【風の行方編】77:xx17年11月26日
結果発表を終えた出場者たちは、一度楽屋へと戻された。
楽屋に戻るとすぐに水野が抱きしめてくれた。
涙を流して賞賛してくれ、それにより、乃亜はようやく自分が2位という、
想像以上の結果を得れたのだと実感することができた。
その後乃亜を含めて受賞した出場者は再度ステージへと戻り、
記念撮影などをすることになった。
乃亜もまた審査員長など関係者と共に記念撮影することになり
ある意味ではそちらもひどく緊張した。
撮影を終え、ようやく着替えの時間になった。
ずっと肌を出していたこともあり、私服に着替えを済ませた時はさすがに息がつけた。
その後別の楽屋に集まり、一度スタッフへ戻していた盾の贈与や
副賞となる賞金についての受け取り手続き、
更に乃亜の場合ガラコンサートへの出演のあるため
それらに関する簡単な説明と書類の受け取りなどを行った。
そしてスタッフの誘導により解放されたのは、
結果発表がおわってから40分は経過してからだった。
楽屋で荷物を持ったときにスマートフォンを確認すると
エントランスとロビーの間付近にいると静から連絡が入っていた。
水野と関係者通路で別れたのち、乃亜はエントランスまで小走りでかけた。
荷物は決して軽くないし少なくない。
来た時よりもさらに増えている荷物。
さらに大きな青い花束、
それらを小柄な身体で抱えてエントランスホールへのドアを開けた。
騒々しさが耳に響いて圧倒される。
40分も経過してとっくに多くの人が帰路についているかと思いきや
いまだにたくさんの人が談笑したり、記念写真を撮ったりと騒がしい。
その状態に驚いていると、馴染みある声が乃亜の耳に届いた。
「乃亜!」
ましろの声、乃亜はそちらに振り向くと、
静、そして煉矢の姿もあった。
とたん、身体中から緊張がほどけた気がする。
乃亜はそちらに駆け寄っていくと同時に、三人もこちらに歩み寄ってくれた。
「乃亜、お疲れ様!」
「ましろ、ありがとうございます……!」
「お疲れ、乃亜。って、すごい荷物だな。
いったん渡せ」
荷物の多さに静がくすりと笑い、乃亜がなにかを言う前に、
ドレスの入ったバックや盾などを入れた紙袋、花束を奪った。
両手が解放されると同時に、ましろがぎゅっと抱きしめてきた。
「乃亜、本当におめでとう!
すごいよ、本当に、綺麗で、格好良かったよ」
「ましろ……」
ぎゅっと抱きしめてくれるましろのぬくもりに泣きそうになる。
思い返せず昨年の夏、故障によって落ち込んでいた自分が
再起するきっかけになったのはましろの提案だ。
旅行中もずっと励まし続けて、寄り添ってくれた。
それがなかったら、今の自分はきっといない。
乃亜はましろの背中に両手を回して抱きしめ返した。
「ましろ、ありがとうございます……。
あのとき、あなたがいなかったら、私、きっと……」
「私はきっかけだけ。あとは乃亜の力と努力。
……今日くらい、ちゃんと自分を誉めてあげるんだよ」
「……はい。ありがとう、ましろ」
本当に彼女には敵いそうもない。
こちらの考えはすべてお見通しで、乃亜はそれに、素直にうなずく。
そして身体を離し、ましろはにこりと笑い、頭を撫でてくれた。
「ヴァイオリンも持ってるよ。疲れたでしょ?」
「え、でも……」
「いいの。これくらいさせてよ。乃亜が嫌ならやめるけど」
「あ、いえ、」
ましろはそそくさと乃亜からヴァイオリンも預かる。
確かに身体が軽くなるのはありがたい。
瞬く間に身軽になった乃亜に、今度は静が声をかけた。
「乃亜、素晴らしかったぞ」
「兄さん」
ましろが気づいて静から乃亜の花束を引き取る。
片腕が解放された静は乃亜の頭を一度二度と撫でた。
