第百四十六話 過去の記憶
グラウンドではたくさんの生徒が楽しそうに動いている。その中には孝治や悠聖達の姿もあった。
そんな様子を外から見ていれば、守りたくなるのはオレだけだろうか。
そして、オレの膝の上に頭を乗せて寝ている由姫。いわゆる膝枕というものだ。
総附高とのドッヂボールが終わり、続けざまに二戦やった後、オレ達は待ち時間となった。そこで精神的に疲れていた由姫を無理やり寝かせたのだ。
やっぱり、誰かを傷つけることにトラウマを持っているのか。
「過去の記憶に縛られるなんて、オレと同じじゃないか」
由姫を縛っているのは白百合家で起きた事件だろう。レアスキルである神への重力によってオレと音姫が怪我をした事件。どちらも怪我の具合は軽かったが、それ以来、神への重力は熟練すれば使える重力魔術程度になっている。まあ、威力が弱いということだ。
球技が苦手なのもそのトラウマが一因だろう。『GF』の作戦中ではデバイスがあるため大丈夫だが、今のようなデバイスを起動していない最中では、由姫の拳は完全に凶器であり鍛え上げられた体による球技も凶器となる可能性だってある。
だからこそ、由姫は怖いのだ。誰かを傷つけることが。無意識に力をセーブしてしまうほどに。
「由姫を球技に出したのは失敗だったかな」
「でも、由姫ちゃんは弟くんと一緒に出来て良かったと思っているはずだよ」
トンっと誰かが着地する音。声を聞いていたからわかるが音姉だ。孝治と一緒で、気配を消すのが上手いよな。
本当に今さっきまで気づかなかった。
「見回りじゃなかったのか?」
「代表して私が来ただけ。ちょっと、弟くんに伝えておかないといけないことがね」
「親父が来たのか?」
その言葉に音姉が頷いた。
やっぱりと言うべきか。本当に来るとは思っていなかったけれど。
「まさか、白昼堂々入って来るとは思わなかったけど」
「侵入するのはそんなに難しいことじゃない。現に正やエンシェントドラゴンのメリルは入って来ているからな。ただ、入れば出るのが難しいだけだ。そういう風になっているからな」
入る時は普通に入り口を使えばいい。業者を装えば簡単に入れる。だが、入れば出る時には何をしたか事細かく聞かれるのだ。矛盾があればアウト。矛盾がなくても積み荷も簡易的に調べられる。
まあ、体育館本番期間中はそんなことはないけど。
「あの人なら出るのも簡単だと思うけど」
「『悪夢の正夢』自体が人の認識を掻き乱す能力だからな。そこにあってもそこには見えない。そこに触れても確認することが出来ない。人がいる時に起きる存在感も消すからな」
「でも、『悪夢の正夢』の力を使って人ごみの中をどうやって歩くんだろう」
「認識の違いだ。見えなくても頭の仲ではそこにあると理解しているんだよ。それが気づかないだけでな」
感覚としてはそこに人がいるとわかっている。だからこその行動だ。そこに見えなくも人がいると認識は理解されているから。
「『悪夢の正夢』自体が認識に働くものだから、よほど相性がよくない限り認識出来ない。オレですらな」
『悪夢の正夢』で隠れられたなら見つけることは難しい。一応、粒子をバラまいてその動きで見つける方法はあるが、正直に言って普通に出来るものですらない。
実際にバラまくのは本当に限定的だ。というか、常にバラまいていたら魔力負荷もしていたら確実に倒れる。
「弟くんはどうして海道駿が来ると思ったの?」
「オレ達を過小評価しないためだろ」
親父はオレ達第76移動隊を最大限に警戒している。狭間市で襲って来たのもそれが理由の一つじゃないかと考えている。
親父達は世界を救うために動いている。オレ達の救い方とは相容れないから戦っているが、親父達にとってもオレ達は重要な戦力だ。目的が達成出来る道が出来たなら、オレ達も協力すると思っているだろう。
実際にそうなんだけどな。その方法が実現出来るなら、オレは協力する。
「世界を救うためならオレ達を過小評価するのは間違っている。親父が来たのは連携を確認するため。まあ、無事だったからいいけど」
「エレノアさんがすごかったけどな。何というか、弟くんを信頼しているって感じかな」
