第八十六話 新たな記憶
燃え盛る建物をオレ達は見ている。
ああ、これはあの日の光景だ。あの日の、赤のクリスマスの時の光景。これはあの時の続きか。
信じられないように建物を見ている三人とは違い、オレだけが笑っている。
消えてくれた。いらない存在が消えてくれた。
「はははっ。やった。ようやく、ようやく」
オレの口から漏れる言葉は三人には聞こえない。だけど、聞いただけでわかる。その声は本当に喜んでいた。
両親が死んだことをオレは喜んでいる。
「お兄ちゃん、どうして」
茜の声が響く。信じられない表情をした三人が振り返った。どうやら聞こえていたらしい。
でも、オレは笑みを浮かべるのを止めない。
「だって、いなくなったから。もう、あいつらはいない」
「パパもママもいる! 助けに来てくれる。ヒーローなんだから」
「現実にそんなヒーローはいない」
ああ、そうか。オレは大人になろうと大人びていたわけじゃないんだ。
誰も付き合ってくれない、見放されいたから、オレは大人になろうとした。子供の考えることだ。同じになれば見てくれると思ったのだろう。
だから、勉強を始めた。見よう見真似で勉強を始めた。
思い出してきた。霧に包まれたかのように、オレの昔が。
物心がついた頃はまだ両親はオレを愛してくれた。だけど、魔術が使えないことを知った二人はオレを突き放した。そして、茜にだけ愛情を注いだんだ。
茜は二人の希望以上の天才だった。まるで、オレの才能が茜に移ったのかのように。実際は核晶欠損症だっただけなのだが。
その日以来、オレは見向きもされなくなった。されなくなって、オレは一人でいることが多くなった。
勉強を始めてからは哀れに思ったのか両親が与えてくれたテキストにオレは熱中した。思い出す。記憶がだんだん思い出してくる。
一人で中学生レベルまで勉強を進めたくらいで海道姫子が初めて家に遊びにきたのだ。そして、一心不乱に勉強するオレを見ていた。オレはそれまで会話も必要最低限しかしなかった。だから、話しかけられても答えなかった。
それから、海道姫子はオレをいじめるようになったんだろうな。楓や光と出会ったのは全て茜を通じて。
これが、オレの原点。偽りの記憶に彩られた本当の記憶。
『現実回避』で隠されていたのかもしれない。『現実回避』の解除条件は術者か本人がトラウマを思い出すことで解除される。
オレは天才なんかじゃなかった。何でも器用に出来るのではなかった。ただ、ただ単に見てもらいたかっただけだった。実の親に誉めてもらいたかっただけだから。
だから、あの日のオレは口を開く。
「死んでくれてありがとう」
廃墟と化したビルに向かって壮絶な笑みを浮かべる。だけど、自分でもわかっていた。泣いていることを。嬉し泣きでもある。だけど、悲しくも泣いている。
茜が詰め寄ってくる。だけど、茜はオレの服を掴むだけで終わった。
茜はオレと別の意味で大人びている。それは親から愛情を注がれ、熱心に教育されたからだ。だから、オレと茜は仲が良かった。そして、お互いを憎んでいた。
オレは茜に愛情を注がれていることに嫉妬し、茜はオレに自由でいることに嫉妬していた。
どこかで爆発が起きる。頭の中で警鐘が鳴らされる。ここにいては危ないと。
「早く離れよう。死ねば元も子もない」
「うん。そうだね」
茜が力無く賛同する。オレは楓の手を取った瞬間、近くで爆発が起きてオレ達は吹き飛ばされた。
背中に何かがぶつかり、生暖かい何かが流れる。そっちを向いた先には、頭から血を流す楓の姿があった。
「やだ、止めて。死なないで」
必死に傷口に手を伸ばす。知識があるから、頭の傷は危険だとわかってしまう。だから、助けようと、
「誰かいるのか?」
その言葉に振り向いた。そこにいたのは白衣の男。ただし、全身が黒ずんでいる。