乃亜はそれを嬉しそうに受け入れる。
大きな大好きな手だ。
顔を上げると、静は誇らしそうに笑顔を浮かべていた。
「本当にお前はすごい。
お前が演奏しているとき、俺は誇らしさでいっぱいだった。
お前は本当に、俺の自慢だ」
「兄さんに、そう、言ってもらえるのが、何より嬉しいです……」
敬愛する兄が、自慢だと言ってくれる。
誇らしいと言ってくれる。
それは乃亜にとってなによりの言葉だった。
「兄さんが今日まで支えてくれたから、だから私……」
「俺ができたのは些細なことだ。
ましろの言ったとおり、お前の努力が実を結んだんだ。
間違いなく、誇っていいことだ。
本当に、よく今日まで頑張ったな」
「……っ、はい」
涙が出そうになるのをこらえ、なんとか笑顔で頷く。
やはり誰に褒められるよりも、兄に褒められることが一番嬉しい。
泣きそうな、それでも笑顔で頷く乃亜をほほえましく見つめ、静は小さく頷く。
「乃亜」
そして静の隣、少し控えめながら、
こちらを見つめるその人の声。
乃亜が視線を向けると、彼もまた穏やかに微笑んでくれている。
笑ってくれているのが嬉しい。
その思いのまま口をひらいた。
「煉矢さん、」
「ノアー!!」
が、それは残念ながら阻まれた。
乃亜を含め四人がロビー側に視線を向けると、ヘーゼル色の髪を揺らし、
人の合間を縫って明るい笑顔が駆けてきた。
「ニックさん?!」
「………」
とたん、煉矢の表情が曇ったことに気付いたのは、ましろだけだった。
なんなら舌打ちでもしそうな勢いだとも。
ましろが深く苦笑いを浮かべている中、
ニックは駆け寄り、興奮した様子で乃亜の前に詰め寄った。
「すごかった!本当に君って人は!
アメリカで聞いたときなんか目じゃないくらいのめざましい成長じゃないか!
ああもう本当にセッション出来なかったのが残念でしょうがないよ!!」
「に、ニックさん、落ち着いて……」
相変わらず興奮するとテンションが狂うらしい。
乃亜はたじたじとしながらそれを抑えようとするも、
彼はピタリと止まって、四人だけに聞こえるように少し屈んで声を落とした。
「でも正直二位なのは僕納得行かない。
ノアが一位だって全然おかしくなかったと思うんだよ。
というか僕は断然ノアのほうがよかったと思う」
「……それに関してだけは同感だ」
唇を尖らせながら不満げに言う彼に、
乃亜はなんの冗談だと思ったが、まさかの煉矢から同意が示された。
「素人じゃわからない違いがあるんだと思ってたんだけど……」
「やはりそう大きな開きがあるわけじゃなかったか」
さらに加えてましろに静も追従した。
乃亜はひたすらに苦く笑うほかない。
「絶対そう。差があったとしてもすっごい僅差だったと思う」
「いえ、一位の方の細かな音の違いや指の繊細さはまだ私にはとても……」
「そういうとこ変わってないねぇノアは」
1位を受賞したのは北海道・東北ブロック代表の青年だった。
彼の演奏は楽屋で聞いていても本当に圧巻だった。
乃亜にはまだあれほどの技巧はないと自分では思う。
乃亜の意見にニックはため息交じりにつぶやき、
屈んでいた姿勢を戻した。
「とにかく、ノアおめでと!
アメリカに戻ったらリアムたち、あのときのメンバーにもしっかり報告するね!
みんな大喜びするよ!」
「ありがとうございます。
あのときの経験がなかったら、私きっとここまで成長できませんでした。
皆さんにも、お礼が言いたいです」
自分にとって大きく人生が変わったのはあのときの経験だと乃亜は思っている。
リアムやリンディをはじめとした、あの時のメンバーとの交流は
人生においても大きな宝だと思っている。
ニックは屈託なく笑う。
「いつかこっちに遊びに来たら直接言うといいよ!
