【星と太陽編2】66:xx17年4月27日
外はもう暗く、すっかり日は落ちていた。
開けたままになっていた道場の入り口の向こうの暗さとは対照的に、
その入り口から見せた彼の顔は明るく、褐色の瞳は輝いている。
一方で静まり返った道場の中、突然の来訪、懐かしい三人がそろう姿、なによりその発言に、
ましろの頭は真っ白になっていた。
「…………は?」
ようやく絞り出した声はひどく間が抜けていた。
隼人は両手を腰に当て、うん?と首を傾げた。
「いやだから、俺が継ぐわ、道場」
聞えなかったのか、という見当違いなことを考えているのか
彼は再度それを発した。
むしろ聞き間違えであったくれ、と思ったましろの願いは容易く砕かれ、
二度目の衝撃発言にようやく意識が覚醒した。
「いや、いやいやいや……!
は?お前が?ここを?え、頭打ったか?」
「なんっっでだよ、大真面目だよ」
隼人は心底心外だと眉を寄せ室内へと入って来る。
しかしそれこそ理解が及ばない。
「だって、お前ウチのやつでもないし、
なんでお前にうちの道場譲らないといけないわけ?」
「別に師範は血筋関係ないっつってたぞ。俺聞いたことあるし」
「はぁ?!!」
初耳が過ぎる。
無論世襲制などとは思っていないが、
娘である自分が、まったく興味がないといった事情があるでもなく、
むしろ以前より継ぎたいという話をしていたろうに。
もとより何を考えているのか測りかねる父であるが、
それ以上に尋ねたことがあるという隼人にも驚きを隠せない。
「つかそれだと俺も助かるんだよな!
ここ拠点にして、世界一目指せるし!」
彼の夢は世界一の剣道家だ。ましろはそれを馬鹿らしいとは思っていない。
そのための努力、そのための鍛錬を彼は怠っていない。
が、その隼人の口癖が今日ばかりは苛立った。
そんなましろをよそに、隼人は両腕を頭の後ろで組んで続けた。
「それに世界一の剣道家の道場だぜ?
めっちゃくちゃよくね?」
「だから、なんっでお前にウチの看板渡さなきゃなんないの自分で開け!」
「なんでだよこの道場出身で世界一になってそのままここ継げば
この道場に恩返しだってできる!それにお前だって好きなことできる!
全員幸せでめでたしめでたし!だろ?!」
「ここにきて名案みたいに言ってんじゃない!
そんなの子供の頃からこの道場継ぐつもりで生きてきた私が許すか!」
「子供の頃は子供の頃だろ!
今のお前はそれと比べても負けねーくらいでっかい夢ができたんだろうがよ!!」
「!!」
徐々に声量を上げていった二人の言い合いは、
隼人の最後の言葉によって完全に止まった。
言い争いをしているうちに立ち上がっていたましろは、
その言葉になにかが打ち砕かれた気がした。
子供の頃からの夢。
この道場を継ぐ。両親のような強さになって。
けれど、今は。
強張っていた身体の力が抜ける。
目を一度閉じ、自分の心の中を見る。
翔や乃亜のような人を減らしたいという思い、
心から深く愛する静を支えていきたいという思い、
それらはどうやら、自分が想っていた以上に大きくなっていたらしい。
ましろは息を吐き出して目を開けた。
「……な、隼人」
「おう」
「一本、勝負しよう」
「お?」
「お前が本当にここを継ぐに値するのか、見定めてやる」
その言葉に、隼人は少し驚いたようだが、すぐに不敵に笑う。
ましろもまた、その笑みに帰すように挑発的な視線を向けた。
「へぇ、いいぜ?お前とやんのも久々だし、絶対負けねー」
「そう簡単に勝てるなんて思うなよ」
「お前が簡単なわけねーじゃんか」
くつくつと笑う隼人は持っていた剣道具一式をもって壁際へと移動し、
防具などを取り出して準備を始める。
ましろもまた、同じく防具の装着の準備を始めた。
その様子を見て静はふっと笑い、室内に入ってきていた翔や創のほうへと歩み寄った。
「久しぶりだな、翔、創」
「ああ、静。そうだな、ここしばらく、会う機会もなかったしな」
朗らかに挨拶をしてくれた翔に対して、
創は不機嫌さを隠そうともせず、眉を寄せていた。
