第九十四話 異名の理由
黒板に踊る文字。それを理解している人は一体、このクラスに一人はいるだろうか。
黒板の文字は数式。ただし、高校レベルではまずお目にかからないレベルの数式だ。普通は解けない。
かく言うオレもあまりの難しさに見て一秒で降参したけどた。確かにオレはアメリカの大学を出ているから普通に大学レベルでもついていくことは出来る。
だけど、数学だけは違う。数学だけは出来ない自信しかない。
つか、この授業に何の意味があるんだ? ひたすら倫理の授業や教育の授業を聞いている方がためになるような気しかしないんだが。
オレは小さく溜め息をついて考える。
ギルバートさんが持ってきた話。それはオレやアリエル・ロワソからすれば苦々しくなる話だ。
生体兵器の開発は確かにアリエル・ロワソ達、『ES』研究者が行っていたが、その生体兵器はオレのような一部改造型で、亜紗はちょっと違う研究者達だったらしい。よく知らないけれど。
その面々やデータはオレやレヴァンティン、アリエル・ロワソが消し去ったので安心していたが、まさか、最新のデータを、しかも、全体生体兵器のデータも盗られた。
それは最悪の出来事だ。また、亜紗みたいな奴が生まれるのか。
「面倒だよな」
「ほう、先生の授業中にそういう独り言を呟くのだな?」
斜め右後ろから聞こえてくる数学教師の声。
黒板には理解出来ない数式。そして、今は授業中。
背筋に汗が流れるのがわかった。
「今ここで、謝るか、外で立っているかどっちかを選べ」
「はぁ、面倒だよな」
とりあえず、オレはもう一度呟くしかなかった。
「災難だな」
授業が終わり、オレが自分の席に戻るとちょうど近寄ってきていた一誠が話しかけてきた。オレは軽く肩をすくめる。
「そうでもないさ」
「口は災いの元だ。場所と状況をわきまえた方がいいぞ」
「わきまえた方? ワカメ、俺様にわかるように説明してくれ」
「どうしてあなたのようなハトが偉そうなのか気になりますが、説明しましょう。わきまえたは漢字で言うと脇前たになります」
そんなこと絶対にありえないからな。
「つまり、脇の前に立ったような感覚になるわけです」
「なるほど。俺様特製のラフレシアの香りがほのかに香るんだな」
とりあえず、あのバカ二人の言葉は理解しないでおこう。
「でも、珍しいよね。周が授業に集中しないなんて。いつも、授業をしっかり受けているか内職してるかだもんね。僕はよく目にするよ」
「確かに。兄さんは必ず何かに集中していますよね。考え事なんて珍しい」
「いや、普通にしているからな」
オレはいたって普通に否定する。
「大体、並列処理は大事だからな。オレは今まで授業を受けて内職しながら考え事をしていたし」
「その秘訣を僕にも教えて欲しいな」
「それって、戦闘の基本スキルを発展させたやつだよね?」
メグが少し考え込むような仕草と共に尋ねてくる。対する由姫は不思議そうに首を傾げていた。
これが感覚派と努力派の違いか。
「マルチタスクのことだな。まあ、よく似たものだ。マルチタスクは同じ事柄を同時にするものだ」
「マルチタスクならよくやるよね。僕だって得意だよ」
多分、FBSのことだろうな。
「マルチタスクの欠点が並行しながら処理をするためどちらも完全な力を発揮出来ない。戦闘では臨機応変さを求められるからそこは問題にならないけど」
「つまり、周の並列処理は完全に力を発揮するということよね? そんなことは出来るの?」
「この中だと、夢が出来そうだな」
名前を呼ばれて夢はビクッと体を震わせた。
「夢の場合は集中力がすごいから、その集中力で複数の事柄を並列処理出来るようにすれば出来るとは思う」
「でも、難し、そう。私には、ちょっと」
「まあ、普通は難しいからな」
並列処理はマルチタスクとは違う。マルチタスクというよりデュアルタスクかダブルタスクのどちらかが正しい。