みんなノアに会いたがってるから!」
「ふふ、私も皆さんに会いたいです」
「じゃあ僕と」
「ニック」
「冗談だよぉ、レン顔こわいよー」
じゃあ僕となんだというのか、というように制止をかけた煉矢の声は低い。
ニックはそれにおどけたように返事をして、煉矢に深いため息をつかせた。
乃亜はそれに小さく笑う。
などと話している時だった。
「歓談中失礼するよ」
「?!!!」
振り返った先にいる人物に、乃亜は心臓が本気で止まるかと思った。
少し白の混じったカーキ色の髪に、
穏やかながらも鋭い、萌黄色の瞳。
少し垂れた目元にあるほくろが特徴的な40代から50代ほどの男性だった。
その存在はクラシックを知る者であればだれもが知っている。
ダブルのスレートグレーのスーツを品よく着こなし、
呼吸が止まりそうになほどに驚いてる乃亜の前に歩み寄った。
もとより音楽に精通しているニック、
乃亜の影響で浅いながらもクラシックを知るようになった静と煉矢もまた
乃亜同様に唖然と驚きに声が出ない。
だがましろはその人物について知らない。
横でおどろく静に、小さく声をかけた。
「……誰?」
「京都を拠点とするオーケストラ団体のコンサートマスターで、
世界的に有名なソリスト……。
つまり、日本のヴァイオリニストのトップといえる人だ」
「っ?!」
それは乃亜やニックが心底驚くに違いないわけだ。
ましろも一週遅れてそんな人物の到来に目を見開いた。
一方で向き合っている乃亜はばくばくと心臓がやかましくて仕方ない。
憧れも憧れ、乃亜にとっては殿上人のような存在が
会えるどこかろ、まさか自分に声をかけてくれるとは思わなかった。
彼は見るからに緊張している乃亜に微笑みかける。
「今日は審査員ではなく、いち招待客として観覧にきていたのだが、
君の演奏は素晴らしかった。
惜しくも1位は取り逃したが、甲乙つけがたい。
おそらく審査も難航したことだろう。
君のヴァイオリンには確かな思いや感情があり、
誰もが君の音色をきけば思わず振り向くような力を感じた。
まるでセイレーンの歌声のようだったよ」
憧れのヴァイオリニストにこれほどの言葉を貰えている事実が信じられない。
もしかしたら夢かかなにを見ているのではと、一瞬本気で考えてしまったが、
震える手を握り絞めすぎて、手に爪が食い込む痛みを感じる。
どうやら現実らしい。
「こ……光栄です」
「ふふ、1位の彼も素晴らしかったし、日本のヴァイオリン界の未来は明るい」
返した声が明らかに震えていたことに乃亜は穴があったら入りたい心地になる。
だが彼はそんなことは気にしていないようだ。
「さて、声をかけたのは、これを渡そうと思ったからなんだ」
男性は1枚の名刺を差し出した。乃亜は震える手でそれを受け取る。
名刺には、京洛交響楽団というロゴの下に、
月城 晃と優美な書体で書かれていた。
更に手書きで、メールアドレスと電話番号が書かれていた。
「このコンクールは、1位の受賞者には様々な副賞があるわけだが、
そのうちの一つを、僕個人が、君に差し上げたいと思ったんだ」
「副賞のひとつ、ですか……?」
「君さえよければ、ウィーン音楽大学のマスタークラスに招待したいんだが、どうかな?」
「っ?!!」
ひゅ、と息を吸い込む音が口から漏れ出るほどの衝撃だった。
それは乃亜本人だけでなく、見守っていたニックも驚愕に目を見開いている。
静や煉矢、ましろはその言葉の意味が分からない。
ただ分かるのは、音楽に関わるものであれば飛び上がるほどの衝撃だということだけだ。
男性、月城はにこりと笑う。
「君の実力ならば、マスタークラスでも十分通用するだろう。
とはいえ、君はまだ若い。
すぐに答えを出してほしいとは言わないよ。
僕が今のオーケストラに所属している間なら問題ない。
1年でも2年でも、ゆっくり考えてくれ」
「は……はい、あの、本当に、ありがとうございます」
「構わないとも。若い才能は伸ばしていかなければ。
