【葉と灯台編】60:xx17年1月29日
唖然として立ちすくむ、というのはこのことだ。
煉矢にバレンタインギフトを贈る。
ましろにも背中を押され、ほかならぬ煉矢との日々が最後の一押しとなり、
不安や心配は消え去り切っていないものの、
今まで彼が与えてくれたことに対する、ほんの僅かばかりの礼としてそのことを決めた。
だがその大前提として、発送するという受け渡し方法でと考えていたのだ。
彼は本当に今多忙だ。
こんなことで時間を取らせるわけにはいかない。
CORDで連絡を取り合っていてもそのことは感じ取れている。
そもそも直接渡すなんて自分にできるとは思えない。
乃亜はがっくりと床に座り込み、
ベッドに両腕を投げ出して突っ伏した。
「……本当、なにしてるの、私……」
情けないといったらない。
あまりにもお粗末な状態に羞恥で顔が赤くなる。
ベッドから見える、扉を閉めたクローゼット。
その中には、当日近くまで置いておこうと片づけたチョコレートが入っている。
だがもう渡しようがない。
じわりと涙がにじみ、乃亜はベッドのシーツに顔を押し付け、涙をごまかした。
誤魔化しようがないそれはシーツに沁みをこしらえる。
真っ暗な視界が、いささか強めにベッドに顔を押し付けているせいかチカチカしてくる。
顔を横にして深くため息を吐き出した。
「……自分で、食べようかな」
彼のためにと買ったものを?
自分で口にした言葉は容赦なく心をえぐった。
唇の裏をぐっと噛みしめ、また込みあがりそうになる涙を押さえつけた。
ベッドに置いたままの鞄をすべらせるように引き、
そこからスマートフォンを取り出す。
いっそ笑い飛ばしてほしくて、CORDを開いた。
ついさきほど別れた友人の名前のチャットルームを開く。
『思い切り笑ってほしいんですけど』
『は?なに、どしたの?』
既に自宅に戻っていたのか、ましろの返信ははやかった。
『煉矢さんの住所、知らないです……』
『うそでしょ』
『うそじゃないです……』
嘘だったらどれだけよかったか。
『静に聞くのは?』
『無理言わないでください……』
なにをどうやって聞けというのか。
そもそも煉矢のことが好きだということも兄には伝えていないし
なにより今の自分と煉矢の関係とてどう説明していいか分からない。
『いつもお世話になってるから、みたいな感じで聞くのは?』
『兄さん最近、私の誤魔化しとかすぐに看破するんですもん……』
『あー……』
昨年の自分の故障事件以降、
静は乃亜の小さな嘘やその場しのぎの誤魔化しなどの一切を容易く看破するようになった。
乃亜自身が静にそういったことが出来なくなったのかもしれないし
静自身がそれを見抜けるようになったのかもしれない。
それは決して悪いことではないのだが、
こういう時正直困ってしまう。
『それに、私自身、しれっと聞ける気がしません……』
『あぁ……、まぁね……』
悲しいかな深く納得された。
『煉矢自身に聞くのはダメなの?
送りたいものがあるから住所教えてくださいって』
それもひとつの方法だろう。
だが懸念は。
『直接受け取りに行こうかと言われるような気もしていて……』
『あああ……あり得る……』
『それじゃ本末転倒です……』
『先月のデート以来会ってはいないんだよね?
