第1話 追放された回復術師、荒野に種を蒔く
「――レオン。お前はもう必要ない」
その言葉は、戦場の只中で告げられた。
仲間の声は冷たく、刃より鋭く胸に突き刺さる。
レオンは長年、勇者パーティの回復術師として戦線を支え続けてきた。
剣士が骨を砕けば即座に癒し、魔法使いが魔力を暴走させれば命を繋ぎとめる。誰よりも仲間の傷と痛みに寄り添ってきたのは自分だと信じて疑わなかった。
だが――。
「回復役なんて、今はポーションがいくらでもある。高価だが王都の商会が支援してくれる。お前の存在価値はもうない」
そう言い放ったのは勇者リカルドだった。金髪碧眼、誰よりも輝かしい英雄の貌。かつては憧れすら抱いていた背中から、突き放されるとは。
「……わかった」
レオンは短く応じると、背負った荷を肩に掛け直した。
抗弁はしない。無理に縋る気もない。
仲間たちの視線は、哀れみですらなく無関心だった。
この場に居合わせた数多の冒険者や兵士も「回復術師など替えが効く」と嘲笑を隠さない。
――ああ、これが俺の立場か。
荒んだ笑みを浮かべ、レオンは振り返ることなく戦場を後にした。
◆◇◆◇◆
数日後。
王都から遠く離れた辺境の大地に、レオンの姿があった。
広がるのは、ただ風が唸るだけの荒れ果てた原野。人の営みは消え、魔物すら寄りつかぬ“捨てられた土地”だ。
「……ここなら誰にも邪魔されない」
レオンは肩から古びた外套を外し、地面に膝をついた。
手にしているのは鋤と一袋の種。かつて薬草院で研鑽を積んだときに譲り受けた、数種類の薬草の種子だった。
勇者パーティに入る以前、レオンは【薬草知識】という地味なスキルを使い、調合や栽培を学んでいた。だが「戦場では役に立たない」と蔑まれ、封じていた過去。
「結局最後に残ったのは、このスキルか……」
苦笑しながらも、土を耕す手つきは自然と覚えていた。
鋤を振り下ろし、固い地面を割る。水を引き、種を蒔き、祈る。
誰も頼らない。誰にも頼れない。ただ黙々と土と向き合う。
最初の夜は、焚き火を囲んで空を仰いだ。
満天の星々が、まるで「よくやった」と囁くように瞬いている。
胸の奥に沈んでいた重石が、ほんの少しだけ軽くなるのを感じた。
◆◇◆◇◆
三日後。
「……芽が出ている?」
朝露を浴びて小さな緑が顔を出していた。
信じられないほど早い発芽だった。薬草の中には一年近く芽吹かないものもある。それがわずか三日で。
レオンは恐る恐るその葉を摘み、口に含んだ。
――瞬間、体内を駆け巡る清涼な感覚。血の流れが整い、疲労が霧散する。
「まさか……回復効果が十倍以上に? こんな薬草、聞いたことがない……!」
驚愕に目を見開いたレオンは、ひとり呟いた。
荒れ地の土壌に、何か特別な力が宿っているのか。それとも、自分のスキルが変質しているのか。
ともあれ、この畑はただの畑では終わらない。
直感が告げていた。
◆◇◆◇◆
やがて、一人の少女が畑に足を踏み入れた。
「す、すみません! 旅の途中で怪我をしてしまって……」
腕を押さえて涙ぐむ少女。レオンが薬草を煎じて与えると、傷はみるみる塞がっていく。
「……すごい。本当に、治った……!」
少女は両手を合わせ、感謝を口にした。
「ここは、神様の恵みの地なのですか?」
レオンは苦笑しながら首を振った。
「いや、ただの薬草畑だ」
けれど、その日を境に噂は広がっていく。
辺境の荒れ地に“奇跡の薬草畑”があると。
◆◇◆◇◆
夜。
焚き火の前でレオンはひとり思う。
「俺は……戦場では必要とされなかった。でも、ここなら……」
自嘲混じりの笑いが、いつの間にか小さな希望へと変わっていた。
種は芽吹いた。誰かが救われた。ならば、もう一度信じてみよう。
癒すことしかできないこの手で、新しい人生を。
こうして、追放された回復術師の静かなスローライフは幕を開けた。
だがまだ、この畑が“辺境の聖地”と呼ばれる未来を、誰も知らない。