その理由はなんとなく察している。静はあえてそれには触れないことにした。
「いつからいたんだ?」
「お前たちが座ってなにやら話をしているところだな。
話している内容は聞き取れなかったが」
「ああ……」
どうやらその前の抱擁や勝負については見ていないようだ。
前者はともかく、勝負については色々言われそうなので見られておらず助かった。
翔は壁に寄り掛かりながらつづけた。
「本当は稽古時間に顔を出す予定だったんだが、急遽都合が悪くなってな。
別日にしようかと思ったんだが、隼人にせがまれて来たわけだが」
「成程。……翔はともかく、創は何故ここに?」
さすがに触れなければなるまい。
翔の隣で腕を組む彼は、眼鏡の隙間からこちらをにらむように見た。
「……翔を通じて、ましろが悩んでいるようだと聞いたんでな」
「まぁ、そういうことだ……」
苦笑いを浮かべる翔に対して、申し訳ないが、余計なことを、と思わないでもない。
静は肩をすくめて翔の横の壁に背を預けた。
「編集者がまた泣きを見そうだな」
「気がかりがあるとろくな文章が書けない。編集者のためでもある」
「どんな言い訳だそれは」
創もまた、この道場の出身者だ。
当時は静に継ぐ実力者だった。
しかしかなり気まぐれな性格であり、
同時に、剣道そのものに強い情熱があるというわけではなかった。
静自身も察しているが、強いライバル心を抱かれていた。
高校卒業と共にすっぱりと剣道を辞めたときは、かなり文句を言われた。
それでも剣道は続けていたものの、友人、
否、親友である翔が剣道を引退せざるを得なくなったと同時に
薄まっていた情熱は完全に消えたらしく、彼もまた剣道から離れて久しい。
そして今は文筆家として活動している。
というのも、彼は元から中世音楽とされる古い音楽分野に傾倒していた。
それに関する研究物として著作物を出版しており、
すでに何冊か本もだしている。
その道では、すでにそれなりに名が知れているほどだ。
だが気まぐれで偏屈な性格だ。
編集者が泣いているのは一度や二度ではないのではという思いで告げれば
案の定な様子だった。
溜息を肩でついていると、創はじとりと静を見た。
「そんなことより、静、お前、まだましろとの付き合いは続いてたのか」
「続いてるな、順調に」
静はあえて、創の意図した意味とは別の意味で応えた。
いい加減この男には諦めてもらわなければなるまい。
「順調……?」
「かれこれ、二年半は続いてるか。
まぁ、これから先も続く予定だが」
「……おい、それは」
「二人ともそのあたりにしておけ。
そろそろ始まるぞ」
翔に言われ二人は口を噤み、準備を終えたましろと隼人に視線を向けた。
二人は道着をしっかりと着込み、互いに竹刀を構えて向き合っている。
本来であれば、高校生の男女だ。
そこには体格や腕力といった明確な違いはどうしてもある。
そしてそれらは剣道において決して無視はできないものだ。
しかし、相対しているましろも隼人も、見守っている静たち三人も、
二人の間の勝負にそれらは意味をなさないということを知っていた。
たとえそれがあったとしても負けた時の言い訳にはしない、
勝った時の理由にもしない。
ふたりは剣道と言う場に置いて、互いに明確に、対等だと考えていた。
「翔!審判頼む!」
隼人に言われ、翔は頷いて二人の間に向かう。
二人の間にあるピンと張り詰めたような緊張感。
それは道場の隅々まで広がり、三人の元に伝わるほどだった。
翔は少し息を吸い込み、腹から声を上げる。
「始め!」
ましろは隼人の強さを決して軽んじない。
彼は本気で世界一を狙い、それを実現させるべくまっすぐに突き進んでいる。
誰もが音を上げそうになる鍛錬にも率先してこなすほどだ。
だからおそらく乗ってくる。
ましろの中には先ほどの静との試合がしかと脳裏に焼き付いていた。
隼人の重心がごく僅か前に出る。
ましろはその隙を狙い竹刀を僅かに下げる。
隼人は気づくはず。果たしてそれは正しかった。
驚異的な反応は決して静だけが持つものではない。
