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【過去編】8:xx10年2月25日

それは、ひどく寒い日だった。


高校受験を終え、無事に進路が確定し、あとは卒業を待つばかりだった。

午前だけの授業を終えて、一人中学近くにある大きな川の土手にいた。

鹿渡川というその川の幅はゆうに50mをこえる大きなもので、

その川岸は冬だと言うのに乱雑に雑草や野草が多い茂っているものの、

土手は比較的綺麗に整備されていて、休日ともなるとランニングをしたり、

散歩をする人も多くみかける。

しかしこの時間帯。

平日の昼食時を過ぎたこの時間帯にあまり人の気配はない。


そんな時間に家にも帰らず、煉矢は一人でいる。

別段悪いことをしているわけでもないのに誰かに咎められるのも面倒で、

あえて雑草が覆い茂った土手に横になって空を仰いでいた。


空はどんよりとしていて、朝方の天気予報では雪が降るかもという予報だった。

雑草を背中にしているとはいえさすがに冷えてきたため

起き上がり溜息を吐き出せば白くなってそれが空気に消えた。


こんなところで一人でいることには当然理由があった。

否、理由と言えるほど、明確なものではない。

別段厄介でもないし、困った事態ということでもない。

ただ、なにか家では考えがまとまらないような気がしていたからだ。

とはいえここでこうしていてはさすがに風邪を引きそうだ。


 「……帰るか」


ぽつりとつぶやいて横に押し退けていた学校鞄に手を伸ばそうとしたとき、

がさがさと雑草を踏み分けるような音がした。

ネコかなにかだろうか、と顔をそちらに向けると

ほぼ同時になにかがこちらに転がってきた。


 「っ!」


猫よりはるかに大きいため一瞬何事かと思ったが

転がってきたそれは自分のすぐ近くで倒れこんだ。

猫ではない。子供だ。

それも、この寒いのに薄手のワンピースを着て、足は素足だった。

土と草で汚れたのか薄灰色に見える髪に土汚れがついていた。

とっさに駆け寄って声をかけた。


 「大丈夫か?」


声をかけると子供は驚いたように顔を上げた。

長い前髪の向こうで、その汚れた様子に

不釣り合いなほど明るい瞳がこちらを見た。

なにかそれに既視感を抱く。

子供は土で汚れていたが、頬や鼻の頭はこの寒さのせいか赤くなっていた。


 「君、ええと、お母さんとかは?」


大きな瞳でこちらを見つめる子供に、なにをどう声がけしていいのかわからない。

とっさに親の所在を訪ねてしまったが、こんな薄着、

それもはだしでこんな場所にいるなど普通ではない。


いったいことのあとどうするべきか戸惑っていると、

子供は小さな掠れた声でつぶやいた。


 「……あかい、おにいちゃん……?」

 「え……」


赤いお兄ちゃん。

そう呼ばれて急激に記憶がさかのぼった。


まだ自分が小学生だった頃だ。

近所に住んでいた仲の良い兄妹。

公園や自分の家でよく遊んだ、兄の方は自分と同じ年で、

下の妹は6つ歳が離れていた。

そのため二人でその小さな女の子の世話をしながら、

3人でよく遊んでいたのだ。

兄妹のいない自分からしてみれば、まるで本当の妹のようで。


しかしある時を境に兄妹は引っ越してしまった。

別れも何も言えずにいなくなった兄妹にひどく悲しい気持ちになった。

なんでなにも言ってくれなかったのかと憤りも覚えたが、

その後中学に上がり、兄の方とは再会した。

話を聞けば、親が離婚し、妹は母親に引き取られ、自分も会っていないと。

その兄の方とは今ではごく親しい友人だ。


妹当時まだ本当に小さくて、自分のことを、

この瞳の色のせいだろうが、赤いお兄ちゃん、と呼んで。


 「……もしかして、乃亜?」


そう尋ねると、子供は顔をくしゃくしゃにして、瞳に涙をためた。

やはり乃亜だ。

灰色かと思った髪は汚れているせいでそう見えただけ。

実際は乃亜の髪は兄と同じ銀色のような明るい色だったはず。

涙をためる乃亜の両肩に手を置いて静かに尋ねた。


 「乃亜だよな?俺のこと、覚えててくれたんだな?」

 「……う、ん……っ」

 「なんでこんなところに、いや、それより、どうして裸足で……」


乃亜は震えながら首を振る。

言えないのか、それとも分からないの意味なのか。

自分にはわからない。

ただ異常な状態であることだけは分かる。

ひとまずこの子をこんな状態でいさせるわけにはいかない。


首に巻いていたマフラーを広げて肩にかけてやると、

乃亜はぎゅっとそれを掴んだ。

自分にとって二巻きしてどうにか結べる程度の長さのそれは

乃亜の肩ごと包んでもいくらも余裕があった。

乃亜は自分と6つ差、であれば9歳になっているはずだ。

こんなに華奢で細いものか?

