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【葉と灯台編】61:xx17年2月18日

青武線、春野台駅。

都内の主要駅を基点として、埼玉方面に線路を伸ばす路線上のこの駅は、

主要駅からさほど離れてはいないもの、静かな住宅街の一駅として存在していた。


スーパーやドラックストア、コンビニなどの基本的な生活施設は存在するが

娯楽関連の店舗はあまり見当たらない。

どこか長閑ささえ感じるその駅の改札外で、乃亜は緊張につぶれそうになっていた。


ぽつぽつと2月の冷たい雨が絶えず降る中、

フリンジの揺れる緑のチェックスカートにオフホワイトのダッフルコートを着込み、

頭にマスタード色のベレー帽をかぶる。

耳には誕生日にもらったイアリングを光らせ

雨の降る空を眺めては深く息を吐き出した。


先月末、バレンタインギフトを煉矢に贈ることを決めた。

ましろにも背中を押され、配送で贈ろうと考えていたのだ。

けれど自宅に戻ってから、肝心の煉矢の住所を知らないという

あまりにもお粗末な事態になってしまった。

最初は贈ることさえやめようかと思ったが、

再びましろに励まされ、多忙な煉矢に時間を少しだけもらえないかと連絡したのだ。


結果、彼は承諾してくれた。

30分でいい、と告げたが、なぜか1時間に延長させられたが。

それでも約束を取り付けることができ、

間もなくその時間である。


時間を貰えたときは本当にうれしくて仕方なかったが、

今こうして雨空の中、煉矢を待っていると、再び不安で揺れる。

本当に良かったのかという思いもそうだが、

この天気である。

忙しい中時間を貰う上に雨まで降ってきては、

尚のこと外出させるのが申し訳ない。


乃亜は溜息を吐き出し、それは白い息となって揺れた。


 「乃亜」


少し離れたところから声がかかり、はっとして顔を上げた。

ビニール傘をさしてこちらに小走りに駆けてくる姿に

不安な気持ちを覆うようにあたたかな想いが湧き上がる。


 「煉矢さん」

 「悪いな、待たせたか?」

 「いえ、大丈夫です。

  その、むしろ……すみません、忙しい中に時間をもらってしまって……」


しかも雨の中呼びつけたようなものだ。

つい視線が下がる。


 「だから気にしないでいい。

  ……というか、もう忙しくない」

 「え?」

 「昨日、終わった。卒論発表」

 「!」


ぱっと顔を上げると煉矢は目を細めて微笑んでいる。

表情には清々しさのようなものがあった。

兄から聞いていたばかりだが、卒業論文の発表というのはかなり神経を使うらしい。

自身の理論を打ち破ろうとする質疑に対して適切に回答していかなければならない。

理論武装にどれだけ時間をかけても無駄ではない、というのが兄の弁だ。

むしろそのために時間を費やすことこそ重要という。


それを無事にやり遂げたのだという。

乃亜はそれが、自分のこと以上に喜びを感じ、微笑んだ。


 「おめでとうございます……!」

 「ああ、ありがとう。

  さ、立ち話もなんだ。少し歩くが、いいカフェがある。

  そこに行こう」

 「はい」


忙しい中で時間を貰ってしまう、という不安が消え去った。

乃亜はそれから解放され、明るい笑みで頷くことができた。


雨が降る道の中を、二人は並んで歩く。

線路沿いに少し歩き、住宅が立ち並ぶ中、街路樹が伸び、ベンチの点在する遊歩道にでた。

晴れた日であれば、地元の人や家族連れでにぎわうであろう道を歩いている中、

乃亜は、ある意味ではバレンタイン以上に報告したいことを先に言うことにした。


 「ひとつ報告なんですが……」

 「なんだ?」

 「ヴァイオリンのレッスンが始められることになりました」

 「!」


隣を歩く煉矢から息をのんだような声が聞こえた。

それに小さく笑う。


 「先日の定期検診で、もうほぼ完治だと言っていただけて。

  勿論引き続き検診には行きますが、それでも、今日からまた弾けます」

 「……そうか、よかった」


心底安心した様子で息が吐かれる。

煉矢を見ると、本当に安心した様子が見て取れ、心配かけていたことを改めて感じる。

視線が下ろされ交じり合うと、笑みが口元に乗った。


 「だからヴァイオリンを持っていたんだな」

 「はい。水野先生にはお伝えしているので、

  慣らしとして少し弾いてみようということになってます」

 「そうか。……楽しみだな」

 「はい」


ヴァイオリンを弾ける。

そのことがいくらも楽しみだ。

