第九十九話 儀式の始まり
都は静かに座っていた。耳にははっきりと戦っている音が聞こえる。そして、こちらに向かって来ている音も。
「皆さん、私のために必死で戦っているのですね」
「そうだ」
都がポツリと呟いた言葉にエレノアが反応した。そして、都の前に移動する。
「そろそろ儀式を始める。準備はいいな」
「・・・。わかりました」
都は諦めたように頷いた。
都が聞いた限り、動員された貴族派の数は大体2万ほど。他の共闘する派閥からも借りているらしい。だから、普通なら辿り着けない。普通なら。
「儀式の準備を始める。準備を進めろ!」
「はっ」
エレノアの近くにいた魔物が声を上げ走り出そうとした。だけど、そのまま体が崩れ落ちる。
首が裂けたのだ。まるで、鋭い何かによって裂かれたように。
「なっ、もう到着したというのか」
「エレノアが想定した相手じゃないよ」
その声にエレノアは振り返る。都は目の前にいる人物を驚きと安心の表情で見ていた。
そこにいるのは槍を構えるクラリーネ。
「都、ごめん。今まで、本当にごめん。ボクは都を裏切った。だから、ごめん。でも、今からは守るから」
「どういう心境の変化か?」
エレノアが『炎熱蝶々』を背中に表しながら尋ねる。クラリーネ、いや、千春はしっかり槍を握りしめた。
「そうだね。ボクはよく考えたんだよ。昨日、こっぴどく負けて、都に会いたいと思った。琴美と話したいと思った。ボクのやりたかったことを見つけた。エレノア、ボクはエレノアのやり方をもう、容認しない」
「そなたは余の考えに賛成したのではないか?」
「うん。そうだよ。エレノアのやり方でも世界は救えると思う。だけど、世界の命運を変えようと頑張っているのはエレノアだけじゃない」
あの時にクラリーネとして戦った七葉も同じだった。未来を変えようと動いている人物。そして、彼らも。
千春は周囲を見渡す。いつの間にか囲まれていた。頸線をかすかに展開しながら小さく息を吸う。
「誰もが新たな未来を求めて戦っている。それを知って、ボクはエレノアの考えに賛同しない。賛同出来ない。だから、都はボクが守る」
「この数に囲まれてか? 酔狂なことを。ならば、死ぬがいい」
『今しばし待て』
狭間の鬼の言葉に誰もが止まった。そして、都が反応する。
「この声は」
『ご苦労だったなエレノア。これで、ようやく、儀式が行える』
千春は絶え間なく周囲を見渡して狭間の鬼の姿を見つけようとした。だが、唐突に目の前に現れた。狭間の鬼が。
頸線が動くより早く、鬼の腕が千春を吹き飛ばす。
「千春!」
都は千春に駆け寄ろうとした。だが、その腕を鬼が掴む。
「巫女よ。儀式の時間だ」
無理やり鬼と向かい合う形にされた都は鬼の腕が振り上げられたのがわかった。そして、腕を振り下ろす。しかし、その腕は都に当たることなく外れた。
狭間の鬼が千春を睨む。
『邪魔を、するのか』
「やらせない。都は傷つけさせはしない」
「千春! 逃げて!」
千春の背中に嫌な予感が駆けずり回った。だから、千春に向かって叫ぶ。でも、それは遅い。
狭間の鬼が千春に向かって走る。千春は頸線を飛ばして鬼を狙う。でも、頸線は全て鬼の体に弾かれた。
「なっ」
『弱い』
狭間の鬼が千春の後ろに回り込み殴りつけた。千春は地面を転がって都の前で飛んで体を立たせる。そして、槍を構えようとして出来なかった。
千春の手から槍が落ちる。転がって都の膝に当たった。だが、都はその槍に目を向けない。
千春は信じられ目で下を見る。そこにあるのは自分の左胸が鬼の腕によって貫かれている姿だった。体から急速に力が抜けて、口からは血が出る。
鬼の腕は千春の胸を的確に貫き、心臓を握り取っていた。その心臓を都の前で握り潰す。千春の血が都の体を濡らした。
千春の体から腕が引き抜かれ、千春は都に向かって倒れた。都は千春を抱きしめる。
「千春! 千春!!」
「ごめ、ん」
その言葉を最後に千春の体から力が抜けた。誰が見てもわかる。千春は死んだ。
「いや、いや。いやーーっ!!」
都は泣きながら千春の体を抱きしめた。だが、その体は鬼によって引き剥がされる。
「千春!! 千春!!」
『巫女よ、儀式を始めよう』
そして、鬼は腕を動かす。都の胸に手を当てて前に進ませた。だが、千春の時と違って血は出ていない上に貫通していない。まるで、何か別のものを狙っているかのように。
「あっ、くあっ」
苦悶の表情を浮かべる都を見ながら鬼が笑みを浮かべて都の胸から手を抜いた。その手にあるのは一本の杖。
杖の先にある3つの輪の中でコインのような綺麗な装飾がされたものが回っている。
『ようやくだ。ようやく手に入れた』
鬼が高らかに声を上げる。
その時、音姫達がその場に到着した。
「亜紗ちゃん、孝治くん!」
音姫の言葉に全員が動く。だが、鬼は笑ったままだ。
『儀式を始めよう』
そのまま、鬼が杖で地面を叩く。すると、周囲が闇に包まれた。そして、暗闇が広がる。ほのかな月の光に照らされる暗闇が。
「どうして、満月なの?」
空を見上げた音姫の声は震えている。それは、あまりにもおかしい現象だから。
今日は満月ではなく、さらには一瞬で夜になった。
『我が宣言の下に集え。我が下部達よ!』
その言葉と共に狭間の鬼の周囲で黒い異形が生まれだす。その異形は、様々な形をしていた。
この世界の動物、魔界の動物、そして、天界の動物。
『さあ、喰らいつくせ』
そして、異形は音姫達だけでなく、貴族派にも襲いかかった。