【葉と灯台編】62:xx17年3月4日/3月12日
【3月4日】
『それで、先生と相談して9月からのコンクールを目指すことになりました。
まだ指は以前のように動いていない気がするんですが、
何故か、以前よりずっと自由に動けているような気もしていて』
『矛盾したことを言ってるのは分かってるんですけど』
『でも、とても楽しいです』
CORDに送信されてきたメッセージの数々を見て、煉矢は思わず笑みがこぼれた。
その言葉ひとつひとつからも、彼女が今、歓びの中にいることがよくわかる。
控えめであまり大きく感情を顕わさない彼女だが、
それでも今はその溢れる喜びが、普段よりいくらも、その笑みを輝かせているのだろう。
煉矢は自室にて食後の休憩の傍ら、乃亜からのメッセージを見ていた。
卒業論文の提出発表も無事に終了し、あとは卒業式を残すのみだ。
授業という授業は終わった今、多くの学生は就職前の最後の休暇を謳歌している時期である。
だが煉矢はそういったことに興味はあまりなかった。
ゼミの友人らに卒業旅行に行かないかと声をかけられたが丁重に断った。
自分の興味・関心は今、明らかに彼女へと傾倒しきっているからだ。
1月の終わり、まだ卒論発表の準備に没頭しているとき、
乃亜から届いたメッセージ。
2月の半ば頃に時間が欲しいというものだ。
正直かなり驚いたが、断る理由がなかった。
こちらの多忙さは身近にいる兄の様子を見ていて知っているようで
かなり控えめな誘いだったが、幸い卒論発表のあとなら時間は取れる。
そうして取り付けた約束は、まるでちょっとした褒美のように思えた。
約束当日、さらに驚いたのは、乃亜の用事とはバレンタインのプレゼントだった。
バレンタインの存在はもちろん認識していた。
街中を歩けば否応なしに視界に入るそれらを見て
気付くなというほうが無理な話である。
しかし乃亜がそれを自分に贈るとは想像もしていなかったのだ。
震える手、真っ赤な顔でうつむいて、差し出された贈り物。
心底嬉しかったし、胸に宿ったあたたかな想いは一層の熱を持った。
礼を付ければ、安堵とともに輝くような笑みを浮かべた彼女は
本当に可愛らしく、愛しかった。
自宅に戻り、封を開けて中を見ると、
オレンジの輪切りにチョコレートがあしらわれた菓子だった。
オランジェットというらしいそれは、酸味と甘みが絶妙に合わさり、
柑橘類とチョコレートがこんなにも合うのだと初めて知った。
バレンタインなのであれば礼を贈る機会がある。
3月のホワイトデー。
それが10日後に迫った今日、乃亜からメッセージが届き、それを見たのが今である。
乃亜はヴァイオリンを再開していた。
一時はスランプや、それに伴う不安、トラウマが起因しての心身の深い消耗。
その果ての故障と、大変な状況になったものだが、今は見る影もない。
乃亜は今こそ、ようやく、純粋にヴァイオリンを楽しめるようになっていた。
だが煉矢は忘れてはいなかった。
そもそも彼女のスランプのきっかけを作ったのは自分だ。
暗い場所に迷い込んだ彼女の灯としていられているだろうか。
そんな思いはいまだにある。
少しは、その手を引いていられていると信じたい。
煉矢は乃亜に返信を入れる。
9月のコンクールに挑戦するということへの激励だ。
激励などなくても、きっと彼女はもう大丈夫だろうと思いながら。
そしてメッセージのやりとりを終えて、続けて煉矢が開いたのは別のチャットルームだ。
『静、お前、毎年ホワイトデーはどうしてるんだ?』
時刻は現在22:00を過ぎたところだ。
自宅に帰っているならば、返信の一つも出来るだろうと考えていたが
案の定、すぐに既読がついた。
『は?なんだいきなり』
もっともである。
煉矢は続けて返信をした。
『乃亜からバレンタインに贈り物をもらったんでな。
ホワイトデーに礼をしたいんだが、
お前もましろをつれてデートにでも行くなら、その間でかけようかと思ったんだが』
間が空いた。
どうやらあのシスコンはその事実を把握していなかったらしい。