いやな想像が一層色濃くなり煉矢は眉をひそめた。


そのとき、なにかが聞こえたのか、乃亜はびくりと大きく震えて後ろを向いた。

なにかがいるのか。

自分もそちらに目線を向けると、ジャージ姿の体格のいい男が遠くに見えた。

乃亜は顔面を蒼白にして異常なほどに震えだした。

寒さのせいではない。


 「乃亜、あの男……」

 「……っ」


ぎゅうっと肩にかかるマフラーを掴んで震えている。

男はあたりを見渡しながらゆっくりこちらに向かっている。

なにがどうなっているのかまるで分らないが、

それでも乃亜があの男に対してひどい恐怖を覚えているのは間違いない。


 「乃亜、ちょっと抱っこするけど、大丈夫か?」

 「……う、うん……」


驚いた様子だったがあまり余裕もない。

乃亜を抱えて川岸の方にさらに少し下り、

雑草が長く伸びているあたりに慎重に駆け込んだ。

コートの前ボタンを外して乃亜を抱き込み、

自分は土手に背中を向け、

何事もないようにスマートフォンをいじる振りをした。


 「このままじっとしてるんだぞ、大丈夫だからな」

 「……うん」


涙をぼろぼろとこぼしながらも泣き叫ぶ様子もなく、

ただ震えて自分の服を掴んでいる。

コートから片腕だけ引き抜いて、後ろからは地面に手をついているように見せ

実際は乃亜の背中を抱えている状態で体制を整える。


カメラモードをオンにしてカメラレンズを反転させる。

スマートフォンを見る振りをして背中側の様子を見ると

ちょうど先ほどのジャージの男がすぐ後ろできょろきょろとしているところだった。

内心大きく心臓が跳ね、乃亜を抱える腕に力がこもった。

男はこちらをちらと見たが、特に何も気づかなかったようで

そのまま先へと進んでいく。


なんとかやり過ごすことはできたようだ。

しかしすぐに移動するのも危険かもしれない。

そもそもこれからどうしたらいいのかもわからない。

けれど、自分が今抱えている小さい子は、友人の妹で

抱えているだけでもわかる。

冷えていて、華奢だと思った身体は細く軽すぎた。

ちらと視線を下ろすと、声を殺して泣いているようだった。


ひとつ息を吐いて、おそらく一番の関係者に対して電話をすることにした。


 「……頼む、出てくれよ」

 「あかいおにいちゃん……?」


発信音の合間に声をかけられ、

大丈夫という意味を込めて髪を撫でてやった。

乃亜は少し落ち着いたのか、自分にしがみつく手の力が少緩くなった。


 『もしもし?』

 「よかった、出たな」


ほっと安堵の息が漏れた。

電話口の向こう、乃亜にとって一番の関係者、

兄の静が怪訝そうな声を出した。


 『なんだ?今稽古中なんだ。あんまり時間が』

 「稽古よりはるかに重要な話だ。

  いいか、落ち着いて聞け」

 『なんだよ……?』

 「乃亜がいた」

 『………は?』


たっぷり2秒。

そののち出た声はひどく間抜けな声だった。

理解はできる。しかし、呆けている場合ではない。

煉矢は状況だけを伝えることにした。


 「だから、乃亜がいるんだ、今、ここに。

  ただ、様子がおかしい。この寒空の下、薄手な上に裸足で、

  どこかから逃げてきたみたいに見える」

 『……おい、煉矢。

  いったい何が、いや、それより、ちょっと待ってくれ……』


どうやらよほど混乱している。

無理もない話だが、こっちも呑気な話ではない。

正直一人ではどうしていいのかわからないし、動くに動くこともできないのだ。


