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追放された回復術師、薬草畑を耕していたら辺境が聖地になっていました  作者: しげみち みり


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第9話 森に畑を置く――白い手の旗と、季節の継ぎ目

 朝の冷えが退き、砦の石が薄く温み始めたころ、レオンは門の外の灰路に膝をついていた。

 白い粉の線は昨夜よりも滑らかで、踏まれた跡が等間隔に並んでいる。兵たちの足裏に塗った《灰蜜》が、石の微細な凹凸と親しみ、線の上を「短・長・長・短」となぞりながら固めたのだ。

 「今日の畑は森だ。根は灰路、葉は香炉、花は骨の鐘」

 自分に言い聞かせるように呟き、レオンは粉袋の口を締めた。


 「偵察の報告」

 ガイウスが地図を広げる。墨で描かれた谷と尾根の線に、昨夜からの印が増えていた。

 「北の森の縁で白い旗を確認。紋は“手”。指が五本、細く長い。行軍は整然、否認の靄は従属的。輪の旗と違って“骨を折る”より“掴む”動きだ」

 リサが唇をへの字に曲げる。「掴むってことは、引きずる。拍をずらしても、“手”のほうが追ってくる」

 「だからこそ、畑が要る」レオンは頷いた。「掴まれても、足元が季節を覚えていればほどける。――森に季節を置こう」


 エリスが骨の鐘を布袋に詰めながら問う。「季節を置くって、どうするの?」

 「季節は拍の連なりだ。土の温度、風の匂い、虫の羽音、葉の厚み。……森の中に、畑の“季節の継ぎ目”を点々と作る。そこを踏めば、身体が“ここは春だ”“ここは秋だ”って思い出す」

 「否認は、思い出に弱い」エリスは目を細めた。「言葉より先に覚えたものは、名を奪われても残る」

 「そういうこと」


 マルコが帳面を抱えて現れた。目の下に薄い隈があるが、筆は相変わらず滑っている。

「供給は維持。砦は骨鐘四十、香炉常時三、灰路は二本増設。巡礼受け入れは神殿副官が管理。――君たちは森で“季節のサンプル”を採取し、基準化して戻せ」

 「基準化」リサが笑う。「この人、何でも標準寸法にする気だ」

 「標準がなければ、悪い手癖のほうが早く広がる」マルコは乾いた口調で返し、レオンに薄い木板を渡した。「骨鐘の改良案。共鳴を少し弱く、代わりに“人差し指の骨”に響く音型を足す。掴まれた時、指がほどける」

