第百七十一話 二日目の朝
朝。
こういう時は鳥が鳴く音でもあればいいかもしれないが、そんな声は聞こえない。ただ、上ったばかりの朝日に目が染みる。
向かいのソファーの上では正が寝息を立てており、机の上には散乱した書類が散らばっている。
オレは小さく息を吐いてキーボードから手を離した。
「完成、だよな」
オレは小さく息を吐いて横になった。
『はい。戦闘データから考えた限り最適なデータが出ています。いやはや、まさか、こんな結果になるとは思いませんでしたね』
「まあ、な。このデータがあれば、どうにかなるか。つか、もう無理」
オレは目を瞑る。眠気はもうすぐそこまで来ていた。徹夜で完成させたのはいいもののほとんど不休でやっていたからか疲労が強い。
それに、最近の緊張も色々出てきたからな。
「レヴァンティン、ちょっとだけ眠るな。みんなにはそう言っておいてくれ」
『了解しました。マスターはゆっくり休んでください』
「後は頼んだ」
オレは眠気に身を任せる。これなら、ゆっくり眠れそうだ。
「眠った?」
周が寝息を立てた後、周の寝顔を覗き込んだ人物がレヴァンティンに訪ねる。
レヴァンティンはまるで頷くように一拍だけ間を開けた。
『はい。ぐっすり眠っていますよ』
「良かった。最近、お疲れだったし」
そう言いながらその人物が周に毛布をかける。その表情には心配が浮かんでいた。
『素子さんは今回のことに関わる予定はないのですか?』
その言葉に布団をかけた人物、白百合素子が頷いた。
『マスターからすれば凄まじい戦力になるのではと思いますが』
「確かに、私が加われば戦力としては申し分ないけど、私はただの体育教師。自衛のために力を使うことはあっても、子供の喧嘩には手を出さないと決めているの。レヴァンティンちゃんには悪いけどね」
『いえ。マスターは最初から素子さんが加わることは否定的でした。音姫さんからしてみれば、素子さんに加わって欲しかったようですが』
「音姫の剣はまだ未熟だから。白百合流最終二大奥義にようやくたどり着いたところだし」
そう言いながら素子はレヴァンティンを手に取り近くのテーブルに乗せた。そして、その前にある椅子に座る。まるで、大事な話があるかのように。
素子は小さく息を吐き、そして、頷いた。
「今、私達大人が関わってはいけない。関わっていいのは慧海君達海道家関係者だけ。だから、私達は関わらないってお父さんと決めているの」
『白百合の剣は悪用してはいけない、ということですか?』
「それもあるけど、今回は周君の試練だから。周君が由姫や音姫と協力してどこまで私達に成長した姿を見せられるか。今回の事件が終われば、周君が離れるような気がしてね」
そう言いながらどこか寂しげに笑みを浮かべた。
その表情にレヴァンティンは一瞬だけ間を空ける。
『そうですね。もしかしたら、マスターは離れるかもしれません。もし、マスターが考えている通りに時間が過ぎたなら、おそらくそうなるのでは』
「ふふっ。やっぱり。周君が決着をつけたら、その時にようやく、周君の戦いの一つが終わるから」
『ですが、新たな戦いが』
「わかっている。三人が次に何と戦おうとしているのか。だからこそ、私は手伝わない。これしきのことを乗り越えないとこれからの戦いに生き残ることなんて出来ないから」
周の最終的な戦いは世界の滅びを回避し、新たな未来を築くこと。それをするためにはここで止まっていていいわけがない。だからこそ、素子は手を出さない。
周達が、周達の手で決着をつけられないなら、それは滅びの回避なんて不可能だからだ。
本当なら素子は手を出したいだろう。だけど、出したいからこそ我慢する。本当に必要な時まで。
『いいお母さんですね』
「当たり前よ。私は、血が繋がっていない周君にも母親でいると決めたの。周君が本当の道を見つけるまで。ところで、聞き耳を立ててないで起きたらどうかな?」
