第百七十二話 一歩手前
炎獄の御槍が空を切り裂く。そして、振り回された炎獄の御槍が地面に叩きつけられる。動きを今まで見ていたらわかるが、全体的に速度が上がっていた。
魔力負荷を完全に解いたのだろう。今頃、メグの体はかなり軽いに違いない。
「まあ、それくらいなら普通に戦えると思う。動きは悪くないし」
「そう? 私もかなり調子が良くて、もしかしたら、って思うけど」
「調子がいいのは二種類あるからな。悪い方でないことを祈る」
メグは頷く。
そういうことが最初からわかっている人は本当にありがたう。体調がいいのは全ていいことなのだが、嵐の前の静けさという言葉があるように、重大な怪我をする前は調子がいいことが多い。
オレは体験したことがないのでそういう状況がわからない(レヴァンティンがいつもチェックしているので考えなくていい)が、戦場では何回も見たことがある。
戦場でそんなことになれば命取りだ。
「私の体は大体わかっている。今の状況は体の調子が一番いい調子だから。魔術もかなり調子がいいし」
「だったら、オレ達が教えた魔術は使えるのか?」
「すでにストックはしているし、何回も練習したよ。合成魔術も可能だった」
合成魔術を教えたのはある意味これからのこと、この体育祭が終わってからのことなのだが。多分、この体育祭が終わったら第76移動隊のAランク又はAAランクの面々は確実にSランク昇進になるだろう。だからこその合成魔術。
「合成魔術は難しいから気をつけろよ」
「わかってる。私なんかよりも周は大丈夫? 周は過去を断ち切るための戦いなんでしょ?」
「まあな」
相手は親父とお袋。あの日、あの『赤のクリスマス』のニューヨークで起きたオレの戦いの始まり。全ての始まりの過去を断ち切るための戦い。
親父のことは慧海や時雨から耳が腐るほど聞いた。だから、この作戦で大丈夫なはずだ。
「自分に出来る事を成し遂げる。それ以外に何が出来るかなんてない。オレはただ、親父とお袋を倒すことだけに全神経をつぎ込むんだ」
今までだったならオレが全体的な指揮をしていただろう。でも、今回ばかりは無理だ。組織体系が大きすぎる上に、避難の誘導にも人員を割かないといけない。だから、手を出す場所が限られている。
「出来る事、か。うん、周らしいね。私も、お兄ちゃんを止めないと。止めて、絶対に連れ戻す」
「そうだな。全てが成功すればいいけど」
「お前が心配とは、珍しいな。お前は自分の作戦に自信を持っていたはずだが?」
気配がないのに後ろからかかる声。オレは振り返りながら頷いた。
「北村信吾に関してはな。メグの炎を超える炎。はっきり言って、危険以外の何ものでもない」
メグの炎を纏った姿は見たことがあるが、あの時の炎に対する耐久性は極めて高い。いや、極めてというのは少し語弊がある。言うなら、神剣以上の存在による炎で無ければ傷つけることは難しいだろう。試すことはできないが。
振り返った先にいる孝治が同意するように頷いた。
「最悪、殺すことも考えておいた方がいいな」
「わかっています。孝治さんに言われなくても今までの戦いでお兄ちゃんがそこまで甘いはずがないのはわかっていますから。一縷の望みも無かったなら、私はお兄ちゃんを殺す。そうしないと、たくさんの人が死ぬと思いますし」
どうやらわかっているようだ。メグと北村信吾の決定的な違いが。
「お兄ちゃんの炎は人が操る炎じゃない。多分、何か別の存在の炎を借りていると思う。そうじゃなかったら、あそこまで炎は出せないし、失ったはずの腕や足も戻っていない」
「見当さえ付けばやりようはあるんだけどな。孝治は何かないか?」
「俺に聞くか? そういうことはお前かアル・アジフだろ」
「そうなんだけど、今回だけはわからないんだよな。それに、あの炎は怖い感じがするんだ」
オレの言葉に二人が不思議そうに首をかしげる。まあ、仕方ない。この感じだけはオレ特有のものだとはわかっているから。
「この感覚はオレだけってのはわかっているんだ。ただ、恐ろしく濃い気配、というか、なんだろう、表現が出来ない」