 「借りる」レオンはそれを腰袋に収め、竜の鼻面を撫でた。


 竜は昨夜より目に光が戻り、喉の奥の拍が骨鐘と同調している。

 「無理はさせない。――ただ、風を一呼吸だけ動かしてくれ」

 レオンが香袋をそっと振ると、竜は鼻から低い息を吐いた。砦の上を撫でるような風が起き、骨鐘が“鳴らない音”で胸の内を一つ揺らした。

 「行こう」ガイウスが短く告げ、五人と一頭は灰路を北へ踏み出した。


     ◇


 森は最初、沈黙して見えた。

 否認の靄が薄い膜のように木々の間に漂い、足音の高いところだけ影が濃くなる。鳥は鳴くが、その節は短く切れて、曲にならない。

 レオンは膝を折り、土を指で撫でた。湿りは適度、腐葉土の匂いはまだ若い。

 「ここに、春を置く」

 灰路の粉を小さな環にまき、中に《薄荷根》と《白穂草》を刻んで混ぜた土を薄く広げる。

 骨鐘を一本、低い枝に吊す。

 エリスが胸の内で“春の拍”を声にならぬうたに変え、リサが周囲の茂みに矢印の細い印を残す。

 「次は、向こうの窪地に“秋”」

 ガイウスが先導し、窪地の縁に小さな香炉を据え、《聖樹樹皮》を多めにした香を低く焚く。

 「秋は戻る匂いで作る。体が“収穫”を思い出す」

 レオンはそう言って、窪地の端に“踏み石”を置いた。石の表に《灰蜜》を薄く塗ると、靴底が吸い付くように安定する。

 「春」「秋」「春」「秋」――季節の継ぎ目が、森にぽつぽつ灯る。

 否認の靄は、その“灯り”の場所だけ薄くなる。靄は季節を嫌う。輪が回る場所と、季節が回る場所の位相が合わないからだ。


 「足音」

 リサが指を二度弾いた。

 葉の擦れ合う気配が一斉に止み、森の奥から規則的な拍が近づく。

 白い旗。手の紋。

 先頭の一団は鎧を着ず、白布の上衣に淡い革の胸当てだけをつけている。手には長い棒――先端に布が巻かれ、ところどころに細い鈴。

 「……音を掴む《手鈴棒》だ」レオンが低く呟く。「歩みの拍を吸って、相手の拍の“隙”へ指を差し込む器具」

 「掴まれる前に、ほどく」ガイウスが短剣を握る。「正面は私と勇者、左右はリサ。レオンとエリスは季節を繋ぎ続けろ」


 白い手の兵が足を止め、静かに棒を立てた。

 先頭の男は痩せて背が高く、顎の線は細い。目は驚くほど穏やかで、声も柔らかい。

「争うために来たわけではない」

 男の言葉は、胸の中に“先に”入ってくる。黒衣の輪とは逆だ。意味が先に、音が後から。

 「我らは“掴む者”。祈りを所有しないために、祈りの形を掴まない。――あなたたちも、祈りを所有しないのだろう?」

 エリスがまばたきを一つ挟み、静かに答えた。「所有しない。だから流す。止めたいのは“折る手”」

 「折らないために、掴む」

 男は棒の鈴を指先で軽く鳴らした。ほとんど音はしない。だが、骨鐘の“鳴らない音”に、外から薄い縁が付け足されたような違和感が走る。

 「掴む」というのは、こういうことか――音も匂いも見えないところで、内側の拍に指がかかる感覚。

 レオンは一歩、季節の“春”の環に退き、鼻の奥に薄い蜂蜜の匂いを通した。

 「掴む者に問う。あなたたちは“輪”と組んだのか?」

 「組んだとも、組んでいないとも言える」男は微笑を崩さなかった。「折る手が暴れる時、掴む手が必要だ。輪は粗暴だが速い。我らは整える。祈りを所有しないために、祈りの形さえ奪う」

