使わないかかなり心配なんだけど。
僕は小さく溜め息をついて、とりあえず服を着替えることにした。多分、その間に静かになってくれるから。