第3話 5.2秒を見つめる瞳
出鼻を挫かれ、冷や汗を拭いながら体育館へ戻った七星を待っていたのは、原先生の怒号だった。
「一条! 何やってんだ、さっさと列に並べ!」
七星が必死に証拠隠滅を図っている間に、他の生徒たちの身体測定はあらかた終了し、すでに握力測定の本番が始まっていたのだ。
(まじかよ……もう始まってんじゃん)
「っしゃあ、48キロ! 自己ベスト更新!」
「マジかよ、強すぎ。俺なんて40もいかねーよ」
あちこちで一喜一憂し、己の「強さ」を無邪気に誇示し合う男子たち。
その平穏な光景を、七星は遠い世界の話のように眺めていた。
(……お前ら、今の状況を幸せに思えよ。俺なんて、数値を出す前に『機械をぶっ壊さないこと』に全神経を注がなきゃいけないんだからな)
「なんか、測定器一台足りなくね?」
「順番回るの遅くないか?」
周囲から漏れ聞こえる小さなざわめきに、心臓を針で突かれるような思いをしながら順番を待つ。
「次! 一条!」
ようやく名前を呼ばれた。
幸い、七星の元々の運動能力は「中の下」。
周囲からの注目度は「下の下」だ。
目立たず、騒がれず、ただの平凡な数字を残して消える。
それだけを目標に、七星は測定器を手に取った。
周囲から手元が見えないよう、力を振り絞るフリをして体を丸める。
だが、その内実は必死だった。握るのではない。
人差し指と親指の先で、そっと「つまむ」のだ。
指先だけの力ですら、宇宙パワーが暴発するのではないかと指が震える。
『36キロ』
液晶に表示されたのは、なんとも形容しがたい、極めて「普通」な数値だった。
かつての自分なら、全力で振り絞ってようやく出せた数字。
それを今、指先だけの「つまみ」で叩き出してしまった。
(……あぶねぇ。やっぱり、俺の体はもう、根本から変わっちまってる)
測定器を無傷で返せた安心感と、少しでも気を抜けば化け物が顔を出すという不安。
相反する感情の板挟みで、精神が削られていく。
だが、収穫はあった。
以前出すことのできた力の十分の一以下の出力で、日常の「全開」を再現できる――。
その力加減(塩梅)を、七星は掴みつつあった。
その後の長座体前屈、上体起こし、反復横跳び。
七星は、常に「指先一つで触れるだけ」のような極限の脱力を意識し続け、周囲にインパクトを残すことなく、どうにか体育館種目を切り抜けることに成功したのだった。
***
昼食の時間は、まるで嵐の前の静けさだった。
喉を通る弁当の味もろくに分からないまま、七星はただ刻々と迫る「その時」を待っていた。
午後。
校舎から一歩外へ出ると、冬の乾いた空気が肌を刺す。目の前に広がるのは、白線が真っ直ぐに引かれた広大な運動場。
そこは、本日のメインイベントを待ち侘びる生徒たちの熱気で溢れかえっていた。
体育館のような天井も壁もない。
それはつまり、一度放たれた宇宙パワーを物理的に遮るものが何もないことを意味していた。
(……体育館種目は、なんとか『つまむ』ことで凌げた。だけど、ここからはそうはいかない)
50m走は全身のバネを使い、ハンドボール投げは肩から指先までの遠心力を叩きつける。
どちらも「全力に近い動作」を前提とした種目だ。
「加減」という言葉が、もっとも通用しにくい領域。
七星は、運動場の隅でハンドボールを弄ぶ体育会系の男子たちや、スタートラインで入念にストレッチをする颯太の姿を眺める。
彼らの「一生懸命」が、今の七星には眩しく、そして恐ろしい。
(50mを、6秒台……いや、7秒くらいに見えるように走るには、どれくらい力を抜けばいい? ハンドボールを、バックネットを越えないように投げるには、指をどう離せばいいんだ……?)
