【青嵐編】82:xx19年3月24日
「いやぁ、分かっていたけど、本当にモノが少ないよね……」
ドミトリー暁の一室、B棟の4階、角部屋に位置する部屋にて、
乃亜は静やましろと共に持ってきた荷物や新しく購入したものなどの片づけを勤しんでいた。
運び込んだダンボールを片しながら、ましろがしみじみと口にし、
それにキッチンにてカトラリーを片付ける静が深く頷いている。
乃亜はそれに瞳をぐるりと回した。
「せめてラグとか、ドレッサーとかさ……」
「その、別段あってもなくても困らないかなと……」
「まぁ、否定はしにくいんだけど」
以前から乃亜や静の家に遊びに行くことが多かったましろは
荷物を入れたとて殆どが床そのものの室内に肩をすくめた。
この学生マンションでは必要最低限の家具・家電については
もともと部屋に配置されている。
パイプベッドや学習机、椅子などがその例であるが
殆どそこから変化がない。
部屋の個性を見出せるものとしてあるのは、
机の横に置かれたヴァイオリンケースと電子ヴァイオリン、そして譜面台くらいのもの。
「もっと言ってやってくれ、ましろ」
「兄さん……でも、別段困りませんから……」
「いや、乃亜、家具の類はそうだけど、服に関しては困ると思うよ」
クローゼットを開けると簡易的なプラスチックの三段ボックスが置かれ、
そこにいくつかの服がハンガーにかけられていた。
そこにはコンクールで使用したドレスもかけられている。
「服が少ない。これは真面目に増やした方がいいよ。
高校の時と違って大学になったら毎日私服なんだからさ」
「あぁ……言われてみれば」
「私ちょっと煉矢に、次のデート、ショッピングにしたほうがいいって言っておく」
確かにそういった点については盲点だった。
毎日制服が基本であった高校の時とは違う。
しかしなにかましろから煉矢へリークされるというのは
なにか気恥ずかしいものがある。
静はその様子をみて笑いながら、
ひとしきりのキッチン用品の片づけが終わったことを確認する。
室内に残っているダンボールももうない。
「さて、片付けもひとしきり済んだし、俺はそろそろ帰るな」
「あ……はい」
分かっていたことだが、なにか胸がぎゅっと締め付けられた。
「兄さん、あの、下までお見送りしてもいいですか?」
「ああ、もちろんだ」
駆け寄って声をかければ、静は柔らかな笑みを浮かべた。
それに少し安堵を感じて、
乃亜は先ほどもらったばかりのカードキーとスマートフォンを持つ。
ついでにダンボールを片付けようという話になり、
たたんだそれをそれぞれ一つずつ抱えた。
共有ダイニングではにぎやかさこそ落ち着いているが
まだフロアメイトたちはいるようだった。
戻って来たらまた挨拶出来たらいいと思いながら、乃亜は静やましろと共に
エレベーターで下へ降りて行く。
B棟の出入り口で、ルールに従いカードキーをタッチ。
ピ、という音共にドアが開いた。
ダンボールについては外に専用の廃棄場所があるらしい。
ごみ捨てのルールなどを聞きながら中央棟へと向かう。
瞬く間に中央棟にたどり着き、静は管理人の矢島に台車の返却をし、退館の手続きをとった。
エントランスを抜けてマンション脇のダンボール置き場に持ってきたダンボールを片付け終えた。
駐車場に向かう中、乃亜はちらと隣を歩く兄を見上げる。
去年の夏頃、志望校を決めるにあたり、兄と相談の時間を取った。
そこで暁天大学を志望すること、一人暮らしをしたいことを兄に言った。
大学はともかく、一人暮らしについては兄はかなり驚いていた。
決して兄との生活が嫌になったわけではなく、
自分は守られてばかりいるため、
少しでも自立できる力をつけたいのだと必死になって告げた。
一番嫌だったのは、兄が自分を卑下することだ。
兄と二人で暮らす生活は心の底から穏やかで安心できた。
それは決して嘘ではないし、今でもそう思っているけれど、と。
ややあって兄は優しく頭を撫でてくれた。
その優しさに涙が出た。
そして学生マンションに入れるのであれば許可することを告げた。
乃亜を信じていないわけではないが、