 「それを“否認”と呼ぶ」ガイウスが一歩前に出る。「名を捨てるのは自由だが、人を捨てるのは違う」


 空気がわずかに冷え、森の上の雲が薄く走った。

 男は棒を水平に構える。棒の端の布がふわりと広がり、鈴の“鳴らない音”が近づいた。

 「試すだけだ。あなたたちの“季節”が、掴めるのかどうか」

 その言葉と同時に、白い手の兵たちが一斉に踏み込んだ。

 棒の先端が空気の「間」に差し込まれ、拍の隙間に楔が打たれる。

 灰路の白がわずかにくすみ、骨鐘の“鳴らない音”が細くなる。

 掴まれた、と思った瞬間――


 「春」

 エリスの囁きが、胸の内だけで花開いた。

 骨鐘の拍が、指の骨から腕へ、肩へ、背骨へと流れ込む。

 春の環の中は少し暖かく、鼻の奥が軽い。

 掴まれた指が、ぬるり、とほどける。

 ガイウスはその隙を逃さず、棒の布と鈴の付け根に短剣の背を叩きつけた。鈴は鳴らず、布の中の細い骨材が折れる。

 リサの矢が棒の影の手首に触れ、握りが緩んだ瞬間、レオンが《薄荷根》の細片を散らす。

 「秋」

 窪地の“秋”が吸い込み、相手の足元に「戻る」気配を作る。

 掴んだ手は、戻る拍に指を合わせられない。

 白い手の兵の足が半歩遅れ、隊列の肩がわずかにぶつかり、拍が乱れた。


 男は初めて顔で笑みを作った。「面白い」

 「面白がってる場合じゃない」リサは低く言い、次の矢をつがえる。「こっちは畑の準備中」

 男は頷き、棒を下ろした。「これ以上は必要ない。――掴めなかった。つまり、あなたたちの“季節”は所有に回収できない。だから邪魔はしない。ただ、警告する」

 「聞こう」レオン。

 「輪は粗暴だが目立つ。手は穏やかだが広がる。――第三の者がいる。名は“名”。祈りに名を与え、名で束ね、名で売る者」

 エリスの横顔が険しくなる。「名で売る?」

 「名を札にし、札を交換する。祈りは所有されないが、名は所有できる。……その者たちは、輪と手を同時に“扱う”。あなたたちの畑も、札にするだろう」

 マルコが聞いたなら、眉をひとつ上げただろう――とレオンは思った。

 「名(銘)を貼れば、流れは止まる。札を奪えば、所有が生まれる。……それを止めるのも、畑の仕事だ」

 男は肩をすくめる。「止められるなら、止めればいい。我らは掴む者。掴めぬものは、掴まない」

 白い手の兵たちは棒を立て、静かに森の奥へと去っていった。鈴は最後まで鳴らなかった。


 緊張が抜け、森の音が少しずつ戻る。

 リサが弓を肩に回し、ふう、と息を吐いた。「話が通じる分、厄介だね。敵じゃないけど、味方でもない」

「“掴めないなら去る”――畑の季節に似てるわ」エリスが骨鐘を軽く弾く。「季節は掴めない。来て、行く」

 「だが“名”は掴む」ガイウスが顎をさすった。「名で売る連中……旗は?」

 リサは首を振る。「まだ見てない。でも匂いはわかる。墨の匂い、漆の匂い、乾いた紙の粉。……嫌な予感」


 「予感は記録しよう」

 いつの間に追いついてきたのか、マルコが木の陰から姿を現した。息は乱れていない。

 「お前、来てたのか」リサが目を丸くする。

 「後方の維持は副官に任せた。現場を数字で見るには、自分の目が要る。――白い手は“掴み”、黒い輪は“折る”、そして“名”は“貼る”。三者の関係は市場だ。市場にはルールが要る」

 「ルール、ね」レオンは薄く笑い、春の環に新しい粉を足した。「畑のルールは簡単だ。蒔いたら、戻ってくる。掴んでも、所有できない」

 「そのルールを“札”にされる前に、札より速い“標準”を配る」マルコは骨鐘を一つ取り、指の骨で鳴らした。「骨鐘式・裏歌法・灰路歩法――名前は地味でいい。実務が先に立つよう、地味にする」

 リサが噴き出す。「嫌な天才だ」

 「褒め言葉と受け取っておく」


     ◇


 季節の置設は昼過ぎまで続いた。

 森の斜面には「春」「秋」の小さな環が点々と並び、間の谷筋には“香の川”が静かに流れる。

 レオンは時折立ち止まり、鼻の奥の味で風の帯を読み、骨鐘の拍を土の拍と重ねる。

 「……いい」

 森の呼吸が、体の呼吸と噛み合った。否認の靄は環の間を避け、濃いところは“香の川”に寄せられて薄まる。

 エリスは裏歌を最小限に保ち、疲労を抑えていた。リサは矢ではなく印で森を“縫い”、ガイウスは前後の間合いを常に一定に保っている。

 マルコは採取と記録の合間に、薄い板に骨鐘の小型版を取り付け、「携帯鐘」の試作を黙々と組み立てていた。


 「――来る」

 リサの声。

 今度は、旗が見えない。だが、匂いが来る。

 墨。漆。乾いた紙。

 空気がわずかに粘り、季節の環の縁で粉が沈む。

 「“名”だ」エリスが呟く。「名が歩いてくる」

 見えない札が空中に吊られ、通りかかる風に「名前」を貼っていくかのようだ。

 風が「春」と言い、土が「秋」と言う。季節は元々名を持たないのに、名が貼られると動きが硬くなる。

 レオンは香袋を割り、空中に薄い香の層を散らした。「名の縁」を滑らせるための油。

 「“名”は滑りに弱い。札が張り付く前に、香で縁を丸める」

 ガイウスが短く頷く。「姿を見せろ」

 森の影から、二人の人物が現れた。白衣に黒い襟、胸元には細い札を束ねた房。歩みは軽く、足音はほとんどない。

 「ご機嫌よう」先頭の人物が、優雅に一礼する。声は澄んでいるが、感情の起伏は少ない。

 「我々は“記名士”。祈りが誰のものでもないことは承知しています。だから“祈りではない周縁”に名を与え、流通を整えるのです。――あなた方の“季節の標識”、名を与えましょう」

