第三十九話 アル・アジフの力
少しばかりキレているアル・アジフとネクロノミコンと言う魔術書を握る男。ただし、男は大量の汗を流している。
「ご愁傷様ね」
「ああ、やっぱり?」
冬華の声にオレは苦笑していた。この状態のアル・アジフは大好きなお菓子を食べられた時のアル・アジフだ。
つまりは誰も止められない。
「本当にいい度胸じゃのう。たかがネクロノミコンごとぎが原典でもあるアル・アジフに抗おうというのか? それは神にただの人が抗うのと同じことじゃぞ?」
「くっ、だが、私のネクロノミコンは最強だ! 受けよ!」
魔術が発動する。20にも及ぶ炎の塊がアル・アジフに狙いを定め、全てが一瞬にして砕かれた大地の中に呑み込まれた。
オレは今の光景を信じることが出来ずに何回かまばたきをする。
「なあ、冬華。オレの見間違いじゃなかったら上級の炎属性魔術を大地属性の具現化魔術で迎え撃ったよな?」
「ええ、そうね。あなたの見間違いではないわ」
具現化魔術の瞬間発動って初めて見たのだけど。
明らかに相手は青ざめている。無理も無い。実力の差がありすぎるからだ。
「だ、だが、これで今の魔術はネクロノミコンに記述された。さあ、次は私の」
「そのネクロノミコンがどんなものかはわからぬが」
アル・アジフが魔術陣を展開する。それは周囲の地面を丸ごと囲うどころか周囲一帯の建造物にまで魔術陣が広がっていた。
つまりは格納庫全体にまで。
オレ達の背筋が寒くなる。これ、一時は物理属性具現化魔術と言われていた技じゃないか?
アル・アジフはにこりと怖いくらいの笑みを浮かべた。
「我が力に対等出来ると思っているのかの?」
「お、思っているさ。私のネクロノミコンは最強だ。そう」
そう言葉を続けようとした男の前に鉄骨が突き刺さった。一歩後ずさった男の後ろにも鉄骨が突き刺さる。
冬華は呆れたように溜め息をついてオレはポカンと口を開いていた。
どこぞのハンマーを持つ暴虐姫がよく使う、というかそいつしか使えないこの魔術はここまで細かい操作は出来ない。でも、アル・アジフは効果的に使った。
ギリギリで当てないという所業を。
「ほう。やれるものならやってみるがよい。我は手加減することなくそなたを撃ち抜くぞ」
「へ、平和が一番じゃないかな。あはは、あははははっ」
「全く。先生は」
オレ達の表情が強張る。アル・アジフも浮かべていた笑みを止めていた。
何故なら、いつの間にか男の横に槍を持った少年がいたからだ。オレは気づかなかった。そして、アル・アジフも気づいていない。
スピード型か、それとも瞬間移動の持ち主は。
「例えアル・アジフを封じれても姉さんは封じれないのに」
「格好つけたかったのさ」
呆れたように溜め息をつく少年。
「まあ、いいや。先生は後ろに下がって。姉さん、決めましたか?」
少年が笑みを浮かべながら冬華に向かって槍を構える。オレを含めた全員の視線が冬華に向いた。
冬華はそれに答えるように雪月花を構える。
「もう止めなさい。あなた達の考えは間違っているは」
「だからこそ、姉さんについてもらいたいのだけどな。姉さんなら必ず、僕達を正しい方向に連れて行ってくれるから」
「無理よ。あなたが思っている以上に、あなた達は黒猫に依存している。だから、もう戦うのは」
「あーあ。姉さんなら穏便に済ましてくれると思ったのにな。もういいや」
スタッと着地する音がいくつも重なる。周囲には緑色のローブを来た同い年くらいの人達の姿があった。
冬華は雪月花を握り締め歯軋りする。
「ここで目的を達成させてもらうから。姉さんが阻むなら倒すだけ」
「こんなことをして意味はないわよ! あなた達がしようとしているのは世界に対する反逆」
「それがどうかしたの?」
冬華が絶句する。それに対して少年は笑みを浮かべた。
「面白いね。本当に姉さんの考えは面白いよ。やっぱり、数少ない生身の人間だからかな。僕達は失敗作なんだよ。シリーズになれなかった失敗作。だから、黒猫様に従っている。そうじゃなかったらここにはいないからね。さあ、姉さん。決めてよ。失敗作のために手伝うか、失敗作に殺されるか」
「冬華」
オレは冬華の手を握り締めた。そして、ゼロ式精霊銃を少年に向ける。
少年は微かに目を見開いてオレを見て来ていた。
「へぇ、姉さんを庇う男の人がいるんだ」
「まあ、お前がオレ達の敵であることには変わりはないからな。それに、お前らの狙いが少し胡散臭いし。狙いはイグジストアストラルのパイロット、本当にそうなのか?」
その言葉に冬華が驚いてオレの顔を見る。オレは笑みを浮かべて少年を真っ直ぐ見ていた。対する少年の顔はどことなく不満そうである。
どうやら当たりみたいだな。
