第3話 後悔
美月は、俺にミルクを飲ませながら、静かに話し始めた。
「颯月?」
声は、赤ちゃんである俺に向けたものなのに、
どこか祈るみたいだった。
「ママね、パパのこと、ちゃんと好きなんだよ」
・・は?
「怒るところも、冷たいところも」
「ほんとは、すごく寂しがりなところも・・」
一拍、間が空く。
「パパはね、本当は、とっても寂しがりやなんだよ」
悲しさが混じった、
それでも愛で包むような声。
——なんだよ、それ。
——急に、なに言い出すんだよ。
胸の奥が、ぎゅっと掴まれた。
美月の腕は、変わらずあたたかい。
俺を包む力も、揺れていない。
「颯月と同じくらいね」
「パパのこと、大好きなんだよ」
——やめろ。
——そんなこと、言うな。
俺は知ってる。
その「好き」に、
どれだけ甘えてきたか。
美月は俺にじゃない。
赤ちゃんの俺に向かって、
颯太への愛を語っている。
それが、
どうしようもなく、苦しかった。
その時、颯太が入ってきた。
「おい!
そんなことしてないで、早くメシ作れよ!」
自分の腹のことしかない声。
自己中の塊みたいな声。
——そんなこと?
——おい、待て。
——今の話、聞いてたか!?
「ちょっと待って」
美月が言う。
「は!?
俺、腹減ってんだけど!」
——ああ、そうだった。
——俺は、俺が全部だった。
——人の気持ちなんて、
——1ミリも見る人間ではない。
美月は、俺を見つめて、
そっと抱き直す。
「お願い。少しだけ待って」
「チッ・・
俺より、そいつの方が大事なのかよ」
——そいつ?
——お前、——自分の子に、そいつって言ったのか?
舌打ちが、耳に刺さる。
その瞬間、颯太のスマホが震えた。
画面が、一瞬だけ見える。
《真琴:今なら話せるよ》
——・・おい。
——マジかよ。
胸の奥で、
嫌な音がして、
何かが崩れ落ちた。
美月も、見た。
ほんの一瞬。
でも、確実に。
「・・誰?」
声が、震えている。
「仕事!」
即答。
目も合わせない。
——最低だ。
——俺、
——ここまで堕ちてたのか。
「最近、帰り遅いよね」
美月の声が、かすれる。
「スマホも、
肌身離さず持ってるし・・」
「うるせーな!」
「仕事だって言ってんだろ!」
「めんどくせぇ!!」
ドンッ。
力任せにドアを閉め、
颯太は出ていった。
——終わった。
——・・終わった、のか?
ミルクを持つ美月の手から力がスッと抜け、
表情が、音を立てて崩れていく。
怒りでも、悲しみでもない。
全部が混ざった顔。
美月と俺しか居ない部屋に、
悲しい声が吐き出される。
「・・私、全部知ってるよ・・。」
その言葉で、
世界が、止まった。
——なにを。
——知ってるって、なにを。
声にならない声が、
美月の中から零れ落ちる。
「・・もう、終わりかな・・。」
——待て!!
——颯太、戻れ!!
——お前、なにしてんだよ・・!!
心の奥で、
大切な何かが、
ボロボロと音を立てて崩れていく。
俺は、泣くことしかできない。
うわぁぁぁ!!
なに!?
知ってるって、なにを!?
悔しい。
待って。
まだ、終わってないよな?
美月・・
ごめん・・!
まだ俺のこと、
好きで、いてくれ・・!
もう1回、好きと、言って、くれ・・。
——違う。
——全部、
——お前が悪い。
——全部、
——お前が壊した。
美月は、力が抜けたみたいに、
涙をボロボロこぼしながら、
それでも俺を抱き寄せる。
「・・ごめんね、颯月・・」
違う。
謝るのは、俺だ。
「ママが・・
ちゃんと、守るからね」
——違う!
——違う!!
--謝るのは、俺の方だ!!
——美月・・!ごめん!!
--おい颯太!
--戻ってこいよ!!
--戻って謝れよ!!
俺の声は、届かない。
——こんなにも愛してくれてる人に、
——俺は、なにしてた?
胸の奥が、
ぐしゃぐしゃに潰れる。
後悔。
罪悪感。
自己嫌悪。
全部、遅い。
赤ちゃんの俺は、
心の中で、
何度も、何度も、
颯太を殴った。
——お前、マジでクズ。
——それでも、
——まだ、変われ。
——まだ、
——間に合え。
泣きながら、
俺は初めて、
本気で、
自分を憎んだ。
続く--