 マルコが一歩出る。「断る」

 「まだ価格の話をしていませんが」

 「価格の話だからだ」マルコは乾いた声で返す。「名に価格を付けるのはお前たちの勝手だ。だが“季節の通行”は共同の基盤だ。基盤に札を貼るな」

 記名士は目を細め、手の房を揺らした。

 「あなた方も札を使うでしょう。骨鐘、灰路、裏歌――名があるではありませんか」

 「名は“扱い方”のためにある。売るためではない」

 「販売は悪ですか?」

「速度の問題だ」マルコは即答した。「名で回す速度は、土の拍を壊す。――我々は標準を配る。無料で。お前たちの“札”より速く、広く」

 記名士は口元に微笑を戻した。「競争ですね。市場は歓迎します」

 「市場に“季節”を入れるな」ガイウスが低く唸る。「市場は畑の外に作れ」

 「畑は世界の内にある」記名士は肩をすくめた。「世界を畑から切り離せますか?」

 エリスは一歩進み、静かな声で言った。「あなたは“名”で祈りを守れると思っている。でも名は切り札に弱い。――“呼びかけ”は札を通らない」

 記名士の眉が初めて揺れた。「呼びかけ?」

 「名を呼ばない、呼びかけ。骨の鐘で胸の内を鳴らすだけの呼びかけ。誰のものでもない呼びかけは、札に貼れない」

 レオンが骨鐘を指で弾く。鳴らない音が、胸の中を一つ“撫でた”。

 記名士は微笑を消さずに一礼し、房の札を静かに束ねた。

 「試みは拝見しました。市場も観察します。――速度の競争、楽しみに」

 そう言って、彼らは森の影に溶けた。

 香の層が薄く流れ、季節の環の縁が自然の呼吸を取り戻す。


 リサが肩を落とし、天を仰いだ。「どいつもこいつも、正面から殴ってこない」

 「だから畑なんだよ」レオンは苦笑する。「殴る相手じゃない。耕す相手だ」

 ガイウスが短く笑った。「剣の届かない敵に、畑を差し向けるとはな」

 「剣の届かない味方にも、畑を差し向けるよ」エリスが小さく言い、森の光の粒を見上げた。「呼びかけは、味方にも必要だから」


     ◇


 夕刻前、季節の環をいったん砦まで戻すことにした。

 帰り道、竜は喉の拍を骨鐘に合わせ、森の上に薄い風の層を敷いてくれる。

 砦が見えてきた頃、血の匂いが風に混じった。

 「急げ」ガイウス。

 門の外、小さな担架が二つ、泥の上に置かれている。運び込まれたばかりの若い兵。腕と腿に切り傷、血は止まっているが、目が虚ろ。

 「“名”の刺だ」レオンは顔をしかめた。切り傷の縁に、極細の墨が残っている。「名で“痛み”を呼び戻している。止血の上に“痛み”の札を貼ったんだ」

 エリスが膝をつき、骨鐘を二つ、担架の片側に吊るす。「呼びかける。――名を使わずに」

 レオンは《灰蜜》に《白穂草》を少量混ぜ、傷の縁を撫でた。蜜が乾く前に骨鐘の拍が乗り、蜜の膜が胸の内の拍と同じ「短・長・長・短」で固まる。

 「痛み」は札に引かれて戻ろうとするが、蜜の拍に迷い、薄くなっていく。

 兵の呼吸が静かになり、焦点の合わない目に、わずかな湿りが戻った。

 「……戻る」

 「戻るよ」レオンは微笑む。「君は戻る。痛みも、季節も」


 マルコが駆け寄り、短く問う。「札の性質は?」

 「墨と漆と乾いた紙。札の“名”は、傷跡の縁に沿って貼られてた。――骨鐘と蜜で回収できる。だが、早いほうがいい」

 「標準を作る」マルコは即答した。「“札傷の回収手順”。――無料配布版だ」