だがここで適当な嘘をついても仕方ない。
『乃亜からもらった?』
『お前も乃亜からもらっているんじゃないのか』
『それはまぁそうだが。お前に?乃亜が?』
『なんだ?』
『……いや、いい』
おそらくかなりよくはないのだろう。
煉矢は内心笑う。
果たして静の中で、どういった相関図の更新が行われているのだろうか。
『そうだな、いつもホワイトデー前後に出かけてる。今年もその予定だった』
『いつだ?』
『12日の日曜だ。……乃亜がお前にか』
ならばこちらも12日に誘うのが良い。
煉矢は自分のスケジュールアプリを確認するが、
幸い日曜は何も予定を入れていないはず、という記憶は正しかった。
なお、後半の独り言らしきそれには言及しない。
『分かった。乃亜には後で俺から伝える』
『ああ』
そうしてメッセージのやりとりは終わった。
静へ、乃亜とのことを今はなにも伝えるつもりはない。
少なくとも自分はまだ話しをする気にはならない。
乃亜とのことはあくまで、自分たち二人の問題だと煉矢は考える。
そこに、いくら乃亜の実兄、自分にとっての親友だったとしても、関係はない。
伝える時が来るとしたならば、それは今の自分たちの関係に名前がついてからだ。
その時は誠心誠意きちんと話そうとは考えているが
少なくとも今この状態では、自分から話をするつもりはない。
おそらく今も頭を抱えているであろう静には悪いが、
煉矢は淡々と乃亜へとメッセージを打った。
『3月12日、空いているか?』
すぐに既読が付いた。
『はい、空いています』
『なら予定をしておいてくれ。また改めて連絡する』
季節は3月。
まだ寒さは感じるとはいえ、春の雰囲気が漂い始めた。
彼女が喜ぶようなデート先。そして贈り物。
それらのリサーチのためWebブラウザアプリを開く。
乃亜は以前よりもヴァイオリンを自由に弾ける気がしていると言っていた。
ヴァイオリンでこそないが、自分も似たようなものかもしれない。
なにか柵があったわけではないし、自身を制していたわけでもない。
けれど不思議と、心が自由に、なにかを謳っているような気がした。
【3月12日】
約束の時間は10:30。
乃亜は自宅を出てエントランスから外へ出た。
今日は先月のバレンタインと違いとてもよく晴れていた。
雲がゆるやかに青空に浮き、寒さこそないわけではないが、日の光はあたたかく
吹く風にはどこか春めいた香りを感じさせる。
ショート丈のベージュのトレンチコートを着込み、
ふわりとセージグリーンのプリーツスカートが風に揺れる。
明るい陽射しの中、見覚えのある車が見え、乃亜は表情をやわらげそちらに向かった。
車の中で、煉矢は以前と同じように助手席の鍵を開け、乃亜を出迎えた。
「こんにちわ、煉矢さん」
「ああ、こんにちわ」
目を細め迎え入れてくれる姿に笑みを深くしながら、
乃亜は助手席に座り、シートベルトを付けた。
「CORDでも言ったが、昼はすこし遅めになるが大丈夫か?」
「はい、大丈夫です」
「わかった。行こう」
車が動き出し、乃亜も正面を見る。
不思議なものだ。
先月、バレンタインの時は緊張してたまらなかったはずなのに
何故か今日は心が軽い。
心の中で渦巻いていた様々なものが解放されているような心地だ。
けれどもちろん、彼への想いが消えたり、薄まったりとしているわけではない。
ちらと横目で運転する煉矢を見る。
それだけで心は沸き立つほどだ。
前回あったときと今日とで異なることといえば、
ヴァイオリンを弾けるようになったことだけのはずだ。
以前、薬師に言われた。
音楽で自分の心を表していたと。
それが今は出来る。
だからこそのことなのかもしれない。
乃亜は自分の心の変化を感じつつ、隣で運転する彼の空気の心地よさを噛みしめた。
車を走らせること約40分ほど。
二人がやってきたのは横浜だった。
港を一望できる公園や、古い時代の西洋建築を再現した建物などが立ち並ぶ、
どこか異国情緒の溢れる美しい街並みが特徴のエリアである。