では、僕はこれで。
君といつか共演できる日を楽しみにしているよ」
「………は、い」
月城が立ち去り、乃亜はふらつきそうになる足を必死に抑えた。
その横でニックが目を見開いたまま、信じられないものを見たような顔で言葉を絞り出した。
「す、すごいものを見た気がする……。
え、乃亜、君、本当にどこまで飛んで行っちゃうの……?」
乃亜は何も答えられず、手の中の名刺をただ唖然と見つめている。
夢でも幻でもなく、そこにある名刺。
招待を受ける気になったのなら連絡をしなさい。
そういう意味で渡されたことくらいしか理解ができない。
ただただ現実を理解するのに必死な二人に、ましろが声をかけた。
「ごめん、本当に無知で申し訳ないんだけど、マスタークラスって?」
「あ、ええと……マスタークラスって言うのは、
簡単に言うとプロに直接指導をしてもらえることなんだけど……。
ウィーンの音楽大学ってツキシロは言ってたでしょ。
ウィーンの音楽大学は、世界中で音楽を学ぶ場所としては最高峰、
当然そこにいる指導者たちもそう。
つまり乃亜は、世界最高峰とされるウィーン音楽大学のマスタークラスに、
日本のトップヴァイオリニストの推薦で招待を受けてるってこと……」
「……ちょ、っと、ぶっとびすぎてない……?」
「ぶっとびすぎてる。僕もうなんか興奮しすぎて今すごいクールだもん」
その説明に、ましろも静も、そして煉矢も大きく目を見開いた。
乃亜の演奏が、自分たちの想像以上に高く評価されているという事実に気付いたのだ。
自分たちのような音楽の素人には分からない、
あまりにも高い評価のただなかに、乃亜はいる。
「乃亜、大丈夫か?」
「……だ、大丈夫じゃ、ないです……。ちょっと、頭、真っ白で……」
静に声をかけられ、乃亜は掠れた声で答えた。
乃亜にとっては2位を受賞した、というだけでも大きな衝撃だった。
だがそこに、憧れのヴァイオリニストに直接声をかけてもらえた上、
さらに天上の世界とさえ感じ、
憧れることさえ烏滸がましいような世界への扉が開かれたのだ。
「っ、こ、これ……っ、兄さん、名刺……!」
「ああ、分かった。分かったから落ち着け。
いったん財布にでも仕舞って、家に帰ってからまた保管しよう」
「は、はい……!」
余りにも貴重な、ある意味では、申し訳ないが2位の盾よりも貴重なものだ。
少し慌てて荷物から財布を取り出し、その中に名刺をしまおうとする。
憧れのヴァイオリニストの名前。
ウィーン音楽大学マスタークラスへの招待。
手の中の名刺が、それは夢ではないと物語っている。
じわじわと現実を感じ、もらった名刺を眺め、
頬を赤めて口元に笑みが浮かぶ。
泣きそうな、けれど確かな喜びの笑み。
ようやく湧き上がってきた実感を得て、乃亜は名刺を大切にしまい、
トートバックに財布を仕舞った。
「あ、そろそろ僕いくね!」
「ニックさん、今日は来てくれてありがとうございました」
「ううん!すっごい楽しかったし、
とんでもないビッグサプライズもあったし、来てよかったよ!」
ニックは満面の笑みを浮かべ、乃亜の手を取り
その手の甲に口づけを落とした。
「っ?!」
「へへ、じゃあね、ノア!レンたちもまたねー!」
少し照れたようにウインクを一つ乃亜に投げて、
ぶんぶんと手を振って走り去っていく。
最後の最後まで嵐を振りまいて去っていく彼を茫然と見送っていたが
その嵐は、大きく、彼の心を荒らした。
ニックがキスを落とした手を、煉矢が強く握った。
「乃亜、来てくれ」
「え、あ……っ」
有無を言わさず乃亜の手を引いて会場出入口の方へ向かう煉矢に
静とましろがあっと戸惑いの声を上げた。
「おい、煉矢」
「悪いな、静。乃亜を借りる」
乃亜は戸惑いながら手を引かれる。
煉矢は乃亜の顔を見なかった。
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