さすがにいきなり周りに誰もいない中に放りだすことは出来ないと。
最大限の譲歩をしてくれた形だ。心から感謝した。
そしてその日は二人で、共に暮らし始めてからの日々をずっと語り明かした。
その日のことを思い出すと胸が切ない。
自分で決めたことであるのに。そう思うと情けない気持ちになった。
やがて静の乗ってきた車にたどり着いてしまった。
普段であれば一緒に乗っていく中、今日から乃亜はここで見送る立場だ。
「それじゃ、行くな。乃亜、なにかあったらいつでも連絡するんだぞ」
「はい……兄さんも、身体に気を付けてくださいね」
「ああ。お前もな。……ましろ、色々すまないが」
「平気だよ。静こそ、乃亜がいなくなって、生活リズム崩れないようにね」
「ふふ、俺自身もそれが一番の懸念だ」
乃亜がいなくなり、静自身もこれからは多忙な中、
一人でそれらをこなしていかなければならない。
乃亜はそれを聞いて、瞳を大きくした。
「私、兄さんの力に、なれていたんですか?」
「今更何を言ってる。当然だろう。
お前がいてくれて心から助かってたよ」
それは心底嬉しい言葉だ。
無論、共に暮らしている中で、なにかをして礼を言うなど当たり前のようにしあっていた。
けれど改めてそう言われると、やはり嬉しい気持ちが広がる。
乃亜は唇を引き締め、少し頬を染めた。
静はそんな妹の頭を撫でた。
「なにもなくても、いつでも帰ってきていいからな。
あの家もお前の居場所で、お前が俺の大事な妹なことに変わりはないんだから」
「……はい」
絞り出すことしかできなかった。
静は分かっているようにもう一度撫で、そして車の中に乗り込む。
ましろと共に乃亜は少し車から離れる。
エンジンがかかり、車の中でこちらに手を上げて挨拶する静に会釈して返す。
車はそのまま発進し、すぐに駐車場から道路へ出て、
すぐにその姿を消していった。
乃亜は道路の向こうに見えなくなった車の影を、つい、目で追った。
ぽん、と肩を叩かれる。
「乃亜」
「……すみません。自分で決めたことなのに」
誰に強制されたわけでもない。
自分でそうしたいと思って決めたのがいまだ。
それに寂しさや苦しさを感じるなど自業自得以外の何物でもない。
そう思って目を伏せる乃亜に、ましろは首を振った。
「いいんだよ、家族なんだから。
互いに大切に思ってるんだから、ちょっと寂しくなるのは当たり前。
私だって、初めてここに来た時は、そうなったしね」
「ましろも、ですか?」
「そうだよ?でも、どうしたっていずれ慣れるし、私も、隼人もいる。
フロアメイトはみんないいやつだし、すぐに友達も出来て、楽しいことも増える。
だから、大丈夫」
「……はい。ありがとうございます」
ましろの言葉に乃亜は微笑む。
心の中にある空白感はどうやらすぐには消えないものらしい。
ましろでさえそうだったということにいくらも気持ちが楽になったのだ。
彼女のように強い人でもそうなら、自分ではそうなって当然。
乃亜が微笑んだ様子を見て、ましろも小さく頷き、
二人はともにマンションの中へと戻って行った。
B棟へと戻り、4階にまで戻ると、
フロアメイトたちが乃亜たちの姿を見つけたらしく、それぞれ顔を上げた。
隼人が窓の向こうで手招きをしている。
ましろと乃亜は顔を見合わせ、ダイニングの中へと足を踏み入れた。
乃亜にとっては初めての場所だ。
薄緑色の壁は室内の明るさを際立たせ、入り口正面には、
木目調の大きなテーブルにダイニングチェア。
その奥にはマット調のカウンターがある。
また、黄色やアイボリーのカフェテーブルやチェアが並び、
本棚には漫画や小説など、様々な本が並んでいる。
共用らしい2台のデスクトップパソコンもあった。
「ましろ、挨拶してもいい?もう時間大丈夫?」
ふわりとした桃色がかった髪を、
ポニーテールにした可愛らしい女性が声をかけてきた。
明るい青い瞳がきらきらと輝いている。
「乃亜、大丈夫だよね?」
「あ、はい。今日はもう、片付けは終わりましたから」
特に今日はもう予定はない。
あえていうならば買い出しくらいだが、それは急ぎと言うほどのことではない。
女性はにこりと笑って言った。
「私、光本 茉莉!