そんなきっかけあったら会いたいってことになるしなぁ』
『それは……分からないですけど……』
『逆の立場ならそうするでしょ?』
『う……』
確かに逆の立場で、送りたいと言われたら、
直接取りに行くと言いたくなると思う。
ましろの言葉には納得しかなかった。
『もうさ、直接渡しに行ったほうがいいんじゃない?』
その爆弾投下にかっと頬が熱くなった。
『無理です!』
『どうしてよ』
『だって、本当に煉矢さん、今忙しい、大変な時期なんです。
なのに、こんなことで時間使わせて、迷惑かけます。
単に私の我儘ですよ。
そんなことのために時間貰うなんて、本当に申し訳なくて、そんなのむりです』
そう、無理だ。
少しでもなにかを返せたらと思って用意したのに、
それを渡すためだけに時間を貰うなどあまりにも本末転倒である。
感謝を伝えるためだからといってなんでもしていいわけではない。
そんなものはただの押しつけだ。
自分で書いていてまたじわりと涙が浮かんでくる。
贈りたいと思った思いが、心の中で泣いている。
だがそれを押し付けて、乃亜はCORDを続けた。
『だから、もう、贈るのやめます』
決定的な一言を言葉にして打ち込んで、胸の中がぐしゃぐしゃになる。
かき乱されるような不快感を感じながら、乃亜はスマートフォンをベッドの上に投げ出し、
溢れてくる涙を左腕で拭った。
ヴヴ、と端末が震える。
CORDでの返信かと思ったが、その振動音は続く。
乃亜は顔を上げてスマートフォンを見ると、ましろの名前での着信だった。
惰性的にそれを取り上げ、通話開始ボタンをタップした。
「……もしもし」
『いきなりごめんね、電話でも平気?』
「はい……もう家なので」
自分の声が、少し掠れていることに気付いた。
気付かれないことを願う。
『あのさ、乃亜。
私、煉矢とは、静や乃亜から話は聞いていたとはいえ、
直接会ってからまだ間もないし、絶対とは言わないんだけど。
あの人、乃亜のこと、本当によく分かってくれてると思う。
だから、乃亜が用があるって言ったからって、
無理やり時間を作ることしたら、逆に乃亜が悲しむこと、ちゃんと分かってると思うよ』
「………それは」
『難しいなら難しいってちゃんと言ってくれるよ。
当日じゃなくて、すこしズレたっていいんだから。
ちゃんと無理がない時間を見繕ってくれる』
「……でも、空いた時間は……ゆっくり休んで、ほしくて……」
『外を少し歩くのだって、気晴らしになるものでしょ』
「………」
『乃亜、いつかと同じだよ。
乃亜が考える煉矢の言葉じゃなくて、煉矢自身の言葉、ちゃんと聞かなきゃ』
「あ……」
それは以前、夏の旅行で、ましろから言われた言葉だ。
静との関係に悩んでいた自分に、静の言葉を聞いてあげようと言われたのだ。
想像ではなく、直接聞いて、それなら信じられるのだからと。
けだし金言だ。
ベッドのシーツを握る手から力が抜けていく。
不安はある。気がかりは消えない。
けれど、それでも彼の言葉は聞いていない。
「……ましろ、ありがとうございます」
『うん、頑張って。大丈夫、煉矢は迷惑だなんて思わないよ』
「だと……いいんですが」
『大丈夫だよ。またなにかあったら連絡してね』
「はい、ありがとうございます……」
そうして通話は終わった。
乃亜は床に座り込んでいた身体を起こし、ベッドの上に座り直す。
固いフローリングに直接座っていたため少し足がしびれていた。
ちらともう一度クローゼットを見る。
片づけられたバレンタインギフト。
少しでも今まで貰ったものに対して、ごく僅かな礼が出来たらと思った。
そして何より、見つめられるあの眼差しに、言葉ではなく、返せたら。
あたたかく優しい赤い色。
柔らかな笑顔、そっと触れられた背中ごしのぬくもりも覚えている。
彼への想いを自覚して1年以上経過している。
アメリカでの日々、夏の旅行の時間、そして先月のクリスマス。
知れば知るほど、その想いは深くなるばかりで、一向に薄れず、むしろ膨らむばかりだ。
クリスマスの彼からの言葉、ふとした瞬間の様々は、そのふくらんだ想いを
今にも破裂させて、言葉として口から溢れだせようとしてばかりだ。
けれどそれは喉でつかえる。
彼の隣に立てる自信がない。
自分にはなにもない、ただの高校生、子供にすぎない。
切なさを押し込めるように、服を握りしめた。
視線を上げた先、スチールデスクの端に置いた、白い小箱が目に入った。
アイボリー色で、白い羽根が刺繍されたその箱を開けると
優しいオルゴールの音が室内に響いた。
「……煉矢さん」
夏の旅行のオルゴール館で、このオルゴールの音色を共に聞いたとき、
確かに心は同じ場所にあった気がした。
オルゴールの横には丸いジュエリーケースを置いている。
その中にはラリマーのペンダントが収められ、
今自分の耳に光るイヤリングも、普段はここに仕舞っている。
貰った贈り物の数々や言葉、彼との日々。
乃亜は顔を上げ、スマートフォンを手にしてベッドに腰かけた。
CORDアプリを立ち上げる。
最後にメッセージのやり取りをしたのは3日前だ。
どうしても消え切れない不安や心配が指先を震えさせる。
しかしそれ以上の想いが、乃亜の指を動かした。
『お忙しいと思うんですが、もし、出来たら、
2月半ばに、30分だけ、時間を貰えませんか?
