第百話 炎
「どうして、お兄ちゃんがここにいるの?」
背中に背負っている聖骸布が炎獄の御槍を手に取る。
お兄ちゃんは死んだ。そう聞いている。それは『GF』の任務の最中で行方不明となり、死亡した可能性が限りなく高いからだった。DNAも一致するお兄ちゃんの右腕と左足も見つかっている。
「色々聞きたいことがあるから、今は大人しくしてくれる?」
「たくましくなったな。まさか、炎獄の御槍を取るとは。予想外だよ。そして、不愉快だ」
炎獄の御槍から聖骸布をはぎ取り素早く体に巻きつけながら炎獄も御槍をかませる。対するお兄ちゃんは薄く笑みを浮かべたままだった。
「こんなところに来なければ死なずに済んだ命なのにな」
「どういうこと? お兄ちゃんは何をするの?」
「さあ? 俺がやることはただ一つ」
お兄ちゃんの手に炎が生まれる。見ただけでわかる。当たれば骨まで溶かす炎。
「全てを焼く尽くすだけだよ!」
私は放たれた炎を炎獄の御槍で受け流した。思い感触と共に炎が空に打ちあがる。その時にはお兄ちゃんが私に向かって走ってくる。その掌に灼熱の炎を宿して。
多分、私にあの掌を押し付けてくるはずだ。炎獄の御槍を包んでいた聖骸布だと言ってもあのような熱量には対抗できない。でも、どうしてだろう。お兄ちゃんの速度が遅い。
由姫と比べたら亀のように遅い。
お兄ちゃんの炎は掌のみ。全体を覆い尽くしているわけじゃないからやり方はある。
私は斜め一歩前に踏み出した。そして、炎獄の御槍の石突をお兄ちゃんに向けて横に薙ぎ払う。お兄ちゃんはそれを受け止めようとするけど全力で振り切った。
鈍い音と共にお兄ちゃんが吹き飛ぶ。
「あれ?」
私はそこで気付いた。
私はお兄ちゃんと『GF』で一緒になったことはない。でも、私の記憶の中にいるお兄ちゃんはもっと早かった。今のお兄ちゃんはなんというか、遅い。
「っつ、今の反応速度、お前、本当にメグか?」
「えっ? うん。私も驚いている」
もしかしたら第76移動隊に入ったからかもしれない。それはそれで純粋に嬉しかった。
「本気を出さないとダメななようだな。メグには痛みもなく殺そうとしようとしたんだが」
「どうして? お兄ちゃんはどうして戦おうとするの? 話し合いだけで解決できることだって」
「本気で言っているのか?」
その言葉に私はきょとんとした。
「この世界は力が全てだ。なんの力もない者たちはただ蹂躙されるだけ。それが世の中の真理だ」
「そんなことはない。みんな平和に暮らして」
「日本が特別だ。メグ、『GF』や『ES』がどうして存在すると思う? 戦いがあるからだ。力のある者が自分達の都合で力の無い者から搾取する。それが世界の姿だ」
その言葉に私は反論できなかった。実際にそうだと感じたからだ。でも、今は、
「今はとりあえずお兄ちゃんを拘束するから。話はそれから」
「それから? 甘いな」
異変に気付いた警部の人達が近づいてくる。その中には善知鳥慧海さんの姿もあった。
「今やらなければいつやるっていうんだ!?」
私はとっさに炎獄の御槍を構えた。だけど、私の体は簡単に吹き飛ばされる。
気づいた時には地面に激しく背中を打ちつけていた。息が、止まる。
「かはっ」
「弱い。弱い弱い弱い弱い! そんな力で俺を止めようだなんて百年早いんだよ!」
必死に体を起こす。だけど、そこには信じられない光景が広がっていた。お兄ちゃんの周囲にいる炎の人。炎を纏った人じゃない。炎から出来上がった人が五人いる。そして、お兄ちゃん自身も炎に包まれている。
焔の鬼。
その話は周から聞いていた。
「『悪夢の正夢』一団」
「へえ、はっさんのことを知っているのか。つまし、第76移動隊か。残念だった。メグにとっては栄転だったかもしれないが、その命はここで終わりだ」
炎の人が近づいてくる。私は炎獄の御槍を杖代わりに立ち上がった。そして、炎獄の御槍を構える。
周囲の建物の一部は崩れ、人は吹き飛ばされている。血を流している人もいる。私はまだ軽い方だ。
だから、ここで負けるわけにはいかない。
「たった一人で何が出来る? お前見たな子供を殺すのは忍びないが」
