第百八十二話 風王具現化
こんなタイトルですが風王具現化で暴れまくるという意味ではありません。
気配を出さずに動き、音も無く着地する。
隠密行動の基本であり、魔術を使えば簡単だが見つかりやすい。だから、隠密行動を行う部隊は魔術無しでそれを行えるように訓練される。
隠密行動を行っている人物は周囲を見渡した。周囲には何人もの監視役がいるが、その人物がいる位置には気づいていない。
その人物は小さく息を吐いて目を瞑った。
『周さん、見つけたよ』
そして、周に向かって精神感応によって言葉を送る。
通常の魔術による通信ではよほどの高度な魔術を使った通信機で無ければ傍受されるか妨害されるかのどちらかだ。特に、持ち運び型や艦内での通信用は極めて受けやすい。
もちろん、いくらか高度な魔術であっても妨害は受けるし傍受の可能性もある。だが、精神感応は違う。
個人個人が違う魔力の波動やら何やらを登録しておき、その波長に対して語りかける方法のため、精神感応を直接妨害するようなことしか出来ない。
通信機の機能が著しく下げられている今の学園都市内においてその通信能力は貴重であった。
『見つかったか。っく、場所は?』
精神感応を行う人物、亜紗へ周が言葉を返す。亜紗は周囲を見渡した。
『学園都市の中央。周囲にシェルターが全く存在しない空白地帯』
『なるほどな』
亜紗がいるのは学園都市のほぼ中央である広場の草むらの中。草むらの影に隠れているわけじゃない。草むらの中に完全に隠れているのだ。
草が鳴るのは動くから。なら、最初から動かないように固定した、いや、固定された状況ならやりようはある。ただし、全身擦り傷だらけになるので戦闘服による自動防御は必要だ。
亜紗が見ているのは広場の完全な中央にある噴水。だが、噴水から水は出ておらず、まるで枯れたかのような状況になっている。
確かに、ここなら候補の一つとして成り立つだろう。
『親父やお袋をそっちに向かわせるように仕向けたいけど』
周の声はどこか焦っているようにも聞こえた。海道夫妻をたった一人で抑えているのだ。疲れが出ていてもおかしくはない。
亜紗は周囲を警戒しながら言葉を返す。
『撤退するのは?』
『あれだけ啖呵を切った以上、撤退するのはかっこ悪いだろ。それに、今は時間を稼がないといけない』
亜紗の視界の中で噴水を破壊しようと四苦八苦しているローブの集団がいる。
『エスペランサが攻められているから早く進みたいとこだけど、今まで先手を取ってきたんだ。出来る限り先手を取り続けたい』
『一度でも後手に回れば勝機は限りなく低くなる。部隊の全体的な強さは向こうが上だ。向こうが先手を取っているように仕向けて先手を取る。それが一番妥当な作戦』
その言葉と共に亜紗が微かに目を細める。
『見つかった』
亜紗が迷うことなく言う。だが、周はそれを気にすることなく言葉を返す。
『地形特性を考えて戦えよ』
今の学園都市にある最大の地形特性。それに気づいている人は少ない。もちろん、第76移動隊のメンバーは知っている。
亜紗は頷きながらその場から飛び退いた。それと同時にそこに誰かが着地する。
緑を基調とした戦闘服。年齢は50近いだろう男。それを見ながら亜紗は七天失星の柄に手を乗せる。
「気づいたのは俺だけか。不甲斐ない」
緑色の服装から黒色の服装に変わる。
「だが、別にいいだろう。女の子を潰すなら」
その瞬間、亜紗は後ろに跳んだ。それと同時に亜紗がいた場所に拳が直撃する。だが、その位置は砕けない。
それがわかっているから亜紗は看板を踏みしめ、七天失星を握りしめながら前に出た。
男が目を見開いている間に亜紗は七天失星の剣閃を叩き込んだ、つもりだった。
だが、七天失星の深層石の刃が黒色の戦闘服によって食い止められる。