 「ちょっとビデオ通話にする。ただ一人で見ろ。

  他の奴らに見せるな」

 『おい、本当になにが』


状況のひっ迫具合を理解させるにはこの方がはるかに速い。

周囲を一度見渡し先ほどの男がいないことをしっかりと確認する。

ビデオ通話をオンにした。


 『っ?!』

 「乃亜、お兄ちゃんだ、分かるか?」

 「……っ、せ、い、おにいちゃ……っ」


じわ、と涙がまたゆれる。

手を伸ばして画面に触れようとする乃亜の手はひどく細い。

少し伸ばしただけで袖が持ち上がり素肌が見える。

胸が痛くなった。

だがその細さ以上に、めくれた袖の下、

青紫の痣のようなものが見え、煉矢は目を見開く。


 『乃亜、乃亜だな?!

  お前、なんでそんな、おい、煉矢!』


静の叫びのような声にその衝撃はさえぎられた。


 「俺にだってなにがなんだかわからないんだ。

  あと少し声を落としてくれ」

 『……今どこにいるんだ、すぐにそっちに行く』

 「鹿渡川の河川敷だ。猿戸橋の信号近くの。

  あとで細かい場所はメッセージ送る。

  とにかくこういう状況なんだ。なるべく急いできてくれ」

 『分かった、すぐ行く。

  ……乃亜、お兄ちゃん、すぐにそっち行くから、

  煉矢と待っててくれな?』

 「う、ん……」

 『いい子だ。すぐに行くよ』


ぶち、とやや乱暴に通話は切れた。

これで少しは事態が進展することを祈りながら、煉矢はほっと息を吐いた。

詳細な場所を伝えなくてはならないが、

川岸といっても伝わらない可能性が高い。

きちんと分かるか怪しいところだが、地図アプリで現在地を確認し

それをそのままメッセージアプリに転送した。

無機質な数字の羅列に自分の詳細な居場所を託せるのか不安が残るが、仕方ない。

スマートフォンをコートのポケットにしまって、

もう一度息を吐き出した。


空いた手で乃亜の背中を支える。

抱える乃亜の身体はようやく少しだけぬくもりを感じ始めた。


 「……乃亜、話せることだけ話してくれればいいんだけど、

  ここにはどうしてきたとか、言えるか?」

 「……あ、のね」

 「うん」

 「……こ、こわく、なった……の……」


怖くなった。

煉矢は視線を落とし、乃亜の顔を見る。

乃亜はちいさい両手を重ねて握りしめていた。


 「いうこと、きかないと……、わるいこ、なの……。

  ……わるいこっていわれて、たたかれて……」

 「悪い子……?

  叩かれる……?!」


もしやと思っていた最悪な想像が現実となった。

煉矢は大きくなりかけた声を抑えるように唇を強く引き締めた。

乃亜の顔色は悪い。じわりとまた瞳に涙がたまる。


 「わ、わたしの、となりで、ねてた、こが……っ、

  お、おきな、くて……いっぱい、わるいこって……っ、

  い、いっぱい……っ、ちが、でて……こわくなっ……」


ふるふるとまた震えだした乃亜の背中を反射的にさすった。

だがその言葉に唖然とする。

乃亜は静と別れたあとどうなったか分からない。

母親に引き取られたと言っていた。

先ほどの男がどういった関係なのか分からないが、

先ほどの怯えようからして、おそらく、叩いたのはあの男だ。

血が出た、と言っていた。


 「……それで、逃げ出してきたんだな」

 「……っ、わたし、も、わるいこって、されちゃう……。

  こ、こ、こんな、こと、して、わるいこ、いけない、ことしちゃった……っ!