「ご高説のところ済まないが、オレを忘れていないか?」
その言葉に私達は振り返った。そこにいるのは大剣を握り締める善知鳥慧海さんの姿。その体には傷一つない。
確かに、あの中で私が生き残っているなら善知鳥慧海さんも生き残っているのが普通。
「やはり死なないか。でもな、面白い情報を教えてやるよ。今ここに、幻想種の群れが向かってきている。もちろん、大軍だ。俺と、そいつらを相手にして、守りきれるかな? この怪我人の数を」
お兄ちゃんは笑みを浮かべている。今立っているのは私と善知鳥慧海さんくらいだ。だから、戦力は完全に足りていない。だけど、善知鳥慧海さんはきょとんとした顔で、
「えっ? たったそれだけでどうにか出来ると思っているのか?」
「「はぁっ?」」
私達は同時に口を開いていた。
断った二人しかいないのにたったそれだけって言うのがありえない。
「舐められたものだな。とりあえず、メグ。そいつの相手は任せた」
「一人で複数はつら」
私の言葉は強引に止められた。だって、炎の人が一瞬にして灰燼になったからだ。炎を超える蒼炎。あまりのことに空いた口がふさがらない。
善知鳥慧海さんは私にウインクをするとそのまま姿を消した。
「バカな。下僕を一瞬でだと。まあ、いい。今はメグを殺すのが先決だ」
お兄ちゃんが一歩を踏み出してくる。それに対して私は一歩後ろに下がった。
怖い。今のお兄ちゃんが怖い。私の知っているお兄ちゃんとは完全に別人だから怖い。だから、戦いたくない。
「怖気づいたか? メグらしいな。背中を向けて無様に逃げるなら許してやるよ。敵前逃亡で、たくさんの人を見殺しにするならな」
逃げたい。本当は逃げたいけど、逃げられない。逃げたら、逃げたら、
「さあ、死ね」
お兄ちゃんが踏み出してくる。私は、動けない。
『それが君の選択? 違うよね』
頭の中に響く声。炎獄の御槍の声。
私は大きく横に跳んだ。私のいたところから炎が噴き出して地面を解かす。
「ちっ、避けられたか」
『君はまだ何も選んでいない』
槍を構える。逃げたい。だけど、逃げたくない。ここで逃げたら今までの頑張りが無になると思ったから。逃げたら、何も捕まえられないと思ったから。だから、逃げたくない。
『逃げることは一つの手段だ。でも、君はそこで立ち止まるのかい?』
立ち止まる?
『そう。可能性を信じ、前に踏み出す。もちろん、戦略的撤退もあるよ。だけど、君はまだ使っていない。この槍の力を』
炎獄の御槍を握り締める。出来るかわからない。だけど、やるしかない。
教えて。この槍の力を。
『それを選択すると言うのは戦うと言うことを選択すること。君はそれで』
いい。
私は断言した。そして、炎獄の御槍を構える。
お兄ちゃんはぶん殴ってでも私が止める。それが、私の役割だから。
『なるほどね。じゃ、教えよう。だから、これを使うからには、勝て』
その言葉に私は踏み出した。お兄ちゃんも踏み出している。
確かに、お兄ちゃんの炎は当たっただけで死ぬかもしれない。でも、恐れることはなかった。だって、今の私には援護の御槍がある。それに、周に、第76移動隊のみんなに鍛えてもらったこの力がある。そのちからが、他人の力を利用しているお兄ちゃんなんかに負けるわけがない。
正義が勝つとは言わない。最終手的には様々な要因から一番強い方が勝つ。力が全てなのはお兄ちゃんの言うとおり。だから、私は勝つために力を得る。
今はお兄ちゃんを止めるために。そして、今後は、誰かを救うために。
私は頭の中に浮かんだ言葉を叫んでいた。
「炎閃!」
お兄ちゃんの炎と私の炎がぶつかる。そして、炎がお互いを弾き合った。それに、お兄ちゃんは心底驚いていた。
「メグ、その力」
私は炎獄の御槍をお兄ちゃんに向ける。
「これが炎獄の御槍の力。お兄ちゃんは、私が止める」
私は、全身に炎を纏う姿となっている。炎が聖骸布を輝かせており、その姿は幻想的に違いない。これが、炎獄の御槍の力。
感じる。これはまだまだ弱い力だと。でも、炎獄の御槍だけではこの力が限界だと。
「行くよ、お兄ちゃん」
私は、地面を蹴った。
炎獄の御槍の最終形態が出るのは数年後になると思います。