私もね、昨日ここに入ったの。よろしくね」
「あ、斉王 乃亜です。よろしくお願いします」
「私のことは、茉莉でいいよ。よかったら、私も、乃亜って呼んで平気?」
「はい、大丈夫です」
溌溂とした雰囲気の明るい笑顔は、明るい初夏の空を感じさせる。
乃亜が笑いかけて挨拶をしていると、続けて隣にいた、亜麻色のショートカットに
明るいオレンジ色の瞳の女性が続いた。
「えっと、茂木 明日香です。
私は付属の高校の3年生なんです。ここには1年のときから入っているので、
なにか分からないことがあれば、気楽に聞いてください。
みんなにも明日香って呼ばれてますから、斉王さんも、明日香で大丈夫なので」
「ありがとうございます。
あの、良かったら、明日香も乃亜で大丈夫ですよ。
私も、ましろは年上ですが、名前で呼んでいるので」
「そうだね、私が堅苦しいの好きじゃないしね。
私や隼人には、明日香も普通に接してるし、乃亜もこういってるから、
よかったらそうしてやって」
「あ、わかりました、じゃなくて、うん、分かった。
よろしくね、乃亜」
「はい、よろしくお願いします」
中学生頃ならまだしも、高校3年や大学ともなれば
1年ほどの年齢差はあまり気になるようなものではない。
「俺はさっき自己紹介したし、次、空良!」
「あ、ああ」
パソコン前の椅子に座っていた、少し灰色の混じったような青い髪に、
水色の瞳の青年が立ち上がった。
「皆守 空良だ。
俺も明日香と同じ、高校からここにいるから、
分からないことがあれば聞いてくれ。
ましろたちにも、空良って呼ばれてるし、嫌じゃなければ、そう呼んでくれ」
「はい、ありがとうございます。
私も、乃亜で大丈夫ですから、よろしくお願いします」
「ああ、ありがとう。よろしく」
どうやらこのフロアでは名前での呼称が基本らしい。
ましろを台頭に、垣根を軽く飛び越えられる人が集まっているのかもしれない。
ましろが先ほど言っていた通りだ。
いい人たちばかりなようで安堵した。
そうしてひとしきり挨拶を終えたところで、隼人が、ぱんっと手を叩いた。
「せっかくこの階もにぎやかになったし、みんなで夕飯食おうぜ!
持ち寄りとか、みんなで作るとか」
名案というように隼人が全員に声をかける。
乃亜が目を瞬かせている合間に、茉莉や明日香が賛同の声を上げた。
その一方、パソコン前の席にもどった空良が溜息混じりに言った。
「お前ほとんど料理しないだろ……」
「だーから、俺とお前は買い出し担当!
せっかく女の子四人もいるし、それに明日香の料理美味いしさ!」
「お前結局明日香の料理食べたいだけじゃないか……」
「違いまーす茉莉の料理が食いたいんですー」
「もう、私そんなに得意ってほど料理しないよ?普通だよ、普通」
「いいの!茉莉のっていうが大事なの!」
その会話の流れに首をかしげていると、
横にいたましろがこそりと乃亜の耳にささやいた。
「茉莉と隼人は付き合ってるんだよ。
それも先月から」
「あ、ああ、そういう……」
「私もそうだけど、同じ高校でさ。
茉莉が卒業のタイミングで、隼人から告白してOKもらったんだって」
「……あれ、隼人、ましろと同い年ですよね?」
「卒業式の日に隼人が約束取り付けて、会いに行ったんだってさ」
既に色々相関図が出来上がっているようだ。
乃亜が納得していると、ましろが茉莉に声をかけた。
「茉莉、適当に目玉焼きでも出しとけばいいんじゃない?」
「あっ、ふふ、そうだね、そうしちゃおうかな?」
「えーっ!」
隼人が心底ショックというような声を上げると全員から笑い声が漏れた。
本当に賑やかな時間になりそうだ。
「乃亜、乃亜さえよければ私と買い出しの方に回らない?