車を停め外に出ると、心地よい風が頬を撫でた。
「綺麗な街並みですね」
高い建物がないせいか空が広い。
春先を告げるようにチューリップやビオラが家々の庭先に咲いている。
「散策するのもいいんだが、
ちょうどお前が好きそうなイベントあるようだぞ」
「私が好きそうな、ですか?」
「ああ」
詳しくはまだ教えてくれないようだ。乃亜は小さく苦笑いする。
スマートフォンで道順を確認したらしい煉矢に案内されるまま、
乃亜はその横について歩き出した。
乃亜にとって初めて訪れる場所だ。
ちらほらとわずかに咲き始めている桜の街路樹、
石畳の道、柵の向こうに見える眼下の街並み。
間を開けて建てられている建築物は石造りであったりと
現代の建築とは違う様相を見せている。
しかし石造りの建物はどこか高校の雰囲気を感じさせた。
「なんだか少し、高校の雰囲気に似てる気がします」
「ああ、お前の学校ならそうか。
ステラ・マリス女学院だったな」
乃亜の高校は創立70年を超えていたはずだ。
あちこち古さはあるものの、悪い意味ではなく、
伝統という言葉で体現できる重みを感じさせる校舎の雰囲気があった。
「以前も話していたが、公立とは違う特色も多そうだな」
「ましろとも時々話しますが、確かに少し違うかもしれませんね。
4月には新入生歓迎会のイベントがあるんですよ」
「イベント?」
「イースターをテーマにしたイベントです。
私も去年、先輩方の引率の元、校内を案内していただいたり、
先生方や先輩方のお話を聞いたりして参加しました」
「成程。……ということは、今年はお前がその引率側に回るわけだ」
「ええ、まぁ……。少し、緊張しますが……」
自分が一年であったころ、先輩の姿はとても大きく見えたものだが
今の自分がそれと同じようにできるのかは正直あやしい。
「煉矢さんは兄さんと同じ高校でしたよね」
「ああ。今の大学の付属高校だな。
同じ私立でも……まぁ、お前のところとはいくらも毛色は違っていると思うぞ。
良くも悪くも、自由度が高いというか」
「兄さんに聞きましたが、生徒主導のシーンが多いとか」
「確かにそうだったな。というか、授業以外は殆ど生徒運営だったか。
今思い返すと、なかなかに思い切った話だな……」
どこか他人事のように話す様子にくすりと笑う。
自分にとって静も煉矢も大人のイメージが強い。
だが当然のことながら彼らにも学生時代は存在している。
たまにそういった話を聞くのはかえって新鮮で面白かった。
雑談をしながら歩いていくと、ふと花の香りがした。
正面から風に乗り漂う香りに誘われるように視線を向ければ
緑の若葉の合間に鮮やかな黄色が見えた。
少しずつ歩いていくとその黄色は徐々に姿をはっきりさせていく。
煉瓦とフェンスで作られた敷地の境の向こうに
大きなミモザの木が見えた。
「ここだ」
「すごい、綺麗……!」
思わず声を上げてしまった。
満開のミモザの木だけではなく、
敷地の中にある庭には、黄色と白で統一された花が咲き誇っていた。
隙間なく咲いたチューリップやフリージア、白のクリスマスローズ、
低い位置にはビオラが可愛らしく点在している。
漂う香りはミモザとフリージアのそれだったらしい。
煉矢に促され、乃亜は敷地の中へと入る。
石畳の道を進み、美しい花壇に目を奪われ、ただため息が漏れた。
石畳の道の導く先は西洋風の大きな建物だった。
今まで道々に見ていた建物よりずっと大きいそれは、
少し黄色がかった壁に緑の窓枠が特徴的な建物だった。
どうやら入館は無料らしく、自分たち以外の観光客も自由に出入りしているようだ。
その中に入る際、入り口に立てかけてあった看板にはっとした。
『本日のミニコンサート:フルート/ピアノ』
驚いて隣の煉矢を見ると微笑んで頷かれた。
乃亜が好きそうなもの、と言っていたのは間違いなくこれである。
たしかにその通りだ。
たとえ楽器が異なっていてもクラシックは好むところである。
乃亜は嬉しくなりその笑みに深く笑い返す。
