第6話 最後の選択
「颯太のこと、嫌いになれたら、楽なのにな・・、」
「・・好きな気持ちのまま、別れたい」
美月は、ぽつりと言った。
——やめろ。それ以上、言うな。
——俺は、ここまで追い込んでたのか。
その瞬間、視界が、ぐらりと歪んだ。
——え?なんだ、これ。
次に目を開けた時、俺は、見慣れた服を着ていた。
スーツ。革靴。でかい手。
——戻ったのか?俺の、体?
「颯太?」
目の前に、女がいた。
——真琴。なんで。
カフェのテーブル。向かい合って座っている。
——最悪のタイミングだ。心臓が、爆音を立てる。
——待て待て待て。俺、さっきまで・・。
「大丈夫?顔、真っ青だけど」
——無理。・・無理だ。
「ごめん、ちょっと・・1人にさせて」
ほぼ逃げるみたいに立ち上がる。
「え?ちょっと——」
聞こえないふりをして、店を出た。
——なんだよ、これ。ふざけんな。
——でも・・。
気づいたら、俺は公園に立っていた。
ブランコ。砂場。ベンチ。
——ここ。美月と、初めてちゃんと話した場所。
ベビーカーが目に入る。
知らない赤ちゃん。知らない夫婦。
でも、胸が、きゅっとなる。
——あの頃。俺、なにも持ってなかったんだよな。でも、全部が新しかった。
美月が笑うだけで、嬉しかった。手を繋ぐだけで、ドキドキした。
——いつからだ。当たり前にして、雑に扱って、大切なもの、見えなくなったの。
赤ちゃんが、泣いた。
——颯月。俺、お前にも・・。
美月にも、颯月にも
——俺は、冷たすぎた。逃げすぎた。最低だ。
ベンチに座って、頭を抱える。
——でも。まだ、間に合うんじゃないか?ちゃんと、考えろ。
立ち上がる。夕方の空。オレンジ色。
俺は、走った。
帰り道、子ども服売り場に入る。
——サイズが、わからない。新生児用・・で、いいのかな。
一番小さい服を、ぎゅっと握る。
それから、和菓子屋。
——美月、どら焼き、好きだったな。
袋を抱えて、家に向かう。
鍵を開けると、美月が目を丸くした。
「・・早いね」
「美月、話があるんだ」
心臓をぎゅっと握られたように苦しい。
深呼吸。
「俺、颯月の中に、入ってた」
一瞬の沈黙。
「・・なに言ってるの?」
「信じられないよな。でも俺、全部、見たんだ」「美月が、どんな気持ちで、毎日颯月抱いてたか。俺が、どれだけ、クズだったか」
「浮気も、話しを聞こうとしなかったのも、雑に扱ったのも、暴言吐いたのも、向き合おうとしなかったのも、全部俺が悪い」
頭を下げる。
「ごめん!」
「・・信じられないよ」
美月の声が、揺れる。
「でも」
顔を上げる。
「信じてもらえるまで俺、言い続けるから・・!」「もう、逃げない、出会った時みたいに、ちゃんと、向き合う」
美月の目から、涙が溢れた。
それは、静かな涙じゃなかった。せきを切ったみたいに、次から次へと溢れて、止まらない。
「・・遅いよ」
涙で声が、震えている。
「遅すぎるよ・・」
美月は、顔を押さえた。
「なんで・・なんで、今なの・・!」
抑えていた感情が、一気にふき出す。
「私、どれだけ我慢してきたと思ってるの・・颯月産んでからも・・」
「夜中も・・颯月が泣いても、颯太隣でスマホ触ってるだけだったじゃん!」
——そうだ。全部、事実だ。
「話しかけても、目も見てくれない。冷たくされて、邪魔みたいな顔して・・!」
声が、裏返る。
「それでも!それでも私は・・!家族だと思ってた・・!」
「颯太が好きだったから!好きだったから、我慢したんだよ!!」
——やめてくれ。
——それ以上、俺の罪を並べないでくれ。
美月は、泣きながら、叫ぶ。
「私、颯太に・・女としても・・妻としても・・何回、殺されたと思ってるの・・?!」
——全部、俺だ。俺が、美月を、ここまで追い込んだ。
颯太は、何も言えなくなって、その場に、ひざをついた。
「・・ほんとうにごめん!」
声が、かすれる。
「ごめん・・」
——軽い。こんな言葉、何百回言っても、足りない。
「俺・・ずっと、自分のことしか考えてなかった!」
——美月の気持ちなんて、1回も、真正面から見てなかった。
「颯月が生まれて、美月が母親になって、それがなんでか怖かった」
——奪われる気がした。居場所が、なくなる気がした。
「だから、逃げた。向き合わなかった。浮気も・・」
喉が、詰まる。
「最低だと思ってる。後悔してる。でも・・言い訳だけど・・」
「俺、誰かに必要とされてるって、感じたかっただけなんだ!」
——違う。
——それを、1番ほしがってたのは、美月だった。
「俺が壊した。全部、俺が悪い!」
「美月の笑顔も、安心も、信頼も、颯月の、幸せな家庭も」
声が、震え出す。
「でも・・」
顔を上げる。
「それでも、やり直したい!許されないのは、わかってる。俺の事、信じられないのは当然だ」
「それでも今度は、逃げない。冷たくしない。1人にさせない。ちゃんと向き合う!」
「父親としても、夫としても、1から、1からやり直させてほしい!」
——遅い。遅すぎる。でも今、初めて本気だ。
「あと・・これ・・。颯月の服と美月が好きだったどら焼き。」
「颯月の服、サイズがわからなかったから、入らないかもだけど・・」
美月の目から涙が溢れ出す。
「・・ありがとう。けどこれ、少し小さいよ笑」
目を細め、くしゃっと笑う美月。
--俺、この笑顔に何度も救われてたな。
「どら焼き・・私がどら焼き好きな事、覚えててくれたんだね。嬉しい・・」
--そんなことで、こんなに泣くのか。こんなにも想ってくれている人を、俺は・・。
美月は、しばらく泣いていた。そして、小さく息を吸って、言った。
「・・ずるいよ。こんなの、信じたく、なるじゃん・・」
颯太の胸に、そっと寄りかかる。
「でも・・簡単には、許さないから・・」
——それでいい。それで、十分だ。
「でも・・」
美月は、そっと、颯月を差し出した。
「颯月の前では嘘つかないで。逃げないで。ちゃんと一緒に、生きて」
颯太は、震える手で、颯月を受け取る。
小さな体。あたたかい命。
——この重さを、俺は、一生、忘れない。
「・・約束する。一生、守る」
美月は、声を殺して泣いた。
それは、悲しみの涙じゃなくて、張り詰めてた何かが、ほどけた涙だった。
夜。
川の字で、3人並んで寝る。美月は、久しぶりに、深く眠っている。颯太は、眠る2人を見ながら、静かに思う。
——失ったものは、戻らないかもしれない。でも。これから積み上げることはできる。
颯月が寝返りを打って、颯太の指を握る。俺の方を向いて、安心したように眠る美月。
——もう、離すなよ。二度と。
窓の外、夜が、静かにふけていく。
壊した時間より、これからの時間の方が、長くなりますように。
3人の呼吸が、ゆっくり、同じリズムになる。
好きなまま、別れなくてよかった。それだけで十分だった。
--好きなまま、もう1度始められる。
—-今度は、 ちゃんと、家族として。
( おわり )