亜紗が目を見開いた瞬間、男の手が亜紗の腕を掴んだ。
「気持ちがいい」
そして、亜紗は地面に叩きつけられた。力任せに横に振られただけなのに、亜紗の体は地面と平行に叩きつけられていた。
あまりの衝撃に声にならない音が亜紗の口から響く。
「さて、どうやって潰すかな」
地面を転がる亜紗の横に男が着地する。服装は赤い。
亜紗は痛む体に力を込めてその場から飛び退いた瞬間、炎の塊が亜紗に迫っていた。七天失星の腹で炎の塊を打ち上げて、
「隙あり」
背後に回り込まれていた。
回避が間に合わない。七天失星の位置は振り上げた体勢。いくら体を戻そうとしても無理がある。
男は拳を握りしめている。
亜紗は目を微かに細める。そして、体を回した。
男の服装は黒。七天失星が受け止められのは亜紗もわかっている。わかっているが亜紗は七天失星を振り下ろす体勢にあった。
だが、男の腕が速い。亜紗が七天失星を振り下ろすより速く、男の拳が、
亜紗の体をかすめた。
「なっ」
男の驚く声と共に振り切られた七天失星が男の体を吹き飛ばす。男は地面を転がった。
すかさず七天失星を鞘に収め、亜紗はその場から走り出す。何人かの足音が聞こえているからだ。戦闘によって見つかった以上、隠密行動を取る価値はない。
亜紗はたった三歩で最高速度に到達し、距離を突き放す状態で、緑色の服装になった男と並んでいた。
亜紗が七天失星の柄に手を乗せた瞬間、神速の拳が亜紗の腹に突き刺さっていた。
亜紗は体をくの字に折り曲げられ吹き飛び壁に激突する。
「同じ場所に八つの斬撃を受けたなら吹き飛ばされるか。勉強になった」
痛みをこらえて立ち上がった瞬間、目の前に拳が迫っていた。猛烈な風を纏わせ振るわれる拳。
亜紗は冷静に分析する。冷静に分析して、
冷静に、リミットを外した。
亜紗の体が横にズレて拳をギリギリで避ける。そして、七天失星を握りしめて亜紗は男に向かって振り切った。だが、男の黒の服が七天失星を受け止める。
すかさず後ろに下がり、男の拳が空を切った。その瞬間に亜紗は七天失星を大上段から振り下ろした。
今度は七天失星が男を後ろに下がらせる。
亜紗はスケッチブックを取り出してページを捲った。
『あなたの能力はわかった』
「ほう。だが、今度は外さない」
男が拳を握りしめる。そして、前に踏み出した。だが、その拳は亜紗の手前寸前で奇妙に軌道を変えて当たらない。
亜紗は距離を取りながら七天失星を右手で構える。
『黒の服は攻撃と防御。緑の服は速度。赤の服は魔術にそれぞれ特化している』
「わかったところでどうしようもないはずだ。お前は一人。今まで戦っていた壁ならともかく、地上ではすでに見つかっている」
その言葉に亜紗は頷いた。頷いて、七天失星を鞘に収める。
『だったら、倒せばいい』
その言葉と共に亜紗はスケッチブックを空高く投げ捨てた。そして、腰を落として背後から飛来した矢を避けつつ鞘に収めていた七天失星を振り返りながら抜き放った。
それと同時に放たれた風の刃が矢を放った人物を吹き飛ばす。
亜紗が七天失星を鞘に収めてスケッチブックを受け止めた。
『それが真理』
「同じだな。俺と同じだ。さあ、死合うとしよう。俺の能力か、お前の居合いか、どっちが強いか」
『居合いじゃない』
亜紗は首を横に振ると七天失星を抜き放った。それと同時に七天失星を風が包み込む。いや、風は亜紗の全身を包み込んでいた。
『私はまだ、負けられない』
「風王具現化か」
男の言葉にはどこか苦々しさが混じっていた。
風王具現化。
風属性魔術でありながらあらゆる具現化を超える破壊力を持っているのが風王具現化。
風属性という広範囲かつ高性能な能力を使いこなせるもので具現化としての性能は極めて高い。
『相手になる。あなたの弱点はもうわかったから』
そして、亜紗は前に踏み出した。