本当にこの人は喜びしか与えない。
二人は笑みだけかわし、静かな室内へと入っていった。
奥のミニホールに入るとすでに幾人もの人が開始を待っていた。
開始時刻は12:00。
もう間もなく開始される時刻である。
残念ながら間近で見るには人が多く、二人は窓際近くで聞くことにした。
やがて時間になり演奏家二人が入場し、かるく挨拶をして演奏の準備に入った。
わくわくとした心地でその時を待っていると、
団体の観光客がちょうどきたのか、出入口から10名以上が入ってきた。
騒がしくすることこそなかったが、一気に室内の密度が上がる。
壁際ながら人が迫り、小柄な乃亜は押し退けられそうになった。
だがそのとき、室内側にいた乃亜の肩が抱き寄せられた。
思わず息を飲んでそれに瞳を見開き、先ほどよりはるかに近い距離で見上げると
煉矢は目元を細め、場所を変えるように、窓側に立たせてくれた。
しかし肩を抱く手は離れない。
こそりと声を落として囁かれた。
「少し窮屈かもしれないが、構わないか?」
「は……はい……」
心臓が異常なほど早くなる。
肩を抱かれ、背中に感じる彼の温度。
両手を組む手に力がこもる。
そんな乃亜をよそにピアノとフルートのアンサンブルがはじまった。
【C.P.E.バッハ:ハンブルク・ソナタ ト長調 Wq. 133】
あたたかな春の空気、建物の外にひろがる黄色と白の庭に相応しい、明るく軽やかな演奏だ。
窓から冷たくも花の香りを含んだ風が流れ込んでくる。
今はその冷たさが心地よかった。
肩に触れる手、背中のぬくもり。
どきどきと煩い心音と共に、緊張のせいか肩があがっていたが
その可愛らしく耳に心地よい音楽、
頬に触れる風、花の香りに、やがてその緊張は薄れていく。
ただそのぬくもりが安心感へと変わっていく。
次の曲に演奏は変わる。
【フォーレ:シシリエンヌ Op. 78】
どこか切なさをにじませた優美な旋律。
ノスタルジックな雰囲気に、乃亜は今までの煉矢との日々を自然と思い出していた。
幼い頃に助けられた時は忘れたことはないし、
彼の大丈夫かという一言は、幾度自分を掬い上げてくれたか分からない。
静の家で暮らし始めてからも、何度も支えられ、励まされた。
やがていつしか一人の男性として想いを抱くようになり、
夢のようなアメリカでの日々を経て、
この想いに涙を流したことは一度や二度ではないけれど、
それでも、今こうして、隣にいてくれる。
ぬくもりから伝わる想いが、心に伝播してくるようだ。
気のせい、思い上がり、あり得ない、という後ろ向きな否定の言葉が
フルートとピアノの音色に弱められていく。
自然と口元に笑みが浮かび、乃亜は肩を抱くその腕に
ほんの少しだけ、頭を寄せた。
肩に触れる手に少しだけ力が込められたような気がした。
美しい黄色い庭園のミニコンサートを聞き終え、
二人は一度車へと戻った。
昼食は坂の下、海沿いの方にあるレストランということもあり、
往復するにはいささか苦慮するというのが理由だ。
手ごろなパーキングに駐車しなおし、
向かったのは海沿いの広い公園近くのレストランだった。
オフホワイトの壁やサンドベージュの内装、
それにターコイズのクッションなどがアクセントとなっており、
道に面した大きな窓ガラスも相まって開放感を抱かせる。
店のメニューはどこかカリフォルニアで食べた料理を思い出させる。
ヘルシー志向でありながら、満足感のありそうな料理がメニューに並ぶ。
乃亜はアボカドとエビのオープンサンドセット、
煉矢は地魚グリルのランチプレートを選ぶ。
二人はミニコンサートの感想などを話しながら食事を進めた。
互いに二人の間にある距離が、コンサート前より、なにか近く感じながら。
食後、二人は海沿いに長く広がる公園をゆっくりと歩いた。
休日と言うこともあり、多くの人が訪れている。
家族連れやカップル、友人同士など、その関係性は様々だ。
公園の端まできた二人は、海を眺めるベンチのひとつに腰かけた。
