第四十一話 目的
ここで言う選民思想は本来の意味とはちょっと違います。
アル・アジフの体が地面に投げ出される。すかさず体勢を戻して魔術書アル・アジフを開こうとした。だが、その手からアル・アジフが弾かれる。
「私達は戦う気がないのでね」
その言葉と共に目の前にいるフードの男が弾かれたアル・アジフを掴み取る。それを見ながらアル・アジフ、いや、エリシアが立ち上がり、虚空からスケッチブックを取り出した。
『あなた達は何者ですか?』
その言葉と共にエリシアは周囲を見渡す。ローブを着た人物は三人。その内の一人は女性だ。
アル・アジフを握る男が笑みを浮かべる。
「エリシア・アルベルトか。話せないという噂は本当だったのだな。まあ、いい。そんな内容を話せると思うか?」
『無理ですね。『悪夢の正夢』さん』
エリシアの文字にローブの男がピクリと動いた。エリシアは予想通りだと笑みを浮かべる。
『やはりですか。『悪夢の正夢』、『現実回避』、そして、炎の魔術書。あなた達はナイトメアに関係する人達』
「ナイトメア? ああ、『GF』内での呼び名か? そんな名前は止めて欲しいな。あれはヘブンと呼ぶべきだよ。人としての最大の特性を得ることが出来るヘブンとね」
『あなた方は自らが神になったつもりですか?』
「この世に神はいない。それは君が、アル・アジフがよく知っていることだろ?」
その言葉にエリシアはスケッチブックを捲ろうとしていた手を止めた。その反応に『悪夢の正夢』の男が笑みを浮かべる。
「ならば、私達が世界の主になればいい。簡単なことだ。本当に簡単なことだ」
『簡単じゃない。そんなことは出来ない。一体誰がそんなことを』
「滅びについて語ればいい」
その言葉にエリシアは言葉を失った。
そんなことをすれば暴動が起きるのは目に見えている。世界が滅ぶ本当の理由が語られたならば、テロが多発するだろう。
正義の名の下にテロが起きる可能性だってある。
『世界を混乱させる気? そんなことをすれば騒ぎは『赤のクリスマス』以上のことになる』
「あれは良かった。私達のやっていることが正しいとわかった瞬間だよ」
エリシアは思わず後ずさった。
つまり、『赤のクリスマス』を起こしたのはローブ達ということになる。
アリエル・ロワソの計画に便乗し、ニューヨークの街を消し去った者達。
「世界は滅びから離れた。それは事実だ。実際に、今までなら世界はすでに滅んでいる。あの事件が世界の滅びを遅らせた。それが事実なのだよ」
『違う。そんなわけがない。世界はまだ滅びない。アル・アジフの記述にもそう書かれている』
「当たり前だ。私達がこれから世界をひっくり返すのだから。滅びはさせない。滅んでいいのはヘブンにいらない人間達だ。選ばれた人間以外、いらない」
エリシアは『悪夢の正夢』の男を睨みつけた。そして、スケッチブックを捲る。
『そんな選民思想、受け入れられるわけが』
「選民? お前達はすでに選民思想に染まっているだろ? 『GF』は民を脅かす者達には容赦ない攻撃を加える。もちろん、第76移動隊はよほどの大きな組織じゃなければ戦わない。しかし、それは『GF』が正義だと選んでいるからだろ? そして、相手を悪だと決めつけている。それが世界だ。『GF』だ」
ゆっくりと手を広げる『悪夢の正夢』。それはまるで、その腕の中が世界だとでも言うようだった。
「世界は変わるべきなんだよ。正義の名を語る『GF』にその居場所はない。この世に正義はない。あるのは選民思想。誰もが選んでいる。正しいことと、正しくないことを。それこそ、選民思想ではないか? 違うのは人種にしていないこと。私達はそこまで愚かじゃないさ。人種にこだわることはない。かのフェイレルのような一部の人種を強制収容することはしない。私達は寛容なのだよ」
『今でも世界は寛容』
「寛容? 違うね。世界は悪を許さない。世界を救うための正義を悪と決めつける。人種差別より酷いじゃないか? 真の意味での正義を許さない」
『悪夢の正夢』の男は高らかに宣言する。
「だからこそ、私は世界の住人に滅びの事実を説く。そして、言うのさ。こうなったのは『GF』や国連が隠していたからだとな。混乱したあとの世界は私達が導く。必要のない人間を全て殺し、選ばれた人間のみが暮らせるヘブンを。
クスリはその足がかりさ」
『ふざけないで。そんなあなた達の勝手はさせない』