  ど、どうしよう……どうしようっ、あ、あかいおにいちゃ……っ、

  わたし、わるいこ……たたかれちゃう……っ」

 「違う、乃亜は悪い子じゃない……!」


悪い子なものか。

煉矢は異常なほどに怯え震える乃亜を抱きしめ頭を撫でる。

いったい何があったのか分からない。

しかし乃亜の言っていることが本当なら、それは間違いなく虐待だ。

いや、虐待どころか理不尽な暴力ではないか。

それから逃げることのなにが悪いと言うのか。

煉矢は乃亜を安心させるように背中を支え、頭を優しく撫でる。


 「大丈夫、大丈夫だ。もうあの男はいない。

  叩かれない。怖いことなんかない。だから大丈夫だ」

 「う、うう……っ」


乃亜はまた声を殺してぼろぼろと涙を流している。

酷く痛々しくて、その背中を抱きしめる力がこもった。

こんな小さい子に対しての暴力など本当に理解ができないししたいとも思わない。

ひどく胸が悪くなる話だが、それでも乃亜の話、

なぜこんなところにいるのかは分かった。

だがこれからどうすればいいのか。

静が来たあとどうすればいいのか。


こういう時、自分はまだまだ子供なのだと自覚する。

歯がゆい。

こんな小さな子ひとり、どう守っていいのかわからない。

震える手で服を掴んで泣いている、小さな子さえ。

ただ、抱きしめてやることしかできない。


 「大丈夫だ、俺や静が、必ず守ってやるから」

 「……う、ん……っ」


無責任な言葉を言うことしかできなかった。




いくらか時間が経過したころ、ブブとスマートフォンが震えた。

着信だ。


 『俺だ。今、信号渡ったところだ』


座標だよりに来られるよりよほどいい。

煉矢はほっと息を吐いた。


 「土手にとりあえず降りてくれ。

  高架下を越えて少し行ったところだが、ちょっと待ってくれ。

  土手に、黒いジャージの男はいないか?」

 『は?黒いジャージ?

  ……いや、いない。何人か歩いてはいるけど、

  ジャージ姿はいないな』

 「……ならいい。事情は直接話す。

  なるべく周囲に気を付けてきてくれ」

 『分かった。

  ……、今高架下を越えた』

 「川岸のほうだ。少し雑草が伸びてる、下の方」

 『なんだってそんな場所に。

  ……あっ!』


電話口で静が声を上げると同時に、ごそ、と乃亜が動いた。

自分の身体の横からちらと土手の方に目を向けて、

こちらに駆けてくる足音が聞こえた。


 「お、おにいちゃ……!」

 「っ、乃亜……!」


乃亜が手を伸ばして自分から離れる。

それを駆け寄って抱きしめた友人は、本当に急いできたらしく、頬や額に汗を流していた。


静は荷物を放り投げて小さな妹を強く抱きしめている。

乃亜もまた、こらえていたものがあふれたのか、うう、と嗚咽まじりに泣き出した。


 「なんで、お前……!

  もう大丈夫だからな、お兄ちゃんがいるからな!」

 「う、うっ、お、にいちゃ……っ、っっ」


思わずほっと息を吐いた。

乃亜も安心したようだし、なによりこの事態を一人でどうこうできもしない。

友人が来てくれたのは心底心強い。


 「煉矢、それで、なにがどうなってるんだ?

  なんで乃亜がこんなところに?」

 「俺もあまり詳しくは聞けてないんだ。

  ただ、さっき言った、黒いジャージの男に暴力を受けてたような、

  そんなことを言っていた」

 「は?!