スーパーの場所とか、知りたいでしょ?」
「あ、そうさせてもらえると助かります」
ついでに少しばかり買い物も出来たらなお助かる。
最低限の日用品は購入してきているが、食材となると話は別である。
ましろの誘いはかなりありがたかった。
「まぁ、乃亜の料理食べれないのは正直かなり残念だけど」
「それは大げさです……」
「乃亜もお料理、得意なの?」
「えと、得意と言うか、日常的にはしていたので……」
「乃亜、静と比較して得意不得意言うのやめときなね。
お前が思ってる以上に超人だから、あの人」
「え、えぇ……?」
身近な人間がやることなすこと完璧であると自身の実力が見えにくいものだ。
ましろは心底そう思う。
妹に自信を持ってほしいと言っていた静には悪いが
乃亜の自信がなかなかつかないのは、比較対象が静になってしまうためでは、
と、ましろは実際のところ思っていた。
「じゃー、俺とましろと乃亜で買い物な。
空良は買い物担当リストラで」
「その言い方止めろ。分かってる、明日香たちの手伝いすればいいんだろ」
「ふふ、よろしくね、空良。
じゃあ献立、ぱっと考えちゃうから、少しだけ待ってて」
ため息交じりに言う空良に対し、
明日香はくすりと笑い、キッチンの冷蔵庫の方に回る。
自室にあるものよりはるかに大きい、ファミリー向けの冷蔵庫だ。
それを見ている乃亜に、茉莉が声をかけた。
「あの冷蔵庫はみんなの共用。
置く場所とかは決まってないけど、
基本的に自分のものには名前書いておくのがルールだって」
「そうなんですね」
「お部屋のキッチンってあんまり大きくないから、
ちゃんとお料理するときはここがいいって言ってたよ。
今度、乃亜も一緒にお料理しようね」
「はい、いずれきっと」
あたたかい笑顔だ。
乃亜も自然と笑顔で返していた。
その後、乃亜とましろ、それに隼人は外出のためにいったん自室に戻った。
その中で、ましろの部屋番号も確認すると、彼女の部屋は404だった。
間の部屋は、昨日入居したという茉莉の部屋だ。
ましろの部屋の隣は、明日香、そしてその横に隼人、空良と続く。
外出用の小型のショルダーバックなどを準備してダイニングに戻ると
明日香がダイニングテーブルでメモを書いていた。
その隣に空良が座り、明日香の手元を確認している。
乃亜が戻って来たことに気付いた二人は顔を上げた。
「あれ、茉莉はどうされたんですか?」
先ほどいた茉莉の姿がなかった。
「ああ、親から電話だそうで、いったん部屋に戻った」
成程と納得する。
彼女も昨日ここに越してきたらしいし、心配しての電話なのかもしれない。
少し兄を思い出して胸が震えたが、それはぐっと押し込める。
「乃亜、これ、買い物のメモね」
「分かりました。
明日香は、なんだか手慣れている感じしますね」
献立をすぐに考えたり、それに伴って必要なものをこうしてすぐにまとめたりと
手慣れていないとなかなか難しいものだ。
乃亜も料理を始めるようになってからそれは実感した。
明日香は亜麻色の髪を揺らしながらはにかむ。
隣に座る空良がどこか得意げに言った。
「明日香は将来、喫茶店を開きたいって言ってて、
それに備えるためだって、よく作ってくれるんだ」
「え、すごいです……!」
驚いて素直にそれを口にすると、明日香は照れたように笑った。
もう将来を見据えて出来ることをやっている。
その姿勢を持つ人は乃亜にとって尊敬対象である。
「まだまだ勉強中だよ。
まだ高3だし、出来ることをするしかないだけ」
「いや、実際明日香はすごい。
俺はまだまだやりたいことなんて見つかってないし……」
「ふ、二人とも大げさだよ……!
あ、ほら、ましろたち来たよ!」
誤魔化すように声を上げた明日香にくすりと笑い、
乃亜はメモをもらい、ダイニングを出た。
ましろたちと合流してふとダイニングの方を見ると、
空良と明日香が親しげに話している様子が見えた。
エレベータが到着して3人で乗り込み、
ふと気になったことをましろたちに尋ねる。
「明日香と空良、仲がいいですね」
「あの二人、幼馴染なんだよ」
「そうそう。家ぐるみで仲がいいんだって」
ああ、と納得する。
確かに、友人というよりも、どこか兄妹や家族のような雰囲気がある。
「空良が明日香より一つ上、乃亜と同い年だから
1年早くここに入って、
明日香は1年後に同じ高校に入学して、ここ来たんだと。
俺は空良と高校のときに知り合って仲良くなったんだけどさ」
「え、明日香、暁天大学の付属校でしたよね」
「ん、空良もそうだぜ?俺と知り合ったのは剣道の大会。
空良も高校でやってたからさ、大会で知り合って仲良くなったの」
「ああ、そういう繋がりなんですね」
フロアメイトたちの繋がりがなんとなく理解出来てきた。
ましろと隼人は道場と高校の繋がり、茉莉も同じ高校出身だ。
隼人と空良は高校こそ違うが、剣道大会で知り合い親しくなり、
今は同じフロアメイト。
そして空良と明日香は幼馴染で同じ高校。
多少年齢差はあるものの、親し気な様子が見て取れるのは
もとから繋がりがあったかららしい。
自分が繋がりがあるのはましろだけだ。
しかしそれでも、知り合ったばかりのような壁はあまり感じない。
どうやら本当に、良い人たちとフロアメイトとなれたらしい。
まだ少し緊張も覚えているが、それでも少しずつそれは薄れていっているのが分かる。
ぽん、と隣をあるくましろが軽く背を叩いた。
顔を向けるとにこりと微笑まれる。
大丈夫だっただろ、そういうような笑顔に、乃亜も笑う。
___兄さん、私、頑張れそうです。
次に兄に会った時、いい報告が出来そうだ。
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