そんな風に感じられる日が来るなんて思わなかった。

背中に感じるケースの重みさえ、今は嬉しい。

そしてそれを、煉矢が理解してくれていることも、嬉しかった。


やがて煉矢に案内されてたどり着いたのは住宅街の一角にある白いカフェだ。

まだできて新しいのか、真っ白の外壁に、木製の扉。

道路沿いの大きな窓の半分はすりガラスになっており

光を取り入れつつも室内は見えないようになっていた。


カランというドアベルの音と共に室内に入る。

中はどこか素朴な雰囲気だった。

明るい木目調のカウンターといくつかのテーブル席。

店内にはあまり客はいなかった。


店内の雰囲気はとても穏やかで清潔感があり、

ドライフラワーのリースが壁にかかり、優しいハーブの香りがする。

おそらく天気のいい時は多くの客が訪れているのでは感じさせる雰囲気だ。


窓際の一席に案内され二人は向かい合わせに席に着く。

お冷が置かれ、店員は離れて行った。


 「普段よく来られるんですか?」

 「息抜きがしたいとき、たまにな」


テーブルに広げられた縦長のメニューには紅茶の銘柄やスコーン、軽食が並んでいた。

どうやら紅茶をメインとして扱う店らしい。

今日は雨で寒く、指先も冷えていたので、正直紅茶の温かさはありがたい。


いくつかあるメニューの中で、

乃亜はロイヤルミルクティ、煉矢はダージリンを選んだ。

店員に注文を終える。


乃亜としてはここからだ。

ここに来た目的はバレンタインギフトを渡すこと。

雨が降っていたので小さな手提げ袋からは出して

トートバックに入れて持ってきている。

それは今荷物置きの中におかれているわけだが、どう声をかけるべきか。


 「そういえば、つけてくれたんだな」


はっとして視線を向ければ、煉矢は自身の耳を軽く指さした。

示しているのは、乃亜の耳に光るイアリングである。

乃亜は頬を赤らめながら、貰ったときの喜びを思い出して笑みを深くする。


 「……似合いますか?」

 「ああ、とても」

 「嬉しいです……ありがとうございました」

 「喜んでくれたならいい」


喜んだどころの騒ぎではない。

乃亜はつい耳に輝くそれに指を這わせた。


 「まさか、誕生日プレゼントを贈っていただけるなんて思わなかったです」

 「12月のデートの時に言ったと思ったが?」

 「それは……でも、お忙しい時期でしたし……」

 「それくらいの時間は作れる」


あっさりと言うのだから逆に本当に平気だったのかと不安になる。

だが、彼は相変わらず堂々としたものだった。


やがて注文した品が届いた。

乃亜の前には白にラベンダーの図柄が入ったカップ、

煉矢の前には金の縁に青い線の入ったカップがそれぞれ置かれた。


湯気の漂うロイヤルミルクティを口にすると

そのあたたかさにほっと息が漏れた。

外の寒さに体はずいぶん冷えていたらしい。

ほんのりとした甘みも緊張を溶かしてくれる。

今なら渡せる。


乃亜はそう思い、カップを置いて、椅子の横の荷物置き、

そこに置かれたトートバックから深緑の包装紙に包まれた平たい箱を取り出した。


 「あの、煉矢さん」


少し手が震えていることに気付かれないように祈りながら

それを差しだした。

煉矢は目を丸くしている。


 「……その、バレンタイン、の、贈り物……です」

 「!」


心底想定していなかった、という様子の煉矢に

乃亜は頬が赤くなるのを止められず、視線を下にずらした。


 「え、と、その……いつも、私、煉矢さんに、支えて、もらって、ばかりで……。

  なのに、……なにも、返せていなくて……だから」

 「乃亜」

 「は、はい」


手の中の箱が受け取られる。

乃亜はそれに顔を上げた。

煉矢は微笑み、その目元が少し赤いように見えた。

深緑の箱をそっと撫でて、彼は一度目を閉じ、もう一度笑いかけてくれた。


 「ありがとう。大事にいただく」

 「……はい」


喜んでくれた。

笑いかけてくれる眼差しが嬉しく、乃亜も大きな笑みで返した。


肩の荷が下りたこともあり、

乃亜はそのあとは穏やかな心地で話しをすることができた。

ゆっくりと紅茶を楽しみながら聞くのは4月からの新しい生活のことだ。

乃亜は高校一年から二年に進級するだけだが、煉矢は大きく生活が変わる。


彼は就職先として、外資系の大手コンサルティング会社への就職が決まっている。

三月末から研修が始まり、4月いっぱいは研修なのだそうだ。

元々難易度の高いコンサルティングという職業に加え大手企業、

更には海外の顧客との取引も多い会社らしく、学ぶことは多岐にわたる。

