第二百十九話 狂乱騎士
世の中には絶対はないということです。
由姫が勢いよく前に踏み出した。ちょんとしたステップの合間に入った里宮本家八陣八叉流崩落『綺羅朱雀』は避けることが極めて難しい。
ただ、綺羅朱雀自体は威力は高いものの、里宮本家八陣八叉流滅牙『飛龍一閃』のような大火力の攻撃には及ばない。
放った拳が重力球を捉える。『鋼鉄処女』を破壊した一撃は弾かれた。『狂乱騎士』によって。
由姫がすかさず後ろに下がるが、『狂乱騎士』によって半透明な膜が覆われた槍が頬をかする。
もし、これが予選だったなら由姫はいくらでも勝つ方法があっただろう。完全な隙に背中に手のひらを押し付けた場合だけ予選では相手の敗退が決まる。
だが、本戦ではそれは通じない。
由姫が着地した瞬間、膝がガクッと落ちるのがわかった。倒れそうになるのを必死にこらえる。
「愛佳師匠と比べれば」
由姫の体力を蝕んでいるのは序盤に食らった一撃と『鋼鉄騎士』や『鋼鉄処女』と言った堅固な盾を砕くために戦い、今は弱点が見当たらない『狂乱騎士』と向かい合っているからだった。
普通なら諦めるかもしれない。でも、由姫の頭の中には周の言葉が響いていた。
八陣八叉を習ったのはお兄ちゃんのそばにいるため。今は、お兄ちゃんの背中を守りたい。
最初はがむしゃらだった。でも、諦めることはしなかった。
「保つね」
アルトが笑みを浮かべるが、息はかなり切れていた。『狂乱騎士』によるアルトの攻撃は過激というのがお似合いだろう。
全力で避けに入った由姫を何回もかすっている。縦横無尽に空間をかける槍。由姫はどうしてアルトが同年代で三指に入るか再認識させられていた。
この槍捌きだけでも血の滲むような努力が見える。アルトも周達と同じなのだとわかる。
アルトが動く。対する由姫は前に出た。通用しないとしても、本当の意味で絶対防御なんて存在しない。何かの弱点があるはずだから。
里宮本家八陣八叉流滅牙『飛龍一閃』。
拳は『狂乱騎士』の膜に弾かれた。すかさず蹴りを放つ。ただの蹴りじゃない。全身の力を使った最大の威力を持つ蹴り。
里宮本家八陣八叉流破壊『双月・翔破』。
だが、それさえも弾かれた。迫り来る槍をアルトを支点に回り込むことで避けた。そして、左足に力を込め、右足で地面を踏みしめる。
里宮本家八陣八叉流破壊『双月・月下』。
それはまるで轟音だった。由姫の体が、腕が微かに動いたと思った瞬間、由姫の左の拳は『狂乱騎士』の膜に触れていた。
踏みしめた大地に大きく右足は食い込み、音を超えたかのような速度によって放出された衝撃波は周囲の木々を吹き飛ばしている。それでも、そんな攻撃でも、由姫の拳は弾かれていた。
由姫は目を見開きながら両腕を交差してアルトの振るわれた槍を受け止める。
腕に激しい衝撃を覚えて由姫の体は後ろに吹き飛んだ。
もし、今のが戦場なら腕を落としていた。
「双月・月下もダメですか」
双月・月下は由姫にとっては最後の望みだった。里宮本家八陣八叉流の中で最大のモーションと最大の破壊力を持った対物専用の技。対人に使えば一撃で死ぬであろう威力を『狂乱騎士』は受け止めていた。
「君の力もなかなかだよ。惚れただけはある。でも、僕の『狂乱騎士』は何も通さない。君の拳はもう通じないよ」
アルトが槍を構える。由姫も身構えた。はっきり言うならもう限界だ。
これ以上の戦いは由姫の心が折れる。
その瞬間、何かの気配を感じた。魔力を纏ってこっちに向かって来ている。リコではない。リコならもっと隠れてやる。それに、一直線に向かって来るのはおかしい。
アルトも異変に気づいたようだ。
「ガハナットさんか!」
その言葉にアルトは本戦出場者の解説をする周の言葉を思い出していた。
『いいか、由姫。ガハナットさんが突進する直線上には絶対に立つな。魔力を纏ったイビルチャージはオレでも受けきれない』
その言葉を思い出すと同時に茂みから長い髪を振り乱して一人の狂戦士が表れた。それを見た瞬間、由姫の心臓が早鐘を打つ。
長髪であり、それを振り乱してしるのもだが、引き締まった体は別にいい。問題は顔だ。どう考えてもどこかの組にいるようないかつい顔。それが汗で顔をギタギタにさせて笑みを浮かべながら向かって来ている。しかも、
「ぐるばぁぁぁあっ!」
とか叫びながら。
普通は絶対に引く。由姫もあまりのことに体を固まらせていた。
「こんな時に」
アルトが『狂乱騎士』を纏ったままガハナットの直線上から離れた。ガハナットは直接由姫を狙う。