「楓を、楓を助けて!」
「頭に傷か。かなり深いな。仕方ない。この子は助けよう。ただし、君には気絶してもらう」
「えっ?」
男の手のひらが迫る。そして、オレの意識は闇に落ちて、光に照らされた天井を見上げていた。
「ここは」
体を起こして周囲を見渡す。そこは見知らぬ部屋。いや、海道家の客間だ。確か、夜も遅いから泊まっていくように海道姫子から言われたのだ。
「ははっ」
笑い声が漏れる。あの日にオレはアリエル・ロワソに出会っていたなんて思わなかった。多分、記憶を曖昧にするため気絶させられたのだろう。
でも、まだだ。まだ、とあることをオレは思い出していない。オレは、まだ、真実を見つけていない。
「どうしてオレが茜から核晶をもらったのか。その意味が未だにわからないな。後一回、一回だけあの日を思い出せたなら、完成する。最後の鍵が」
「気になって来てみれば、何やっているのよ」
海道姫子の声に振り返ると、そこにはクマ柄の寝間着を着た海道姫子と心配そうにこちらを見つめる亜紗がいた。
「泣きながら呟くなんて変人の一歩手前よ」
「泣きながら? あっ、泣いていたんだ」
この時にようやくオレは頬に涙が流れていたのがわかった。それを見た海道姫子が小さくため息をついて肩を押してくる。
「サナダムシはまだ寝ておくこと。あんたが倒れたら亜紗が心配するじゃない。じゃ、私は外に出ておくわ。後は二人で仲良く」
オレを無理やり寝かしてから海道姫子が笑みを浮かべて言う。その笑みを見ながらオレは頷いた。そして、口を開く。
「後、無視して悪かったな」
一瞬、海道姫子がキョトンとする。
一体何を言っているのかわからなかったのだろう。でも、すぐに心当たりを見つけたのかクスッと笑った。
「そうね。サナダムシなりに誠意を見せなさい」
そのまま部屋を出て行く。部屋の中に残ったのはオレと亜紗の二人だけ。
亜紗はスケッチブックを取り出した。
『海道姫子はどS』
「お前はオレにどう反応しろと?」
『周さんはどSが好き?』
「これは怒っていいところだよな」
オレは小さくため息をつく。こんな反応をしてくるとは思わなかった。
亜紗はオレが寝ているベッドに腰掛けて手を握ってくる。
『思い出した?』
頭の中に声が響く。オレ達だけにしか出来ない会話。
「ああ。たくさん、思い出した。昔のことをたくさんな。オレがどんな人間だったのかも」
『今のままと同じじゃないの? 私が出会った時は焦っていた感じだったけど』
「あの時は本当に焦っていた。だけど、あの日よりも前のオレは、必死だった。本当の両親に振り向いてもらおうと、勉強して、言葉遣いを変えて、そして、茜とは違う天才になろうとした」
あの日を乗り越えて勉強を始めてあそこまでなれたのは前から勉強していたからだ。そして、大人びていたのはオレが前から大人びていようと思っていたから。
思い出せば違和感ばかりの人間じゃないか。
オレは一体、どこまで弱い人間なのだろうか。
『周さんは頑張っている。頑張っているから周さんにみんながついて行っている。もちろん、私も同じ』
「ありがとう。亜紗には心配かけっぱなしだよな」
『ううん。私は周さんに助けられた。助けられたから周さんを助けている。助けていると言ってもそれは私がしたいから。ただの自己満足』
「自己満足か。そうだな。オレだって自己満足で頑張っている。それでも、みんながいるからオレはやっていけるんだろうな」
亜紗が笑みを浮かべて頭を撫でてくれる。それが本当に気持ちよくてオレは目を瞑った。
多分、後一回記憶を思い出したなら、あの日の真実が組み上がるはずだ。その時は、絶対、
「守ろう。みんなを。オレ達の力で」
『うん』
頭の中に響いた亜紗の声は本当に誇らしげだった。