ましろの竹刀が狙う右の小手、隼人はそれをとっさに回避し、
ほんの僅か身体の体勢が崩れた、否、崩れたとは言えないほどの僅かなブレと
隼人の意識が右小手へと向けられたその隙。
ましろは声を上げ、下から掬い上げるように隼人の面を打った。
面!というましろの声と共に、パァンという響きが道場内に響き渡った。
勝った、一瞬そう思ったが、響いた音と、違和感を抱いた。
案の定審判を務める翔の表情は硬いままだ。
完全にきまったと思われたが、隼人は面をわずかにズラし、有効打たらしめなかった。
決めきれなかったことに内心悔しさをにじませながら、
同時に隼人への驚嘆を禁じ得ない。
ましろは悔しい気持ちとは裏腹に唇の端が上がるのを止められなかった。
そしてそれは隼人も同じだ。
何だ今のは。
隼人は高揚する気持ちを抑えきれない。
二人は面の下で似たような顔で笑っている。
そして攻防は続く。
互いに決して負けない、決して引かない、そういった思いがぶつかり合うその攻防は
まるで公式試合の決勝戦のように白熱さを増していった。
ましろがその足さばきで隼人を翻弄するように動く一方で、
隼人は両脚、腰に力をこめ、それをこらえるようにひたすらに剣先を中心に保つ。
いつまでも続くかに思われたその攻防だが、ついにその均衡は崩れた。
ましろが再び得意の小手を狙い、速度を上げて距離を詰めた。
隼人は常にましろの小手を警戒している。それをよけるべく手元を上げた。
分かっててもよけざるを得ない。
ましろはその瞬間、身体を捌き、胴を狙って竹刀を返した。
その動きはまさに水のように流麗だった。今度こそ決まる。
そう思ったその瞬間、隼人が動いた。
読んでいたのか反射なのか分からないが、わずかに身体をひねり胴を躱した。
ましろが胴を打ち終わり、身体が開いたその刹那ともいえる瞬間を、
勝利への執念が見逃さなかった。
「面!!」
まるで雷のような一撃がましろの面に叩き込まれた。
先ほどのましろの面とは比べ物にならないほどの音が、容赦なく、道場内に響き渡った。
「一本あり!」
まったく異議のひとつも言えないほど完璧な一本だった。
ましろはしばし身体が動かなかった。
最初の小手からの面、さらに小手からの胴、いずれも決して悪くない攻撃だった。
しかしそれを隼人は避けた。
あれは静のような、天性にちかいものというよりも、
繰り返し繰り返し、練習を重ねてきたからこその反射神経と集中力がなせるものだ。
ましろは荒れた呼吸を整えるように深く息を吸い込み、肩で吐き出した。
試合前と同じように向き合い、二人は腰から深く礼をした。
互いへの敬意を心から込めて。
その礼をもって試合の緊張感は霧散した。
「あっぶなかった、マジお前ほんっと怖ぇな……」
「勝ったやつがなに言ってんの。怖かったのはこっち」
ましろは面の紐を引きほどきながら言う。
その声色はどこか清々しさが漂っていることに自分でも気づいてる。
こんなに気持ちが軽くなったのは久しぶりだ。
一日、それも短時間の間に二回も敗北して、
手痛い一本を取られたというのに、なぜか腹立たしさはない。
面を外して手ぬぐいも取る。
汗で張り付いた前髪を手で撫で上げて頭を振ると外からの空気が心地よい。
表情は晴れやかに笑っていた。
「隼人」
「ん?」
ましろは同じく面をとった隼人と改めて向き合い、彼の真正面に立った。
「私の夢、託してもいいか?」
「おう、任せろ!」
どこまでも明るく、即答するその笑顔にましろはくっと笑う。
拳を突き出せば、隼人もそれに応じてたたきつけてきた。
かつんという音がしたそれは少し痛かったが少しも気にならない。
心の中にあった迷いや思いが解放される。
隼人ならばきっと大丈夫。そういう確信があった。
ましろは壁際で見ていた静へと視線を向ける。
彼は満足そうに笑い、ましろもそれに、心からの笑顔を返した。
静がここに着て、自分の迷いを口にさせてくれなければ
この展開はきっとなかった。
隼人の話には正直心底驚いたが、それでも、今、自分の心に迷いはない。