もし、武術を身につけた人がパニックになり、誰かが攻撃する満々で突っ込んできたならどうなるか。
答えは簡単だ。
「いやぁぁっ」
悲鳴を上げた由姫の左の拳がガハナットの顔にめり込み、殴り飛ばした。アルトは呆然と由姫を見ている。
「ガハナットさんにカウンターだと」
由姫は全くの無意識だったのだが、アルトからすれば完全にありえない光景だったらしい。
由姫は気を取り直すために後ろに下がった瞬間、視界に入った。
砲撃槍を構えたエリオットの姿が。穂先は由姫達に向いている。
由姫はすかさず重力場を作り出した。その瞬間、周囲にエネルギーの塊が叩きつけられた。
「由姫!」
オレは思わず叫んでいた。でも、もうアドバイスすることは出来ない。
オレは小さく舌打ちをした。
『マスター、落ち着いてください。重力場を作り出した以上、ダメージは由姫さんには通りません』
「わかっている」
オレは自分が苛立っているのがよくわかっている。
『鋼鉄処女』は知っていた。だが、『鋼鉄騎士』と『狂乱騎士』は初めて見るものだった。
慧海が驚いたように『狂乱騎士』について推測を立てていたが、由姫の最大級の一撃を受け止めた限り、防御力は極めて高い。
由姫とアルトを狙うエリオットの攻撃は続いている。多分、エリオットも普通の攻撃じゃ二人は倒せないと思っているのだろう。
残り六人になっている以上、温存はしないつもりなのだろう。
「『狂乱騎士』。完全に想定外だ。『天空の羽衣』より性能が高いぞ」
『天空の羽衣』は絶対防御だが、耐久には限界があるし、致命的な弱点ともある。だけど、『狂乱騎士』にはそれらが見当たらない。
どうやって抜けというんだ。
『鋼鉄処女』なら方法はあるが、『天空の羽衣』を超える『狂乱騎士』に弱点はない。
光の嵐が止んだ。そこにいたのは重力場を作り出したまま荒い息をしている由姫と『鋼鉄処女』を展開しているアルトの姿。
「そうか」
それはその瞬間、理解した。そして、小さく頷く。
「同じ、だったか」
由姫は荒い息を整えるように深く深呼吸をする。アルトも展開していた『鋼鉄処女』を解いて槍を構えた。
「君は大分消耗したようだね。次で決めるよ」
『狂乱騎士』を纏うアルトの姿を見た由姫は笑みを浮かべた。アルトが怪訝そうな顔をする。
「今頃、兄さんは祈っていますね」
「君が出来るだけ怪我なく戻ってくることを?」
アルトの言葉に由姫は首を横に振ることで答えた。
「気づけよ、って」
アルトの目つきが微かに鋭くなった。
「アルトさんは兄さんのレアスキル、『天空の羽衣』を知っていますか?」
「知っているよ。周とは仲がいいからね。魔術以外は通さない鉄壁の羽衣。まるで、『狂乱騎士』の、劣化したもののようだ」
その言葉に由姫は満足そうに頷いていた。
「そうです。『天空の羽衣』は魔術以外は絶対防御。『狂乱騎士』と似ていませんか?」
「何がだい?」
アルトが深く腰を落とす。まるで、早々に由姫を倒そうとするように。
「では、もう一つ。兄さんはガハナットさんの対策をこう教えてくれました。魔力を纏ったイビルチャージはオレでも受けきれない、と。確かに、『天空の羽衣』は魔力を通します。なら」
アルトの顔が強張るのを由姫は理解した。理解して最後の言葉を言う。
「どうして『狂乱騎士』でイビルチャージを受けなかったのですか?」
アルトは地面を蹴り、由姫に向かって槍を放った。だが、由姫はそれを軽々と避ける。
「おかしいと思いました。改めて考えると明らかにおかしいのですが、あの時はパニックに近かったので気にも止めませんでした。でも」
アルトが横に振った半透明の膜を纏う槍を由姫は左の拳で無造作に弾いた。弾かれたではなく弾いた。
「エリオットさんの魔術砲撃に対し、アルトさんは『鋼鉄処女』を使用しました。もし、アルトさんの言うように『狂乱騎士』が『天空の羽衣』を魔術も防げるまでに強化したものなら『狂乱騎士』で受け止めた方が安全です。『鋼鉄処女』は上限がありますから」
「もしかしたら僕が見せたブラフかもしれないよ」
その言葉に由姫は笑みを浮かべた。
「今から試せばいいだけです。白百合由姫、行きます」
今日三度目の名乗り。でも、前の二回とは違う八陣八叉を出さない。名乗り。それは、白百合としての名乗りでもあった。
「白百合音姫の妹としての意地を見せます!」
里宮本家八陣八叉流ではなく、ただの白百合由姫と名乗ったのは、アルトを八陣八叉ではなく白百合として倒すためです。