  ……乃亜、母さんはどうしたんだ?一緒にいないのか?」

 「……お、かあさん、もう、いないの……」

 「え……」


静の表情から感情が抜け落ちた。

煉矢も目を見開く。


 「よるに、おるすばん、してて、おかあさん、かえってこなくて、

  そしたら、しらない、ひとたちがきて……。

  おかあさんとこ、つれってくれたけど、おかあさん、しろいおへやで、ねてて……。

  もうおきないんだよって……」

 「そ、れは……」


眉を寄せた。

友人の顔は蒼白だ。

それはつまり、二人の母は、もうこの世にはいないということ。

子供でもそれくらいのことは十分に察せてしまう。

静は震えて唖然と、乃亜の両肩に触れていた。


青い顔で震える友人は、以前から、自分を引き取った父親を忌避していた。

再会したときにはもう父親とは断交していると聞いた。

詳細なことは聞けていない。

父親のことを話すのは、静も心底嫌がっているのを知っていたからだ。

いまでは弁護士を通して養育費をもらうだけの関係で、

静自身も施設で暮らしている。

それに静は悲観していないようで、むしろ清々しさすら感じる表情で言っていた。

いつか大人になったら母と妹を探して一緒に暮らしたいと、常々。


それが、今。

妹はボロボロで、母はもういないという。

友人の心持ちを思うと想像を絶する。

しかし今、彼まで茫然自失となっている場合ではないのだ。

心を鬼にして、肩を強めに叩いた。


 「静、今は乃亜のことだ」

 「あ、ああ、そ……そうだな」


額を抱えながら必死に自分の心を整理しようとしている。

無理もない、と正直思う。

しかしそれでも今はのんびりとしている場合ではないのだ。

もう一度声をかけようとしたとき、静の頭に小さい手が触れた。


 「おにいちゃん……いいこ……」


まるで大丈夫、というように

乃亜は肩に掛けたマフラーを握りしめながら

静の頭を弱々しくなで始めた。


それに二人はただ驚いた。

こんな状況にも関わらず、様子のおかしい兄を慰めようとしている。

乃亜の手は小さく、指先も顔も赤い。

けれどそれに不釣り合いなほどに腕は細く、痣のようなものが見えた。


静の目が潤んだのが見え、友の情けとして顔を逸らした。

彼は乃亜を強く抱きしめて少しだけ泣いたようだった。

それがどういった思いなのかは分からない。

分からないが、きっと今はそれが正しいのだと思う。


幼い頃に共に過ごしただけといえばそうだが、

それでも、今友人として親しくしている静も、

自分が大変な目にあっているにも関わらず、兄を思いやるやさしさを見せる乃亜も、

放置していけるほどに淡泊でもなければ、無関係でもない。

この兄妹のために出来ることはなんでもしたい。

自然とそういった気持ちが湧き上がってくる。

だが気持ちだけで、できることが思いつかない自分が悔しかった。


少し時間をおいて、静はなんとか立ち直れたらしく、

乃亜を抱きかかえながらこちらを見た。


 「少し電話してくる。乃亜を頼んでいいよな」

 「それはもちろん構わないが」

 「乃亜、煉矢と少し一緒にいてくれ。

  お兄ちゃん、ちょっと電話してくるから」

 「うん……」


静はなるたけ乃亜を不安にさせないように穏やかに笑いかける。

軽い妹を煉矢に抱えて渡し、川辺の少し離れた場所に向かった。


二人から少し離れたのは、泣きごとを言ってしまうような気がしたからだ。

友人である煉矢にも、自分にすがって泣く妹にも、それは見せたくなかった。


それでなんとかなるのかはわからない。

わからないが、ほかに頼れる人はいなかった。

他人に対して、大人というものに対して不信感ばかりが先行していた自分を

まっすぐな感情で向き合ってくれた、あの人。

何かあれば必ず相談しろ、という力強い声に、

今はすがるしかできない。

スマートフォンを取り出し、数少ない連絡先の中からその人の名前を見つける。


 『溝上 力也』


タップして、ワンコールの後、その人は出た。


 『どうした、静』

 「頼む助けてくれ!」

 『あ?!なんだ、どうした?!』


どう話すべきかと迷う間もなく助けを求めた。

思った以上に自分の中の感情は整理がついていなかったらしい。


 「妹が、震えて、泣いてるんだ……!

  俺はまだ子供で、どうすればいいのかわからない!

  っ、あんたしか頼れない!」

 『分かった、安心しろ。すぐに助けてやるから』


事情を聞くでもない。

戸惑うでもない。

何ができるかも把握していないくせに、

その男ははっきりと助けてやると告げた。


それに胸がいっぱいになって目元がじんわりと揺れる。

しかし今は泣いている暇はない。

乱暴に腕で目元を拭い、自分のいる場所を告げた。


 『鹿渡川の河川敷、猿戸橋交差点の近くだな?

  よし分かった。すぐに行くから、待ってろ。

  いったん切るが、すぐに出れるようにしてるんだぞ』

 「わかった、頼む……!」

 『おう』


結局深い事情などは話せなかった。

しかし、彼のその愚直なまっすぐさに、ひどく救われる。

安心しろと言ってくれた。

助けてやると言ってくれた。

なにひとつ事情も分からずとも。

それがどれだけ、頼もしく、心強いか、言葉にできない。


必死に湧き上がる感情を、唇の裏を噛むことで耐える。

それでも抑えきれず、もう一度目元を拭って、静は煉矢と乃亜の元に戻った。


一葉編の途中ですが、過去編が今回と次回と続きます。

この時点で、静・煉矢は15歳、乃亜9歳です。


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★毎週木曜11:30・日曜19:00頃更新予定★

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★アルファポリスでも連載中★

https://www.alphapolis.co.jp/novel/598640359/12970664

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