初めて痴漢にあった日
一日外出をして、楽しんだ帰り道だった。
日曜日の夜の電車は、思っていたより空いていた。
隣に誰が座ったのかなんて、いちいち見ていなかった。
その人が、いつ隣に来たのかも覚えていない。
イヤホンで勉強の動画を聴きながら、携帯に目を落としていた。
太ももに、何かが触れた。
小さなポーチのようなものが、何度か当たる。
夜だし、眠っているのかもしれない。
それくらいにしか思わなかった。
次の駅に着く直前だった。
はっきりと、太ももを撫でるように触られた。
「え?」
顔を上げた瞬間、目が合った。
60代から70代の男。
何も言わず、逃げるように電車を降りていった。
一度だけ、こちらを振り返った。
走り去っていく背中を、ただ見ていた。
頭の中が真っ白になった。
昔、痴漢に遭ったら腕を掴んで捕まえる。
そんなことを思っていたこともあった。
でも、何もできなかった。
声も出なかった。
私は若くない。
それでも、どうしようもない嫌悪感が残った。
好きでもない人に触れられることが、こんなにも気持ち悪いなんて。
もし、これが通学途中の学生だったら。
毎日この電車に乗らなければいけない人だったら。
そう思った瞬間、少しだけ息が苦しくなった。
同じようなことが、誰の身にも起こりうるのだと、初めて実感した。
何もなかった顔をして、電車を降りた。
でも、あの一駅のことは、きっと忘れられない。
あの時、何も言えなかった理由を、うまく説明できる気がしない。
ただ、あの目があった一秒ほどの沈黙だけは、はっきり覚えている。
あの人は降りたのに、私の心は取り残されたままだった。あの一秒が、まだ心の奥底に残っている。