そちらの、最寄り駅まで伺うので。
卒論でお忙しい時期というのは分かっているので、
無理であれば無理で大丈夫ですから』
送信。
「……はぁ」
送ってしまった。
乃亜はひどく疲れたような気がして、天井を仰いだ。
本当によかったろうか。
無理に気遣いをさせるのではないか。
迷惑だと、嫌な思いをさせないだろうか。
抑えていたそういった気持ちが湧き上がってくる。
ちらと端末を見ると、既読がついていた。
湧き上がる不安と、期待に情緒がおかしくなりそうだ。
そういった思いと共に心音がどきどきとひどく煩い。
『2月18日でもいいか?少し遅くて悪いが』
送られてきたメッセージに目を見開いた。
湧き上がってきていた不安が奥底に押し込められ、
あたたかな想い一色に染まっていく。
18日。土曜日だ。
乃亜は急いで返信をした。
『いいんですか?無理、されてませんか?』
『してない。むしろお前から声をかけてくれて嬉しい。
時間は何時ごろがいい?』
『その、煉矢さんの最寄り駅はどちらになりますか?』
その日はヴァイオリン教室に行く予定がある。
乃亜の左腕はまだ完治していないし、ヴァイオリンを再開して良い許可も出ていない。
しかし水野との交流は続いているのだ。
練習のし過ぎで故障したことを水野はひどく気にしていた。
だが水野の責任ではない。自身の弱さのせいだと乃亜は彼女に訴えた。
静も含めて話し合った結果、月に一度、
ヴァイオリン教室の時間に曲についての解釈を語り合ったり、お茶をしたり、歌を歌ったりと、
音楽に触れる時間として水野の元を訪れるようになっていた。
18日はまさにその日だった。
往復の時間があるので先にそれを聞いておきたいのだ。
『ああ、そうか、土曜だからな。
青武線沿線の春野台駅だ。そちらからだと、1時間はかかるぞ。
こちらから行ってもいいが?』
懸念していた通りである。
『いえ、私の用事ですから。なら、14:00頃でお願いします。
本当に、30分くらいでいいので』
『せめて1時間にしてくれないか。短すぎる』
『え』
長いと言われることは考えていたが
短いと言われることなど想定していなかった。
乃亜は目を瞬かせていると追加メッセージが入った。
『折角だから少しお茶でもしよう。
いつも言っているように、お前との時間は俺にとっていい休息なんだ』
いよいよもって、不安や心配が片隅へと追いやられていく。
乃亜はそのメッセージに頬に熱がこもっていくのを感じた。
『じゃあ、13:30で……いいでしょうか』
『それで頼む。楽しみにしている』
メッセージのやりとりはそれで終わった。
乃亜はしばし茫然とそのメッセージ欄を眺め、ややあってベッドに倒れ込んだ。
つい先ほどまであった不安や心配、そう言ったものがすべて
彼からのメッセージに押しつぶされ片隅へと追いやられていったらしく
今胸にあるのは、またも大きくなった煉矢への想いだけだ。
どきどきと高鳴る心音にその想いが震え、震えが口元に笑みを浮かべさせていく。
両手を頬にあてがうとひどく熱い。
まるで本当に、彼が自分に会えることを楽しみにしてくれているような気がする。
「……好きです、煉矢さん」
こらえきれない歓びと愛しさが、彼の前では言えない言葉を口から溢れさせていた。
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★毎週木曜11:30・日曜19:00頃更新予定★
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★アルファポリスでも連載中★
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