第4話 火花散る、異類の邂逅
七星の波乱に満ちた身体・体力測定は、最悪の形で幕を閉じた。
50m走での「5.2秒」という大記録。
それをきっかけに、七星への注目度は一気に沸点へと達した。
一度崩れた「力の塩梅」を取り戻そうとすればするほど、焦りと緊張が逆効果となり、彼は望まぬ大記録を次々と打ち立てていったのだ。
「2組の一条、やばくね?」
「50mで颯太をぶっちぎったらしいぜ。しかもゴール前で後ろを振り返る余裕があったってよ」
「俺それ見逃したわ! でも、ハンドボール投げで校舎の窓ガラスを粉砕したところは見たぜ。あんなの、もう人間じゃねーよ、化けもんだわ」
下校する生徒たちの間を、逃げるようにすり抜けて帰路につく。
つい昨日まで、宇宙パワーが使えないことに焦りを感じていたのが嘘のようだ。
まさか自分がこれほどまでに注目されるなんて――という、長年望んでいたはずの「特別になれた喜び」は、今後待ち受けているであろう平穏の崩壊への不安によって、完全に中和されていた。
(……やってしまった。完全に、やってしまった……)
冬の夕暮れ、自分の拳をじっと見つめる。
意志に関係なく、内側から溢れ出してくる、この不自由なまでの強大なエネルギー。
(どうしたらいいんだ。明日から、どんな顔をして学校に行けばいい……?)
かつての自分が憧れた「ロマン」は、今や七星の日常を蝕む、制御不能な「猛獣」へと姿を変えていた。
七星は、力を手にしてからの数日間を頭の中で反芻し、深く思考を巡らせた。
元日の朝に見せた、重力を無視した大ジャンプ。
飴細工のように捻じ曲がった握力測定器。
手を抜いたつもりが、日本記録を嘲笑う5.2秒で駆け抜けた脚力。
そして、放物線を描く前に校舎の窓ガラスを粉砕したハンドボール投げ。
どれ一つ取っても、もはや人間業ではない。
(……この力が、人に向いていなくて本当によかった)
ぞっとするような戦慄が背筋を駆け抜ける。
もし、あの握力で誰かの手をとっさに掴んでしまったら。
もし、あのスピードで投げたボールが誰かの体に直撃していたら。
自分は今、とんでもない「凶器」をその身に宿しているのだ。
人を傷つけ、最悪の場合は容易くその命を奪ってしまう。
そんな光景が、嫌なほど鮮明にイメージできてしまった。
今のままではいけない。
一刻も早くこの力を制御しなければ、学校に通うどころか、自分以外の人間と共存していくことさえ不可能だ。
自分という存在そのものが、周囲にとっての「災害」になりかねない。
自分の人生に、拭い去れないほどの暗雲が立ち込めていたその時。
背後から、冬の夜気よりも冷ややかな女の声が響いた。
誰もいないはずの帰り道。街灯の光が届かない闇の向こう側に、女が、影のように佇んでいた。
「一条七星。それが、あなたの『ここ』での名前?」
たった一言を言い放ち、女はゆっくりと七星に向かって歩み寄る。
七星はあっけにとられていた。なぜ、初対面の相手が自分の名前を知っているのか。
自分と同い年くらいに見えるその女には、全く見覚えがなかった。
ブルーアッシュのロングヘアに、全身を覆う黒いマントのような異様な装束。
(……怪しすぎる。コスプレか何かか?)