「ほう。今ここでマテリアルライザーを使うか? それもいいだろう。使うがいい。その時にマテリアルライザーは壊れる運命にあるがな」
マテリアルライザーは一撃でも受ければ破壊出来る。だから、エリシアはマテリアルライザーを呼び出せない。周がいるなら話は別だが。
「それに、今のお前では私達には勝てない。このアル・アジフがなければな。どうするつもりだ?」
『もうすぐ周が来ます。皆さんなら』
「不可能だよ。ここは核シェルター。上にあるシェルターとは耐久が違う。そうだな。君は核ミサイルの威力を知っているのだろ? 君が連れて来られたら道はそれを二発分の破壊力で壊れる設計だ。そこを抜けられるとしたなら、それはもう人間じゃない」
『悪夢の正夢』の男が笑みを浮かべる。
「ここに至る道にはゲルナズムを配置しているさ。その前にいくらでも脱出出来る。周が来る前にいくらでもな」
その瞬間、轟音が鳴り響いた。
どう表現したらいいかわからない轟音が上から鳴り響く。ローブの者達が慌てて上を見上げた瞬間、エリシアは動いた。
虚空から取り出した小さなナイフを『悪夢の正夢』の男に向かって投げつける。『悪夢の正夢』の男はすかさずナイフを腕で払った。
その瞬間、エリシアがアル・アジフを掴み、『悪夢の正夢』の男を蹴り飛ばす。
「あなた!」
ローブの女がアル・アジフを掴んだエリシアを狙って手に持つ槍を突く。だが、それはエリシアの前に着地した周がレヴァンティンで受け止めていた。
「ギリギリセーフ、ってか!?」
槍を弾き、レヴァンティンですかさず突きを放った。だが、槍で受け止められる。
「周!」
アル・アジフに戻ったエリシアがローブの女に向かって魔術を放つ。炎と風の衝撃波はローブの女を吹き飛ばすには十分だった。
「なあ、はっさん、俺、本気を出していいか?」
ローブの男が拳を握り締める。『悪夢の正夢』の男はニヤリと笑みを浮かべた。
「やれ」
「ああ。やるぜ。だからよ、死ねよ!」
その言葉が鳴り響いた瞬間、ローブの男の背後で陽炎が揺らいだ。揺らいだと同時に炎の塊が放たれる。周はそれをレヴァンティンで弾いた、はずだった。
炎の塊はレヴァンティンを弾き、周の左腕をかすかに焼く。
「がっ」
あまりの痛みに周はレヴァンティンを放した。弾かれたレヴァンティンが放物線を描き『悪夢の正夢』の男の前に突き刺さる。
「あはははっ、はははっ、ふはははっ。それが学園都市最強の部隊の隊長か? 弱い。弱いぜ! あはははっ」
「言わせて、おけば」
焼かれた左腕を押さえながら周はローブの男を睨みつける。だが、誰が見ても戦えるような状況ではなかった。
『悪夢の正夢』の男が笑みを浮かべる。そして、笑い出す。
「こんなところで出会うとはな。たった一人で来るとは笑える。違うか? 海道周」
「………。そうだな。だけど、アルは返してもらう」
「いや、そんなことは無理だな。だが、ここまで来たことは褒めてやろう。君は世界の礎になることを選んだ」
周が身構える。もうすでに囲まれている。周は戦えないしレヴァンティンは離れた場所にある。アル・アジフも魔術の準備をしているがローブの三人はかなりの実力者だ。
『悪夢の正夢』の男は笑みを浮かべたまま話しかける。
「のこのこと一人で来た礼だ。私達が起こす壮大な物語を述べてやろう」
「世界に滅びの事実を説き混乱させる、だろ?」
「なっ」
『悪夢の正夢』の男が完全に息を呑んだ。それを見た周がニヤリと笑みを浮かべる。
「悪党でありがたいぜ。お前達の思ったようにはさせない。オレが食い止める。何が何でもな」
「きっ、くっ、お前も選民思想の塊か!?」
「違うな」
周は『悪夢の正夢』の男を指差した。
「オレの大事な奴を奪って誘拐犯を捕まえる。ただ、それだけだ」
「一人で何が」
「誰が一人と言いましたか?」
その声は『悪夢の正夢』の男の背後から聞こえてきた。『悪夢の正夢』の男が振り返った先にいたのは由姫と都。由姫はすでにステップに入っている。
里宮本家八陣八叉流崩落『綺羅朱雀』。
由姫の拳は『悪夢の正夢』の男を捉え吹き飛ばしていた。
「あいにく、オレにはあんな扉を破る力はないんでね」
瞬間移動で横に現れた都からレヴァンティンを受け取る周。それを右手で構える。
「ナイトメアの関係者としてあなた達を拘束する。異議は認めない。異論があるなら捕まえてから聞いてやる」