冬の陽光に照らされた土の匂いが、逃げ場のない決戦の合図のように鼻をくすぐる。
一条七星、運命の運動場種目。
彼が最初に向かうのは、「直線の爆発力」が試される50m走か、それとも「放物線の破壊力」が問われるハンドボール投げか。
地獄の第2幕が、いま切って落とされようとしていた。
***
「じゃあ、まずこのクラスは50m走だ!」
原先生の号令が、七星にとっては死刑宣告のように響いた。
どうする。手を抜いているのが見え見えなら、やり直しのリスクがつきまとう。
ここで必要なのは、全力で走っているように見せる「演技力」だ。
グラウンドに引かれた白線の前に、五人ずつ並んでは走り抜けていく。
唯一の救いは、隣に颯太がいることだった。
学年ナンバーワンの脚力を誇る彼の走りには、教師も生徒も釘付けだ。
彼が目立ってくれれば、その影に隠れてゴールできる。
「次、位置につけ!」
ついに、七星の番が来た。
隣に立つ颯太の横顔は、アスリートそのものの真剣な表情だ。
七星はそんな親友を横目に、意識して「ゆっくり、落ち着いて」と自分に言い聞かせながらスタート位置に膝をついた。
「位置について。……よーい」
原先生の野太い声が、冬の空気を震わせる。
「パァン!!!」
乾いたピストル音と同時に、隣の颯太が弾かれたように姿を消した。
(颯太、はえー……! 助かった、あいつについていくフリをすれば――)
そう確信して一歩目を踏み出した瞬間、予期せぬアクシデントが起きた。
逸る気持ちに、調整中の肉体が過剰に反応したのか。足がもつれ、前のめりに倒れそうになったのだ。
ここで派手に転んでしまえば、今日はもう走らなくて済むかもしれない。
だが、原先生は「体育会系ゴリラ」だ。
不甲斐ない走りを見せれば、納得するまでやり直しを命じられるだろう。
(転ぶわけにはいかない……!)
七星は転びかけた足を必死で踏ん張り、無理やり次の脚を土に叩きつけた。
その瞬間。
ドォォォォンッ!!
背後で、戦闘機が低空飛行で通過したかのような衝撃波が吹き荒れた。
凄まじい砂煙が舞い上がり、後方に待機していた生徒たちの視界を奪う。
(やっちまった――!?)
土埃を浴びせてしまった申し訳なさから、謝ろうと後ろを振り返る。
だが、そこには待機列どころか、先ほど「姿を消した」はずの颯太の姿があった。
(え……? 颯太が、後ろにいる?)
違う。颯太が遅いのではない。
一歩の踏み込みとその慣性で、七星は学年トップのランナーを抜き去ってしまったのだ。
(しまった、何やってんだ俺! これじゃ目立ちすぎる――!)
止まろうとしたが、暴発してしまった宇宙パワーの推進力はもう制御不能だった。
ゴールラインを文字通り一瞬で突き抜け、七星はグラウンドの端まで滑り込む。
「一条、七星……記録、5.2秒」
原先生の手元のストップウォッチが刻んだのは、日本記録を塗り替えるほどの異常な数字。
手動計測の誤差では到底説明のつかない「奇跡」を、七星は全校生徒の前でぶちかましてしまったのだった。
原先生の声が震えていた。
静まり返るグラウンド。舞い上がる砂煙の向こう側で、全校生徒の視線が、場違いな記録を叩き出した一人の少年に突き刺さる。
だが、その狂騒を遠く離れた校舎の屋上から、無機質な瞳で見下ろす影があった。
「……見つけた。あの子で間違いなさそうね」
風に吹かれる髪を押さえ、一人の女が呟く。
その視線の先には、困惑に立ち尽くす七星の姿があった。
「人間に紛れて暮らしているなんて、不思議な趣味だ」
隣に立つ男が、手元の端末に表示された異常な生体波形を眺め、口角をわずかに上げる。
「さて、どう動く? ――あの人に報告を」
二人の男女は、それだけ言い残すと、喧騒に包まれる校庭に背を向けた。
その足音は、誰に気づかれることもなく、冬の静寂の中に消えていった。
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砂煙の向こう側、人知を超えた「異質」が露わになる。
七星を見下ろす、正体不明の男女。
信じ続けた宇宙は、彼を何者に!?
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次回、第3話は明日、3月18日(水)18時00分に更新予定です。
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