 リサが笑う。「やっぱり嫌な天才」

 「褒め言葉だろう?」


     ◇


 夜、砦の中庭。

 骨鐘は各所に吊られ、香炉は“川”と“網”の中間で低く焚かれている。灰路は白く、兵の足はそれを自然に踏む。

 竜は裏手で丸くなり、呼吸は安定し、傷口の膜は薄く光っている。

 職人はまだ拘束されていたが、表情は穏やかになった。骨鐘の拍が内側に入り、呼吸の波が整っている。

 レオンは焚き火のそばで帳面を開いた。

 「森の季節置設:春×七、秋×六。香配合(春)=薄荷根・白穂草(弱)、(秋)=聖樹樹皮(中)。骨鐘=門・井戸・外縁・携帯。白い手=掴み(手鈴棒)。“名”=札(墨・漆・紙)。――回収手順、仮版」

 紙に薄い影が落ち、影が消える。エリスが座り込み、湯気の立つ木椀を差し出した。

 「温かいの、飲んで。今日は長かった」

「ありがとう」レオンは一口すすり、胸の中から熱が広がるのを感じた。

 「“名”は厄介ね」エリスが火を見つめる。「掴む者よりも、折る者よりも、柔らかくて硬い」

 「柔らかい分、裏返せる」レオンは骨鐘を軽く弾いた。「名の縁を丸くして、貼る前に“滑らせる”。それを標準にしてしまえば、札より速い」

 「速度」

 マルコが現れ、椀を半分飲み干してから言った。「札より、速く。……明日から“携帯鐘”を村にも配る。巡礼路に季節の環を置き、森の外縁まで灰路を伸ばす」

 「戦線が広がる」ガイウスが短く言う。「護衛を薄くしない工夫が要る」

 「巡礼者自身が踏む。――灰路は、踏まれて強くなる」

 レオンの言葉に、エリスが微笑む。「祈りも、踏まれて強くなる」

 リサは弓弦を撫で、頷いた。「矢場の的も、打たれて強くなるよ」


 その時、門楼から短い角笛が鳴った。

 「来客」

 見張りが告げる声は緊張を含まず、むしろ戸惑いを帯びていた。

 門の影から現れたのは、質素な外套を着た老婆と、幼い孫らしき少年。

 老婆は骨鐘の下で立ち止まり、胸の前でゆっくり指を滑らせた。

 短く、長く、長く、短く。

 「昔の畑の拍だよ」

 皺だらけの頬に笑みが刻まれる。

 「ここは、春と秋が隣り合わせている。良い畑になる。――あんた、畑の人だね」

 レオンは深く頭を下げた。「はい。畑の人です」

 「なら、季節はあんたが決めるんじゃない。土が決める。人が決めるのは、どのように“聴くか”だ」

 老婆の言葉に、火の粉が一つ、空へ上がった。

 レオンは骨鐘に触れ、胸の内で拍を合わせた。

 短く、長く、長く、短く――土の拍。


 砦の石は、昨日より白い。

 森の黒は、昨日より薄い。

 白い手は去り、“名”は札を束ねて様子を窺い、輪はほどかれたまま息を潜めている。

 戦は終わっていない。

 だが、畑は広がった。

 香の川、灰の路、鳴らない鐘、春と秋の環。

 奇跡は測れる。

 祈りは届く。

 名より速く、札より広く――標準は、配れる。


 レオンは焚き火に灰をひとつまみ落とし、微笑んだ。

 「――耕そう。名の縁まで」


 夜風が骨鐘を撫で、鳴らない音で胸の内をひとつ、揺らした。

 遠く、森のさらに向こうで、微かに別の旗が翻った気がした。

 輪でも手でも名でもない、別の色。

 季節の継ぎ目は、まだまだ増える。

 畑は、世界のほうからやってくる。

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