「パイロットだけを狙うなら影から撃ち抜けばいい。でも、お前達は囲んだ状態から狙った。リリィがいなければかなりマズかったけど、作戦としてはおかしいだろ? お前達の狙いは何だ?」
「イグジストアストラルのパイロットを殺すこと。それが命令された内容だよ」
「なるほどね。嘘は無さそうだな。つまりは、冬華も狙いってわけか」
その言葉に冬華がビクッと震えた。少年はかなり不満そうにオレに向かって拍手している。
「さすがは最高の精霊召喚師。そこまで考えるなんてね。でも、一つだけ間違っているよ。僕達は姉さんには興味ない。正確には」
「最上級精霊じゃな。精霊を道具として利用しようなど虫酸が走るが、今は我慢してやろう。感謝するのじゃぞ」
アル・アジフが静かにアル・アジフを開いた。たったそれだけで緊張感が変わる。
それだけの行為で周囲のローブを着た面々が一歩後ろに下がったのだ。オレ達も思わず下がりそうになる圧力。
今までの会話で色々とわかったけど、どうやら学園都市騒乱の時の敵勢力の一部が黒猫だというのは確定してわかったことだ。
「正解だよ、アル・アジフ。さて、この場をどうするのかな? 生憎と、僕達は簡単に負けるほど弱くないしね」
「どうやら驕りだけは人一倍あるようじゃな。悠聖、そなたは手を出すな」
「どうしてオレ限定なんだよ」
「そなたが一番、熱くなり易いからじゃ。特に、精霊に関することなら」
アル・アジフの言葉にオレは黙るしか出来なかった。もちろん、それが事実だったからだ。
精霊に関することなら熱くなり易い。それはオレが黒猫にやられた時から明白なことでもあった。しかも、自分で抑えることは出来ない。
「それに、この程度なら本気を出せば秒殺じゃ」
「何だって?」
その言葉に周囲が殺気立つ。それと同時にアル・アジフは呆れたように溜め息をついていた。
「そうかっかするではない。そなたらはもう」
そして、アル・アジフは無造作に拍手した。
「捕まっておるのじゃから」
その瞬間には周囲の誰もが魔力によって作られた縄によって絡め捕らえられていた。早業ってレベルをとうに超越している。
いや、誰もがじゃない。唯一、オレ達と会話していた少年が逃れている。
「今、何をした!」
「そなたと同じことじゃ。そなたの瞬間移動は魔術陣から魔術陣への文字通りの転移。我は魔術陣そのものを転移させただけのこと」
アル・アジフは簡単に言っているが、普通に考えたらありえないほど不可能なことでもある。
魔術陣の転移自体は不可能じゃない。ただ、ピンポイントには出来ない、複数人に転移なんて無理だ。それをアル・アジフは軽々と行った。
しかも、魔術の発動は全て拍手。つまりは拍手した瞬間に合計で22もの魔術を発動したのだ。ピンポイントに。
不可能通り越した何かだよな?
「さて、後はそなただけじゃな」
「くそっ」
少年の姿が消える。そして、アル・アジフの背後に回り込んでいた。そのままアル・アジフに向かって槍を振るい、アル・アジフの体をすり抜けた。
そんな少年の背中に上から光が落下して叩き潰す。
「こんなものじゃな」
そう言いながらアル・アジフはアル・アジフを閉じた。レベルが違うとか言っている次元じゃないよな?
「それにしても、こやつらの自信はいったいどこから来たのじゃ? 我がいる時点で逃げるのが妥当なのに」
「凄い自信だな。とりあえず、こいつらから色々と聞くしかないか。穏便に」
そうオレが言った瞬間、背筋を嫌な予感が駆け抜けた。
『精霊帝。危険だと私は考えましたので、強制的に魔術を発動させてもらいます』
その瞬間、オレの足元を中心に魔術が形成された。それに気付いたアル・アジフが魔術陣の中に飛び込んだ瞬間、爆発が起きた。
展開された魔術は空間隔離型防御結界魔術。簡単に言うなら防御魔術と結界魔術の合成魔術だ。ダメージは通らないけど音は通る。
轟音によって耳が遠くなる。視界も爆発による光で潰されたし、エルブスがとっさに魔術陣を展開しなければ確実にやられていただろう。
痛む目を堪えて目を開けた先には、ほぼ全壊となった格納庫の姿があった。ただ、イグジストアストラルとソードウルフにダークエルフは無事だ。耳の機能はなかなか戻らないが、何かを叫びながらこちらに駆け寄ってくるアルネウラと優月の姿はある。
「狙いはこれじゃな」
アル・アジフが呆れたようにため息をついた。そして、オレはその言葉の意味を悟る。そして、同じように意味を悟った冬華がその場に座り込んだ。
狙いは鈴を殺すこともあるのだろう。最上級精霊を狙っているのもあった。でも、本当の狙いは、
「オレと、冬華と、鈴の三人の抹殺か」
「そのようじゃな。悠聖、そなたは冬華を見ておるのじゃぞ」
「そんなこと、言われなくてもわかっている」
オレはそう吐いて、拳を握り閉めた。