「どちら様でしょうか。どうして俺の名前を……?」
とりあえず、当たり障りのない問いを投げかけてみる。
だが、女は小馬鹿にしたような笑みを浮かべただけだった。
「随分と、人間(真似事)が上手なのね」
訳の分からないことを言っている。なんだこいつは。
関わらない方がいい。直感がそう告げていた。
とりあえず逃げようと足を踏み出したその時、別の声が響いた。
それも、かなり遠く、高い場所から。
「生け捕りだぞ。人間に化けることのできる個体なんて、聞いたこともねぇからな」
振り返ると、民家の屋根の上に一人の男が腰掛けていた。
その男もまた、女と同様に異様なマントを羽織っている。
少し紫がかった髪色が、月光に照らされて不気味に浮かび上がっていた。
(日本人じゃないのか……? っていうか、言ってる意味がさっぱりわからん)
「殺すなよ」「化ける個体」、男の発言も理解不能だった。
だが、つい先ほどまで「自分の力が人を殺めてしまうかもしれない」と思い悩んでいた七星にとって、不思議と恐怖心は薄かった。これほどまでに浮世離れした連中を相手にすると、かえって現実感が失われていく。
「わかってるって!!!」
女がそう言い放った瞬間、夜の景色が歪んだ。
爆音も、前動作もない。
女の姿が陽炎のように揺れたかと思った次の瞬間には、彼女は十数メートルの距離をゼロにし、七星の鼻先にまで迫っていた。
(はっや! こいつ、人間じゃない――!!)
七星が抱いたのは、つい先ほどまで自分自身に対して抱いていた恐怖と同じもの。
宇宙パワーを宿し、世界記録を塗り替える動体視力を得たはずの七星にとってすら、その動きを見切るのは容易ではなかった。
女の手が、白く鋭い爪のように七星の胸元へ伸びる。
それは「捕獲」というにはあまりに鋭利で、暴力的。
その瞬間、思考を置き去りにして肉体が弾けた。
「――っ!?」
迫りくる女の指先が、七星の鼻先数ミリをかすめる。
七星は無様に尻餅をつくこともなく、重力を無視したような滑らかな動きで真横へとスライドしていた。まるで最初からそこに立っていたのが残像だったかのように、物理法則を無視した鋭角の回避。
空振った女が、驚愕に目を見開く。
「……避けた? この距離で?」
女の突進は、並の人間であれば反応すらできずに終わる速度だったはずだ。
避けた七星自身も、自分の体がどう動いたのか分かっていない。
ただ、一歩踏み出した足元のアスファルトには、彼の「踏ん張り」に耐えきれず、クモの巣状の深い亀裂が刻まれていた。
「へぇ、やるじゃねえか。ただの『輪外』じゃねぇな」
(……戦うのは、分が悪すぎる)
一瞬の交差で理解した。あの動き、あの反応。
おそらく奴らも、自分と同じか、あるいはそれ以上の「力」を手にしている。
基礎訓練すらしていない、力の出力調整もままならない自分が敵う相手ではない。
ましてや相手は、戦闘慣れした不気味な二人組だ。
(逃げる……逃げるしかない!)
七星は弾かれたように駆け出した。
向きなんてどうでもいい。とにかく、奴らの手の届かない、遠くへ。
コントロールのことなど、もう考えている余裕はなかった。
捕まれば、終わる。それだけは理解できた。
その恐怖に背中を焼かれ、七星は思考を停止させて足に全神経を集中させた。
ドォッ!!
アスファルトを蹴り上げる。
一歩、また一歩と踏み出すごとに、周囲の景色が線となって後ろへ流れていく。
背後の二人から逃げることで頭がいっぱいの七星は、まだ気づいていない。
彼が全力で踏み込むたびに、夜の路地裏に暴風が吹き荒れ、静まり返った住宅街の街灯が、過電流を流し込まれたかのように激しく明滅し始めていることに。
(……これなら、逃げ切れる!)
その背後で、女が両手を固く組み合わせて、唇をかすかに動かす。
『抉抜……』
生を感じ始めた七星の背中を、正体不明の強烈な「寒気」が貫いた。
声が聞こえたわけではない。
ただ、逃れようのない死線に触れたような、本能的な悪寒。
(なんだ……? 今、何が――)
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邂逅したのは、己と同じ火花を散らす「異類」の双眸。
持てる全力を賭した逃走は、静寂のなかで無残に挫かれる。
『抉抜』――静寂に添えられた、不可思議な言葉の意味とは。
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次回、第5話は明日、3月19日(木)18時00分に更新予定です。
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