引退した船や対岸の景色、まったく違うものなのに、見える景色はどこか懐かしかった。
アメリカでイベントの合間、休息と称して共に過ごしたあの日見た景色のような。
「乃亜」
「あ、はい」
横を向くと、可愛らしい薄紅の包装紙に包まれた平箱を差し出された。
ロゴは乃亜でもよく知っている、スキンケアやボディケアのコスメブランドだ。
「ハンドクリームだ。よかったら使ってくれ」
「!……開けても、いいですか?」
「ああ」
ハンドクリームは乃亜も重宝している。
特に今はヴァイオリンを再開していることもあり、
手のケアは欠かすことは出来ない大切なことだった。
昨年アメリカで二人で街にでた時、
ましろへの土産としてオーガニック商品を見ていたとき、
そのことを話して、自分にも購入していた。
その時のことを覚えていてくれたのか。
乃亜はそれに感動を覚えながらラッピングを開けていく。
花を思わせるようなピンクと赤の揺らめくような模様の箱。
包装紙を開けるだけでふわりと優しい香りがした。
箱のふたを開けると、三本のハンドクリームが入っていた。
そのうちの一つは、薔薇の香りだった。
「……私の好きな香り、覚えていてくれたんですね」
ひとつひとつを覚えてくれているようで、涙が出そうになる。
傍にいて、こうして一緒にいてくれるだけでも嬉しいのに、
そのたびに重ねて喜びをくれる。
先月のバレンタインなど、本当に返したうちに入らない。
乃亜は少しだけ悔しさを感じながらも煉矢に笑いかける。
「本当に嬉しいです……ありがとうございます」
彼もそれに微笑み返してくれた。
その笑みから、眼差しから、感じられるそれは、もう、きっと、気のせいではない。
見つめ合うこの時間が、あまりにも愛おしい。
好き、という気持ちが膨れ上がり、思わず口からこぼれそうになった。
だが、とっさに唇を閉ざし、目を伏せた。
___……まだ、言えない。
それは、いつかましろに告げたように、自信がないから、というだけでなかった。
最近よく思うのだ。
乃亜にとって、兄も、煉矢も、そしてましろも、とても大きく、尊敬できる人たちだ。
三人はいつも自分を支えてくれる。
誰かを支えることができるくらい大きな存在である。
それに比べて自分はあまりにも、弱く、脆く、頼りない。
三人のような、大きな人たちと共にいても、恥ずかしくない自分になりたい。
なにより、この人の隣に、ちゃんと立てる自分になりたい。
「……煉矢さん」
乃亜は顔を上げる。
その顔には、悲哀はなかった。
いつもどこか自信のない、弱弱しさはなかった。
煉矢はそれに驚き、目を見開く。
「私、コンクールで、きっと、成果を出して見せます」
海からの風が、乃亜の髪を揺らした。
「だから、もう少しだけ……時間をもらっても、いいですか?」
言葉で、想いを交わせるようになるまで。
煉矢はその言葉の意図をすぐに察した。
先ほどのミニコンサートを境に、なにか距離が少し縮まったと
感じていたのは乃亜だけではない。
そして乃亜のこの言葉に、想いが少ながらず伝わっていると察しもした。
煉矢は少し驚いた様子を見せたが、すぐに目元を細め、乃亜の頬に手を伸ばした。
柔らかな頬に手の平で触れ、親指で撫でる。
それは今までにないような接触だったが、乃亜は驚きをすぐに消して、
安心するように、その手に少し頬を寄せた。
その様子に、煉矢もただ愛しさが募る。
「お前が納得できるまで、いくらでも」
「……はい」
恋人ではない。
言葉で伝え合っているわけではない。
けれどそれでも、言葉以外では、とっくに通じ合っている。
乃亜も煉矢も、それを確信していた。
葉と灯台編終了。
次回より新章です。おや?静しろの様子が……?
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★毎週木曜11:30・日曜19:00頃更新予定★
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