マルチタスクは絶対に二つの事柄だ。対するオレの並列処理は複数の事柄。最大四つを並列に処理する。その難しさを例えるなら、音姉と孝治と亜紗の攻撃を耐えきるくらいだ。
それが出来るのも、オレが生体兵器だからなんだけどな。
「へぇ~、僕も頑張ったら出来るかな」
「無理だろうな」
一誠が真人の言葉を一刀両断する。
「それが出来るからこそ、周は異名を獲得したのだろう」
「確か、戦場を、制する、者、だった?」
「正解。戦場を制する者と書いてオールラウンダー。まあ、命名理由は今でも有名なんじゃないか?」
「三年前のアウロラの戦いだな」
一誠の言葉にオレは頷いた。
三年前。『ES』の中から過激派が再分離をした。しかも、過激派の中でも最も過激派が分離し『ES』過激派を作り出すということがあった。
戦うことでしか全てを手に入れられないと信じるその一派は多くのテロを起こし、『GF』、『ES』、国連の連合軍が本拠地を攻めるという史上類を見ない作戦さえ行われたのだ。
その戦い、アウロラの戦いの最中、国連軍が突如として崩壊。その余波に巻き込まれて完全な乱戦になった最中、ちょうどオレ達が到着した時だった。
乱戦の最中にオレはとある命令を第76移動隊に出して乱戦の真っ只中に飛び込んだのだが、その言葉がいつの間にか広まっていたりもする。
「アウロラの戦いってことは、周が自由に戦えと言った時よね?」
「どうしてそれが広まっているんだか」
オレは小さく溜め息をついた。乱戦の最中で作戦は難しいと判断したからそう言ったのだが、翌年には、自由に戦え、という命令形態が出来上がっていたりもする。
『GF』はいつからでたとこまかせの作戦を作るようになったんだ?
「その乱戦の中で、オレは混乱する味方をまとめ上げ、深くまで潜り込んでいた奴らを囲み、残った面々を指揮官に預けて本拠地に孝治と一緒に飛び込んだ、というわけだ」
「実際に、それが異名の理由となりましたからね。ちなみに、私もかなり驚いています」
「そう、なんだ。でも、たった、それだけで、どうして?」
まあ、そうなるだろうな。
確かに戦況を立て直して敵陣に突入しただけじゃ普通はそんな大仰な異名はつけられない。
由姫が驚いているのもそれが一つでもある。
「まあ、あの時の戦果がいろいろやっちゃったからな」
オレは苦笑した。アウロラの戦いの際には様々な戦果を出した。その報告を全てまとめてからオレは頭を抱えたっけ。
「敵フュリアス部隊全滅と砲撃部隊の撹乱、突撃兵部隊の壊滅でしたよね」
由姫が思い出すように言う。ちなみに、乱戦の最中でそれを行った。
混乱する味方を立て直し、敵の攻撃の要を壊滅させて一気に攻勢に出た。一つ一つを見れば小さなことだが、その全てを見てみればアウロラの戦いはオレによって途中から戦況をひっくり返したと言ってもいい。
元々、戦術指揮やオールラウンダーとしての評判、あらゆる戦場で最大の力を出せることも考慮されて出来たのが、戦場を制する者。
「海道周は単体では弱いという話は確かみたいだな」
「まあ、オレは器用貧乏だからな。負けない戦いは得意でも勝つ戦いは相性になってくる。というか、一誠はよく知ってるよな。これでもルーチェ・ディエバイドの優勝者なんだけど」
まあ、あれは乱戦に飛び込んで漁夫の利を得ただけだけどな。
「情報収集は得意だ。そろそろ時間だな」
一誠の言葉にオレ達は時計を見る。確かに次の授業が始まりそうだ。
オレは小さく息を吐いて席に座る。
「退屈な授業が始まるな」
「頑張って」
夢の言葉にオレは苦笑するしかなかった。
日常の話が全く思いつかないという状況に。そういうわけで予定を早めて日常をぶった斬りストーリーを進めていきます。そろそろ第二章の重大な内容に入って行こうと思ってます。