その言葉に正が起き上がる。まるで観念したような表情と共に正は立ち上がった。
「いつから気づいていたのかな?」
「最初から。私がここに座った時には起きていたでしょ?」
その言葉に正が諦めたように肩をすくめてそのまま素子の向かいの席まで歩いていく。
「さすがは白百合素子さん。やはり、白百合流の元最強は騙せないか」
「せーちゃんと呼ぶか、あーちゃんと呼ぶかどっちがいい?」
その言葉に正は目を見開いた。素子はニコニコしたまま正を見ている。
「どうして」
「私が母親だから」
まるでそれが全ての理由だと言うように言う素子。それにはさすがの正も観念するしかなかった。
小さく息を吐いて背筋を伸ばす。
「素子さん。一つ、聞いていいかな?」
「いいわよ」
「僕が将来しようとしていることには」
「大丈夫。必ず周君が助けてくれる。せーちゃんがしようとしていることは、周君が全力で止めるし、あなたが後に起きることは、必ず周君が助けてくれる。周君はね、まるで太陽なの」
二人の視線が周に向く。
「太陽。光り輝いているのもあるし、周君が周君であるための存在理由を証明し続けている。周君はね、みんなの希望なんだよ。周君を見た大人は全て、周君に期待している。それは、強さでも、知識でも、才能でも、運命でも、カリスマ性でもない。周君はただ、みんなという存在を明るく照らす太陽みたいな存在だから。音姫も由姫も、周君がいたから戦おうと思った。周君がいなかったら、今頃、私がまだ白百合流最強だったかな」
そう言いながら素子は正を見る。そして、納得したように笑みを浮かべた。
「うん。大丈夫。せーちゃんはまだ大丈夫。まだ、太陽を持っているよ」
「僕が?」
素子が頷く。まるで、絶対に正しいことを言っているかのように。
「周君は裏切らないよ。必ず、せーちゃんを助ける」
「素子さんは相変わらずだ」
正は笑みを浮かべた。まるで、素子がどういう人かわかっているとでも言うかのように。対する素子も笑っている。
そんな笑みを浮かべていた二人は同時に階段がある方向に視線を向けた。すると、階段から誰かが降りてくる音がする。そして、階段から音姫の顔がひょっこりと飛び出す。
「あれ? 弟くんは?」
「寝ているわよ」
「そうなんだ」
音姫がそのまま一階に降りてくる。すでに服装は『GF』の戦闘服に着替えいた。色は銀色。ギルバートと同じ色の戦闘服。
それに気づいた素子が不思議そうに首を傾げる。
「新しい戦闘服?」
「うん。今回のために弟くんが作った新しい第76移動隊専用ね戦闘服だよ」
そう言いながら音姫はその場で一回転する。さすがに戦闘服なのでスカートではないが、一回転したからといって何も起こらないが。
だが、どうして銀にしたか何となく見当がつく素子は小さく頷いた。
「似合っているわよ」
「ありがとう。私も弟くんらしさが出ていて好きだから」
「銀、だからね。銀には魔除けの意味がある。魔除け、厄除け。周が君達に望むことを端的に表した戦闘服だね」
「うん。正はどうするの? 戦いには」
正は静かに首を横に振る。
「僕は観客だよ。見ているだけしかしない。でも、周が望むなら僕は手伝うよ。全ての力を使ってでも君達を助ける」
「弟くんは絶対にノーって言うよね」
わかりきったことに音姫は小さく溜め息をついた。そして、正の隣に座る。
「二人共、本当に気をつけてね。お母さんも正も強いから大丈夫だと思うけど、怪我はしないように。無理もしないように」
「音姫は心配性ね。私は大丈夫よ。今でも熊の群れなら素手で倒せるし」
「そう言うのが心配なんだから」
呆れたように言うが、その顔に浮かんでいるのは笑み。その笑みを見ながら正が苦笑する。
「素子さんは、やっぱり素子さんだね」
その声はどこか懐かしそうに部屋の中に響いた。