感覚はある。でも、言葉に出来ない。
それは、アルを失いかけたことによる恐怖でもなく、炎によってファンタズマゴリア自体が一瞬で破壊されたことにも起因しない。言うなら、根源的な恐怖。体の奥底に染みついた恐怖。
これは、まるで、
「『赤のクリスマス』?」
考えられるのはそれだけだ。それだけのはずなのに、ありえないという考えが思いつかない。
オレはいつの間にか地面を向いていた顔を上げた。心配する孝治とばっちり視線が合う。
「男とあっても嬉しくないな」
「同感だ。後ろを向け」
振り向いた先にいるのはメグ。メグは十分に美少女だから癒されるって、
「違うから。あの炎を見ていたら、まるで『赤のクリスマス』を思い出すんだ」
「『赤のクルスマス』か。ついに頭の方も狂いだしたか」
「ここは怒っていいよな」
オレは小さくため息をつく。
「ふーん。周、『赤のクリスマス』で、どうしてニューヨークの都市が壊滅したの? 不思議に思っているんだけど、都市一つが炎に呑みこまれるって考えられないなって」
「そりゃ、親父達がアリエル・ロワソ達の作戦に」
ちょっと待て。今までアリエル・ロワソの口から聞く前はアリエル・ロワソ達によってされたと思い込んでいた。でも、よくよく考えてみるとおかしい。
メグの疑問はどのような方法だったらニューヨークの都市全てを破壊出来たのか、だ。それは純粋な疑問。オレの思いついたこととは似ているが違う。むしろ、ニューヨークの都市をどうすればあそこまで壊滅させられたかだ。
幾ら、他の世界各国で行われた方法を使っても、ニューヨークを破壊するには理論上、いくら最強の魔術師が障壁魔術を展開していても、その障壁魔術すらも破壊されるような威力の爆発が数回起きてもおかしくはない。どれだけ効率よく爆発させたところで人によってほんのコンマ数秒単位で魔術の発動が可能な人だっている。そんな人も巻き込むなら、かなりの威力が必要だ。
今までの知識を総動員して考えられることはただ一つ。その確認の連絡を取れるのは一人だけ。今、どこにいるかわからないけど。
「三人そろって辛気臭い顔をしているわね。当日なんだからもっと自信満々でいたら?」
ちょうどいた。不思議そうな顔で近付いてくる冬華。オレは冬華に走り寄る。
「な、何?」
「すぐさまアリエル・ロワソに連絡を取れるか?」
「アリエル・ロワソ様に? 通信機があれば。今、持っていなくて」
オレは自分の通信機を冬華に渡した。冬華は通信機にデバイスを渡し、アリエル・ロワソに連絡をかける。コールは数回。でも、オレからすれば本当に長い時間だった。
『何か緊急連絡かな?』
アリエル・ロワソの声にオレは通信機をひったくる。
「アリエル・ロワソか? オレだ。海道周だ」
『君が冬華のデバイスからかけてくるとはよっぽどの緊急事態の用だね。私に何か用かな?』
「お前がニューヨークを狙った時の爆弾の量は?」
一瞬の間。アリエル・ロワソは考えているのだろう。そして、その一瞬の後に答えが返ってくる。
『ニューヨークを最大でコンマの後に0は四つほど続いた後に3の数字がつくほどの大きさかな。ただ、それは最大攻撃面積の話になるから、建物が乱立していたあの年ではそれより0がさらに増えると思うよ』
「やっぱりか。なるほどね。あの日にあの場にいたお前に質問だが、あの炎は普通の炎か?」
多分、アリエル・ロワソなら答えを出すはずだ。
『違う』
オレは帰ってきた言葉に笑みを浮かべた。これで、かなりのパーツが揃っていく。
『おそらく、アル・アジフなら知っていると私は思うよ。アル・アジフに、再生を司る炎について尋ねると言い。そろそろ空港が近いから切るよ。君達に、幸運を』
その言葉と共に通信が切れた。オレは小さく息を吐いてデバイスを冬華に返す。
「理由、説明してもらえるかしら?」
その表情は怒っている。でも、その気持ちはわかるけど、今回だけは許して欲しい。
「そうだな。とりあえず、駐在所に戻ろう。最悪の結果なら、冬華、お前の力が必要だ」