第四十四話 始まりの昼
「うし」
オレは気合を入れるために自分の頬を叩いた。壁にかかっている時計はいつの間にか十二時を指している。もちろん、昼の十二時だ。
今日の八時に作戦は始まる。今回の任務の一番の山場になるであろうことをオレは感じている。
オレは息を吐いた。
「覚悟は決めた。後はやるだけだ」
とは言っても不安はたくさんある。後はやるだけだけど。
昨日までの訓練で魔力を使う練習はこなしてきた。自分の魔力だけだと上手くすることはできる。だが、狭間の力になると上手くできるかわからない。
「不安はたくさんあるんだけどな」
三日前からずっと不安はある。でも、その不安の中でもオレは平常心でいられる。今までの経験と、頼りになる仲間がいるのだから。
「さて、行きますか」
オレはドアを開けると、ノックしようとした体勢のまま固まっている由姫がいた。
「どうかしたのか?」
「お兄ちゃんの顔が見たくて」
「緊張しているのか?」
「緊張しない方がおかしいよ。私にとって初めての実戦だから。愛佳師匠に稽古をつけてもらったり、お姉ちゃんから動きを習っても、実戦は不安になるし。あっ」
オレは由姫の手を握った。見ただけでわかるほど由姫は震えている。恐怖でという意味ではないだろう。
オレも初めての時は音姉からこうされたっけ。
「大丈夫だ。オレ達と一緒なら確実に成功する」
「お兄ちゃん。うん、そうだね」
「ほうほう。私的な場面では由姫ちゃんはお兄ちゃんと呼ぶのですか。新しい属性開花、ほぶっ」
いつの間にか近づいてきた浩平に由姫は無言でこぶしを叩き込んだ。今のは確実に本気だな。
殴られた浩平はよろよろと後ずさる。あっ、リースが助走を付けて跳んだ。
「結構、くるな。べぎゃっ」
見事な空中回し蹴り。浩平の顔面を壁に叩きつける。
というか、ここまでされたら確実に血が出るはずなんだけどな、こいつはどうして出ないんだ?
浩平は顔に手を当てて壁から離れる。
「リース、今のは結構、ぐあっ」
今度はリースがアイアンクローで浩平の体を持ち上げた。もちろん、リースは空中に浮かんでいる。
そのままリースは無言で浩平を持ち上げたまま部屋に戻っていく。すごく、怖い。
「お兄ちゃんもああなりたくないなら女の子関係はしっかりした方がいいよ」
「お前なら軽々としそうで怖いよな。つか、浩平ならトロルの攻撃くらっても死ななさそう」
「トロルって魔物だよね。戦ったことはないけど」
「まあ、何度も潰し殺される仲間を見てきたからな。今回は関係ないのがいいけど」
あの映像はかなりショッキングだとは思う。
「由姫は大丈夫だな」
「大丈夫じゃないけど、大丈夫になるから」
「無理するなよ。さて、昼ご飯を食べに行きますか」
「うん」
オレは由姫の手を離して歩き出す。ただし、由姫は手を掴んだままだ。やっぱり怖いのだろう。
オレ達と違って戦いの中にいたわけじゃないから。
オレは由姫の手を握る。由姫は強く握ってくる。
オレ達がそのままの体勢で食堂につくと、すでにリース達を除く他の全員が集まっていた。
悠聖が口笛を吹く。
「ラブラブ、ぐはっ」
悠聖の横にいた音姉が浩平の顔面を刀の柄で殴った。
音姉の隣に亜紗がいるからだろうな。
「兄さん、もういいから」
「そうか?」
オレは由姫と手を離した。由姫は名残惜しそうに離れていく。
「弟くんはこっち」
音姉が指差したのはちょうど亜紗の正面だ。亜紗は不満そうな顔をしてオレを見ている。
『由姫と何かあった?』
「由姫の迷いを聞いただけだよな?」
オレはそう言って由姫に尋ねると、由姫は赤くなって俯いた。
そのまま何も答えない。ついでに斜め前からのプレッシャーがすごい。
「弟くん、由姫ちゃんに何をしたのかな?」
音姉は笑っている。本当に笑っている。目以外が。気配はむしろ殺気に近いけど。
「何もしてないから。本当に何もしてないから。由姫に聞けばわかる。だよな?」
「知りません」
由姫は顔を真っ赤にしたままそっぽを向く。
音姉はゆっくり立ち上がった。
「弟くん、外に出てくれる? たっぷり訓練するから」
「音姉。思い出せ。今日の夜に何がある?」
「大丈夫。弟くんで鬼払いの練習をするだけだから」
それって確実に死ぬよな。
「なあ、由姫、どうにかしてくれ」
「兄さんがあっち方面を知らないのが悪いんです!」
あっち方面って何さ?
「ぷっ、ふふふっ、あははっ」
すると、音姉が笑い出した。それと同時に食堂にいたオレと由姫以外の全員が笑い出す。
オレだけがわけもわからずおろおろしている。
「何が何なんだよ」
「周兄らしいや。悠兄はかなりスケベなのにね」
「お前には言われたくないから。まあ、周隊長のそれは有名だからな」
「だから何が?」
「教えたら面白くないし」
悠聖がニヤニヤ笑みを浮かべながら言ってくる。オレは無言でレヴァンティンを取り出した。
背後から音姉が溜息をつく。たったそれだけでオレはレヴァンティンを直して正面に向き合った。
「いただきます」
そう言って朝ご飯兼昼ご飯を開始する。
本音を言って、体力は残せるだけ残したい。ただそれだけだ。
由姫もオレの横で食事を始める。
「明日も、みんなで食べようぜ」
オレは食事の手を休め、笑みを浮かべながらそう言った。