心の迷いの袋小路を叩き壊してくれたのは、紛れもなく。
「……おい、いつまで見つめ合ってるんだ」
地を這うように低い声が響いた。
張本人である創に目を向ける一方、翔が深くため息を吐いた。
「俺を横に、なにをそんな甘い雰囲気を醸し出してるんだ」
「甘い雰囲気って……」
そんな雰囲気だした覚えはないと言い返そうとしたが、
人ひとり分ほど離れたところで、静が肩をすくめた。
「別に構わないだろう。俺とましろの間の話だ」
「だからさっきから静、お前なにを……」
「ましろは俺の恋人だ。甘い雰囲気だろうがなんだろうが問題ないと言ってるんだ」
「っ!!」
しれっと告げたそれに、創はその瞳を大きく見開かせた。
その反応に、ましろは首を傾げ、隼人と顔を見合わせた。
「あれ、創知らなかったっけ?」
「え、あれ、翔は知ってたんじゃないの?」
「まぁ……俺は隼人から聞いていたからな……」
「っ、おい、翔!」
きょとんとした様子で言う隼人に、ましろも目を瞬かせ、
翔へと目を向けた。
翔は頭が痛いように、ぐりぐりと眉間を押している。
それに食って掛かったのは創である。
「いや、俺は何度も、もう無理だから諦めた方がいいと言っただろう……」
「そんなことで理解できるか!」
「お前、仮にも言葉のスペシャリストだろう……」
静は心底呆れた様子を見せため息交じりに告げる。
創は信じられないようにましろと静を見比べ、がっくりと肩を落としつつ
恨みがましそうに静へと文句を垂れ流し始めている。
それに静はうんざりしたように聞き流し、翔がそれを嗜めようと歩み寄る。
数年前、道場ではよく見ていた光景だ。
ましろと隼人はそれに懐かしさを感じ、互いに顔を見合わせ、くつくつと笑いだした。
もうなにも迷いはなかった。
静からの一本で袋小路に陥ってた迷いは開け放たれ、
隼人からの一本で、その迷いは切り開かれた。
その夜、ましろは進路希望の用紙にしっかりとした字で
自分の将来を書き起こした。
進学、希望は暁天総合大学、一般学部体育学科。
アスレティックトレーナーへの道を進むため、体育学科でしっかり学ぶ。
自分の身近には、出来ることをすべてやる、そうして生きる人たちがいる。
自分もまたそれに倣い、いつか感じた後悔をきっと昇華させてみせる。
剣道は心の底から好きだ。
静との試合の結果を隼人との試合に生かしたあの時、確かな手ごたえを感じた。
自分はまだまだきっと強くなれる。
たとえ道場を継がなかったとしても、それは変わらない。
そして愛する人を支えていきたい。
迷い続けて立ち止まりかけていた自分を鼓舞してくれた彼。
" 二人で乗り越えていけばいい "
あんなに強く、優秀な人が、自分の支えを求めてくれている。
心から愛してくれている。
それだけで心の底から嬉しい。
そして自分もまた、そうだ。
静が今後どういう道を歩んでも、支えて行けるようになりたい。
経済的にもしっかりと自立し、彼が安心して肩を預けてくれるように。
共に歩んでいけるように。
ましろは先週とは打って変わって、ひどく明るく、穏やかな眼差しで、
机に飾られたジュエリーラックに揺れる、金のハートのペンダントを見た。
「ねぇ、静。
クリスマスにあなたが言ってくれた、いつか来るその日を……
私、信じていていいよね」
指先で金のハートをつつくましろの表情には、
愛する人への心からの信頼が満ちて、輝くような笑顔が浮かんでいた。
男女の友情っていいよね。現実なかなか難しいのかもしれないけど、ましろと隼人は正真正銘、男女の垣根を超えた親友同士です。
短いですがこれにて完結。次回から新章。
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★毎週木曜11:30・日曜19:00頃更新予定★
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★アルファポリスでも連載中★
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