英語自体はまったく問題ないが、ビジネスという場ではまた異なってくる。

そのため研修以外でも勉強することは多い。


 「社内で学ぶことは出来て当然、プラスの出来が今後に左右されそうだ」

 「あまり無理はされないでくださいね……」


静もそうだが煉矢もなかなかに際限なく努力するタイプな気がしている。

努力は決して悪いことではないのだが、

しすぎて身体を壊してもいけない。


 「だからできれば、土日に少し時間をくれるとありがたい」

 「え?……それは、もちろん、構わないですが……。

  でも、お疲れでしょうし、お休みの日くらい、ゆっくり休んだ方が……」

 「だから、だが?」

 「え………」


目を丸くする。

何を言われたかよくわからなかった。

だが、前後の文脈を理解し、はっとして頬が赤くなった。


 「……ふっ」

 「……っ、煉矢さん!」


小さく噴き出した彼に、からかわれていることに気付いた。

思わず抗議するように名を呼ぶと、彼はくつくつと笑った。


 「いや、冗談じゃないがな。たまにでいい、俺の息抜きに付き合ってくれ」

 「……息抜きに、なるんですか?」

 「ああ、とてもな。今もなってる」

 「……、それなら……」

 「また誘っても?」

 「……はい……」


そういう言い回しは少し困ってしまうけれど、

本当に、少しでも彼の為にできているのであれば、それ以上のことはないのだから。




その後紅茶がなくなり、時間もあったため二人は駅で別れた。

行きよりはるかに明るい気持ちで電車に乗り、乃亜はヴァイオリン教室へと向かう。

まだ昼の時間帯。

電車はさほど混雑しておらず、乗り継ぎをして別の電車にのり

空いた席に座ったところで、CORDアプリに新着メッセージがあった。


 『とても美味しかった。ありがとう。来月、期待しててくれ』


来月。

期待しててくれと示すそれがホワイトデーのことだと言うのは分かる。

しかし、もしかしたらまた、来月に二人で会うことができるかもしれない。

喜びが胸に広がり、乃亜は電車の中で口元が緩みそうになるのを必死に抑えこんだ。


その喜びは、ヴァイオリン教室に到着しても継続していた。

胸の中にあふれるあたたかい気持ちが消えない。


ヴァイオリン教室でヴァイオリンを構えるのは六か月ぶりだ。

そのこと自体も感慨深い。

心底安心した様子を見せる水野は、今日は慣らし、好きな曲を、好きなように弾くといいと告げた。


以前であれば、そんなことを言われても心底困っただろう。

けれど今は違っていた。

好きな曲を、好きなように。

今のこの気持ちを、思い切り、ヴァイオリンと共に広げたい。

乃亜はそんな思いでヴァイオリンを構え、弓を引く。


今の自分の気持ち。

大切な人への、愛しいという想い、それを全身をもって歌えるのは、あの曲だけだ。


心の中で考えるのは、あのオルゴールの音。


ヴァイオリンから発せられる音色に、水野は大きく目を見開いた。

かつてのように、否、かつて以上に優しく伸びやかに全身を通り抜けていく風。

まるで、高原の霧をその音色が風となって晴らし、明るい陽射しが差し込み、

その風が流れると共に花が一斉に花開いていくかのような奇跡の景色。


霧が晴れ、青い空と白い花、緑の草原の中にたたずんでいるかのような錯覚さえ感じる。

空から差し込むのは明るく優しい光。

まるですべてに許され、すべてから愛されているかのようなあたたかさを感じる。


水野はただただ驚愕する。

いったいこの子に何があったんだろう。

スランプ前とは、否、それとは比べ物にならないほどの

とてつもない大きな存在感と、圧倒的な音色の力。


何があったのかは分からない。

しかし確かなのは、今、スランプという時期を乗り越え、大きく花開いた。

確信する。この子は音楽の神様の愛し子だ。


水野は乃亜の奏でるヴァイオリンにただ打ち震え、曲が終わると共に涙を一筋、こぼした。



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★毎週木曜11:30・日曜19:00頃更新予定★

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★アルファポリスでも連載中★

https://www.alphapolis.co.jp/novel/598640359/12970664

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