「エレノアって妙に勘がいいからな。もしかしたら、わかっているのかもな」
「ある意味『歩く司令塔』だよね」
確かにエレノアは指揮官としても優秀だ。さらには単身で戦闘も出来る。バランスの高さから言えば孝治と逆の遠距離の方が得意な存在だ。
戦場になれば信頼出来る一人でもある。
「ところで、由姫ちゃんはどうかしたの?」
「今更かよ。つか、妹なんだから真っ先に心配しろよ」
「弟くんがいれば安心だから」
「納得」
確かに、オレならかなりの事に対応出来るからな。
「もしかして、レアスキルの?」
「多分な」
体力バカの由姫がたったあれだけのことで疲れるとするならそれくらいしか理由がない。こんなに疲れるのは精神的な何かがあった。だから、候補として考えられるのは過去のあの事件しかない。
由姫が倒れるくらいだからオレ達の想像以上だったんだろうな。
「由姫ちゃんもバカだな。私達はもう大丈夫なのに」
音姉がオレの横に座って由姫の頭を撫でる。音姉の言葉にはオレも同じだ。あの時は油断していただけだから。
でも、そう割り切れないのが加害者なんだよな。
「そうは思っても、割り切れないのがオレ達なんだよ」
「弟くん?」
「自分のせいでたくさんの人が死んだ。又は、大切な人が傷ついてしまった。そうなった時に簡単に割り切れないものなんだよ」
「そうだったね。弟くんも、そうだったね」
『赤のクリスマス』。あの時の理由は今ではわかっているが、昔はオレのせいだと思っていた。多分、記憶を変えられたのかわからないがそう思っていた。
だから、オレはある意味心が壊れていたと思う。由姫がいなければ今頃どうなっていたかわからない。
「由姫はオレ達を傷つけた。自惚れじゃなければ、大事なオレと大事な姉を」
「自惚れなんかじゃないよ」
その声はオレの下から聞こえてきた。由姫を見ると、目を開けた由姫がオレを見つめている。
「私はお兄ちゃんやお姉ちゃんのおかげでここにいる。お兄ちゃんがいなければどうなっていたかわからないしね」
由姫はゆっくり起き上がった。そして、オレの肩に体を預けてくる。
「私は怖いの。私の力がいつか誰かを、大切な人を殺すんじゃないかなって怯えているから」
「だろうな。自分の存在が誰かを傷つけるなら」
「私なんて生きていていいのだろうか」
オレの言葉に由姫が続く。やっぱり、同じだったか。
由姫の神への重力の威力はレアスキルの中で最高クラス。下手をすれば最強とも言える。そんな能力なら、いつか誰かを殺してもおかしくない。
だから、それが怖い。オレは自分の存在だったが由姫は自分の力。怖くなるのは当たり前だ。
「吹っ切られないといけないとは思っているんだけどな」
「別に吹っ切られなくていいんじゃないか?」
オレの言葉に由姫が驚いたように見上げてくる。多分、驚いたんだろうな。
「オレだって未だに吹っ切られているわけじゃないさ。『赤のクリスマス』では親父達が事件を起こしたからな。目的は茜だったみたいだけど、オレ達の問題だからな。だから、オレは親父達をこの手で捕まえる。そこまで吹っ切られない。そう思っている」
「私は」
「だから、ゆっくりやっていけばいいさ。無理にやろうとすれば逆効果だからな。落ち着いて、ゆっくり、吹っ切れていけばいい。オレはそう思っている」
無理にやってしまえば言ったように逆効果になりかねない。過去を吹っ切るためには何かのきっかけが必要だ。そんなきっかけはなかなか当たらない。
だから、ゆっくりやっていけばいい。今でも由姫は十分に強いから。
「迷惑をかけるよ」
「昔からだろ。オレも音姉もお前に迷惑をかけていた」
「足手まといになるよ」
「里宮本家八陣八叉流を使えば十分に強いさ」
「いつか、怪我をするかもしれないのに?」
「守ってやるよ。オレが、オレ達が」
どこまで守れるかわからない。でも、守りきらないといけない。今を、今の日常全てを。
「だから、安心しろ」
「うん」
由姫が頷く。俯いているその表情は見えない。でも、オレは表情を確認しない。表情がわかるから。由姫に安心したオレと同じだから。
オレはそっと由姫の背中に手を当てた。